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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Wed
2009.07.29[22:59]
 夜の外気に異変が生じた。
 感覚の鋭い瑞穂には、はっきりとそれを捉えることができた。
 夜の闇に紛れて何かが動いている。それも物凄い速度で。
 瑞穂は蒼月を小脇に抱え、手早く蔵の扉を施錠した。
 鍵のついた紐を首にかけ、蒼月を左手に持ち直す。
 自然と心が引き締まった。
 剣術を学ぶのと平行して鍛えられていった第六感が『危険だ』と警戒信号を発している。
 山村の静かな夜。普段なら人々は寝静まっている時間帯だ。
 それなのに急に空気が動き出した。
 異様な気配を孕んだ冷気が流れている。
 瑞穂は右手で蒼月の柄を握り、慎重に周囲を見回した。夜目には自信がある。
 闇の中、隣家の庭に植えられた木々が微かに揺らめいている。
 その奥――遠くの空に、真円に近い月が浮かんでいた。
 憎たらしいことに月は紅く輝いていた。
 視界に入ってきた月を見て、瑞穂は我知らず舌打ちを鳴らしていた。
 最大限の嫌悪と忌々しさを双眸に込めて、月を睨む。
 転瞬、間近でガサガサッと派手な物音がした。
 瑞穂はハッと息を呑み、慌てて音のした方へ視線を向けた。
 隣家の植木が大きく揺れ動いている。何かが隣家の庭に侵入し、木々を揺さぶっているのだ。
 ――鬼が来た。
 瑞穂は全身から冷たい汗が噴き出すのを感じた。
 純粋な恐怖が身体を強張らせる。
 だが、それに負けじと瑞穂は唇を噛み締め、鋭い眼差しで揺れる木を射た。
 その瞬間、一本の木が大きくしなった。
 木の枝を踏み台にして、何かが跳んだのだ。
 黄金色の輝きが闇夜を駆ける。
 その魅惑的な輝きと驚異的な跳躍力に、瑞穂はしばし目を奪われた。
 驚愕と畏怖に大きく見開いた双眸で、黄金の輝きを追う。
 金の塊は、二、三度跳躍を繰り返すとあっという間に視界から消え失せた。
 瑞穂が肉眼でそれを捕らえることができたのは僅か数秒だ。
 だが、網膜にはしっかりと人の形をした鬼の姿が焼きついていた。
 美しい容姿で人を惑わせる悪鬼だ。
「ア……サ……」
 自分のものとは到底思えない嗄れた声が唇から滑り落ちる。
 己の呻き声で、瑞穂はようやく我に返った。全身が総毛立ち、膝がガクガクと震えている。
 たった一瞬、視界をよぎっただけの鬼に、瑞穂は底知れぬ恐怖を覚えていた。
「奴を……追わなければ」
 瑞穂は思うように力の入らぬ足を懸命に動かした。
 源二に『あたしがやる』と豪語したくせに、いざ敵の姿を見ると怖じ気づいてしまった自分が情けない。
 早く追わなければ逃げられてしまう。
 もう二度と敵を捕まえることはできないかもしれない。
 敵の姿を目視できたこと自体、奇蹟に近いのだ。
 このチャンスを逃してはならない。今を逃せば、次に敵が目醒めるまで何年、何十年かかるのか解らないのだから。
「行くよ、蒼月」
 愛刀に語りかけることで己を奮い立たせ、瑞穂は地を蹴った。
 だが、数歩進んだところで、
「蒼月なんか持ち出して、どこに行く気だよ?」
 突然、背後から声が飛んできた。


「――玲?」
 瑞穂は足を止め、勢いよく振り返った。
 いつの間に坂家の敷地に侵入してきたのか、蔵の傍に白い人影が浮かび上がっていた。
「鬼殺しの名刀を持っていても、あいつに追いつけなきゃ意味がないだろ」
 物憂げな表情で瑞穂を見つめているのは、紛れもなく神栖玲だった。
 半年ぶりに姿を現した幼なじみを見て、瑞穂は大きな安堵を覚えた。
 玲の顔を確認した途端、双眸に涙が込み上げてくる。
「もう……逢えないかと思った。しばらく姿が見えなかったから、村長に殺されたんじゃないか――って、気が気じゃなかった」
「残念ながら、まだ生きてる」
 玲が自嘲気味に唇の端を吊り上げ、肩を竦めてみせる。
「よかった。ホントによかった」
 瑞穂は嬉しさのあまり玲に駆け寄ろうとした。
 瞬時、玲がハッとしたように後ずさる。
「駄目だ。それ以上、近づくな」
 玲の鋭い声。
