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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Wed
2009.08.05[20:56]
 翠を睨めつける目は怒りに血走り、唇は彼女を嘲るように引きつった笑みを象っていた。
 いつもはポニーテールに結わえられているはずの髪は肩に垂れ、激しく乱れている。
 古市ユキは、鬼女を彷彿させるような姿で翠を見据えていた。
 全身からは鬼気迫る憤怒が放出されている。
「裏切り者っ! 何が『打ち明けたら隆生が傷つく』よ。そこまで話したら、全部暴露したも同然じゃない!」
 ギラギラと怒りに燃える双眸が一同を睥睨した。
 誰もがユキの出現に驚き、戸惑っていた。
 いつ二階から降りてきたのか解らないが、彼女がこれまでの会話を盗み聞きしていたのは明らかだ。こっそりと皆の会話を耳にし、そして今、翠の激白に耐えきれず、飛び出してきたのだろう。
「自分一人だけが、いい子になろうっていうの? 黎子を見殺しにしたくせに。あたしとあんたが黎子を殺したのよ。たった一年前のことも忘れちゃったの?」
 揶揄を孕んだユキの声が容赦なく翠に突きつけられる。
「やめて。わたしは……殺してないわ」
 翠は恐怖も露わに身を震わせている。
「翠にはもう何も期待しないわよ。あんたと秘密を共有したのが、そもそもの間違いだったみたいね。一年経った今になってバラされるなら、あんたも黎子のように殺しておけばよかったわ」
「止せよ、ユキッ!」
 悪意に満ちたユキの言葉を遮るように隆生が叫ぶ。
 だが、ユキは従兄の声にも耳を貸さなかった。
「隆生のためにやったのよ。隆生を性悪な女から護るためにやったのよ! 隆生のためにやったんだから、悪いことなんかじゃないわっ!」
 吐き捨てるように告げ、ユキは一歩後ずさった。
 そこでようやく零治は、彼女の両手が不自然に後ろに回されている事実に気がついた。背中に回された手がどうなっているのか解らないが、何かを隠している可能性は高い。
 ――もしかして、包丁でも隠し持ってるのか?
 猜疑心が芽生える。
「落ち着けよ、古市」
 零治は咄嗟にソファから立ち上がっていた。
 どう見ても、ユキはいつもの彼女ではない。理性と冷静さを失い、狂気に身を委ねようとしている。
 何とか彼女を正気に戻したい一心で、零治は彼女に近寄った。
 彼女を落ち着かせるためには、まず背中に隠しているものを取り上げなければならない。そう考え、ユキに向けて手を伸ばす。
「零治、離れて!」
 美人が緊迫した声をあげるのと、ユキが何かを振り翳すのが同時だった。
 視界の中、何かがキラリと輝く。
 刃物だ――と察した瞬間、零治は反射的に後ろに飛び退いていた。
 僅かに遅れて、ブンと空気が唸る。
 間一髪のところで、零治はユキの攻撃をかわしていた。
「あたしに近寄らないでよ!」
 ユキは手に握った刃物を闇雲に振り回した。それは、刃渡り三十センチ以上もある草刈り鎌だった。物置から物色してきたのだろう。
「みんな嫌い。大嫌いよ! 誰もかれもが、あたしを悪者にして……! あたしの気持ちなんて何一つ知らないくせに――大嫌いよっ!」
 ユキは物騒な道具を振り回しながら後ずさってゆく。
 零治は想像以上の凶器の出現に驚き、遠ざかるユキを声もなく眺めていた。あんな凶悪な武器を振り回されては、迂闊に近寄ることもできない。
「どこに行く気だよ?」
 隆生が零治の傍まで駆け寄ってきて怒鳴る。
「黎子を殺しに行くのよ!」
「バカ言うなよ。黎子はとっくに死んでるんだろ」
「黎子は生きてるのよ。昨日、あんなに生々しい姿で現れたじゃない。黎子は生きていて、あたしに復讐しようとしているのよ。あたしを殺そうとしているのよ!」
