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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Tue
2009.08.04[09:00]
     *


 別荘周辺に幽霊が出るという噂は真実だった。

 その幽霊が、一年前に謎の失踪を遂げた佐渡黎子であることも判明した。
 今宵、彼女は零治たちの前にその姿を堂々と現したのだ。
 しかし、問題の幽霊について口に出す者は誰一人いなかった。
 隆生は、恐怖と困惑が混在しているような表情でコーヒーを啜っている。噂の幽霊が本当に佐渡黎子であったことに当惑しているのだろう。
 ユキは幾分強張った面持ちで、手元の紅茶に視線を注いでいた。時折、目元と口元が不規則に震える。何かに耐え、何かを畏れているようだ。
 翠は悄然と項垂れていた。その顔は血の気を失っている。皆の中で一番、顔色が悪かった。引き結ばれた唇も色を失っている。表情からは、怯えと畏れと哀しみが見て取れた。妖怪の出現、黎子の亡霊、そして意中の相手である美人の負傷――それらが複雑に絡まり合い、彼女を心身共に疲弊させているのだろう。
 皆、黎子の幽霊に畏れをなしながら、故意にその話題を避けている。
 零治は所在なげに全員に視線を配っていた。
 本音を言えば、美人にずっと付き添っていたい。
 だが、席を立つのも妙に気が引けた。キッチンに張り詰めた緊迫感が、零治の身体を椅子に縛りつけているのかもしれない。
「あの河童みたいな化け物――あたし、あんなの初めて見たわ」
 場の雰囲気を和やかにしようというのか、唐突にユキが口を開いた。努めて明るく振る舞おうとしているが、その笑顔は僅かに引きつれていた。
「あれは……水神池の守り神だって、有馬くんが言ってたわ」
 翠も重い口を開く。
「零治くんが心配した通り、軽はずみな気持ちで肝試しなんてしちゃいけなかったのよ。わたしたちが馬鹿なことをしたから、スイコサマが怒ったのよ」
「山奥には未だにいるもんなんだな、物の怪――妖怪ってヤツ。オレたち、悪いことしちゃったよな。アイツらは聖域を侵されたと思ったから怒ったわけだろ。明日にでもお供え物を持って謝りに行こうぜ。曾祖父さんたちにも恨まれそうだしな」
 隆生が珍しく真顔で告げる。
 ユキが意外そうな眼差しを隆生へ投げた。
「隆生も翠も、いつからそんなに信心深くなったのよ? 化け物に襲われた挙げ句、謝りに行くなんておかしいわ。あたしたち、悪いことなんて何もしてないじゃない」
「したのよ。少なくともあの妖怪たちにとって、わたしたちが遊び半分で夜の池に肝試しに来たことは不愉快な行為だったのよ」
 開き直ったようなユキに対して、翠が窘めるように言葉を返す。
「妖怪たちは水神池の綺麗な水と周囲の自然を愛し、それを護ってきた神様なわけでしょう。仮にも神様と呼ばれる存在が何の理由もなしに怒り、わたしたちを襲うはずがないわ。それなりの理由があったのよ。やっぱり、ふざけた肝試しが許せなかったんだと思うわ」
「……解ったわよ。明日、謝りに行けばいいんでしょ」
 ユキは興醒めしたようにフンと鼻を鳴らした。彼女は、あくまでも己の非を認めたくないらしい。いきなり威嚇攻撃を仕掛けてきた水虎が悪い、と端から決めつけているのだ。
「それにしても、有馬くんって凄いわよね」
 突如としてユキが話題を転じ、好奇心に輝く瞳を零治に向けてくる。
 彼女の意識の中では、妖怪騒動も黎子の幽霊もあっという間に吹き飛んでゆくらしい。先ほどまで硬かった表情が、今は綻んでいた。
「あんな化け物相手に、怯みもせずにバッサバッサと日本刀で斬りつけていくんだもん。まるで別人みたいに凛々しくて、ビックリしちゃった。格好いいわよね!」
 この場にそぐわぬ陽気な声を耳にし、零治はむっつりと黙り込んだ。そんなことを称讃されても美人は嬉しくないだろうし、彼の怪我が無かったものになるわけでもないのだ。
「恐怖に身体か竦んで動けなかったくせに、なに言ってんだよ」
 零治に気遣わしげな視線を流してから、隆生が従妹を軽く睨む。
「はしゃいでる場合じゃないだろ。おまえが有馬に一番に言わなきゃならないのは、感謝の言葉だ」
