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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Wed
2009.08.12[22:59]
     *


 生い茂る草木を掻き分けるようにして、莉緒は森を進んだ。
 陽が完全に落ちたために、森の中はひどく昏い。
 だが、幼少の頃からここで遊び、森を知り尽くしている瑞穂には、多少の闇など障害にはならないらしい。彼女は苦しげに言葉を紡ぎながら、しかし的確に莉緒を森の奥へと導いていった。
 瑞穂が隠れ場所として選んだのは、森と山との境界だった。
 森の奥は、ちょっとした岩場になっていた。
 ゴツゴツとした巨大な岩が、あちこちに点在している。その岩の合間を縫うようにして、山から降りてきた清流が走っていた。
 莉緒は岩の一つに瑞穂の身を預けると、湧き水が流れる小川へと走った。
 両手で水を掬い、慎重に引き返す。
 瑞穂は苦痛に顔を歪めながらも、ジャージの裾で丁寧に日本刀を磨いていた。刃に付着したアーサーの血液を拭い取っているのだ。
「水よ。呑んで」
 莉緒は瑞穂の傍に膝をつくと、両手を差し出した。
 小さく『ありがとう』と呟き、瑞穂は水を啜った。
 アーサーの返り血を浴びた顔が痛々しい。つと視線を降下させると、忌々しい牙の痕が目についた。丸い穴からは依然として真紅の雫が滲み出している。派手に噴き出していないことだけが幸いだ。
 瑞穂の首筋をやり切れない想いで眺めていた莉緒だが、ふと奇妙なことに気がついた。
 日は暮れた。
 太陽が沈むと、山間の村は急速に暗闇に包まれる。
 なのに、瑞穂の蒼白な顔や血の色まで見て取れるのはどうしてだろう――そんな疑問が生じた。
 莉緒は不思議に思い、注意深く辺りを窺った。
 ひしめく木々の隙間から夜空が見える。群青色の空には早くも幾つかの星が姿を見せていた。
 そして、東の空に月が昇っていた。
 真円を描く月が浮かんでいる。昨夜より巨大に見える月は、赤光を放っていた。降り注ぐ月明かりが、森を照らしているのだ。
 鮮血に彩られたような満月。
 伝説の紅い月。
 真紅の輝きは、吸血鬼としての本性を露わにしたアーサーの双眸を想起させる。
「やっぱり……仕留めておけばよかった」
 瑞穂が押し殺した声音で呟く。
 月を見上げた彼女の顔には、強い自責と後悔の念が浮かび上がっていた。
「どうやって? 完全に消滅させる方法は、誰も知らないんでしょう」
 莉緒が渋面で告げると、瑞穂は力無く頷いた。
 天から顔を背け、頭を岩に預ける。
「アーサーは、本当に吸血鬼なの?」
 莉緒は制服のポケットからハンカチを取り出すと、瑞穂の傷口にそっと押し当てた。頸部の止血方法など知らないが、気休めでも何かせずにはいられなかった。
「人間の生き血を啜る怪物を吸血鬼と呼ぶのなら、あいつは紛れもなく吸血鬼だよ」
 忌々しげに瑞穂が吐き捨てる。
「でも、あの時はまだ太陽が出ていたわ。普通、吸血鬼って夜行性なんじゃない? 太陽の光を浴びると滅びたりするでしょう」
「さあ……。それは映画や小説の中の設定じゃないか? あいつは白昼でも堂々と出歩いてる。村に彷徨い着いた時だって、初めのうちは誰の血も啜らず、村人たちと一緒に畑仕事をこなしてたって話だし」
「血を吸わなくても生きていけるし、太陽の下でも生活できるの?」
 莉緒の知る吸血鬼――ドラキュラ伯爵を筆頭とする小説や映画の中の吸血鬼たちは、十字架や聖水を畏れ、陽の光を浴びると灰燼に帰したりするものだ。
 だが、緋月村の吸血鬼は違うらしい。
 日中も眠らず、太陽を畏れず、尚かつ不死身に近い肉体を持っているとすれば、アーサーに死角はない。
 村人たちが彼を滅ぼせなかったことにも合点がゆく。
「あいつがどこの国で生まれ、いつあんな怪物に変貌したのか知らないけど、もしかしたら……歳を経ると血を大量に吸わなくても生きていけるし、太陽の輝きも平気になるのかもね。とにかく、アーサーには光も十字架も銀の銃弾もニンニクも――効かない」
