ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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五章



 有馬美人が目醒めたのは、翌日の午後のことだった。
 一睡もせずに看病を続けていた零治と翠が見守る中、彼は突如として目を開けたのである。
 瞼を跳ね上げた一瞬後には、高熱に侵されていたとは思えぬほどの敏捷さで上半身を引き起こした。
「病人なのに、いきなり起きるなよ!」
 零治は、思わず驚きと叱責を孕んだ声を投げつけてしまった。
 しかし美人は、怪我をしたことも発熱したことも忘れたかのように平然としている。
「大丈夫なの?」
 翠が不安たっぷりの眼差しを送る。
「はい。熟睡したので、すっかり良くなりました」
 翠を見上げ、美人は目元にうっすらと笑みを浮かべた。
「でも……」
 翠の躊躇いがちな視線が美人の胸部へと注がれる。彼女の懸念を察したのか、美人は再び微笑を湛えた。
「さすがに怪我は多少痛みますが、動くことに支障はありません」
「いきなりぶっ倒れて、高熱にうなされてたんだぞ。よくそんな涼しい顔で恐ろしいことが口走れるよな」
 幼なじみが無事に目醒めたことに対する喜びを胸中に隠し、零治はわざと怒ったような口調で言い放った。
 同時に、美人の荷物から勝手に物色してきた着替え用のシャツを彼に向かって投げる。
「ありがとう」
 美人が受け取ったシャツに袖を通しながら、微笑を向けてくる。
 表情に苦痛の影はない。顔色は少々優れないが、無茶をしているようには見えなかった。熱はすっかり下がったのか、妙に清々しい顔つきをしている。
 昨夜の昏睡状態が信じられないほど驚異的な回復力だ。指輪に依り憑いているタケミカヅチの神力のおかげなのだろう。
「心配かけてごめん。でも、もう平気だから」
 平気だということを強調するように、美人は自分にかけられていた毛布を畳み始める。それから、室内を見回して首を傾げた。
「――和泉君は?」
「隆生なら古市の様子を見に行ってる。すぐ戻ると思うけど」
 零治は溜息混じりに言葉を吐いた。
 古市ユキは、昨夜の出来事に不満と気まずさを感じているのか、朝からずっと二階の部屋に鍵をかけて籠もっている。隆生と翠が何度呼びかけてもドアが開かれることはなかった。彼女から返ってくるのは『放っておいて』という素っ気ない一言だけなのである。
 午後になってもユキの態度に変化はない。
 ユキを部屋から引きずり出すことに半ば匙を投げかけている隆生だが、それでも一時間に一度ぐらいは様子を見に行っているのである。
「じゃあ、戻ってきてからでいいや。その間、ちょっと森に行ってくる」
 丁寧に折り畳んだ二枚の毛布を重ねると、美人は徐に立ち上がった。
「病み上がりなのに、森に行ってどうする気だよ?」
 零治は慌てて美人の肩を押さえた。
 深い眠りから醒めた直後に、外出を考えるなんてどうかしている。いくら神の恩恵があるとはいえ、怪我と高熱のせいで常より体力が衰えているはずだ。それを押し切って行動を起こせば、せっかく戻った体調もまた悪化してしまうだろう。
「そんな身体で動き回ったら、また倒れるわ」
 翠が渋い表情で美人を見つめる。
「日が暮れる前にやっておきたいことがあるんです。陽が落ちて辺りが薄闇に包まれると、妖怪たちが活発に動き始めてしまいますから。黄昏刻は逢魔ヶ刻――その前に、水神池の水虎に謝っておきたいんです」
 至極真摯な口調で美人は告げる。
「昨日は何の躊躇いもなしに斬ってたのに、謝るのか?」
 零治が軽く睨むと、美人は困ったように苦笑した。
「あれは和泉君と古市さんを助けるために、やむを得ずやったことだよ。もちろん、本当ならしちゃいけないことだ。水虎は『スイコサマ』『シッコサマ』という呼び名で今でも祀られている、歴とした水の神様なんだから。巫覡の僕が謝罪しないでどうするの?」
 逆に質問を浴びせられ、零治は返答に詰まった。
