ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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「れいっ……こ……!」
 先刻までの勢いが嘘のように、ユキの口から恐怖に嗄れた声が飛び出す。
 鬼火たちが、黎子の出現を喜ぶように彼女に群がった。
 無数の鬼火に囲まれて、佐渡黎子は超然とユキを見下ろした。
 彼女が人外のものであることを明示するように、その身体は水面から一メートルほど離れた宙に浮いている。
 零治たちが息を詰めて見守る中、黎子はゆっくりと唇を動かした。
『私は助けを求めたわ。なのにユキは手を差し伸べるどころか、私の手を邪険に振り払ったじゃない。どうして、助けてくれなかったの? ユキが助けてくれなかったばかりに、私は死んでしまったのよ。死してなお、こんな姿で地上を彷徨う羽目になったのよ』
 びとく穏やかな声で黎子は語る。
 昨夜は一言も声を発しなかったが、今宵の彼女は明確な意志をもって己の言葉を伝えてくる。その声は耳から入ってくるというよりも、直接脳に響くような感じだった。
『私は死んだわ。でも、それは肉体だけ。魂は自分が死んだことが信じられず、ユキをどうしても許せなくて――今もここにいるの。死にたくなんてなかった。まだずっと隆生を好きでいたかったのに……。それなのに、ユキが私の生命を奪ったわ。助けられたはずなのに、私を見殺しにしたわ』
 黎子の昏い眼差しがユキに注がれる。
 ユキは一瞬畏れをなしたように身を震わせたが、気丈にも黎子を睨み返した。
「最初は『助けなきゃ』って思ったわよ。でも、藻掻きながら隆生の名を呼ぶ黎子を見て、このまま死んでしまえばいい、って本気で思ったのよ」
『お望み通り、泳げない私は水に沈んで呆気なく死んだわよ。よかったわね、邪魔者の私があっさり消えて。――それで、どう? 何か変わったのかしら? 隆生の気持ちはユキの方へ向いた?』
 黎子の唇が妖艶に弧を描く。ユキに向けられた笑みは、嘲笑以外の何ものでもなかった。
 ユキが悔しそうに唇を噛み締める。
 押し黙ったユキを見て、黎子は満足そうに笑った。
『本当に浅はかな女ね。私が消えたところで、隆生の心がユキのものになるわけじゃないのに。私を殺したことで、あなたが得たものは何もない。そう何一つないのよ。骨折り損だったわね。いい気味だわ』
「死んでまで、あたしを……コケにするのね」
『当然でしょう。今の私を見なさいよ。あなたが憎い一心で化け物になった私を! あなたが私の生命を強奪したせいで、私は成仏することも死んだこの池を離れることもできなくなってしまったのよ』
 黎子の眦が険しく吊り上げる。
『ユキのせいで、私は……隆生にこんな醜い姿を晒す羽目になったのよ』
 黎子の眼差しが、ふと隆生に向けられる。
 彼女の顔に、哀切と愛しさの相俟った微笑が浮かんだ。
「黎子……オレが悪かった。だから、ユキを恨むのは――」
『隆生に謝罪されても困るわ。隆生には何の恨みもないもの……。それに、ユキが私を殺したという事実は変わらないのよ』
 黎子が哀しげに瞼を伏せ、隆生から顔を背ける。
 次に彼女が目を開けた時、そこには溢れんばかりの憎悪が漲っていた。鋭利な視線が再びユキの上に据えられる。
『どうしても許せないの。ユキだけは許すことができない。この一年間、ずっとユキを恨んできた。そうして私は、怨念を糧に復讐の力を手に入れたのよ。この池に棲む水虎たちよりも遙かに強力な力を……! 私はユキに復讐しなければならないのよ。ユキが私にした行為は、絶対に許されるべきものではないわ!』
 黎子が憤怒の形相で、片手をユキに向けて突き出す。
 その動作に呼応するように、黎子の周囲の水面が激しく波立ち始めた。
 それを見て、美人がゆるりと動いた。
