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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Sun
2009.07.26[09:20]
「志木さん?」
 暗い室内に一条の光が射し、すぐに消えた。
 美人が客室に入ってきたのだ。
 彼の気配を感じたが、柾士は返事をしなかった。
 美人の手が静かに毛布に置かれる。
「ほっといてくれっ!」
 柾士は毛布から手だけを伸ばして、美人の手を邪険に振り払った。
「……志木さん」
 美人の悲しそうな声が聞こえる。
 急に、柾士は申し訳ない気分に陥った。八つ当たりだと解ってはいるが、美人に謝る気にはなれなかった。
「《神の力》なんて……オレには……ない」
 柾士は毛布を被り直した。両の瞳からとめどなく涙が溢れ出す。
 心が悲鳴をあげる――壊れてしまいそうだ。
 何故、あの時《彼女》を救えなかったのか、と――
「……泣いてるんですか?」
 美人の手が再度毛布に触れる。
「本当に、オレにそんな力があったら――由香里は死なずにすんだはずだっ! 人一人救えなくて、何が《神の力》だっ!」
 ガバッと、柾士は毛布を剥ぎ取った。
 刹那、傷ついたような美人の双眸とかち合う。
「志木さ――」
「何が《神の力》だっ!」
 柾士は乱暴に叫んだ。
「オレに奇蹟の力があったら、由香里は死ななかったはずじゃないかっ!!」
 絶叫が――魂の叫びが止まらない。
 心が咆哮を放つ。
 痛い、と――
「泣かないで下さい」
 美人の手が伸びてきて、柾士の頬を伝う涙を優しく拭った。
「ごめん……」
 急に切ない気分が込み上げてきて、柾士は激しく涙を流した。
「……ごめん……ごめん、有馬くん――」
 全身の力を抜いて、美人に凭れかかる。
「どうして謝るんです?」
「……解ん……ない……」
 しゃりくあげながら、柾士は辛うじて言葉を紡いだ。
 ただ……心が痛い。
「そういう時は、好きなだけ泣いた方がいいですよ……」
 美人の腕が、静かに柾士の肩を抱いた。
「ありがとう――」
 美人の華奢な肩を抱き、首筋に顔を埋めて、柾士は泣いた。
 張り詰めていた緊張の糸が、一気に切れたような感じだ。
《彼女》と自分の罪が、走馬灯のように脳裏を駆け巡り、胸が張り裂けそうだった。
 子供のように泣きじゃくる自分を、美人が限り無く優しく抱き締めてくれている――それだけが救いだった。


「――志木さん」
 美人の声が耳の傍で聞こえる。その響きが心地好かった。
「昨日、僕に聞いてほしいことがあるって言ってましたね? よろしければ、話してくれませんか?」
 優しく問われて、柾士は頷いた。
「オレはね……東京から逃げてきたんだよ。あそこにいたくなかった。オレは、人を一人殺してしまったんだ。大切な人を、この手で――殺した」
 己を呪詛するように言葉を繰り出し、唇を強く噛み締める。
「志木さんは人を殺めたりはしませんよ」
 慰めのような言葉に、柾士は首を振った。
「でも……精神的に追いつめて殺してしまったことは事実なんだ。オレにはね、恋人がいたんだ。由香里っていう、二つ年上の綺麗な子だったよ。ちょっと神経質なところがあるけど、優しい子だった……」
《彼女》の赤い残像が視界をよぎるのを畏れながらも、柾士は訥々と事実を告げ始めた。
 ――本当に、優しい女性だった。
 自分には勿体ないほどの美女だった。
 その彼女を自分は死の闇へと追いやってしまったのだ。後悔しても、後悔しきれない……。
「同じ会社に勤めてた子で、三年近く付き合ってた。だけど、一年くらい前からギクシャクし始めたんだ……。原因は、オレ。仕事に熱中しすぎて――仕事人間になりすぎて、由香里のことをあまり顧みなくなっちゃったんだ。由香里のことを嫌いになった訳じゃないんだけどね……」
 柾士は、閉じた瞼の奥に彼女――由香里の姿を思い浮かべた。
 穏やかに微笑む由香里。
 唯一の安息の場所だった。
 それを、自分は無碍にしてしまったのだ。
『仕事が忙しいから』
 いつしか、それが柾士の口癖になっていた。
 心のベクトルが大きく『仕事』に傾いてしまい、由香里を蔑ろにしてしまったのだ。
 仕事も由香里も両方――大切なものだったはずなのに……。
「オレがあまりにも『仕事、仕事』ってなっちゃったから、由香里としては当然面白くなかったんだろうね。……気づけば、喧嘩ばかりするようになってた。一々口論するのがうざったくなって、無意識にオレは由香里を避けるようになってたんだな、きっと……。逢わない日々ばかりがどんどん増えていって――ある日、由香里が言った。『柾士、子供ができたの』って……。オレ、喜んだよ。由香里とは結婚したかったからね。でも――」