 きちんと謝罪しなければ水虎たちは今夜も出現し、零治たちに怒りをぶつけてくる畏れがある。それが予測できるから、美人はどうしても夕暮れ前に水虎たちの憤怒を抑えたいのだろう。
「理由は解ったわ。でも、それは食事を摂ってからにしましょう。その身体で出ていって倒れられたら、わたしたちが困るわ」
 黙ってしまった零治に代わって、翠が穏やかに、しかし決然と言葉を紡いだ。
「卵雑炊を作ってあるの。温めてくるから待ってて。食べ終わったら、有馬くんの好きにしていいわよ」
 ニッコリと微笑み、翠はキッチンへと向かってしまう。その態度からは、昨夜見せた苦悩や葛藤の片鱗は窺えない。
 零治は翠の告白を脳裏で反芻し、複雑な想いで彼女の背中を見送った。
 昨夜からずっと、心の中に黒い靄が渦巻いている。
 翠が黎子を殺し、死体をどこかに隠蔽した。
 だから、黎子の遺体は未だに発見されず、彼女は行方不明のままなのではないだろうか。
 そんな想像が否応なしに膨らんでしまう。嫌な考えが頭にこびり付いて離れない。あくまでも仮定でしかないが、可能性はないわけではないのだ。
「食べなかったら、真野さんに申し訳ないね」
 諦観したような美人の声で、零治はハッと我に返った。
 ふと美人を見遣ると、彼は時間のロスを覚悟したらしく素直にソファに座り直していた。一人で突っ立ているのも妙なので、零治は畳まれた毛布を脇へ避け、美人の隣に腰を下ろした。
 ほぼ同時にリビングのドアが開く。
「まいったよ。ユキのヤツ、意地でも出てこない気だ」
 愚痴を零しながら室内に入ってきたのは、和泉隆生だった。その表情は冴えない。眉はひそめられ、唇は尖り気味だ。ユキの説得は、またしても失敗に終わったらしい。
「おっ、有馬!」
 部屋の中程まで歩を進め、隆生はふと動きを止めた。驚いたように美人を見つめ、それから喜びに顔を綻ばせる。
「もう起きて平気なのか?」
 隆生は大股で歩み寄ってくると、不安げに美人の顔を覗き込んだ。
 美人が微笑を浮かべながら頷くのを見て、隆生も満足げに笑う。
 隆生はすっかり美人の存在に慣れた様子だ。美人の不可思議な能力を目の当たりにしても、気さくな態度は変わらない。基本的に和泉隆生は人当たりのいい男なのだ。女癖の悪さがなければ、なお良いのだが……。
「心配かけてすみません」
「いや、有馬が無事ならそれでいいさ」
 隆生が向かいのソファへと移動する。彼が座するのを見届けてから、
「和泉君、森にある大きな椿のことなんですけど――」
 美人は改まった口調で言葉を紡いだ。
「ああ、あのデカイ木のことか。アレ、椿だったんだ。あの木がどうかしたのか?」
「枝を幾つかいただきたいのですが、構いませんか?」
「別に構わないけど。あれだけ大きけりゃ少しくらい枝を伐っても平気だろ。けど、何に使うんだ?」
 隆生の探るような眼差しが美人に注がれる。
「玉串を作りたいんです」
「は? たまぐし?」
 解せない様子で隆生が目をしばたたかせる。
「神社の神主さんが祭壇に捧げたりする、紙のついた小枝のことだろ」
 零治が物凄く大雑把に説明すると、隆生は合点がいったように首肯した。
「何となく解った。アレは玉串っていうのか。有馬といると色んな知識が増えてくな。――で、それを作るために椿の枝が欲しいわけだ」
「はい。先の方を数本いただけると嬉しいです」
「じゃ、後でオレと零治が適当に伐ってきてやるよ」
 隆生が気軽に請け負ったところで、翠がキッチンから戻ってきた。
 雑炊のいい匂いがリビングに漂う。
 翠が手にするお盆には、小さなどんぶりが乗っている。そのどんぶりから食欲をそそる香りと湯気が立ち上っていた。
「さっ、有馬くん、たくさん食べてね」
 有無を問わせないような口調で告げ、翠は美人の前にどんとお盆を置いた。



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2009.08.05 / Top↑
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