FC2ブログ
管理画面
ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Sat
2009.08.08[09:30]
 跋



 東の山から昇る朝陽が、世界を照らし始めていた。
 早朝の山は清々しい空気に満ちている。
 夜明けを迎えた水神池の畔に、朗々とした祝詞が響いていた。
 有馬美人は池に向かって、かれこれ十分以上も祝詞を奏上し続けている。
 不意に、その声が途切れた。
 曽父江零治は祝詞の終わりを察し、瞑っていた目を開いた。
 零治の両隣で、和泉隆生と真野翠も瞼を開く。
 美人が手にした玉串を持って、池の淵へと進み出た。
 右手で玉串の根元を上から持ち、左手で穂先の方を下から支えている。穂先の方をやや高くして胸の前に捧げると、軽く御辞儀し、改まった様子で一歩踏み出した。紙垂のついた玉串を右へ九十度回し、穂先を池へ向けるとしばし瞼を閉じた。祈念しているだろう。
 祈念を終えると、右手を玉串の中央に添えて再び右へ九十度回し、そこから更にもう九十度回した。
 玉串の根元が水神池へ向いたところで、美人は静かに屈み込みそれを水面へと置いた。
 立ち上がり、両手を合わせて二度拝礼する。音を立てずに柏手を二つ打ち、また一拝する。最後に一揖すると、美人は脇に退いた。
 美人が目顔で零治を促す。
 零治は見様見真似で、同じように玉串を池に捧げた。
 隆生と翠が後に続く。
「二度と女遊びはしません」
 玉串礼拝が終わった直後、隆生は慌てたようにもう一度池に向かって柏手を打った。
「そろそろ――警察が来る頃かしら?」
 漫然と池を眺めながら、翠がポツリと独り言ちる。
 水神池の周囲には『立入禁止』を明示する警察のテープが張り巡らされている。そのテープを無視して、零治たちは黎子を供養するために池へとやって来たのだ。
 昨夜、水神池から救出した後も、古市ユキの意識が戻ることはなかった。あまりの恐怖と衝撃に、自ら意識を閉ざしてしまったのかもしれない……。
 ユキの身を案じた零治たちは、黎子の遺体が発見されたことと併せて警察に連絡を入れた。無論、水虎や黎子の怨霊など不都合な事柄を省いての通報だ。
 事情を聞いて、警察はすぐに別荘に駆けつけてきた。
 ユキが過って池に転落し、それを助けるために池に飛び込んだら、偶然見つけた横穴に黎子の遺体があった――という、何とも杜撰な報告だったが、ともかく警察は動いてくれた。
 一年間、隈無く捜査したにもかかわらず杳として行方の知れなかった佐渡黎子発見の報せに、警察も色めき立ったのだろう。警察の対応は驚くほど迅速だった。
 深夜の別荘は俄に騒然となった。
 まずユキがヘリコプターで八王子の病院へ運ばれ、次に鑑識の終わった黎子の遺体が同じくヘリコプターで管轄署に運ばれていった。
 その間、零治たちは警察の事情聴取を受けた。
 要点を思いっ切り省略した零治たちの証言に、警察は頻りに首を捻り、半ば諦めたように今日改めて事情聴取を行うことを言い渡した。
 通報を受けたのが真夜中だということもあり、水神池の綿密な調査も今日に持ち越された。
 鑑識の結果、黎子の遺体は屍蝋化していたことが判明した。
 死体が長時間、水中や湿地帯の中にあった場合、脂肪が分解して脂肪酸になり、それが水中のマグネシウムやカルシウムと結合して石鹸状になるのだという。
 黎子の遺体が艶々と輝き、蝋人形のように見えたのは、屍蝋化のせいだったのだ。
「今日はたっぷりと絞られるでしょうね。夜中の僕たちの証言は、酷かったですから」
 神妙な顔で美人が告げる。
「今、見つかったら、もっと怒られるだろうな」
 零治は別荘のある方角に視線を馳せ、肩を竦めた。
 別荘には数人の警察官が残留している。その目をかいくぐって黎子の供養を決行したのだ。
 零治たちは、黎子の供養を急いでいた。本格的に警察が別荘に乗り込んできて、詳しい聴取を始める前に、どうしても終えておきたかったのだ。
