ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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 授業終了直後の廊下は、溢れんばかりの生徒たちでごった返している。
 生徒たちの合間を縫うようにして、松本志緒は和泉田悠南と一緒に廊下を歩いていた。
 放課後に突入した途端、悠南が志緒を迎えに来たのだ。
 幼なじみに『話がある』と言われれば、無碍に断ることもできない。だが、話の中身が容易く想像できて、志緒は非常に憂鬱な気分に陥っていた。
 階段を降り、踊り場に達したところで、
「しーちゃん、婚約の件なんだけど……」
 不意に悠南が足を止めた。真摯な眼差しが志緒に向けられる。
「その話はやめようよ。志緒、今、そんなこと聞きたくなーい!」
 志緒はあからさまに曇った表情で悠南を見つめた。
 紀ノ國屋の所在が気になる今、他のことはあまり考えたくなかった。しかも、内容が『婚約の話』ときてはますます面白くない。自然と顔が強張ってしまう。
「でも、しーちゃん。僕たちは大学を卒業したら結婚するんだよ」
「志緒、そんな約束してないもん。パパたちが勝手に口約束しただけだもん」
 憮然とした声音で異議を唱える。
 途端、悠南の表情が翳りを帯びた。
「けれど、口約束だって一応約束だし……。しーちゃんだって昔『ゆーくんのお嫁さんになる』って、嬉しそうに言ってたじゃないか!」
「パパたちの口約束も、子供だった志緒の言葉も――そんなの何の拘束力もないもん。ゆーくんも、三歳の頃の話をいつまでも引き合いに出さないでよ」
「し、しーちゃん! 僕は純粋にしーちゃんのことが――」
「あっ、いっけなーい! 志緒、ママとディナーの約束してるの! 早く帰らなきゃ!」
 志緒は悠南の言葉を遮るように大声を張り上げた。
 わざとらしく腕時計に視線を落とし、慌ててみせる。
「また今度一緒に帰ろうね、ゆーくん!」
 早口で言葉を連ね、クルリと身を翻す。
「しーちゃん!」
 階段を降りようとした瞬間、背後から肩を掴まれた。
 その激しい勢いに志緒は不承不承に足を止め、ゆっくりと悠南を振り返る。
「……ごめんね、ゆーくん。志緒、ゆーくんとは結婚できないの」
 真剣な眼差しで悠南を見上げ、今の心情を嘘偽りなく告白する。
 悠南に対しては非常に申し訳ないと思うし、罪悪感が芽生える。
 だが、志緒には彼と結婚する意志は全くない。長々と誤魔化し続けるよりも、はっきり答えを明示した方がお互いのためにもなるだろう。悠南は大切な幼なじみだが、それ以上の存在としては考えられない。志緒には悠南より大切な人がいるのだから。
「やっぱり、紀ノ國屋健治のことが好きなんだね」
 悠南の双眸が眼鏡の奥で鋭利に輝く。
 肩を掴む手にも圧力が加わった。転瞬、

 ――紀ノ國屋健治が憎い!

 志緒は得体の知れぬ恐怖と不安を感じ、驚愕に目を瞠った。
「僕より紀ノ國屋のことが好きなのか?」

 ――紀ノ國屋健治をしーちゃんの前から消してやる!