 ユキの錯乱した喚きが長い廊下に谺する。
「だから、殺される前に殺すのよ! あたしが殺してやるの。幽霊だって構いやしないわ。何度でも――何度だって、あたしはあの女を殺してやるわっ!!」
 狂気を孕んだ怒声を発し、ユキはこちらに背を向けると一目散に駆け出した。
「ユキッ!」
 隆生の声にも振り返らずに、彼女は六角形のホールへと消えてゆく。
「僕が追う。多分、行き先は水神池だ」
 美人が零治の脇を擦り抜け、廊下に飛び出す。
「待てよ、俺も行く」
 零治は急いで美人の後に続いた。
 更に後ろを隆生と翠がついてくる。
「ユキが……黎子を殺したのかよ……!」
 苦渋に満ちた隆生の声。喘ぐような声には、怒りと哀しみとやり切れなさが織り込まれていた。
「わたしたち、黎子の遺体を探しにきたの」
 六角ホールに辿り着いたところで、翠が悄然と告白する。
 零治は思わず足を止めてしまった。前を走っていた美人も立ち止まる。
 零治たちはまだ佐渡黎子失踪事件の全貌を掴んではいないのだ。ユキが錯乱状態の今、全てを語ることができるのは翠しかいない。
「遺体……?」
 隆生が渋面を翠に向ける。
「別荘を訪れたのは、黎子の死体を引き上げ、それを誰にも見つからない場所へ隠蔽するためだったの」
 皆の視線を痛いほど浴びて、翠も心持ち顔を俯けた。
「警察の捜査で遺体が発見されなかったなんて、信じられない。わたしたちには到底信じることなんかできなかった。わたしは黎子が死んだ場所を知ってるんだもの……。黎子の死体の在処を知ってるの。水神池に沈んでいるはずなのよ。だって、黎子を殺したのは、わたしとユキだものっ!」
「佐渡黎子さんは、やはり水神池で亡くなったのですね?」
 美人が静かに訊ねると、翠は力無く頷いた。
「そうよ。なのに死体が見つからないなんて、おかしいじゃない。もしかしたら黎子は生きてるんじゃないか、って疑問まで浮かんできて――それで、遺体を確かめるために、再びここへやって来たのよ」
「で、確かめようとする前に幽霊騒動ってわけか。真野と古市は佐渡の幽霊を目撃して、その死を確信した、と……」
 零治は冷ややかな眼差しで翠を見つめた。
 最悪の想像通り、翠は黎子殺しに関わっていた。
 零治には、翠もユキも恐ろしい化け物のように感じられてならなかった。
「幽霊を見た時、黎子はちゃんと死んでいた、ってホッとしたのよ、わたし……。でも遊びに来てすぐに帰るのもおかしいから、しばらく残ることにしたの」
 零治の非難の眼差しを正面から受け止め、翠は開き直ったように告白する。声音には幾分自虐的な響きが宿っていた。
「それで、あくまで避暑を満喫してることを印象づけようと、カムフラージュでオレを呼び出したのか」
 隆生が愕然と呟く。
「よく考えれば、そんな小細工なんて必要なかったんだけど……。黎子の幽霊が怖かったのかもしれない。ユキと二人で別荘にいると、黎子に取り殺されそうな気がしてた。だから、隆生くんを呼んだの。そうしたら隆生くんは、零治くんだけじゃなくて有馬くんも連れてきてしまったわ。全てを見透かすことのできる有馬くんを――」
「全てを見通すことなんて、僕にはできませんよ。佐渡さんが水神池で亡くなったことだって、今、真野さんから聞いて確信を得たばかりですし」
 美人が困ったように肩を竦める。
 翠の口元に一瞬だけ弱々しい微笑が閃いた。
「わたし、有馬くんに逢ってから何度も迷ったの。有馬くんはきっと全てを知ってるから、真実を打ち明けた方がいいんじゃないか、って……。だけど、それはわたしの杞憂かもしれない。知らないなら、わざわざ教える必要もない。何度も何度も迷ったの。……意志薄弱なわたしだけれど、ようやく踏ん切りがついたわ」
 翠が涙に濡れた顔を上げ、しっかりと隆生を見据える。