 皮肉げに唇を歪め、瑞穂は瞼を伏せた。
 傷が痛むのか、眉間に深い皺が刻まれる。
「あいつは鎖国が解けた直後、西洋から日本に渡り……どこをどう巡ってかこの村に辿り着いた。当時の村人は、あいつのことを受け入れた。なのに、あいつは村人たちの好意を踏みにじった。……許せないよ」
「彼はなぜ急に残虐な殺戮者に豹変したの? 優しく温厚な性格だったのよね」
「知らない。……あたしの勝手な推測だけど、紅い月が血を連想させるんじゃないか。あいつがどれだけ歳を経た強力な吸血鬼でも、己の本質には勝てないんだと思う。紅い月が血液に対する渇望を掻き立て、あいつはそれに耐えられなくなる……。だから、村人を襲わざるを得なかった。現にあいつは、紅い月が昇る時以外は決して村を襲ったりしない」
「村の人たちが紅い月を畏れるのは、瑞穂と同じ見解だからなのね」
「あいつは世界各国を巡った挙げ句、この辺鄙な村を生涯の住処に決めたのかもしれない。当時の日本には、吸血鬼なんていう概念も言葉もなかっただろうし、山奥だから隠遁生活にはもってこいだっただろ……。村にとっては迷惑極まりない話だ。月が紅くなる度に、あいつの影に怯えて何日も過ごさなきゃいけないんだから……」
「何とか追い出す方法はないの?」
「ない。というか解らない。須要の山って、当時からあいつの隠れ家だったんだけど――」
「神社のこと?」
「違う。山に穴を掘り、地下に隠れ家を造ってたんだよ。そこに石の柩を置いてたらしい。あいつが初めて村人を大量虐殺した時、村の若者たちが果敢にもあいつに挑んだ」
「確か、須要の山に追い詰めたのよね?」
 莉緒は、母が記した書物の内容を反芻しながら相槌を打った。
 瑞穂の唇に冷たい笑みが刻まれる。
「そう。その時、あいつは柩の中に身を隠した。村人たちはあいつを追い詰めたと思って喜ぶ。――けど、十人がかりで柩を開けようとしても蓋は微動だにしなかった。更に人数を増やし、柩を地下から運び出そうとしたけど、それもできなかった……。柩はピクリとも動かない。斧や掛矢で打ち壊そうとしてもダメ。近年になって電動ドリルを使ってみたけど、全く歯が立たなかったみたいだよ」
「アーサーの不可思議な力が働いてるとしか思えないわね」
「多分ね。あいつの意志でしか柩は動かないんだと思う。あいつにとって石棺は、この世で一番安全な場所ってわけだ」
「それが須要の山の地下――って、つまり須要神社の真下? もしかして、柩を壊すことも運び出すこともできないから、土で埋めて、更にその上に神社を建立しちゃったの?」
「幕末の人たちはそうしたみたいだ。それも骨折り損だったけれど。次に紅い月が夜空に浮かんだ時、あいつは何の苦もなく地上に姿を現したんだってさ」
「今でも彼は山に住んでるの?」
「もちろん。神殿の脇にある祠から地下に降りることができる。扉には厳重に鍵がかけられてるけどね。村人たちはあいつを畏れて祠には近づかないし、あいつにとっては鍵なんて無意味なんだけど――」
 瑞穂がまた苦々しげに唇を歪める。
 アーサーは月が紅くなる時以外は、堅固な石棺の中で眠りに就いているのだろう。
 何人たりとも柩を開けることはできず、彼を殺害するどころかその姿を目にすることすら不可能。
 それを知悉しているからアーサーは安心して眠り、村人たちは地下へと続く道を知りながら決して傍に近寄らない。アーサーを滅ぼすことは無理だと諦めてしまっているのだ。
 そしてアーサーは、紅い月に触発されて目醒める度に、人間の生き血を求めて地下から這い出てくる。
 とてつもなく恐ろしい悪循環だ。
 この村では幕末の世から、こんなにもおぞましい出来事が繰り返し起こっているのだ。
 血を求める殺戮者が目醒める刻は、月だけが知っている。
 人々は夜毎天を仰ぎ、月色を確認しながら戦々恐々とした毎日を送ってきたのだろう。
 紅い月が出た途端、村人たちが閉鎖的かつ排他的な態度をとったのも今なら理解できる。彼らは襲い来るアーサーの恐怖を、余所者の莉緒にぶつけることで紛らわせようとしていたのだ。
 村長が徹底した外出禁止令を出し、全員がそれに従うのも当然だ。
