ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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「真野さん……!」
 弾かれたように美人がベッドを抜け出す。
「今の真野なのか?」
 訳が解らないまま零治も後に続いた。
 しじまを切り裂くように響いた女性の悲鳴。
 常とは異なる甲高い声だけでは、叫び主が真野翠かどうか判別できなかった。
 しかし、この別荘には翠とユキしか女性は存在しない。どちらかが悲鳴を発したのは間違いないだろう。
 悲鳴をあげるほどの事態が彼女たちに降りかかっているのだ。
 零治の心は自然と引き締まった。警戒心が胸に芽生える。
 美人が先に部屋を飛び出した。零治も廊下に出る。
 途端、白い人影が視界をよぎった。
「いや……いやよっ!」
 真野翠が青ざめた顔で廊下を駆けていた。
 小さな叫びを口にしながら、脇目も振らずに零治たちの前を通り過ぎる。
 間髪入れずに、隣室のドアが勢いよく開かれた。
「どうしたのよ!?」
 ユキが慌てた様子で廊下に躍り出てくる。
 零治はユキに向かって肩を竦めてみせた。状況が把握できないのは、こちらも同じだ。
 ユキの部屋の正面――翠が使用している部屋のドアは大きく開け放たれている。翠は凄まじい勢いで部屋を飛び出したのだろう。
「零治、真野さんを追うよ」
 美人が緊迫した声で告げ、廊下を走り出す。
 零治は素早く身を転じ、彼の後を追った。
 白いパジャマを纏った翠の後ろ姿が六角塔の壁に突き当たり、そのまま廊下を左に折れて消える。
 零治と美人も彼女に続いた。
 塔の周囲に添う細い廊下に入ったところで、ユキが追いついてきた。
「一体、何があったのよ?」
「解らない。真野が取り乱してるみたいだ」
「隆生を呼んできた方がいい?」
「真野を追う方が先だろ。それに隆生の奴、眠りこけてるんじゃないのか。悲鳴が聞こえたなら、慌てて二階に飛んでくるはずだ」
 零治は渋い表情で応じた。
 一階から隆生が上がってくる気配はない。彼には悲鳴が届かなかったのだろう。疲労ゆえに熟睡している可能性もある。
「塔に昇ったみたいだ」
 怪訝そうに美人が呟く。
 見ると、塔の鉄扉が開きっぱなしになっていた。
 躊躇うことなく、零治たちは開かれたドアから中へと足を踏み入れた。
 塔の内部には煌々と明かりが灯っている。いくら取り乱しているとはいえ、翠は螺旋階段を昇るために必要不可欠な照明を灯すことを忘れなかったらしい。
 塔の上層部から、階段を昇る忙しない足音が響いている。
 頭上を振り仰ぐと、白い影が最上階へと消えるのが見えた。
 零治は螺旋階段を一気に駆け昇った。
「真野!」
 最上階に到達し、素早く室内に視線を流す。
 真野翠は、窓にへばりつくようにして外を眺めていた。
「ごめんなさい……。ごめんなさい、黎子」
 譫言のような翠の声が室内に響く。
「大丈夫か?」
 零治は翠を驚かさないように、ゆっくりと彼女に近づいた。
 翠は振り向かない。ただ、その唇が『ごめんなさい』と詫びの言葉を繰り返すだけだ。
「翠、どうしたのよ?」
 零治を押し退けるようにしてユキが駆け寄る。
 友人の呼びかけに、ようやく翠の顔がこちらを振り返った。血の気を失った顔には、強張った笑みが浮かんでいる。
「黎子が……黎子がいたの。黎子がわたしに逢いに来たの」
「なに言ってるのよ。そんなこと、あるわけないじゃない。しっかりしなさいよ」
「でも、いたのよ。確かに、いたの! 窓の外に黎子がいたのよ」
 我を忘れたように、翠が必死に言葉を紡ぐ。
「窓の外?」
 零治は眉を寄せ、猜疑の眼差しを翠に向けた。それを受けて、翠が零治を見上げる。双眸には強い不安と怯えが具現されていた。
「部屋の外に黎子がいたの。黎子が窓際に立って――」
「夢を見たのよ」
 ユキが翠の肩を掴み、彼女の言葉を遮る。声には微かな怒気が含まれていた。
「窓の外――って、そりゃ、おかしいだろ。俺たちの部屋は二階だぞ」
 零治はますます顔をしかめた。
 有り得ない。二階の窓の外に人間が立っているなど、普通では考えられない。
 ベランダに立っていた、という見方もできる。しかし、こんな夜更けに壁をよじ登って二階へ侵入する者などいるだろうか?