「それは有馬くんが目醒めてから、ちゃんと言うわ。今は意識を失ってるんだから、言いたくても言えないじゃない。それに――化け物と闘ってる有馬くんって、ホントに格好良かったんだもん。あたし、見ていてゾクゾクしちゃった。神官だか何だか知らないけど、凄いわよね。神を憑依させるなんて、あたしたちと同じ人間だとは思えないわ」
 ユキの讃美紛いの明るい声に、零治は心の中で舌打ちを鳴らした。
 ――ビジンは歴とした人間だし、俺たちと同じように怪我だって病気だってする。
 有馬美人はその身に神秘の力を宿しているが、本人は決して神でも不死身でもないのだ。
 自分たちと何ら変わらぬ生身の人間だ。
 ユキはその辺を勘違いしている。
 無意識に美人を人間から切り離した存在に祭り上げようとしている。
 零治は思わず不満と怒りを孕んだ眼差しをユキに向けていた。
 ――ビジンが怪我をしたのは古市のせいなんだぞ。
 八つ当たりに近い感情が胸に込み上げてくる。
 さすがに、ユキが怪我をすればよかったんだ、とまでは思わないが、どうしても恨みがましくなってしまう。美人の忠告を無視してユキが喚いたから、水虎たちは彼女を襲い、彼女を護ろうとして美人は身を挺したのだ。
「いい加減にしろよ。有馬はおまえを庇って怪我したんだぞ」
 うんざりしたように隆生が言う。
「不謹慎よ。わたしたちを助けるために、有馬くんは酷い怪我を負ったのよ。なのにどうして、そんなことが言えるのよ。有馬くんが何者かなんて、関係ないじゃない。彼がいなかったら、わたしたちはあの妖怪に殺されていたかもしれないのよ。有馬くんが護ってくれたのよ」
 翠の咎めの言葉が続く。
「少しはみんなや――零治くんの気持ちを考えてよ」
「なによ、あたしが悪者だって言いたいの?」
 ユキが顔を強張らせる。
 苛立ちと怒りを表すように眦が吊り上がった。
「そうよ。有馬くんが負傷したのは、あたしのせいよ。だから、どうだって言うの?」
「そんな言い種ないでしょう、ユキ」
「あたしが有馬くんに怪我させたから、翠は腹が立ってしょうがないのよね」
「オイ、ユキ、あんまりふざけたこと言うなよ」
「うるさいわね。隆生は黙ってなさいよ」
 間に割って入ろうとした隆生を、ユキの鋭い一睨みが制する。
 ユキは憤懣に燃える眼差しで翠を睨めつけた。
「有馬くん、有馬くん、有馬くん――さっきから聞いてれば、そればっかり! 解ってるわよ。翠はあたしより有馬くんの味方よね。あたしのせいで彼が傷ついたから怒ってるんでしょう? あたしが許せないんでしょう? だって、翠は――有馬くんのことが大好きなんだものね!」
 ユキが鋭利な一言を投げつける。
 瞬時、剣呑な空気が室内に充満した。
 翠がキッとユキを見返し、震える唇を噛み締める。潤んだ双眸の中で屈辱と羞恥が揺らめいた。
「……ひどい」
 唇の戒めを解き、翠が呟く。
「酷いわ。何もみんなの前で言うことないじゃない!」
 喉の奥から振り絞るようにして、翠は非難の声を発した。
 胸に秘めていた想いを親友に暴露された事実に、彼女は怒り、打ち震えてさえいた。
「最低だわ」
 短い罵声を放ち、翠は再び唇を引き結んだ。
 瞳に溜まった涙を必死に押し留めながら、彼女はユキに憤怒と軽蔑の相俟った視線を送り続けている。親友の裏切りとも言える行為に彼女は傷つき、憤然としていた。
 気まずい雰囲気を察して、ユキが翠から顔を背ける。
「あたし、疲れたから寝るわ」
 至極身勝手な言葉を残し、ユキが勢いよく席を立つ。彼女は、一秒でも早くここから逃げたい、というように早足でキッチンを出て行く。
「ユキッ!」
 隆生がユキを追おうと立ち上がる。だが、彼は数歩進んだところで急に足を止めた。
「ゴメンな、翠」
 面目なさそうに告げて、隆生は翠の頭に手を乗せた。
「隆生くんが謝ることじゃないわ。今のは……ユキが悪いんだもの」
 翠が必死に笑顔で取り繕おうとする。しかし、怒りと悔しさに血の気を失った顔は、少しも笑うことに成功してはいなかった。
 隆生が翠の頭を撫で、その隣の椅子に腰かける。
「いや、マジでゴメンな。オレ、今のは聞かなかったことにするし、有馬にも絶対に言わないからさ。ユキにはオレからきつく言っとく。ホント、悪かったな」
「平気。だから、気にしないで。わたし……有馬くんの様子を見てくるわね」
 心配する隆生に微笑を向け、翠は立ち上がる。
 彼女は、青ざめた顔を長い髪で隠すようにしてリビングへ消えた。



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