ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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 池の畔はまるで異世界のようだった。
 数多の鬼火が宙を浮遊し、世界を不吉に青白く染め上げている。
 青い炎に照らされて、水神池は眩く煌めいていた。あたかも池そのものが冷光を放っているかのように。
 美しく妖しい幽玄の世界。
 鬼火の正体さえ知らなければその綺麗な世界に魅せられ、すっかり虜になってしまっただろう。
 だが、零治はそれが美しいだけの物体ではないことを知っている。
 揺らめく炎は、陰火。
 人外の者が姿を現す前触れだ。
「黎子っ!」
 鬼火の狭間で叫びがあがる。
 零治は宙を舞う鬼火から視線を外し、声の発生源を探した。
 零治たちが立っている場所――池の入口から五十メートルほど離れた地点に、古市ユキの姿があった。
「出てきなさいよ、黎子!」
 ユキは狂ったような叫びをあげながら、手にした草刈り鎌を振り回している。鬱陶しい鬼火に向けて、何度も何度も鎌を振り下ろす。
 しかし、それは功を奏していない。鎌に裂かれた鬼火は消滅するどころか分裂し、かえって数を増やす結果となっていた。それでもユキは、鎌で鬼火を斬りつけながら池の淵へと前進し続ける。
「黎子、早く出てきなさいよ。殺してやるわっ!」
 完全に常軌を逸しているとしか思えない有り様で、ユキは甲高い怒声を発する。狂気に毒されて爛々と輝く双眸は、水神池だけを睨めつけていた。
「ユキ、池に近づかないで! 本当に黎子に殺されてしまうわ!」
 翠が必死に叫ぶ。
 恐怖に強張る顔は、鬼火に照らされて常よりも青白く見えた。
「もう一度殺してやるから、出てきなさいよ! あんたに……あんたなんかに隆生は渡さないわっ!」
 翠の声など耳に入っていないのだろう。ユキは脇目も振らずに池へと進んでゆく。
「やめろよ……やめてくれよっ。オレが悪いのかよ? オレを好きになったばかりに……ユキはあんな風になっちまったのかよ」
 隆生の口から呻きが洩れる。半狂乱の従妹を見て、彼は愕然としていた。従妹が狂気の淵にまで追い詰められていたことを知らなかった。その罪悪感と自責の念が、隆生の心を苛んでいる。彼の表情は、いつもの軽薄さなど微塵も感じさせないほど強張っていた。
「頼むから、正気に戻ってくれよ!」
 悲痛な叫びをあげ、隆生が地を蹴る。
 ほぼ同時に美人も動いた。
「和泉君、ここにいて下さい」
 隆生の腕を掴んで引き止めると、美人は俊敏に駆け出した。周囲を漂う鬼火を歯牙にもかげず、疾走する。
「雷師――」
 美人の声に呼応し、左手で指輪が光った。
 それは自らの意志で指から離れ、宙に浮いたところで日本刀へと変じた。黄金の光が刀身を包み込んでいる。
 美人が慣れた手つきで柄を握る。
 昨夜とは異なり、美人が手にしても日本刀から黄金の輝きが消失することはなかった。刀身は変わらず眩い光を発している。雷神にして刀剣の守護神――タケミカヅチが宿っている証拠だ。
「来ないでよ!」
 美人の接近に気づいたユキが、眦を吊り上げて彼を睨む。草刈り鎌の動きがいっそう乱雑になった。
「邪魔するなら、有馬くんも殺すわよ!」
 毒々しいユキの怒声。
 美人は無言でユキの懐へ飛び込んだ。
 草刈り鎌が勢いよく振り下ろされる。
 美人は雷師の柄を両手で握り、刃を水平に押し上げてその攻撃を受け止めた。
 金属と金属がぶつかり合い、小気味よい音を響かせる。
 歪曲する鎌の刃は美人を傷つけることなく、雷師によって完全に防がれていた。
 驚くユキを尻目に、美人はそのまま雷師をはね上げた。
 不意を衝かれて、ユキの身体が大きく後方に傾ぐ。
 美人は直ぐ様、雷師を逆手に持ち替えた。刃の峰で、鎌を持つユキの手を打つ。
 呆気なくユキの手から鎌が零れ落ち、彼女自身は地面に尻餅をついた。
 美人がもう一度、迅速に柄を持ち替える。
 神業のような速さで彼は雷師を薙いだ。草刈り鎌が地に落下するよりも早く、雷師の刀身は鎌を弾き飛ばしていた。
 遣い手を失った鎌が弧を描いて宙を舞い、地面に突き刺さる。
 それを見た瞬間、零治は無意識に駆け出していた。
 あの武器を二度とユキに持たせてはならない。その一念が、零治の身体を動かしていた。