 瑞穂が足を止めて驚きの眼差しを向けると、彼は苦痛に耐えるかのようにきつく眉根を寄せていた。
 そこで瑞穂は、玲の身に纏わりつく不吉な匂いにようやく気がついた。夜風に乗って、錆びた鉄のような匂いが漂っている。
 血の匂いだ。
 目を凝らすと、玲の白いシャツが半分ほど朱色に染まっているのが判った。右肩から腰の辺りまで血に濡れている。
「……怪我をしてるのか?」
「大したことない。すぐに治る」
「あいつにやられたんだろ?」
「今夜こそ仕留めようと思ったんだけどな。返り討ちにあったうえに逃げられた」
 玲が皮肉げに唇を歪める。
 玲は、あの黄金色の悪鬼を追って、ここまでやって来たらしい。
 追跡途中、蒼月片手に家を飛び出そうとした瑞穂を見かけて、やむを得ず予定を変更させたのだろう。
「酷い傷なのか、玲。だから、血に飢えて――」
「血の話はするな。怪我は直に治るし、解ってるなら傍に来るな」
 玲が押し殺した声音で懇願する。
 瑞穂は素直に頷き、蒼月を握る手を緩めた。
 玲を相手に刀を構えても仕方ないし、これ以上彼に接近する気もなかった。近づくことは、負傷した玲に更なる苦痛を与えることになる。
「畠山の奥さんが亡くなった。あいつの仕業か?」
 瑞穂は目の縁に溜まった涙を指で拭うと、素早く話題を転換させた。
 一定の距離を保っている限り、玲はこの場から――瑞穂から逃げ出したりはしない。久方振りの再会を手放しで喜べないのは残念だが、少しでも長く玲の存在を身近に感じていたかった。
「あいつが殺した」
「武田の聡子ちゃんもか? あの子、まだ中学生だった……」
 瑞穂は歯切れ悪く呟いた。
 東に住む武田聡子とは特別親しい仲ではないが、自分と同年代の少女の生命が強奪されるのは辛いし哀しい。激しい憤りすら覚える。彼女は気儘な殺人鬼に若い生命をもぎ取られたのだ。
 許されるべきことではない。
 だが、その許されざる凶行が、この村では幕末から延々と繰り返されてきたのだ。
 やはり諸悪の根源は絶つべきだ――と、瑞穂は改めて強く想った。
「武田の方もあいつの仕業だろうな。そっちは現場も遺体も見てないけど。あいつ、今夜は派手に獲物を漁ってるらしい。さっきは蕪木先生の車を追ってたしな」
「蕪木先生?」
 瑞穂は思考を中断させ、顔を上げた。
 蕪木亮介の姪――莉緒の顔が脳裏に浮かぶ。
 都会からやってきた心に傷を持つ少女。
 最近、ようやくクラスにも馴染んできた。徐々にではあるが瑞穂に心を開いてくれるようにもなった。その友人に、殺人鬼の魔手が伸びているのではないか、と咄嗟に危惧したのだ。
「多分、先生は畠山家に向かうところを狙われたんだろうな。俺が邪魔したから先生に害はなかったけど」
「よかった。蕪木先生も莉緒も無事なんだね」
 瑞穂はホッと胸を撫で下ろした。自分が畏れていたようなことは起こらなかったらしい。
「――莉緒? ああ、先生のところの居候か」
「莉緒を知ってるのか?」
「今日、公民館で逢った。お節介な蕪木さん、だろ」
 莉緒と出会した時のことを思い出しているのか、玲は口元に困ったような微笑を刻んだ。
「あいつ、俺と要のことを心配するくせに村のことを何も知らないんだな。もしかして、誰も真実を話してないのか?」
「クラスのみんなは話してない。蕪木先生も教えてないと思う。あの子は行き場を失って村に流れ着いただけ。知らないなら、知らない方がいいに決まってる。……あの子、やっと笑うようになったんだ。村やあたしたちのおかげだ、って嬉しそうに笑うんだよ。そんな莉緒を奈落の底に突き落とすような真実なんて、とても打ち明けられない」
 瑞穂は渋面で言葉を紡いだ。
「莉緒は外から来た。高校を卒業したら都会に帰る人間だ。敢えて教える必要はないし、できることなら何も知らないまま村を出て行ってほしい。……あの子、どうして緋月村なんかに来たんだろ? お父さんの忠告に従って、村に足を踏み入れなければよかったのに」
 放課後、莉緒に嘘をついたことに多少の罪悪感を覚えた。
 だが、瑞穂は後悔などしていない。その方が莉緒のためだと考え、彼女が村にいる間は嘘を貫き通そうと覚悟を決めたのだ。だから、吸血鬼伝説云々については茶化すことで誤魔化した。
 玲の話から推測すると、莉緒は公民館で伝説について調べ、そこで大昔の殺人鬼アサのことを知ったはずだ。
