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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Thu
2009.07.30[22:12]
 驚いて振り向くと、美人は下草に尻餅をつき、顔をしかめていた。
「何やってんだよ?」
「だ、大丈夫、有馬くん!?」
「大丈夫……です」
 秀麗な顔を僅かに引きつらせ、美人は苦笑する。彼は片手で腰をさすりながら、ゆっくりと立ち上がった。
「何もないのに転ぶなんて、奇特な奴だな」
「怪我はしなかった?」
「平気です」
 美人が翠に視線を投げ、安堵させるように微笑する。
 不意に、その笑顔が凍りついた。
 黒曜石のような双眸に冷ややかな光が宿る。
 己の左手、翠、翠の背後の池へと順に鋭い視線が動いた。
「有馬くん――?」
 翠が当惑したように首を傾げる。
「真野さん、何か言い忘れていることはありませんか?」
 突拍子もない言葉が美人の口から放たれる。
 翠が虚を衝かれたように目を丸め、彼を凝視した。
「僕に打ち明けることはありませんか?」
「なーに馬鹿なこと言ってんだよ」
 零治は幼なじみの思いがけぬ言葉に驚き、咎める意味を込めて横目で彼を睨んだ。
 ――ビジンの奴、真野の気持ちを察知したのか?
 疑問が脳裏を掠める。しかし、翠の想いを察したからといって、そんな切り出し方はないだろう。あまりにも不躾すぎる。
「何も……」
 翠が美人の視線を避けるように瞼を伏せる。彼女の顔は青ざめていた。
 好きな相手に見つめられ、頬を染めていた先ほどまでの態度とは明らかに異なる。何かに怯え、畏れている。
「何もないわ」
 やがて意を決したように面を上げ、翠は断言した。
 可憐な顔には淋しげな微笑が刻み込まれている。
「妙なことを訊いて、すみません。今のは忘れて下さい」
 美人の声に微かな落胆が滲む。彼は翠に会釈すると軽やかに身を翻した。
「あっ、待てよ! ――真野、また後でな」
 零治は慌てて美人の後を追った。
 美人に追いつき、その肩を軽く叩く。
「何だよ、今の? おまえ、もう少し乙女心ってヤツを――」
「嫌だな」
 零治の声を遮るようにして美人が呟く。零治の言葉など全く耳に入っていないらしい。
「嫌だな。さっき引っ張られた」
 美人の柳眉が不快さを表すようにひそめられる。
「引っ張られた――って、あそこには俺たち以外、誰もいなかっただろ。もしかして、真野に引っ張られたのか?」
 零治は大いに困惑し、しどろもどろに言葉を紡いだ。美人が言っているのは、草むらに尻餅をついた時のことだろう。
「真野さんじゃない。だから、『嫌だ』って言ってるんだ」
 美人が不気味なことをサラリと口にする。
「じゃあ、一体誰なんだよ?」
 零治は背筋に悪寒が走るのを感じながら、それでも懸命に質問を繰り出した。
 翠ではない――そうだとすれば、犯人は何者なのだろう?
 あそこには他に誰もいなかった。それだけは確信できる。
「誰でもない」
「例の幽霊か?」
「幽霊じゃないよ」
 美人は思案するように目を眇め、首を横に振る。
「あれは多分、あの池の守り神だ。真野さんの後ろ――池に立ってた」
 美人が意味不明な言葉を連ねる。
 そこから推測するに、零治には視えなかったものを美人はしっかりと目撃してしまったらしい。
「真野さんに助けを求めていた。だから彼女に『打ち明けることはないか?』って訊いたのに、あっさり『ない』とか言われるし……。困ったな。何故、和泉君じゃなくて真野さんなんだろう? どうして、幽霊じゃないのかな? 幽霊だったら放っておくのに。嫌だな」
 美人は完全に自分だけの世界に没頭してしまったようだ。歩きながらブツブツと訳の解らぬことを呟いている。しかも、翠の恋心には全く気づいていないようだ。
 零治はそれ以上の追及を諦め、溜息を落とした。
 精神世界に没入してしまった美人には何を語りかけても無駄だ。返事などあるはずもない。たとえあったとしても、それは零治の理解が及ばぬ言葉だ。
 美人は視てはならぬものを視てしまったようだが、零治には視えなかった。だから、それについて会話を弾ませる術もない。
「幽霊も守り神って奴も、俺には同類としか思えないんだけどな」
 零治は苦々しく独り言ち、肩を聳やかした。
 別荘の管理人と翠やユキが目撃したという女の幽霊。
 美人を引っ張ったという池の守り神。
 とにかく、和泉家の別荘周辺には『何か』が存在することは間違いないらしい。
「嫌だな」
 美人は頻りに『嫌だ』と繰り返しながら、左の中指に填められた指輪を右手で撫でている。指輪を撫でるのは、考え事をしている時の彼の癖だ。
 ――何がそんなに嫌なんだ?
 美人の嫌悪対象が、女の幽霊なのか池の守り神なのか翠なのか、零治には皆目見当もつかなかった。
 翠を池の傍に残してきたからには、守り神とやらが彼女に害を及ぼすことはないのだろう。
 美人の判断を疑うわけではないが、彼女のことが気に懸かり、零治は振り返った。
 真野翠は依然として池の畔に佇み、昏い瞳でじっとこちらを見つめていた。


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