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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Wed
2009.08.05[20:50]
     *


 黄昏の色が濃くなりつつある。
 窓から見える外界は日没を迎え、夜へと変貌を遂げようとしていた。
 夕闇が辺りを包み込んでいる。じきに世界は完全な闇に閉ざされるだろう。
 零治はリビングのソファーに腰かけ、正面に座る真野翠を見つめていた。
 零治の隣には美人が座り、翠の隣には隆生が腰かけている。
 誰もが翠に注目していた。
 翠は、黒髪に縁取られた小さな顔を心持ち俯けている。視線は膝の上で組み合わされている自分の手に注がれていた。その手が時折何かに怯えるように小刻みに震える。
「なあ、いつまでも黙ってちゃ、何も解決しないだろ」
 重苦しい沈黙に耐えかねたように、隆生が溜息混じりに言葉を吐き出す。
 翠は先ほどから十分近くも無言のままなのだ。美人が別荘へ戻ってきてからも、彼女はずっと沈黙を保っていた。
「昨日、佐渡があんな風になったのは自分のせいだ、って言ってたよな。その辺を俺たちにも説明してくれないか。真野は、佐渡の失踪原因を知ってるんだろ?」
 零治はゆっくりと言葉を紡いだ。
 脳裏には、昨夜の翠の発言が甦っている。
 零治は彼女を疑っていた。翠が黎子を殺したのではないか、という疑念が胸中にわだかまっている。それを覆すのも確定させるのも、翠の言葉一つだ。
 願わくば、前者であってほしい。
 もしも後者であった場合、自分はどうすべきなのだろうか?
 ――やっぱり、自首を勧めるべきなんだろうな。
 零治が漠然とそんなことを考えていると、翠がようやく面を上げた。
「ごめんなさい。何から話せばいいのか解らなくて……。覚悟を決めたはずなのに、いざとなると怖じ気づくなんて情けないわよね」
 翠の顔に途方に暮れたような笑みが浮かび上がる。彼女は真実、何から喋っていいのか戸惑っているらしい。
「あなたは一年前にはもう、佐渡さんが亡くなっていたことを知っていたんですよね?」
 美人が穏やかな口調で問いかける。彼の声には翠を責め立てるような響きはなかった。
「ええ、知っていたわ」
 一呼吸措いた後、翠はきっぱりと断言した。
「じゃ、行方不明騒動が起こった時には、翠はとっくに黎子の死を知ってたのか」
 隆生が愕然とした面持ちで翠を眺める。
 翠は重々しく頷いた。
「だったら、何で今年も別荘に来たんだよ? 翠とユキは黎子が生きてると信じ、黎子を捜しに来たんじゃなかったのか?」
「それは……違うの。ねえ、隆生くん。一年前のわたしはね――あなたのことが好きだったのよ」
「――えっ?」
 突然の告白に、隆生が目を丸める。今まで考えたこともなかったのだろう。隆生は心底仰天し『信じられない』というように翠を凝視していた。
「もう昔の話。一年前までの話よ。でも、事実なの。わたしは隆生くんのことが好きだった。そして、黎子も。黎子が隆生くんのことを好きだったのは知ってるでしょう?」
「そ、そりゃあ、まあ……」
 茫然としたまま隆生が頷く。
 翠は心の痛みに耐えるかのように眉根を寄せ、辛抱強く隆生を見つめていた。
「全ては、わたしが隆生くんを好きになってしまったことから始まるの。わたしが隆生くんを好きになったから、悪いのよ」
「オレ、翠がオレを好きだったことに驚いてて、上手く言えないけどさ……別に誰かを好きになるのは悪いことじゃないだろ」
「でも、わたしが隆生くんを好きにならなければ、あんなことにはならなかった。わたしの嫉妬が、黎子を殺したようなものなのよ!」
 不意に翠が声を荒げる。
 一年間、溜めに溜め込んできた罪の意識が一気に爆発したようだった。
「わたしが黎子を殺したのよ!」
 激白する翠の双眸から透明な雫がボロボロと零れ出す。
 零治と隆生があまりの衝撃に動けずにいる中、美人だけが静かに行動を起こした。シャツの胸ポケットから取り出したハンカチを、そっと翠に差し出す。
「真野さんが殺したわけじゃない」
 美人が優しく告げると、翠の瞳から溢れ出す涙の量が増した。震える手がハンカチを受け取る。だが、彼女はそれで涙を拭おうとはせず、両手に握り締めた。
