ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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六.悪夢



 須玖里要は夢を見ていた。

 幼い頃の自分が闇に覆われた世界を彷徨い歩いている。
 小学生の自分を見て、要は奇妙な感覚に襲われた。
 これは夢なんだ――と頭の片隅で朧に理解していても、過去の自分がいる世界に薄気味悪さを覚える。
 闇の中を歩く幼い要は、陰鬱な目をしている。
 青白い顔が闇に浮かんでいるのが、ひどく不気味だった。
『僕は一生後悔する』
 幼い自分が懺悔のように呟く。
 現在の自分――夢を見ていると認識している要の方は、半ズボン姿の自分を漫然と眺めていた。
 ――これは僕の罪の意識が生んだ夢なのか。
 幼い自分が口ずさんだ台詞は、かつて自分が現実世界で唱えた言葉だ。
 だが一体、自分は何をそんなに悔いているのだろうか――思い出せない。
『狡いよ。知ってるくせに。思い出したくないだけじゃないか』
 不意に、幼い自分が咎めるような口調で告げる。
 要は心を見透かされたことに戸惑い、急に羞恥と疚しさを感じた。
『僕は、後悔して当然の過ちを犯したんだ』

 ――過ち? 僕は何の罪を背負い、何を悔いているのだろう?

『決まってるだろ』
 幼い自分の顔に、ゆっくりと侮蔑の笑みが広がる。
『玲を助けなかったことだよ』
 そう指摘され、要は心臓を鷲掴みにされたような激痛を感じた。
 同時に、五年前の血に塗みれた惨劇がフラッシュバックを引き起こす。

 紅い月。
 巨大な神栖屋敷。
 血の海に横たわる神栖蘭。
 鎌を振り下ろす玲。
 切断される蘭の首。
 庭で燃やされる蘭の亡骸。
 火が爆ぜる音。
 舞い上がる炎。
 飛び散る火の粉。
 火の粉を追って見上げた空に――紅い月。

 記憶の断片が次々に浮かんでは消えてゆく。
 血のような満月の映像を最後に、世界は再び暗闇へと戻った。
 闇の中には相変わらず幼い自分がポツンと佇んでいる。
『要――』
 ふと、女性の声が響く。
 忽然と出現した白い手が、幼い自分の手を握った。
 華奢な腕には、奇怪なことにそれに続く胴体や頭部がない。肘から下の腕だけが闇に浮かび、幼い自分の手を握っているのだ。
『下のお屋敷に行きなさい』
 親しみのある声が闇に響く。
 要はその声から腕の主を悟った。五年前に亡くなった叔母だ。
 自分と同じ名を持ち、同じ責務を押しつけられた――哀れな叔母。
 叔母の腕は幼い要の手を離すと、そっとその背中を押し出した。
 途端、白い腕は霧散し、幼い要が猛然と駆け出す。
 ――待て。行くな!
 要は慌てて幼い自分を追った。
 叔母が指示した下の屋敷――そこで幼い自分を待ち受けているのは、あの忌まわしい出来事だ。
 何もかもが紅い月に支配され、狂っていた夜。
 玲との訣別の瞬間が待っている。
 夢は五年前の惨劇を再現しようとしているのだ。
 要は幼い自分を神栖家に行かせまいと必死に追った。
 だが、走っても走っても一向に幼い自分との距離は縮まらない。
 もどかしさと苛立ちが胸に芽生えた瞬間、闇の中に日本家屋が浮かび上がった――神栖家だ。
 幼い自分は平然と広い屋敷へ飛び込んでゆく。
 続いて、要も神栖家の門を潜った。
 すると、また脈絡なく世界が変化した。
 目の前に、神栖家の居間が現れたのだ。
 惨劇の舞台となった和室ではなく、居間に辿り着いたことに要は安堵した。
 ここは、血塗れの和室ではない。
 だから惨劇は起こらないのだ。


