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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Sun
2009.07.26[08:51]
四.傷痕



 光り溢れる午後。
 志木柾士は冷泉家を訪れ、安芸の私室で彼と二人きりの時間を過ごしていた。
「……ま……さし」
 美しい顔に笑みを閃かせながら、安芸が柾士の名を呼ぶ。
 雪のように白い頬に、微かな朱が射している。今日の安芸は昨日に比べて血色もよく、体調も優れているようだ。
「……まさし」
 安芸が首を傾げるようにして、言葉を繰り返す。
 ベッドの端に腰かけていた柾士は笑顔で応じた。
「何、安芸くん?」
「まさし――すき」
 ニッコリ微笑んで、安芸は甘えるように柾士に抱き着いてくる。
「オレも、安芸くんのこと好きだよ」
 柾士は安芸の髪を撫でてあげながら、心からの言葉を述べる。
 初めて逢った時から、この不可思議な少年の存在が気になっていた。
 出逢いに宿命のようなものを感じた。
「まさし……すき」
 幼い子供のようなあどけなさで安芸が微笑む。彼は微笑みながら片手を挙げ、柾士の背後を指差した。
「何……?」
 柾士は首だけを捻じ曲げて、そちらを顧みた。
 安芸の指はベッドサイドの棚を差している。棚の上には、ガラス細工の写真立てが一つポツンと置かれていた。
 中に飾られた写真を目にした瞬間、柾士は表情を曇らせた。
 写真の中では、三人の少年少女が幸せそうに微笑んでいる。
 中央に安芸、その左側に従妹の武村美弥、そして反対側には『由羅』と呼ばれる少年が仲良く並んで立っている。どの顔にも明るい笑みが刻み込まれていた。美弥はともかく、現在の安芸と由羅からは想像もできないほど朗らかな笑顔だ……。
 一年前、この三人の間に何が起こったというのだろうか?
 柾士には見当もつかない。
「みや、すき。ゆら――すき」
 夢現の眼差しで安芸が囁く。
「ゆら、すき。みや、すき……。でも、もう……みや、いない――」
「――えっ?」
 思わず、柾士は鋭く安芸を見返していた。安芸には美弥の失踪を告げていない。彼が美弥の不在を知り得るはずがないのだ。
「みや、もう……いない……」
 夢見がちに囁く安芸の言葉に、柾士は恟然とした。
 いない――それは、美弥の死を意味しているのだろうか?
「安芸くん……?」
「みや、いない。いない……。いな……い……。――いた……いっ……!」
 呟く安芸の口調が、唐突に険しいものへと変化した。
 苦痛に顔が歪む。
 直後、彼の身体がビクンッと震え――硬直した。
「い……たいっ……!」
 安芸の双眸は見開かれ、虚空を凝視したまま制止している。
「安芸くん?」
 柾士は突然の変化に驚き、その顔を覗き込んだ。白い頬を冷たい汗が伝っている。
「……いたい……いたい……いたいっ!」
「あっ、安芸くんっ!?」
「い……たい……いたい……いたいよ……!」
 安芸の身体が、力を失ったように柾士に凭れかかってくる。柾士は、無意識に安芸を両手で抱き留めようとした――
 刹那、
「いたいっ!」
 安芸の唇から甲高い悲鳴が迸った。
「えっ?」
 反射的にパッと手を離す。自分の掌を、柾士は信じらぬ思いで見つめた。
 手に真っ赤な液体が付着していたのだ。
 鮮明な深紅の液体が、柾士の心に驚愕と不安を植えつける。
「……血?」
 自分の手に付いたものが何なのか判明するなり、柾士は慌てて安芸の長い髪を背中から払い除けていた。
 白いパジャマに、不吉な紅い華が咲いていた。
 柾士の視界の中で、それは見る間に広がってゆく。
「……いた……いっ……いたいよ、まさし!」
 安芸の悲痛な叫びが耳に浸透する。
「あ……安芸くん、ごめんねっ!」
 一言断って、柾士は安芸のパジャマを手早く脱がせた。
 安芸の肩を抱き寄せ、背中を覗き込んで――
「――――!?」
 絶句する。
 滑らかなはずの背中には、傷があった。
 肩甲骨の内側に、三十センチほどの長さの傷が縦に二本走っているのだ。
 ケロイド状の醜い傷痕――その口がパックリと開き、ドクンドクンと脈打つように鮮血を吐き出している。
 柾士は愕然と傷に見入っていた。
 火傷のような二筋の傷。不気味な生き物のように口を開き、血を垂れ流している。
 まるで――背中に生えた翼を、根元から引き千切られたかのようだ。
 ふと柾士はそう思い、自分のその考えに慄然とした。
 背中に翼の生えた人間など、この世に存在しているはずがない。
 ――この傷は一体……?
 何故、このような傷が安芸の背に刻印されているのか、不思議でならなかった。
「まさ……しっ……いたいっ!」
 安芸の苦悶の声にハッと我に返る。茫然と傷を眺めている場合ではないのだ。
「あっ、と……嵯峨くん! 公暁さんっ!」
 無我夢中で柾士は叫んでいた。
 自分ではどうすることもできない状態に痛烈な歯痒さを覚える。
 だが、助けを呼ぶ以外、柾士には成す術がなかった……。
「どうしました、志木様?」
 すぐに扉が開き、黒衣に身を包んだ公暁が姿を現した。
「あっ、安芸くんの背中――」
 しどろもどろに柾士は答える。
 それを聞くなり、公暁は素早い身のこなしでベッドに駆け寄ってきた。安芸の背中の惨状を見て、険しく眉根を寄せる。
「安芸様。少しの間、我慢して下さい」
 そう告げて、公暁は両の手を安芸の傷の上にそっと添えるのだ。
 公暁の両手が、淡い銀色の光に包み込まれる。光は安芸の傷をも覆った。
「……あっ!」
 柾士は小さく驚愕の声をあげた。目の前で血がピタリと止まり、ザックリと開いていた傷口が静かに閉じていったのだ。
「す、凄い。こんなこともできるんだ」
「ええ。冷泉の力です」
 簡潔に答えて、公暁は部屋から出て行ってしまう。
 数分後、再び戻ってきた時には、濡れたタオルと新しいパジャマを手に持っていた。
 安芸は、傷の痛みに耐えられずに意識を失ったらしくグッタリとしている。
 公暁はその安芸の背にこびりつく血液を綺麗にタオルで拭い、慣れた手つきで新しいパジャマに着替えさせる。最後にそっと安芸の身体をベッドに横たえさせた。
 迅速で、隙のない処置だった。
 その光景を、柾士は黙って見守っているしかなかった。
 血の気を失った安芸の顔が、痛々しい。
「もう大丈夫ですよ。驚かせて、申し訳ありません」
 公暁が柾士に視線を合わせ、次に頭を下げる。
「い、いや、そんな……。よく、あることなの?」
「ええ」
「そ、そうなんだ。――でも、凄いね、公暁さん。傷を塞いじゃうなんて」
 柾士は畏敬の眼差しを公暁へ注いだ。
「傷自体を消し去ることは、不可能ですけどね」
 公暁の顔に苦い笑みが浮かぶ。
「あの傷は――どうしたの?」
『訊いてはいけないかな』と思いつつも、柾士は質問を繰り出していた。不謹慎だが、理性よりも好奇心が勝ってしまったのだ。
 柾士の言葉を承けて、公暁の顔が僅かに翳る。やがて、彼はゆっくりと口を開いた。
「一年前に傷つけられたのですよ」
「誰があんな酷いことを?」
 間髪入れずに、柾士は問い返していた。『傷つけられた』ということは、傷つけた相手が存在しているということだ。
 公暁の視線が柾士を擦り抜け、ガラスの写真立てに向けられる。
「……由羅――櫻町由羅」
「――えっ?」
 柾士は恟然としながら、写真の中の少年と公暁を見比べた。
 公暁の顔には、何の感情も表現されてはいない。
 一瞬後、彼は静かに、無感動に事実を告げた。
「櫻町由羅――私の弟です」