「ごめんなさい、隆生くん。わたし、警察に嘘の証言をしてたの。わたしが黎子を見た最後の目撃者なのは事実だけど――その時、黎子は一人じゃなかったのよ」
「どういうことだよ?」
 隆生が困惑したように眉をひそめる。
「黎子は、池の畔でユキと言い争っていたのよ。わたしはそれを遠くから眺めていたわ。しばらく口論した後、急にユキが黎子を突き飛ばしたの。黎子は不意を衝かれて水神池に転落したわ」
「佐渡は溺れて死んだのか?」
 零治は大きく首を捻った。池に突き落とされただけで呆気なく死ぬものなのか? と、素朴な疑問が頭に浮かんだのだ。
「多分……そうよ。黎子が池に落ちた直後、わたしは別荘に戻ったから、それから何があったのかは詳しく知らないわ」
「ってことは、真野は佐渡殺害には加わってないんだな」
 翠はあたかも自分が殺人者のように語るが、聞いた話を総合すると、翠が直接黎子を殺したわけではない。
「でも、わたしは黎子を助けるどころか、ユキを非難しもしなかったのよ。あの時のわたしは、黎子を突き飛ばすユキを見て『ああ、またやってる』って馬鹿らしく思ってた。だって、その前の日、わたしも池に突き落とされたんだもの」
「翠もユキにやられたのか?」
 隆生が次々と明かされる驚愕の事実に目を剥く。
「水神池に祈ってる時、後ろからユキに突き飛ばされたわ。水中で必死に藻掻いて、ようやく岸に上がった時、ユキは言ったわ。二度と隆生くんに近づくな、って。あの瞬間、わたしとユキの友情は崩壊したのよ」
「なんでアイツ、そんなこと……?」
「黎子がユキに突き飛ばされるをの見て、わたし、いい気味だと思ったのよ」
 隆生の疑問を無視するようにして、翠が先を続ける。
「あの日の朝、黎子は得意気に言ったわ。隆生くんと寝た、って。だから、黎子が池に落ちるのを見ても助けなかったし、本当に……心の底から『ざまあみろ』って思ったのよ。当時のわたしだって、隆生くんのことが好きだったのよ! なのに黎子は……黎子はいけしゃあしゃあと……!」
「止めろよ、翠! それ以上、言うな!」
 隆生が、もう何も耳にしたくない、というように大声を張り上げる。
 翠はそんな隆生を見つめ、泣き笑いの表情を浮かべた。
「でも、事実なの。ユキは黎子に殺意を抱き、わたしは黎子を見殺しにした。浅ましく、愚かしい嫉妬に駆り立てられて……。ユキに突き飛ばされた後、黎子は消えてしまったわ。だからあの時、溺死したんだと思うの。ユキは、わたしが見ていたことを知っていたわ。それを逆手に取り『黎子を見殺しにしたんだから、あんたも同罪よ』って、わたしを嚇したのよ。ユキのことを警察にバラしたら、必ずわたしを共犯者に仕立て上げてやるって。わたしは……ユキと秘密を共有したわ。黎子の死より自分の保身を考えてしまったのよ」
「それで、警察に嘘の証言をしたのか」
 零治は重い溜息を落とした。
 女の嫉妬。
 それが佐渡黎子失踪事件の核だった。
 黎子、ユキ、翠――三人の女の競争心と妬心が生んだ悲劇なのだ。
 ユキと翠は、黎子が死んだことをひた隠しにし、親友を失った哀しみに健気に耐える少女を一年間も演じ続けてきてのだ。
 ――女ってのは怖い生き物だな……。
 零治は背筋に悪寒が走るのを感じた。
 自分の知っている黎子や翠やユキなど、仮面で素顔を隠した紛い物でしかなかったのだ。
「何でだよ……。何でユキが……黎子を殺すんだよ?」
 隆生の唇から掠れた呻きが洩れる。
「まだ解らないの、隆生くん?」
 翠の顔にひどく哀しげな笑みが浮かぶ。
 彼女は苦しさを堪えるように眉根を寄せ、喉の奥から声を絞り出した。
「ユキは、隆生くんのことが好きなのよ」


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