 ふと、柾士は口籠った。
『あなたと私の子供よ』
 自信たっぷりに告げる由香里の姿が、今でも鮮明に甦ってくる。
 思えばあの頃、既に由香里はおかしくなっていたのだ……。
「でも――なんですか?」
 美人が柔らかく先を促す。
「オレの子供じゃなかったんだ――」
 苦々しく柾士は答えた。
「えっ?」
 小さく美人が訊き返してくる。
「オレの子供じゃないんだ。告白された時は、有頂天になっていて気づかなかったけど、冷静に考えてみるとね――オレの子供じゃないことが、はっきりしたんだ」
「どうしてです?」
「由香里は、妊娠三ヵ月だって言ってた。だから、おかしいんだ。あのね……その、信じてもらえないかもしれないけど、オレと由香里は、その……三ヵ月どころか半年くらい――してなかったんだよね」
「志木さんの仕事が忙しかったからですか?」
「うん。全然、由香里のことをかまってあげられなかったからね。だから、由香里が他の男に目移りしても、オレには由香里を責める権利はないんだけど……。妊娠した子供が、オレの子供じゃないことだけは確かだった。でも、由香里はキッパリ言い切ったんだ――オレの子供だって」
 柾士は苦渋に満ちた声音で吐露する。
「それは、彼女が志木さんのことを愛していたからでしょう。彼女も、志木さんと結婚したかったんじゃありませんか?」
「オレもそう思うよ。だからね、敢えて何も問い質さずに結婚話を進めたんだ。……だけど、オレはきっと無言で由香里のことを責めていたんだよ。由香里も――由香里自身が本当は子供が誰の子か解っていたから、オレの責めるような眼差しに敏感だったんだと思う。――由香里、ちょっと神経質だって言ったよね? 結婚の日取りとか、式場とか、色々決めていく内に、どんどんおかしくなっていったんだ」
「おかしく――?」
「会社も頻繁に休むようになり、突然奇声をあげたり……独り言も多くなって……。オレ、心配になったけど、みんなが『単なるマリッジ・ブルーだよ』って言うのをバカみたいに真に受けてたんだ。……重度の統合失調症だと知った時には、既に遅かった――」
 柾士は大きく溜め息を吐き出した。
 泣き喚き、狂乱しながら柾士の名を呼ぶ彼女――思い出すには、あまりにも痛々しい光景だった……。
「病院に連れて行ったんですか?」
「うん。オレの顔を見る度に『ごめんなさい、ごめんなさい』って、泣くようになったからね……。入院するのは嫌だと言い張るんで、とりあえず実家で療養させることにしたんだ。……由香里には、オレ以外の男の子供を身籠もった事実と、それに対するオレの無意識の非難が耐え難かったんだろうね……。ある日、由香里の実家に様子を見に行ってみると――血の海だった」
 柾士は、突如として込み上げてきた吐き気を堪えるように手で口許を押さえた。
「大丈夫ですか?」
 美人が心配そうに頭を引き寄せてくれる。
 柾士は弱々しく頷いた。
「由香里の部屋に入った瞬間、むせ返るような血の匂いがした。……今でも、しっかりと網膜に焼き付いている――白いワンピースを着た由香里の右手に包丁が握られ、左手首が熟れた柘榴のようにザックリと割れていて……そして……そして、腹も同じように裂けていた……。腹部から飛び出した臓器が、オレには――胎児に見えた……。テーブルの上にあった遺書のような走り書きには、ただ一言『ごめんなさい』とだけ書かれていた。オレが――オレが由香里を殺したんだ」
 柾士は、再び涙が溢れ出してくるのを止められなかった。
「志木さんのせいじゃありませんよ」
「違うっ! オレが殺したんだ! オレが由香里を追いつめたんだっ!!」
「志木さん――志木さん!」
 錯乱したように叫ぶ柾士を、美人が必死に抱き締める。
「……オレが……殺した――」
 柾士はガックリと項垂れた。
「ずっと、由香里の幻が視えるんだ……。血にまみれた由香里が『柾士、あなたが殺したのよ』って無言で訴えてくる。オレは怖くて――由香里のいた場所から逃れようと、会社を辞め、ここへやってきたんだ。それでも、まだ――由香里の幻を視る」
「心の傷は、そんなに簡単に癒えやしませんよ」
 美人の指がそっと柾士の頬を撫でる。
「解ってる」
 柾士は美人の手を掴み、力一杯握り締めた。
「由香里はオレを裏切り――オレは由香里を殺した。その事実は消えやしない。だけど……だけど、おばーちゃんの言う通り、オレに《神の力》が宿ってるなら、あんなことにはならなかったはずだ! 由香里を救えたはずだ。そうだろ、有馬くんっ!?」