 強い負の思念が志緒の脳を直撃する。
 紛れもない憎悪。凄まじい怨嗟の念だ。
「ゆーくん、怖い……」
 無意識に志緒は一歩後ずさっていた。
 この憎悪の発生源は悠南だ。
 彼の心に潜むもう一つの声が――志緒にははっきりと聴こえる。
「いやっ! 離して……離してよっ!」
 いつもの緩やかな語調を忘れ、志緒は鋭く叫んでいた。
「志緒に触らないでっ!」
 志緒は邪険に悠南の手を振り払った。悚然とした面持ちで悠南を見つめる。
「そんなに健治くんが嫌いなの?」
「しーちゃん……」
 悠南が虚を衝かれたように息を呑む。
「僕の……心を読んだんだね、しーちゃん」
「どうして、健治くんを憎むの?」
 悠南の問いかけには応えずに、志緒は震える唇で言葉を連ねた。
「しーちゃんこそ、紀ノ國屋健治の何がそんなに好きなの? 僕には解らない。理解できないよ。紀伊國屋グループの跡取りじゃなければ、何の価値もない変人だ。あんな低俗で野蛮な男――」
「健治くんのこと、悪く言わないで!」
「あんな野卑な男はしーちゃんに相応しくない! しーちゃんのことを本当に理解できるのは、僕だけなんだよ。しーちゃんの《力》のことだって、僕なら受け止めてあげられる。僕だけが理解してあげられる!」
「違うもん。健治くんだって、ちゃんと理解してくれるもん! これ以上、健治くんのことを悪く言わないで! 健治くんに意地悪なゆーくんなんて――大嫌いっ!」
 矢継ぎ早に叫び、志緒は俊敏に身を反転させた。
 悠南の追随を拒むように全速力で階段を駆け下り、玄関を目指す。
 何故だか、ひどく泣きたい気分に陥った。
 多分、悠南の心に触れてしまったからだろう。
 悠南の心が発する溢れんばかりの憎悪が、志緒の脳に――精神にも流れ込んできた。
 自分が好意を抱いている相手を憎まれ、蔑まれるのは、我慢ならない。苦痛だ。
 しかも、いつもは優しい幼なじみの悠南がそんな罵詈雑言を口にするとは、信じられなかった。
「健治くん……」
 無性に紀ノ國屋の声が聴きたくなり、志緒は走りながら携帯電話を手に取った。
 メモリーから紀ノ國屋の番号を呼び出し、発信する。
 だが、受話口から聞こえてくるのは空虚な呼び出し音だけだった……。



「松本のお嬢――」
 唐突にそう呼び止められたのは、正門を抜けた瞬間の出来事だった。
 志緒は驚いて足を止め、携帯電話を耳から離した。
「あれ、今井さ~ん! どうしたの?」
 目と鼻の先に黒ずくめの男を発見し、更なる驚愕に見舞われる。紀ノ國屋健治のボディガードを務める今井だ。
「ご無沙汰しております、お嬢。ウチのぼっちゃんは一緒ではないのですか?」
 会釈した後、今井が探るような視線を注いでくる。
「健治くん、学校に来てないも~ん」
「登校してない? 松本のお嬢。大変失礼ですが……その――昨夜はウチのぼっちゃんと一緒ではなかったのですか?」
「えっ? それ、どーゆーこと?」
「ですから、お二人は恋仲では……」
「ブーッ! 志緒と健治くん、まだ何にも進展してないも~ん。それにね、志緒、昨日は健治くんに約束すっぽかされちゃったんだから!」
 勘繰る今井の言葉を遮るようにして、志緒は言葉を連ねた。
 不意を衝かれたように、今井が目を瞠る。
 その表情が徐々に険しく――目つきが鋭利なものへと変化した。
「では、ぼっちゃんは何処へ? ま、まさか、何か良からぬことがぼっちゃんの身に……? 大変だ。すぐに会長に報告しなくては……!」
 独り言ち、今井は急に身を翻すのだ。
「あっ、待ってよ、今井さ~ん! 健治くん、家に帰ってないの?」
 志緒は慌てて今井を引き止めた。
 彼の口振りから察するに、紀ノ國屋は昨夜、自宅にも帰っていないらしい。
「ご帰宅なさったご様子は全くありません」
 今井が振り返り、思い出したように胸ポケットから手帳を取り出す。そこに何かを書き記し、乱暴に紙を千切った。
「私の携帯番号です。ぼっちゃんからの連絡、もしくは居場所の手懸かりなどが入りましたら、すぐに報せて下さい」
 紙片を志緒の手に押し込め、今井は今度こそ志緒に背を向けた。切迫した表情で駆け出し、路上に停めてあったアウディに乗り込む。
 茫然としている志緒を余所に、アウディは急発進し、瞬く間に視界から姿を消した。
 志緒はしばらく悄然とその場に佇んでいた。
 紀ノ國屋の不在に意気消沈しているせいか、的確に状況が把握できない。
「家にもいない、学校にも来てない。携帯も繋がらない――健治くん、ホントにどうしちゃったんだろう?」
 懸念と不安が入り混じった言葉が唇から滑り落ちた。


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2009.08.16 / Top↑
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