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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Thu
2009.07.30[22:05]
「真野!」
 零治が声をかけると翠は身体を震わせた。
 驚きに強張った顔が、こちらを振り返る。
「――零治くん! もう、驚かさないでよ。いきなり声をかけるなんて酷いわ」
 翠は、零治と美人を確認してホッとしたように息を吐き出した。
 柔和な笑顔が零治たちに向けられる。瞳に宿っていた暗鬱さは、もうどこにも見当たらなかった。
「じゃ、いつ声をかければいいんだよ?」
 零治が軽口を叩くと、翠はクスクスと笑い声を立てた。
「それもそうよね。でも、今ので危うく池に落ちそうになっちゃったわ」
「驚かせてすみません」
「ううん。ボーッとしてたわたしもいけないんだし」
 翠が美人に笑顔を向け、すぐに目を逸らす。美人とまともに目を合わせるのが気恥ずかしいのだろう。
 解りやすい性格だ――と零治は思うのだが、当の美人は気にした様子もなく翠を見つめている。否、彼女が手にする花束に注目していた。
「どうして、池に花を?」
「ああ、これね……」
 美人が訊ねると翠は決まり悪げに花束に視線を落とし、唇だけで微笑んだ。淋しげな笑みには、幾ばくかの自嘲が含まれている。
「これは黎子のための手向け――餞よ」
 翠は独り言のように呟き、残りの花を一気に池へと投げ入れた。
 しばし水面に散った花々を見つめた後、静かに立ち上がる。
「自己満足にすぎないのかもしれないけれど、黎子に捧げたかったの」
「真野さんは、佐渡黎子さんが亡くなっている、と考えているのですね?」
「だって、もう一年よ。なのに黎子は発見されないんだもの。生きている痕跡すら見つからないのよ」
 翠の顔に昏い翳りが射す。友人の死を確信しているような沈鬱な表情だった。
「でも、真野と古市は佐渡が生きてると信じているからこそ別荘へ来たんじゃなかったのか? 佐渡を捜すためだって、隆生が言ってたぞ」
「ええ、そうよ。けれど、結局のところそれも自己満足なのよ。一年間ずっと『黎子は生きてる』って自分に言い聞かせてきたわ。でもね……心の片隅では『黎子は死んでしまった』とも思っていたのよ。それは、ユキも同じだと思うわ」
 翠が己を恥じるように弱々しく言葉を紡ぐ。
「少しでもそう考えてしまったことに罪悪感を覚え、わたしたちは――少なくともわたしは奥多摩を訪れたのよ。だから、自己満足。自己肯定のためなの。ひどい親友よね」
「はあ……なるほどね。その罪悪感を解消するために、ここへ来たわけか。その気持ちは何となく解るけどな。佐渡のことを忘れかけてたのは、俺も同じだ」
 零治は苦々しく唇を歪めた。
 翠やユキを責めることはできない。零治も隆生に言われるまで佐渡黎子失踪事件を忘れていたのだ。
 黎子がいなくなった――行方不明――発見されない――黎子はもう生きてはいないのかもしれない――黎子は死んだ。
 この一年間でそんなふうに結論を出し、それを素直に受け入れてしまっていた。
「黎子らしき幽霊を視て『ああ、やっぱり黎子は死んでしまったんだ』って思ったわ。だから、この花は手向けなの」
「それは、本当に佐渡さんの幽霊だったのですか?」
 美人の眼差しが真っ直ぐに翠を捕らえる。
「遠目からしか視ていないけれど、そうだと思うわ」
「そうですか。でも、どうして池に餞を?」
「……有馬くんは知らないのね」
 翠の視線がふっと池に転じられる。
「わたし、生きている黎子を見た最後の目撃者らしいのよ。黎子が行方不明になった日、この池の畔で彼女を見かけたの。そうね、今と同じくらいの時間だったわ」
「真野さんが池で佐渡さんを見た後、目撃者は誰もいなかったのですね」
「そうみたい。警察に何度も同じことを訊かれたから、今でもあの時のことは鮮明に思い出せるわ。黎子は池のこの辺りに屈み込み、水面を見つめていたの。声をかけようとしたけど、わたし――できなかった」
 翠の双眸が細められる。眉間に刻まれた微かな皺が、後悔と自責の念を表しているようだった。
「黎子、笑ってたの」
「笑ってた?」
 零治が鸚鵡返しに訊ねると、翠は静かに頷いた。
「幸せそうに微笑んでたの。あれは思い出し笑いだったのかしら? とにかく、黎子は自分だけの世界に浸ってた感じだったわ。だから、わたしは声をかけずに森へ引き返したの。黎子が何を考えていたのか、わたしには解らない。でも、思い悩んでいる様子ではなかったわ。わたしには黎子が自ら姿を消したなんて思えない。だって、あの時の黎子は本当に幸せそうに見えたもの――」
 翠の瞼が伏せられる。長い睫毛が微細に震え、白い肌に影を落とした。
「じゃあ、佐渡は何かの事件に巻き込まれた可能性が高いのか?」
「それも……わたしには解らないわ。わたしは、黎子に声をかけなかった自分が許せないだけ。もし声をかけていたら、黎子が行方不明になることはなかったんじゃないか、って今でもずっと後悔してるの。そんな後ろめたさがあるから花を捧げてるのよ」
 翠は零治たちの方に顔を向けると自虐的に微笑んだ。
「過ぎてしまったことを、今更仮定しても仕方ないだろ。真野が佐渡の失踪に責任を感じることもないと思うけどな。真野が声をかけてもかけなくても、それは起こるべくして起こったんだよ、きっと。簡単には割り切れないだろうけど、そう思い込め」
「……零治くんは優しいのね」
 零治の乱暴な慰めの言葉に、翠が微笑で応える。僅かではあるが明るさを取り戻したようだった。
「真野さんの気持ちは、佐渡さんに届いていると思いますよ。だから、あまり自分を責めないで下さい」
 ポツリと美人が呟く。
「ありがとう」
 翠は美人に視線を転じ、頬を薄紅色に染めた。
 顕著な反応だ。見ている零治の方が照れ臭くなってしまうほど、翠の態度は素直で可愛らしい。
「さてと、池も見たことだし、そろそろ別荘に戻るか、ビジン」
 零治は、黎子の話題に終止符を打つように弾んだ声音で告げた。
「真野も一緒に帰るか?」
「わたしは、もう少しここにいるわ」
「そっか。じゃ、暗くならないうちに帰って来いよ」
 翠が頷くのを見届けてから、零治は踵を返した。
 元来たルートを引き返そうと足を踏み出した瞬間――
「わっ!?」
 小さな叫びがあがり、隣から美人の姿が消えた。



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