 畏怖の眼差しで美人を見上げていたユキが、零治の姿を見咎め、慌てたように立ち上がる。
 間髪入れず、美人が雷師の切っ先をユキの喉元へ突きつける。
 瞬時、ユキはピタリと動きを止めた。
 零治は草刈り鎌が落下した地点まで必死に走った。
 地面に刺さった鎌を素早く抜き取る。闇に包まれた森へ向かって、零治は力一杯鎌を放り投げた。森の奥でガサガサと茂みが音を立てる。鎌は狙い通りに森の中へ消えた。これでユキも鎌を断念せざるを得ないだろう。ひとまず胸を撫で下ろし、零治は美人とユキの方へ向き直った。
 雷師によって動きを封じられたユキは、物凄い形相で零治を睨んでいた。鎌が消えた森と零治に忌々しげな視線を投げ、歯軋りを鳴らす。
「誰もかれもが、あたしの邪魔をするのね!」
 低い唸り声がユキの口から迸る。
 そうかと思うと、彼女は急に身を翻した。美人と雷師に畏れをなしたのか、彼女は脱兎の如く池へと走った。
 躊躇いもせずに水神池へ飛び込む。激しい水音を立てながら、彼女は池の水を掻き分けるようにして前進した。
「出て来なさいよ、黎子!」
 腰まで水に浸かったところで、ユキは狂乱じみた叫びを放った。
「ユキ、戻って!」
 痛切な悲鳴をあげながら、翠がユキに続いて池へ身を浸す。
 翠はユキを岸に戻そうと、その手を引いた。だが、それはユキの激しい抵抗によってすぐに振り払われてしまった。バランスを崩した翠が後ろ向きに倒れ込む。大きな水飛沫があがった。
「大丈夫か、翠!?」
 隆生が慌てて池に飛び込み、翠を助け起こす。
 その様子をユキの冷徹な眼差しが見据えていた。
「隆生に触らないでよ。あたしの隆生に触らないでっ!」
 不意に、ユキの目に憎悪の炎が灯る。彼女は両手を伸ばし、翠に掴みかかろうとした。
 隆生が翠を庇って前に出、更に翠を池の淵へと押し遣る。
 零治は茫然としている翠の手を掴んで、彼女を岸へと引き上げた。
「やめろよ! こんなのは、オレの知ってるユキじゃない」
 隆生が、突進してくるユキの肩を両手で押さえる。
 しばらく揉み合った末に、足を滑らせたのかユキが転倒した。
「隆生は……あたしが嫌いなの?」
 全身水浸しになったユキが、ゆるりと立ち上がる。
 隆生を見つめる双眸には怒りと哀しみが具現され、その口の端は屈辱ゆえにわなわなと震えていた。
「あたしが嫌いなのね」
「嫌いなわけないだろ。ユキは大切な従妹だ」
 隆生がそう言った途端、ユキは大きく目を開き、それから絶望したように肩を落とした。
「それじゃ嫌なのよ。従妹なんて嫌……。あたしは隆生が好きなのよ。どんな女よりもあたしの方が隆生のことを知ってるし、好きなのよ! なのに、どうして隆生はあたしを好きになってくれないのよ! あたしを女として見てくれないのよっ!!」
 金切り声でユキが叫ぶ。言葉には彼女の心底からの想いが籠められていた。
 零治は、狂乱するユキを息を詰めて見つめていた。
『誰も好きにならず、誰ともつき合う気がないなら、誰とも寝ないで。じゃなきゃ、可哀相だわ。報われないわ――』
 つい先日の、隆生と口論していた時のユキの言葉が思い出される。
 可哀相なのは、報われないのは――黎子でも誰のことでもなく、彼女自身のことだったのだ。
 隆生の女癖の悪さや女性に対する冷厳さを熟知していて、ユキは従妹という枠を取り外せずに生きてきた。しかし、隆生への恋慕の念は募る一方だったのだろう。その強い想いが、隆生に近づく女の存在を許せず、彼女を凶行へと駆り立てた……。
 彼女の全ては、隆生への歪んだ恋心で成り立っている。
 隆生を愛するあまりに、彼女の心は彼に接近する女たちに対して殺意を抱き始めてしまったのだ。
「オレは……おまえのことを従妹としてしか見れない」
 隆生が両の拳を握り締め、ユキを諭すようにゆっくりと告げる。
「何でよ? あたしは隆生のことを誰よりもよく理解してるわ。隆生に近づくのは、愚かな女ばかりよ。あんたの外見が目当てなだけの、バカな女。隆生はそんな女どもに都合のいい時だけ利用され、弄ばれてるのよ。でも、あたしは違うわ。あたしは、ホントに隆生が好きなのっ!」
「よせよ。オレはどうあっても、おまえを従妹以上には考えられない」
「隆生は、あたしのこともバカ女たちと同じに考えてるの?」