 ドンッ!!
 突如として、夢の世界が揺らいだ。
 要はハッと目を見開いた。
 いつの間にか、新たな登場人物が姿を現していたのだ。
 居間の壁に寄り添うようにして蹲っている少年に、真っ先に目が行った。
 子供の頃の神栖玲だ。
 玲は怯えと恐怖を孕んだ蒼い双眸で、何かを見つめている。
 その視線の先には、和服姿の老人が仁王立ちしていた。白髪の混じった長めの髪に豊かな顎髭が特徴的だ。厳めしい顔つきで玲を見下ろしているのは、村長・神栖倫太郎だった。
『この化け物が!』
 倫太郎がカッと目を見開き、玲に詰め寄る。彼は玲の胸倉を掴むと、孫を力一杯壁に叩きつけた。
 ドンッと世界が揺れる。
 先ほどの衝撃も倫太郎のせいで起こったのだろう。
『化け物め、化け物め、化け物めっ!』
 痛烈な罵声を浴びせながら、倫太郎は空いている方の手で玲の頬を容赦なく打ち始める。
 頬を嬲る不快な音が響き、玲の人形のように小さな顔が激しく左右に揺れた。
 ――止めろ!
 夢の中で、要は必死に叫んだ。
 こんな光景は見たくない。玲が実の祖父に虐げられ、罵倒されている姿など正視に耐えない。
 ――頼むから止めてくれ!
 だが、叫びも虚しく、倫太郎の殴打は続く。
 玲の頬は赤く腫れ、口の端から血が滴り始める。
 直後、
『止めてっ! 玲が死んじゃうわ!』
 倫太郎の足に何かが物凄い勢いでしがみついた――神栖蘭だ。
 息子の窮地を察して飛んできたのだろう。彼女は玲によく似た美しい顔を上げ、縋るように倫太郎を見つめた。
『死ぬわけがない。これは、あの男の血を引いてる化け物なんだぞ』
『玲は化け物じゃないわ。子供に手を挙げるなんて、いくらお父さんでも許せない!』
 蘭が物凄い剣幕で父親を睨みつける。
『これは、いずれ村に災いをもたらす。野放しにはできん。早々に始末した方がいいんだ』
 倫太郎の冷酷な一言に、蘭が息を呑んだ。
『なんて酷いことを……。玲は私の息子よ』
『これは神栖家の恥だ。この世に生まれてきてはならなかった、呪われた存在だ』
『酷い。呪われてるなんて、あんまりだわ。……酷い、酷い、酷いわ、お父さん!』
 蘭の顔が見る間に青ざめてゆく。
 彼女は激しい怒りに打ち震えていた。
『神栖の恥だと言うなら、私を責めればいいじゃない。私は、あの人が何者かなんて知らなかった。知ってからは、自分のしたことがとても恐ろしいことだったと理解したし、自分の軽率さを呪いもしたわ。でも、玲には何の罪もないのよ』
 蘭が立ち上がり、倫太郎に掴みかかる。
 彼女は倫太郎の手から息子を奪還すると、ひしと両手で掻き抱いた。
『この子を産みたいと願ったのは私。悪いのは――私よ。だって私は、たった一瞬だけれど、それでも確かにあの人を愛したんだもの。だから、あの人の子供を身籠もってると知った時、凄く嬉しかった。絶対に産んでやる、って決心したのよ!』
 蘭が挑むような眼差しを倫太郎に向ける。
 刹那、倫太郎の分厚い手が蘭の頬を殴った。
 不意を衝かれた蘭が態勢を崩す。
 その隙を見逃さずに、倫太郎は蘭の手から玲を引ったくった。軽々と玲を肩に担ぎ、蘭に背を向ける。
 玲は死んだようにぐったりとしていた。
 虚ろな眼差しが辛うじて蘭に向けられる。
 息子の視線を感じて、蘭は父親に殴られたショックから立ち直ったようだった。
『玲を連れていかないで!』
 蘭は逼迫した表情で倫太郎に追いすがった。
 倫太郎の無骨な手が蘭を乱暴に押し退ける。
『誰か蘭を見張っていろ』
 倫太郎の声に応じ、二人の使用人が居間に駆け込んできた。彼らは両脇から蘭の腕を押さえると、力任せに倫太郎から引き離す。
『止めて! お願い、玲を地下に連れていかないでっ! 血の繋がった孫にあんな残酷な仕打ちができるなんて、お父さんの方こそ化け物よ! 血も涙もない鬼だわっ!』
 血の滲むような蘭の叫びが居間に谺する。
 しかし、倫太郎は蘭を無視し、玲を担いだまま姿を消してしまった。
『玲を返して。私の息子よ。玲を返して……私の玲を――』
 使用人に腕を掴まれたまま、蘭は脱力したようにその場に座り込んだ。
 双眸が輝きを失い、虚ろになる。
『……いつか天罰が下るわ』
 ふと気づくと使用人の姿は消え失せ、蘭だけが居間に取り残されていた。
『私は……無力です。父から息子を護ることすらできない愚か者です』
 蘭は虚空を眺め、譫言のように呟いた。
『村の禁忌を知らずに玲を身籠もりました。だから、悪いのは私。罰を受けるのも私。玲は悪くない。悪いのは、私とあの人。悪いのは、お父さんやそれに追従する村人たち。悪いのは――紅い月に呪縛された、この村』
 蘭は何かに取り憑かれたように言葉を繰り出し続ける。
『こんな村、滅びてしまえばいいのよ。ねえ、そう思うでしょう、要ちゃん』
 夢の中には、また幼い頃の要が出現していた。
 幼い要は蘭に頭を撫でられながら、不思議そうに首を傾げている。
『蘭おばさん、玲は?』
『私は玲に恨まれても仕方ないの。いつか玲に殺されても、当然の報いとして受け止めるしかないの。悪いのは私だもの。だから玲が私を憎んでも、私を殺しても構わない。それでも、私は玲を愛してる』
『蘭おばさん、玲は?』
 壊れたレコードのように幼い要は同じ台詞を繰り返す。
 蘭の真摯な眼差しが、幼い自分に注がれた。
『ただ、私がいなくなったら誰が玲を愛し、護ってくれるのか――それだけが心配。私がいなくなっても、あなただけは玲の味方でいてね。玲の傍にいてあげてね、要ちゃん』
『蘭おばさん、玲は?』
『玲は地下よ』
 蘭が泣き笑いの表情で告げる。
 直後、夢の世界は暗転した。