「あなたは、佐渡さんを殺したわけではないんです。少なくとも僕はそれを知っています。佐渡黎子さんも知っています。だから彼女は、あなたを憎んではいません。一昨日、池の畔で佐渡さんの姿を視ました。もっともその時は、彼女が佐渡さんだとは知らなかったのですが……。その時、彼女はあなたに助けを求めていました」
「本当なの……?」
「ええ。僕には神霊の声が聞こえます。彼女があなたに望んでいることは一つ。彼女があんな風になってしまった真実をきちんと皆に――特に和泉君に打ち明けて欲しいということだけです」
「何で……オレなわけ?」
 呆けたように隆生が口を挟む。
 美人の微苦笑が隆生に向けられた。
「佐渡さんは死してなお、和泉君のことが好きだからですよ。自分の愛する人が、自分の死も知らずに生きている現実が、彼女にとっては耐え難かったのでしょう。だから別荘周辺に出没したり、真野さんに訴えたりしたのです」
「黎子は、わたしを恨んではいないの?」
 涙に濡れた顔を上げ、翠が悄然と疑問を繰り出す。
「恨んでいません。なぜなら、あなたが佐渡さんを死の淵に追いやった元凶ではないからです」
「でも、わたし、水神池に祈ったのよ。隆生くんのことが好きだから、隆生くんの心が欲しいから――誰にも邪魔されたくない、邪魔者はみんな消えちゃえばいいのに、って!」
 堰を切ったように翠の口から言葉が溢れ出す。
 昨夜、零治が耳にしたのと同様のことを彼女は口走っていた。佐渡黎子は呪詛により死んだ、と彼女は必死に言い張る。いや、単にそう思い込みたいだけなのかもしれない……。
「願ったら、次の日に黎子は死んでしまったわ!」
「どうして、嘘を並べ立てるのですか?」
 顔を真っ赤にしながら叫ぶ翠を美人の至極冷静な眼差しが捉える。
「佐渡さんが生命を落としたのは、呪詛のせいでも水神に祈願が通じたからでもありません。それは、誰よりもあなたが知悉しているはずです。なのに、どうして嘘を連ねるんですか。そこまでして、あなたは誰を庇いたいのです?」 
 美人の黒曜石のような瞳に射抜かれ、翠は激しく身体を震わせた。
「違う……違う! 庇ってなんかいないわ!」
「翠、しっかりしろよ」
 震え戦く翠を宥めるように、隆生が彼女の肩を掴む。
 途端、彼女の震えが止まり、恐怖に強張った顔が隆生を見上げた。
「ごめんなさい。怖いの……わたし、怖いの。ユキが怖いのよっ!」
 心の底からの叫びが翠の喉から迸る。
「真野が庇ってたのは、古市なのか!?」
 零治は唖然と目を見開いた。
 翠はユキを庇っていた。
 つまり、黎子の死にユキが深く関わっているということだ。
「庇ってなんかいないわっ! 庇いたくもなかったわ。わたしたちの友情なんて、一年前にとっくに壊れてるのよ。わたしが隆生くんを好きになった時から、わたしとユキの間に友情なんてものは存在してないのよっ!」
 翠の頬を滂沱と化した涙が伝う。激しい怒りが彼女の全身を包み込んでいた。
 ――ああ、それでか……。
 不意に、零治は悟った。昨夜の肝試しの時、翠は言っていた。
『恋愛が絡むと、女の友情なんていとも容易く崩壊するのよ』
 あれは、自分自身とユキのことを示唆していたのだ。
 あの発言は、己の体験から導き出された結論だったのだ。
「わたし、酷いこと口走ってるわね」
 翠の口元がいびつに歪む。
「庇いたい気持ちと、庇いたくない気持ちがあるの。ユキがしたことは許されないことだわ。でも、ユキがわたしの親友だったことも、わたしが隆生くんを好きだったことも、間違いなく事実だし、わたしが打ち明けることによって隆生くんが傷つくのも解ってるわ。だって、隆生くんはユキの従兄なんだもの」
 憤怒と罪悪感に心を苛まれているのか、翠は支離滅裂な言葉を捲し立てる。
「ユキが何をしたんだよ?」
 翠の肩を押さえる隆生の手が細かに震える。喉が、恐怖と驚愕を呑み込むように大きく上下した。
「アイツが黎子とおまえに何を――」
 掠れた声が隆生の口から洩れる。
 それを打ち消すように、
「裏切り者っっ!!」
 空を裂くような叫びが響いた。
 室内の空気が一気に緊張を孕む。
 古市ユキが鬼のような形相でリビングの入口に立っていた。



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