 奇妙な静寂が、柾士と公暁の間に漂っていた。
「あっ、えっと……」
 先に沈黙に耐えられなくなったのは、柾士の方だった。
 柾士は、公暁、安芸、ガラスの写真立て――と忙しくなく視線を彷徨わせた後、結局公暁に視点を定める。
「公暁さんの――弟?」
 驚愕を隠し切れずに、上擦った声で訊ねる。
「ええ」
 静かに頷く公暁。
 美弥が何故『由羅のことなら公暁に訊け』と言ったのか、ようやく判明した。
 あの少年は、公暁の実の弟だったのだ。
「そ、そうなんだ。あの獣を連れた少年――由羅くんが君の……」
「由羅を知っているのですか?」
 柾士の言葉に公暁が意外そうな表情を湛え、反問してくる。
「あっ、うん。一昨日の夜、森の近くで逢ったんだ――っと言っても、言葉も交わしてないし、ほんの一瞬だったけど」
 歯切れ悪く柾士は応じた。何となく後ろめたい気分だった。
「そうですか。由羅に逢ったんですね。あの子――元気でしたか?」
 公暁の瞳が柾士に据えられる。柾士ではなく、柾士の記憶の中の由羅を求めているようだった。
「いや、あの、オレは由羅くんのことはよく解らないけど……。もしかして公暁さん、逢ってないの?」
 柾士は気遣わしげに公暁を見上げた。
 公暁の首が縦に振られる。
「はい。この一年間、一度も。由羅は冷泉を追放された身ですから……」
 語る公暁の声は苦渋に満ちていた。
「それって、安芸くんに負わせた傷のせい? どうして、そんなことになったの?」
 言葉にしてから柾士は自分の不躾さに気がつき、後悔した。赤の他人が口を挟むことではない。
 無神経に、公暁を傷付けてしまったかもしれない……。
 だが、公暁に柾士を非難する気配はなかった。彼は思案するように瞼を伏せ、しばらくの間、押し黙っていた。
 やがて瞳を開き、
「それは、その……」
 悲しげな眼差しを弟の写真へ注ぎながら、言い難そうに口ごもる。
「由羅は……」
 無言の時が数秒流れた後、公暁は決心したように再度口を開いた。
「私の弟は――」
 だが――
「いいよ、公暁」
 語り出そうとした公暁の言葉を、唐突に凛然とした声が遮ったのだ。
 柾士と公暁が、同時に声の発生源を見遣る。
「無理しなくていいよ。僕が志木さんに全てを話すから」
 美しい玲瓏のような声。
 戸口に、冷泉嵯峨の華艶な姿があった――



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