 月が紅い輝きを失うまでの数日間、アーサーと出会さずに何とか乗り切ろうと、みな必死なのだ。
 歯向かって勝てる相手ではないから、息を殺して身を潜めているしか術がない。
 莉緒は昨日からの奇妙で不可解な村人たちの言動を思い起こし、唇を噛み締めた。
 ――パパもママも正しかった。
 莉津子は緋月村を訪れた際、アーサーという恐るべき存在を知ったのだろう。
 母は、愛する人を吸血鬼の毒牙から護るために、正隆を連れて村を脱出したのだ。
 両親は緋月村に蔓延る恐怖の源を知っていた。
 だから正隆は故郷に戻らなかったし、莉緒にも『緋月村には近寄るな』と厳しく告げたのだ。
 ――でも、わたしは緋月村に来てしまった。もう引き返せない。
 アーサーと対峙してしまったからには、どうにかして現状を打破し、吸血鬼の恐怖を乗り越えなければならない。
「莉緒。あたし……行くよ」
 唐突に瑞穂が宣言したので、莉緒は慌てて我に返った。
 瑞穂が荒い息を吐き出しながら双眸を開く。痛みと苦しさのせいで潤んだ瞳が莉緒に向けられた。
「もう少し休んだ方がいいわ」
「充分だ。早く要を助けないと……」
 片手でハンカチを押さえ、もう一方の手で刀を握ると、瑞穂は立ち上がろうとした。
 莉緒は咄嗟に彼女の肩を押さえた。
「助ける前に瑞穂が倒れるわ」
「月が昇ったから、祟り鎮めの儀式が始まる。要が……殺される」
「どうしてみんな、要くんが殺されるなんて思うのよ?」
「早く……神社へ。要を助けないと――」
 瑞穂が痛切な声音で主張する。
「解った。わたしが行くわ」
 莉緒は青ざめた瑞穂の顔を覗き込み、思わずそう告げていた。
「わたしが要くんを助ける。途中、誰かに瑞穂の介抱をお願いするから、ここで待っていて」
 傷ついた身体で幼なじみを護ろうとする瑞穂の心意気に胸が打たれた。
 要の身に何が起こっているのか想像もつかないが、助けられるものなら助けたい。
 莉緒にとっても要はクラスメイトだし、今、動く余力があるのは明らかに瑞穂よりも自分の方だ。
 だとすれば、瑞穂の代わりに自分が行くしかない。
「……ホントに行ってくれるのか? 要を助けてくれるのか?」
 しばし逡巡するように視線を彷徨わせた後、瑞穂は心を決めたように口を開いた。縋るような眼差しが莉緒に注がれる。
 瑞穂は自分でも解っているのだ。本当はもう、動く気力も体力も使い果たしてしまったことを……。
「行くわ。行って、要くんを助ける」
「ありがとう……。ここから山裾を北へ辿ると神栖の屋敷に出る」
「了解。その裏が須要の山ね」
 早口で確認し、莉緒は立ち上がった。
「要を……頼んだよ」
「うん。――瑞穂は一人で大丈夫?」
「大丈夫だ。あたしには……蒼月がある」
 瑞穂が微笑を湛え、刀を軽く掲げてみせる。
「もし儀式が始まっていたら、玲を探せ」
「えっ、神栖くん?」
「儀式が始まっても、玲なら助けられる。玲だけがアーサーを確実に殺せる……」
 譫言のように囁き、瑞穂は再び瞼を閉ざした。
「玲を探して。姿が見えなかったら……地下へ。書斎の脇に地下室が――」
「神栖屋敷の地下ね?」
 莉緒が確かめると、瑞穂は弱々しく頷いた。
 意識の低迷が急速に進んでいるのか、彼女の頭はそのまま前後左右に不規則に揺れた。
 なぜ玲だけがアーサーを斃すことができるのか不思議に思ったが、訊くことは躊躇われた。
 瑞穂は喋るのも億劫そうに見えるし、とにかく今は急がなければならない。
「すぐに助けを呼んでくるからね」
 莉緒は瑞穂の痛々しい姿から強引に視線を引き剥がし、踵を返した。
 負傷した友人を一人森の中に置いて行くことに罪悪感を覚える。
 だが、ここで立ち往生していても事態は悪化するだけだ。
 莉緒がこの場を離れなければ、瑞穂のために助けを呼ぶことも、要を救うこともできなくなるのだから。
 莉緒は心を鬼にして瑞穂の傍から離れると、脱兎の如く駆け出した。



文量が多くてスミマセンッ(汗)
折り返し地点は過ぎたので……8月中には完結しそうです。

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