 突如として場面が切り替わる。
 目の前に太い鉄格子が現れた時、要は無性に泣き出したい衝動に駆られた。
 できることなら一刻も早く夢から醒めたい。
 だが願いも虚しく、無情にも夢は続いた。
 鉄格子に囲まれた小さな部屋――神栖家の地下牢だ。
 床の上に玲が無惨な姿で横たわっていた。
 剥き出しになった上半身は、数え切れないほどの傷で埋め尽くされている。倫太郎に折檻されたのだ。鞭か硬い木の棒で滅多打ちにされたと思しき傷痕が痛々しい。全ての傷からまだ血が滴っていた。
 要は、夢の中だというのに吐き気を催した。
 あまりにも酷い虐待だ。
 玲の華奢な手足には、部屋の四隅から伸びた鎖がしっかりと巻きつけられている。
 玲は身じろぎ一つしない。微かに上下する胸だけが生きていることの証だ。
 ――玲? ……玲!
 要は鉄格子越しに呼びかけた。
 子供の頃から何度も目にしてきたが、決して慣れるものではない。傷ついた玲の姿を目の当たりにすると、倫太郎への憤怒がわき上がってきた。
 玲は、幼少時代から苛烈な折檻を受けてきた。
 倫太郎は、それほどまでに玲のことを疎んじ、憎んでいるのだ。
 要と瑞穂が力を合わせても、倫太郎の仕打ちから玲を護ることはできなかった。
 今更ながら、自分の無力さに忸怩たる想いが込み上げてくる。
 ――玲、起きて。僕だよ。
 要は根気よく語りかけ、鉄格子へと手を伸ばした。
 隙間から片手を差し入れ、何とか玲に触れようと試みる。
 ――ここを出よう。僕と一緒に逃げよう。
 指先が玲の腕に触れた瞬間、閉ざされていた玲の瞼がはね上がった。
『何処へ? どうやって?』
 凍てついた蒼い双眸が要を鋭く射る。
 転瞬、世界が朱に染まった。


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2009.07.30 / Top↑
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