 第一、ここは人里離れた奥多摩の山中なのだ。周辺には和泉家の別荘以外に建物もない。この辺りにいる人間は、零治たちだけだ。
 仮に黎子と思しき女が夜盗だとして、別荘に侵入しようとしたところを翠に目撃されたとしても――やはりおかしい。その人物は、いつ別荘にやって来たのだろうか? 街灯のない夜の山道を登ってきたにせよ、昼に忍び寄り夜まで森の中に身を潜めていたにせよ、疑問が残る。そんな苦労をしてまで、山奥の別荘を狙う理由が解らない。金品目当てなら、奥多摩湖畔にある別荘を狙った方が遙かに楽だろう。
「黎子は浮いていたのよ」
 翠の震えを帯びた声に、零治はハッと我に返った。驚いて、翠を凝視する。
 窓の外に出現したのは、夜盗の類どころか人間ではないらしい。宙に浮く人間なんて、いよいよ考えられない。
「バカなこと言わないで」
 強い語調でユキが言い放つ。窘めるような眼差しが翠に向けられた。
「一昨日、ユキだって視たでしょう。アレと同じよ。黎子の幽霊がまた現れたのよ」
 夢うつつのような視線を窓外へと馳せ、翠が悄然と呟く。その片手がゆるゆると上がり、窓の外を指差した。
 零治は釣られるように視線を転じた。
 だが、窓の外は夜の帷に覆われている。塔から洩れる明かりだけでは、森の中にある池を見ることもできない。
 ユキが引きつった顔を窓へ向け、ゴクリと唾を呑み込んだ。
「……夢よ。夢を見たのよ」
「本当に夢なんでしょうか?」
 ふと、美人が口を挟む。
 その一言に、ユキが険しく眦を吊り上げた。
「古市さんも幽霊を目撃しているんですよね。なのに今日は夢だと言い、幽霊を否定するんですか?」
「何が言いたいの? 確かに、一昨日はあたしも幽霊を視たわ。でも、今日は視てないもの。翠しか視てないのよ。今夜のは、幽霊が出るという先入観が生んだ翠の錯覚――勘違いかもしれないじゃない」
 ユキが睨めつけるように美人を見上げ、挑戦的な言葉を放つ。どこかムキになっているような態度だった。
「やめてよ。有馬くんに突っかかっても仕方ないでしょう」
 不意に、翠が明瞭な口調で告げる。
 忘我状態から脱したのか、彼女は窓を指していた腕を降ろした。こちらに向けられた顔はまだ青ざめているが、先ほどまでのように恐慌を来したものではない。
「驚かせて、ごめんなさい。ユキの言う通り、わたしの見間違いだったのかもしれないわ。恐怖心が生み出した幻覚だったのかも……」
 静かに告げ、翠は自嘲の笑みを口の端に刻んだ。
「翠は疲れてるのよ。今夜は、あたしの部屋で寝なさいよ」
 ユキが労るように翠の肩を抱く。そのまま彼女は、翠と共に階段へと引き返し始めた。
「どうして、謝罪したのですか?」
 唐突に美人が質問を発する。
 ユキと翠が立ち止まり、胡乱げに美人を顧みた。
「なぜ、佐渡黎子さんに謝ったのですか?」
 問い詰めるような美人の言葉に、翠の視線が宙を泳いだ。
「有馬くん、わたし……わたし、本当は――」
「やめなさいよ」
 ユキが素早く遮る。強い視線が翠を射抜いた。
 瞬時、翠の身体が大きく震える。
 翠は何かを諦観したように瞼を伏せ、美人から視線を逸らした。
「有馬くんも意味不明なこと言わないで。翠を脅かすような発言は控えて欲しいわね」
 厳しい口調でそう言い残し、ユキは翠を引っ張るようにして階段へと消えてしまった。
 階段を降りる二人の足音が塔内に響く。
「ホントに出たのか、幽霊?」
 足音が完全に聞こえなくなってから、零治は首を捻り、独り言ちた。
「幽霊じゃないよ。仮に真野さんが何かを視たとしても、それは幽霊なんかじゃない」
 妙に自信ありげに美人が断言する。
「じゃ、何だよ――って、訊くだけ無駄だよな。俺には、おまえの話は砂粒ほども理解できなんだろうしな」
「でも、やっぱり何も視なかったのかな? 彼女たちの言う通り、良心の呵責が生んだ幻だったのかも……」
「幽霊でも幻覚でも、もうどっちでもいいや」
 零治が投げ遣りに言うと、美人は神妙な顔で頷いた。
「そうだね。真野さんが何を視て、何に怯えたのか解らないけれど、一つだけはっきりしたことがある。彼女は――佐渡黎子さんが死んでいることを知っていたんだ」