 村に伝わる吸血鬼伝説は、アサの話から生まれたものだと信じただろう。
 その説が正しいのだと素直に信じ込んでくれれば、それでいい。
「じゃあ、余計なことしたかな」
 ふと、玲の唇から低い呟きが零れ落ちる。
「何のことだ?」
 瑞穂は怪訝な眼差しで玲を見遣った。
 その視線を避けるようにして玲が小さくかぶりを振る。
「いや、何でもない。――それより、こんな時間に女が一人で出歩くなよ。あいつを討ち取ろうなんて、馬鹿なことは考えるな。家で大人しくしてろ」
 玲の咎めるような言葉が響く。口調は冷ややかだが、そこには瑞穂を案じる気持ちがちゃんと織り込まれていた。
 玲の心遣いは有り難いし、忠告は正しい。そう思う一方で、やはり自分は何の役にも立たないのか、という不甲斐なさが込み上げてきた。己の非力さを指摘されたようで悔しい。
 そんな焦りともどかしさを玲にぶつけても仕方ないのだが、瑞穂は思わず恨みがましい眼差しを彼に注いでしまった。
「それは無理だ。明日、祟り鎮めの儀式がある」
 瑞穂が告白した瞬間、玲は軽く息を呑んだ。受けた衝撃の度合を示すように、蒼い双眸が激しく揺らめく。
「知らなかったのか?」
 瑞穂が問いかけると、玲はひどくゆっくりと頷いた。
「本当に明日なのか?」
「村長が明晩に決めたそうだ」
「あいつ……」
 玲が忌々しげに舌打ちを鳴らす。
『村長』という言葉を聞いた途端、双眸に苛烈な輝きが宿った。それは、肉親に向けられるにはあまりにも容赦のない怒りと敵愾心の顕れだった。
「村長の決定だから、もう覆らない。明日の夜、須要の山であのおぞましい儀式が行われるんだ。あたしは――要を失いたくない。要を見殺しにはできない!」
「俺だって同じ気持ちだ。だから、瑞穂は何もするな」
 瑞穂の激白を、やけに落ち着いた様子で玲が受け止める。彼の冴え冴えとした蒼い双眸が瑞穂を見据えていた。玲の瞳には他人を従え、呪縛するような魔力が込められている。ここで反論すべきなのに、瑞穂は玲に気圧され、口を開くことができなかった。
「要のことは、俺が何とかする。明日の夜までにあいつを始末する。それができるのは、俺しかいないからな。他の誰にもできないのは、瑞穂だって知ってるはずだ」
 抑揚のない声で告げ、玲がスッと後ずさる。
 深い闇の中に白い影が融け始めた。
「化け物の相手は、化け物がするしかないだろ」
 自嘲気味に吐き捨て、玲は闇に紛れるようにして忽然と消え失せた。
「玲!」
 瑞穂は慌てて玲が立っていた辺りへ駆け寄った。
 だが、玲の姿はどこにもない。さっきまで確かに立っていたはずなのに、蔵の周辺には彼が存在していたという痕跡は全くなかった。血の匂いも、微かな体臭さえも感じられない。
「玲、気をつけて」
 瑞穂は玲を探すのを諦め、悄然と呟いた。
 玲が他人より優れた身体能力の持ち主であることは熟知している。だから、彼が唐突に姿を消しても不思議はなかった。
 ただ、もう少しだけ彼と喋りたかった。
 傍にいてほしかった。
 だが、玲は自らの意志で行ってしまった。またしばらくは逢えないだろう。
 瑞穂は溜息を一つ落とすと蒼月を両腕に抱き、夜空を仰いだ。
「あたしは何を失ってもいい。だから、要と玲を助けて下さい」
 瑞穂は切実な想いを込めて言葉を紡いだ。
 祈りを捧げる対象など村にはない。
 須要神社に神はいない――村に救いがないことを知りながら、それでも瑞穂は二人の幼なじみのために祈らずにはいられなかった。
「誰か――誰でもいいから二人を護ってくれ」
 小さな村で姉弟のように育った三人なのに、今はバラバラだ。
 近くにいるはずなのに、お互いの距離がやけに遠い。
 そんな状況に寂寥感を覚えながら、瑞穂は唇を噛み締めた。
 見上げた夜空には、数多の星と月が浮かんでいる。
 瑞穂は煌々と輝く紅い月を睨めつけた。
「あんたに要と玲は渡さない。あんたなんかに二人を奪わせやしないから」
 唇の戒めを解き、ありったけの憎しみを込めて宣言する。
 刹那、瑞穂を嘲笑うかのように月が雲の影に隠れた。


     「六.悪夢」へ続く



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