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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Mon
2009.07.27[21:40]
     *


『――安芸……安芸!』
 誰かが呼んでいる。
 冷泉安芸は、直接脳に響いてくるような声の存在に気づき、精神を研ぎ澄まさせた。
『……安芸』
 懐かしい声に、安芸は思わずうっとりと瞼を閉ざした。
 閉じた視界に闇が広がる。
 緋色の――血の色をした不思議な闇だ。
『安芸』
 自分の裡に巣くう闇。
 彼の声――
 浸食されてしまう。
「ゆら……」
 安芸は、闇から逃れるように瞼を跳ね上げた。
『おいで、安芸』
 彼の声は続く。
 自分を喚んでいる――求めている。
 ――どうしても僕を喚ぶんだね、由羅。また僕に誰も選ばせない気なんだね。
 安芸はベッドから起き上がり、窓に手を伸ばした。
 ゆっくりと窓を開ける。
 白いレースのカーテンが揺れ、外の冷たい空気を運んできた。
 夜の闇が、眼前に果てしなく広がっている。
『安芸』
 強く自分を求める声。
 ――僕は、もう逃げない。
 安芸の両眼に鋭利な光が走る。
「今、行くよ、由羅――」
 正気の言葉を放つと同時に、安芸は軽やかに窓から身を躍らせた。
 フワリと、軽く宙を跳ぶ感触が全身を包む。長い髪が闇に溶け込んだ。
 素足のまま地面に着地する。
 地に足が着いた瞬間、身体が反射的に駆け出していた。
 疾風の如き速さで庭を駆け抜け、高い塀の前で敏捷に跳躍する。
 体重を微塵も感じさせない麗雅な動作で宙を舞い、軽々と塀を乗り越えた。
 着地より僅かに遅れて、長い髪が頬や肩に降りかかる。
「……ゆら」
 自然と唇から呟きが洩れる。
 その瞳からは再び正気が失われ、茫洋とした眼差しが夜の森を彷徨った。
『安芸――』
 彼が喚ぶ。
 安芸は、声の導く方向へ足を向けた。夜露で濡れた草むらを、しっかりとした足取りで進む。神楽宮神社の存在する方角だった……。
 ――決着をつけよう、由羅。君のため、美弥のため、そして自分のために。
 安芸は、躊躇わずに神楽宮神社へと歩き始めた。
 ――僕は、もう逃げない。
 月光に照らされる顔から、いつもの子供じみた雰囲気が失せる。
 代わりに、凍て付くような冷たい微笑が浮かび上がった。

 目醒めの刻は、近い――


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Category * 堕天の翼
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