「佐渡が死んでるって……どいうことだよ?」
 零治はきつく眉根を寄せた。
 佐渡黎子失踪事件は発端も顛末も何一つ解明されていないのだ。それなのに美人は『黎子は死んでいる』と明言した。しかも、翠がその事実を知っているとまで指摘したのだ。事実をうまく把握できない。
「真野さんは、佐渡さんが既に亡くなっていることを知っている。だから、佐渡さんの幽霊を視たといって、あんなに怯え、謝罪したりしたんだよ」
「そう言われると、そんな気もしてくるんだけどなぁ」
 確かに、翠の怯え方は並々ならぬものがあった。 
 翠は何かに畏怖し、恐怖に打ち震えていた。あの様相が黎子の死に繋がっているというのも、何となく頷ける。黎子の死を知っているからこそ、翠には何もかもが黎子の亡霊に見えるのかもしれない。
「それ以外に考えられないよ。真野さんは佐渡さんの死を確信しているんだ。もしかしたら、古市さんもね」
「古市もかよ……。まあ、あいつら仲がいいから秘密とか共有してそうだし、有り得ない話じゃないよな。けどよ、じゃあ、真野と古市は佐渡の死を知っていて、一年も隠していたってことか?」
「悲しいけれど、そうなるね」
「なんかスッキリしない感じだよな。つまり二人は、佐渡の死を知っているのに家族や警察にも黙っていた。なのに、佐渡が生きている可能性に賭けて今年もこの別荘にやってきた、ってことだろ? スッキリしないどころか理解不能。矛盾してるよな」
「そのへんの事情は本人に訊いてみないと解らないだろうね。今のところ、打ち明けてくれる気はなさそうだけど……」
「一年前、この別荘で何が起こったんだろうな。――なあ、ビジン、おまえにはもう全部解ってるんだろ?」
「解ってないよ。大体、僕は佐渡さんの顔すら知らないんだよ。真野さんや和泉君たちについても何も知らないに等しい。彼らの過去なんて解るわけがないよ。僕は超能力者じゃないんだから」
「水の神様とやらは、何も教えてくれないのかよ」
「そんなに都合のいい神様がいたら、是非逢ってみたいね」
 美人が冷めた眼差しで零治を見上げる。その声音には幾ばくかの呆れが含まれていた。
「そうか。おまえでも解らないことがあるんだな」
「僕は全知全能の神でもないよ」
「で、どうするんだ? 一年前の謎を解くつもりなのか」
「あのね、零治。僕は推理小説に登場する探偵でもないよ」
 呆れを通り越して相手にする気も失せたらしい。美人はげんなりした口調で告げると、それ以上の言葉を拒むように窓外に目を向けた。
「それに謎なんて何もないんだよ、きっと。一年前、別荘にいなかった僕たちにとっては謎に思える事柄でも、真野さんや古市さんにとっては謎でも何でもない――現実に起こった出来事なんだから……。だから、謎解きなんて必要ないんだ」
 美人が独白めいた呟きを洩らす。
 ――確かに事実を知る人間にとっては、俺たちが疑問に感じることなんて謎でも何でもないよな。それをわざわざ当事者の前で暴くのも妙か……。
 零治は胸中で一人頷き、美人の視線の先を追った。
 彼は水神池のある辺りを眺めている。だが生憎、外の景色は闇夜に覆われていて判然としなかった。
「でも、俺は嫌だな。真野たちが佐渡の死を知ってて黙秘してるなら、それは倫理に反するっていうか、親友らしからぬ態度だと思うんだよな。やっぱり、佐渡の両親や警察には真実を告げるべきだろ。本当に佐渡が死んでるなら、あいつも浮かばれない」
「佐渡さんの死を打ち明けられない――もしくは打ち明けたくない理由があるんだよ」
 美人が抑揚のない声音で告げる。
 零治はちらと美人の横顔を盗み見た。
 美人の黒曜石のような双眸は見据えている夜の闇と同じくらい昏く、そして計り知れなかった。


     「三章」へ続く



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2009.07.30 / Top↑
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