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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Tue
2009.08.04[08:51]
四章



 別荘のリビングは俄に騒然となった。
 慌ただしく照明が灯され、忙しない複数の足音が交錯する。
 両手にぐったりとした美人を抱え、零治はリビングへ駆け込んだ。
 中央に置かれた豪華なソファに美人をそっと横たえる。
「ユキ、お湯と清潔なタオルを持ってきて!」
 翠が泣きそうな声で告げる。
 ユキは青ざめた顔を頷かせ、素早くキッチンへと消えていった。
 翠が落ち着かない様子でリビングの中を駆け回り始める。飾り棚を開けては閉める音が響いた。
「救急箱なら入口横の棚、右から三番目の扉だ」
 翠が何を探しているのか察したらしく、隆生が手短に説明する。
 一同は、怪異に遭遇した恐怖と美人の不可思議な能力に対する驚きをしばし忘れ、美人の心配だけに意識を集中させていた。
 傷ついた美人を助けなければならない――切実な想いが皆の胸中に芽生えていた。
「なあ、大丈夫なのか?」
 隆生がソファの脇で不安そうな声を洩らす。
「……解んねぇ」
 零治は悄然と応じ、無惨に引き裂かれた美人のシャツを丁寧に剥ぎ取った。
 細い上半身――その胸に三本の鉤爪の痕が走っている。
「血は止まってるみたいだけど、救急車を呼んだ方がいいんじゃないのか?」
 隆生の提案に零治は眉根を寄せ、かぶりを振った。
「呼べるもんなら呼びたい。――けど、この傷をどうやって説明すればいいんだよ」
「池から化け物が飛び出してきて、有馬くんを襲いました――なんて、医者も警察も信じやしないわよね」
 自嘲気味に言葉を連ね、ユキがキッチンから戻ってくる。その手には洗面器と数本のタオルが抱えられていた。
 零治を押し退けるようにしてユキがソファの脇に膝をつく。洗面器をテーブルの上に置くと、彼女はタオルをお湯に浸し、手早く絞った。
 湯気の立つタオルが美人の胸に当てられる。
 その熱さを感じたのか美人の眉が微かに動いた。
 ユキが迅速に、それでいて丁寧に傷口と周囲にこびり付いた血を拭ってゆく。血塗れになったタオルを洗面器へ放ると、彼女は美人の額に手を当てた。
「熱があるわ。傷口からばい菌が入ったのかも……。あたし、氷と毛布を取ってくるわね。――翠、交代よ!」
 矢継ぎ早に言葉を捲し立て、ユキは真摯な面持ちでキッチンへと舞い戻ってゆく。
 入れ替わりのように、救急箱を抱えた翠が駆け寄ってきた。
 救急箱を開け、中身を物色する。すぐに彼女は、そこから消毒薬の瓶とピンセット、そして脱脂綿を取り出した。震える手で綿を千切り始める。
 零治は無言で消毒薬の瓶を手に取り、その蓋を開けて翠に差し出した。
 翠がピンセットで摘んだ綿を消毒薬に浸す。彼女は手の震えを抑えるように唇を噛み締め、綿を美人の傷口に押し当てた。
「つっ……!」
 消毒薬が染みたのか、美人の口から苦悶の呻きが洩れる。
「ねえ、やっぱり救急車を呼びましょう。素人目に見ても酷いわ。血が止まっているのが不思議なくらいよ。それに有馬くん、凄く辛そう」
 翠が懸念たっぷりの表情で零治と隆生を交互に見遣る。
「……そうだな」
 一拍の間を措き、零治は頷いた。
 美人は負傷し、更に発熱まで引き起こしているのだ。美人の身を一番に考えるなら、当然医者に診せるべきだ。
 一一九番に連絡しても、救急隊員が到着するにはかなりの時間を要するだろう。
 ここは奥多摩の山中なのだ。加えて、川乗谷のバス停から別荘までは自動車通行が不可能な山道だ。手遅れにならないうちに連絡し、直接医者に出向いてもらえるように手配してもらわなければならない。
「これ以上、ビジンにしんどい思いをさせられない。電話を――」
 立ち上がろうとした零治の腕を、不意に美人の手が掴んだ。
 触れている箇所が熱い。
「れい……じ……」
 零治は驚いて美人を見返した。
 美人の双眸は開いていた。高熱に侵されているせいで眼差しは虚ろだが、顔はしっかりと零治に向けられている。
「どうした?」
 浮かしかけていた腰を落ち着け、零治は美人の手を逆に握り返した。
「このままで……いい。医師は――要らない」
「けど、放っておいたら、どうなるか解らないだろ」
「この怪我を見られたら……僕の方が困る。説明……できない」
 美人に指摘され、零治は眉をひそめた。それは零治も考えたことだ。
 池から水虎という妖怪が出現して、その鋭い鉤爪で抉られた傷です。
 そう素直に真実を話しても、誰も真剣に受け止めてはくれないだろう。
「僕は……大丈夫。雷師が傍にいるから」
「雷師って、ただの指輪だろ」
「違う。これは、タケミカヅチ。まだ天に……還してない。指輪の――日本刀に宿ってる。だから、大丈夫。タケミカヅチが……怪我を抑えてくれるから……少し眠れば平気――」
 途切れ途切れに言葉を紡ぎ、美人は再び瞳を閉ざした。
「神様がついてるから心配するな――ってことか?」
 隆生が怪訝そうに首を傾げる。
 池から別荘へと引き返す道すがら、美人が神主――神降ろしのできる巫覡だと隆生たちには掻い摘んで説明してある。彼らは一頻り驚いた後、意外にもすんなりとその事実を受け入れてくれた。
 元々『有馬美人は霊能者だ』という噂があったせいか、彼らは美人の特殊な能力に肯定的だった。美人ならそれも納得できる、といった感じなのだ。彼らにとっては、霊能者も巫覡も同様の存在らしい。
 美人の切れ切れの言葉から推察すると、タケミカヅチとやらは日本刀を憑代として未だにこの地に留まっているらしい。
 今、日本刀は指輪に姿を変えている。それを填めている美人の肉体には、神秘の力が働いているのだろう。それゆえに、酷い怪我にもかかわらず傷口から血が噴き出すこともないのようだ。
「――みたいだな。真野、手当てを続けてやってくれよ」
 零治が促すと、翠は処置を再開した。
 傷口を消毒し終えると、翠は救急箱から裂傷に効く軟膏を取り出した。それをガーゼに塗布し、美人の胸一面を覆う。後は零治と隆生が手を貸し、包帯を幾重にも巻いて終わりだった。
 包帯を巻き終えたところで、ユキが戻ってきた。
 二枚の毛布を美人の上にかけると、きびきびとした動作でまたキッチンへと消える。
 次に姿を現した時、彼女は氷水の入った洗面器と氷枕を携えていた。
 翠が氷枕を受け取り、美人の頭の下に敷く。
 ユキに氷水で冷やしたタオルを手渡され、零治はそれを美人の額に当てた。
「とりあえず、あたしたちにできるのはこれくらいね」
 苦々しい響きを孕んだユキの言葉を契機に、一同は隣のキッチンへと移動した。


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