「いい加減にしろ。バカ女バカ女って、何だよ。そのバカ女と寝るオレが、一番バカなんだよ。おまえこそ、オレのことを何も知らないんだよ。オレは誰ともつき合う気はないし、誰にも縛られたくない。オレも女もそれを承知で寝てんだから、それでいいだろ。お互い様なんだよ。ああ、いや、悪いのは断然オレの方だろ。けど、おまえはオレの悪意や軽蔑すべき態度を見ない振りして、女だけを悪者にする」
 隆生が半ば自棄になりながら言葉を捲し立てる。
「ホントのオレなんて、どうしようもないクズなんだよ。怠惰で傲慢で優しさの欠片もない、最低最悪の女たらし――それが現実だ」
 わざとユキを突き放すように、隆生は冷酷に告げる。
「おまえが好きなのは、そんなバカな男だ。惚れる価値もない男なんだよ。解ったら、目を醒ませ。子供の頃からずっと一緒にいたせいで、おまえはオレにしか目が行かなかっただけだ」
 駄目押しのように、隆生は痛烈な言葉をユキに浴びせる。その顔は、刺々しい物言いとは相反するように歪められていた。
「違う。そんなんじゃないわ。ううん、それでもあたしは隆生が好きなのよ。どうして、あたしに冷たくするの? 意地悪するの? 黎子にも翠にも、そんな酷いこと言ったり、冷たくしたりしなかったでしょう!」
 ユキが顔を蒼白にさせ、隆生をきつく睨む。
「おまえは、オレが言わなきゃ一生解んないだろ。盲目的にオレを好きだと思い込むんだろうさ。おまえが従妹だから、はっきり言うんだ。惚れられてもオレはそれには応えられないし、迷惑だ。そもそも惚れるに値しない男だ。目を醒まして、冷静になれ。翠みたく賢明になって、早くオレを見限った方がおまえのためだ」
 隆生のあからさまな拒絶に、ユキは愕然としたように目を剥いた。衝撃のあまりに言葉を失い、茫然と口を開いている。
「隆生くん、もうやめてよ」
 自虐的な隆生の言葉に耐えられなくなったのか、翠が悄然と呟く。
 ここまで冷徹に女性を拒否する隆生の姿を見るのは、初めてなのだろう。
 零治も、そんな隆生を目の当たりにするのは初めてだった。
 それだけユキの隆生に対する想いは、強く激しいということなのだろう。
 隆生が明言しなければ、ユキは隆生を諦めきれずに、また惨劇を繰り返す畏れがある。隆生にはユキの想いを受け止める意志はない。
 だから、彼はきっぱり自分を諦めるように仕向けている。隆生への想いを断ち切らない限り、ユキは隆生に近づく女性に害をなす。従妹にそんなことをさせたくないからこそ、隆生は今、鋼鉄の意志をもってユキを拒絶しているのだ。
「何でよ……。あたしには……隆生を好きになる自由すらもないの?」
 隆生を凝視するユキの双眸から涙が溢れ出す。
「好きになるのは、確かにおまえの自由だ。けど、何度も言うように、オレはおまえを従妹としてしか見れないし、おまえの気持ちに応えることもできない」
 眉間に皺を寄せ、隆生は辛抱強く繰り返す。
 ユキは声もなく隆生を見つめていた。
「バカだな。何でオレなんか好きになるんだよ」
 隆生がゆっくりとユキに歩み寄る。彼は従妹をそっと抱き寄せ、宥めるようにその背中に両手を回した。
「何で、オレなんかのために黎子を殺したりしたんだよ。悪いのはオレの方で、黎子には何の罪もないのに――」
 苦渋に満ちた隆生の声。
 転瞬、隆生の腕の中でユキの身体が大きく震えた。
「れい……こ……。黎子……黎子っ!」
 やにわにユキは、両手で隆生を突き飛ばした。
 不意を衝かれて、隆生が態勢を崩す。彼は何とかバランスを立て直すと、驚愕の眼差しを従妹へと向けた。
「そうよ、何もかもあの女のせいよ! あたしが黎子に殺意を抱いたのも、隆生に拒絶されたのも、全部あの女のせいよっ!」
 ユキの口から再び狂気の叫びが放たれる。彼女は、隆生に拒まれたショックを佐渡黎子への怒りと憎しみにすり替えてしまったようだった。
 隆生の思惑とは裏腹に、鎮火しかけていたユキの狂気と憤怒はここにきて一気に爆発した。
 青白い鬼火が、ユキの顔に不気味な陰影を造る。その顔は、怒りに醜く歪んでいた。
「大嫌い。そうよ、そうよ、そうよ! あたしはあの女が大嫌いだったよっ!!」
 獣のような咆吼が空を揺るがす。
 池の中で仁王立ちし、全身に憤怒を漲らせるユキは鬼女そのものだった。



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2009.08.07 / Top↑
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