「古市さんのしたことは、もちろん許されるべきことではありません。彼女は、しかるべき裁きを受けることになるでしょう。佐渡さんが手を下さなくても法が裁きを下します。ですから、どうかその怨念を鎮めて下さい」
 美人は雷師を片手に前に進み出た。
 黎子が不思議そうに美人を見返す。
『あなた、誰?』
「数日前、あなたに引っ張られた者です。あなたは僕に助けを求めましたね? 怨念から解放されたい、と僕に訴えたでしょう?」
 美人が穏やかな微笑みを返す。
 黎子はしばし逡巡するように眉をひそめた。
『……そうよ。怒りに囚われた、この苦しみから解き放たれたいわ。でも、自分ではどうしようもないのよ! 私の力は水神池の神氣を得て、自分でもどうにもならないほど膨れ上がってしまったのよ。この恨みは、ユキを殺すまで晴れることはないの! 私はユキを殺すためだけに、怨霊と化したのだから!』
 黎子が痛切な叫びをあげる。
 同時に、黎子の両側で水柱が勢いよく噴き上がった。
「いいえ。決して怨念だけではないはずです。あなたは和泉君への愛情を断ち切れずに、この世に未練を残したはずです。怒りよりも、和泉君への愛情を思い出して下さい。優しい気持ちを思い出して下さい」
 美人の諭すような言葉は続く。
「あなただって、怒りに支配されたくはないはずです。古市さんを殺しても、何も変わらないことを頭のどこかで理解している。だから、僕や真野さんに助けを求めたのでしょう」
『でも、無理よ。そんなのは無理。ユキを目の前にして、怒りを捨てられるわけがないわ。私は生命を奪われたのよ。もっと長く続くかもしれなかった私の未来を――人生そのものを奪われたのよ! どう足掻いても私はもう、人として生きることはできないのよ!』
 黎子の口から絶叫が迸る。
 怒りに身を任せた彼女の双眸は、禍々しく邪悪な光を湛えていた。
『私の全てがユキを殺せと告げるのよ。溺れ、水中で藻掻いた苦しみ。友人だと思っていた相手に突き飛ばされ、助けてもらえなかった時の衝撃。水底に沈みながら生命をじわじわと削られていく苦痛。怒り、悔しさ、絶望――二度と隆生に逢えなくなる恐怖。その全てをユキにも味わわせてやるのよ!』
 伸ばされていた黎子の片手が乱暴にはね上がる。
 途端、彼女の両脇に噴き出していた水柱が生を得たように動き出した。
 螺旋を描きながら、水柱がユキ目がけて突進し始める。
 池の水面が、嵐に見舞われた海原のように大きくうねった。
 隆生が咄嗟にユキに手を伸ばす。しかし、その手がユキに届くことはなかった。その前にユキの身体は渦巻く水に呑まれ、成す術もなく池の中央へと引き寄せられていったのだ。
「隆生、早く上がれ!」
 零治は慌てて池に飛び込み、呆気にとられている隆生を強引に岸へと引き上げた。
 ユキは水中で藻掻いている。何か泣き叫んでいるようだが、その声は激しい水音に掻き消されて聞き取れない。
 荒れ狂う池の中、黎子は泰然とユキを眺めている。
 そしてもう一人――有馬美人の姿もまだ池中にあった。彼は至極落ち着いた様子で、黎子を見つめている。その両手が、雷師を天へと向けて差し出した。
「古より流るる覡の血において願い請う。天より降り、この身に依りて、我に力を貸したまえ」
 朗々とした言霊が紡がれる。
 その声は、不思議と水音よりも明瞭に零治の耳に届いた。
「清水に宿る貴き神霊よ。水面に静謐をもたらす水神――沫那芸神(あわなぎのかみ)よ。勧請白す」
 神降ろしが始まったのだ、と零治が察した時には、天空から迸った一筋の光が美人の全身を包み込んでいた。



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2009.08.08 / Top↑
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