「今日は、わたしの知る限りのことを全て警察に話すわ。ユキが目醒めたら、わたしが全てを告白した、と伝えて下さい。お願いします」
 ふと翠が美人を見つめ、静かに呟いた。
「真実を証言して、罪を償ってきます。迷惑をかけて、ごめんなさい」
 深々と頭を下げた後、翠は皆の視線を避けるように背を返した。
 零治は、その華奢な後ろ姿を黙って見つめていた。
 未成年の偽証にどんな罰が与えられるのか、零治は知らない。それ以外にも、犯人隠匿や死体遺棄など他の罪も付け加えられる可能性だってある。
 とにかく、真野翠が警察に連行されることだけは間違いなかった。
 翠は自分の犯した罪と正面から向き合い、それを背負って生きていこうとようやく決心したのだ。
 零治たちには彼女の行く末を見守ることしかできない。
「有馬くん」
 数歩進んだところで、翠は急に足を止めた。
 長い黒髪を翻して、こちらを顧みる。躊躇いがちな視線が美人に注がれた。
「有馬くん、わたし……わたしね――」
「何ですか?」
 美人が不思議そうに首を傾げる。
 ほんの短い間、翠は逡巡するように宙に視線を彷徨わせた。
「ううん、何でもないわ」
 その視線が美人に戻された時、翠の顔には苦々しげな微笑が浮かんでいた。まるで『馬鹿なことを考えた』と己を嘲笑うように……。
 翠は一つ深呼吸すると、改めて美人を見つめた。
 ぎこちない笑みを美人に贈り、彼女は別れを告げるように一歩後ずさる。
「真野さん。長い夏休みが終わったら、また逢いましょう」
 美人が限りなく優しい声で告げる。
 幼なじみの顔に笑みが広がるのを、零治は信じられない思いで見つめていた。美人が他人に対して心からの笑顔を見せるなんて稀有なことだ。
 真野翠が聖華学園に戻ってくることは有り得ないだろう。
 罪を償い終え、社会復帰したとしても、佐渡黎子失踪事件についての様々な噂と、黎子を見殺しにした自分に対する非難の声が飛び交うだろう学園に、翠が戻ってくることは到底不可能だと思えた。
 それが解っているのに、敢えて美人は『また逢おう』と彼女に告げた。
 戻ってきた時には、また逢おう。
 少なくとも自分や零治や隆生は、翠の帰りを待っている。帰ってくる場所は在るのだ、と――
「有馬くん……」
 翠が驚いたように目を瞠る。
 今にも泣き出しそうなほど瞳を潤ませながら、彼女は何度も何度も頷いた。
「ええ、また逢いましょう。帰って来たら、わたし、有馬くんに伝えたいことがあるの。今は無理だけど、その時なら言えるような気がするわ」
「じゃあ、その時を楽しみに待っています」
「ありがとう」
 翠の満面に華のような笑顔が咲く。
 彼女はその双眸から涙が零れ落ちる前に、素早く身を反転させた。
 彼女が振り返ることは、それきりなかった。
 しっかりと顔を上げ、背筋を伸ばし、彼女は前へ前へと歩いてゆく。
 その後ろ姿は妙に清々しく、凛然としていた。
 翠の姿が森へ消えてゆくのを見届けてから、零治は水神池に視線を馳せた。
 水の神が棲むという池は、穏やかな水面を見せている。
 烈しい愛憎に身も心も委ねた少女の怨念から解き放たれ、水はいつにも増して澄んでいるように感じられた。


 清らかな水面が朝陽を受けて眩く輝く。
 新しい朝に相応しく、水神池は黄金色に煌めいていた。



                                 《了》



ビジンに惚れる女の子って悉く不幸せな気が……(滝汗)
最後までお付き合い下さり、ありがとうございました(*^▽^*)

 にほんブログ村 小説ブログへ  
→ BACK

ブログパーツ
スポンサーサイト



 
Category * 水幻灯
編集[管理者用] このページのトップへ

 

 
Copyright © 2020 言葉のさざなみ, all rights reserved.