 激情のままに美人に訴える。
 自己非難の含まれた柾士の叫びを、美人の澄んだ双眸が受け止めた。
「神の力とて、万能なわけではないのですよ」
 美人が宥めるように静かに告げる。
 その言葉にドキリとして、柾士は美人を凝視した。
《神力》を持つのは、柾士だけではない。
 それに美人の言う通り、万能なわけでもないのだ。
 現に、安芸も由羅も公暁も――傷ついている。
 本当に神力が全てを解決してくれるのなら、みな傷ついていないはずだ。
「数年前、僕は大切なものを幾つも失いました……。僕の《力》ではどうしようもない事態でした。ですから、僕だけが生き残ったことには何か意味があるはずだ、と無理矢理言い聞かせて今日まで生きてきました。本当は意味なんてないのでしょうけれど、そうでも思い込まなければやり切れなかったのです……」
 美人の顔に自嘲の笑みが閃く。
 心に傷を持つのは自分だけではない。
 自分だけが、この世で最も痛手を負った悲劇の主人公ではないのだ……。
 不意に、羞恥が柾士の心を満たした。
 美人だって何かしらの傷を抱えているだろう。なのに、自分は彼に甘えるだけで、彼を無視して、自分一人だけが辛い想いをしているかのように振る舞ってしまった。
「……ごめん、有馬くん」
 詫びの言葉が素直に唇から滑り出た。
「謝らないで下さい。志木さんは、僕の話を笑い飛ばしもせずに真剣に聞いてくれたじゃありませんか。これで、おあいこですよ」
 美人の顔に柔らかい笑みが浮かぶ。
「それに、あなたの《神の力》は、まだ目醒めていませんよ」
「――えっ、そうなの……?」
 柾士は不思議そうに小首を傾げた。
「ええ。志木さんの力は、まだ眠りに就いたままです。ですから、目醒めた時に、その開花した能力で自分が何を成すべきなのかをちゃんと考えればいいのですよ」
 確信をもって美人は告げる。
「……有馬くんは先生みたいだね」
 柾士は笑った。美人の言葉は柾士の心にしっとりと浸透し、安らぎさえ与えてくれたのだ。
 確かに、自分は由香里を救えなかった。
 だが、この次は――もし、誰かが自分に救いを求めてきた時には、その人を助けよう。
 他人を救う――など、大それた考えだ。それでも、誰かが自分を必要としてくれるのならば、今度はしっかりとその人に応えたい。
「不思議だね。何日か前に出逢ったばかりなのに、オレは――有馬くんに、こんなにも心を赦している」
「僕もですよ。志木さんは少し……似てるんです。僕の幼なじみに」
「へえ、幼なじみがいるんだ? 大人になってからも仲がいいなんて、羨ましいね」
「しばらく顔を見ていませんけどね……。元気なら、それでいいんです」
「まるで何年も逢っていない口振りだね」
「実際、逢っていないんですよ。だから――捜しています」
 美人が哀しげな微笑を湛え、視線を銀細工の指輪へと馳せる。
 ――ああ、そうか。本当は鬼なんかじゃなく、その幼なじみを捜していたのか。
 不意に、柾士は悟った。鬼を捜しているというのは、それが何らかの形で幼なじみに繋がるからなのだろう……。
 二人の間に何があったのかは知らないが、鬼が関係することから察して、無闇に足を踏み入れてはいけない領域に感じられた。
「有馬くんの幼なじみに似ているなんて光栄だね。その人には到底及ばないだろうけど、ここにいる間はオレを頼りにしてよ」
「ええ、頼りにしてます。――ありがとうございます」
「それを聞いて、安心した」
 美人に即答されて、柾士は思わず照れてしまった。
 気恥しさを隠すように笑ってから、ゴロンと美人の隣に寝転がる。
「……ねえ、有馬くん」
「何ですか?」
「子供みたいだって、笑われるかもしれないけど――」
 柾士は言い難そうに言葉を途切らせ、軽く眉間に皺を寄せた。
「笑いませんよ」
 美人が、柾士と向き合うように体位を変える。
「今日はこのまま眠ってもいいかな?」
 恐る恐る尋ねてみる。
「ええ。志木さんがそう望むのなら」
「ありがとう――」
 柾士は美人の言葉に安堵し、瞼を閉じた。
 疲れているせいか、今夜はひどく眠い。
「ゆっくり眠って下さい。明日は、あなたにとって新しい世界の幕開け――本当の意味での夜明けが待っているのですから」
 美人の予言めいた言葉が、遠くに聞こえる。
 それを子守歌のように聞きながら、柾士は深い眠りに就いた――



      「五.目醒め」へ続く



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