ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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 一気に室内の温度が下がる。
 窓から流れ込む外気のせいではない。
 精神的に心臓を凍てつかせるような嫌な冷たさだ。
『おぎゃあ、おぎゃあ!』
 不意に、赤ん坊の泣き声が響いた。
 同時に、教室の片隅に青白い人影が浮かび上がる。
 水柯は固唾を呑んで、忽然と出現した人影を見つめていた。
 それは、一人の少女だった。
 半透明の全身からは、青い光が陽炎のように立ち上っている。
 驚くべきことに、彼女が着用しているのは聖華学園の制服だった。
 品の良い顔立ちの少女が、じっと四人を見つめている。
 その双眸は、感情というものを一切持ち合わせていないように虚ろだった。
『おぎゃあ、おぎゃあ!』
 再び、赤ん坊の泣き声が耳をつんざく。
 水柯の目は自然と少女の胸元へ吸い寄せられた。
 少女は両手に白い布包みを抱いている。
 赤ん坊の声は、そこから聞こえていた。
「ゆ、ゆ、幽霊っ?」
 凍っていた思考回路が復活し、現状を認識した途端、水柯は身体の芯から恐怖が迫り上がってくるのを感じた。
「もしかして、水妖なのか?」
 狼狽する水柯の隣で、直杉が落ち着き払った口調で問いかける。
『わたしは水妖』
 少女――水妖は小さく頷いた。
『おぎゃあ!』
 水妖の腕の中で赤ん坊が激しく泣く。
 それをあやすように軽く揺すり、水妖は白い布に向かって微笑んだ。
 母性に満ちた優しく温かな笑顔だった。
「それは、キミの子供?」
 水妖が可憐な少女だと判明したせいか、充の声音が急に柔らかみを帯びる。
 幽霊といえども、美女にはとことん弱いらしい。
『そう、わたしの赤ちゃんよ』
 水妖は白い包みを四人の方へ差し出した。
「えっ?」
 包みの中を覗き込み、水柯は驚愕に目を瞠った。
 いるはずの――泣いているはずの赤子の姿は、どこにもなかった。
 白い産布は空洞を包んでいるにすぎないのだ。
『わたしの赤ちゃん……』
 つと、水妖の頬を涙が伝った。
 整った顔が悲しみに歪む。
『わたしの赤ちゃんは、どこなの?』
 水妖は悲嘆に暮れながら、白い包みを掲げてどんどん接近してくる。
『わたしと愛しいあの人の赤ちゃんは、どこにいるの?』
 空の産布からは、相変わらず赤ん坊の泣き声が聞こえている。
 全身の肌が粟立つほど空虚な泣き声だった。
「まっ、まさか――」
 水柯は水妖の顔を直視できずに、樹里の背後へと隠れた。
「あなたの望みって、その赤ちゃんを取り戻すことなの?」
 そうじゃなければいい、と願いながら、水柯は悲鳴に近い質問を繰り出した。
 しかし、水柯の願望とは裏腹に、水妖はいとも容易く首肯する。
 瞬時、四人の間に緊張が走った。
 正に無理難題だ。
「そ、そ、そんなの――」
 水柯の喉から掠れた声が洩れる。
「バカ、水柯。やめろ!」
 樹里が慌てて水柯の口を手で塞ごうとする。
 だが、数秒差でそれは間に合わなかった。
「無理に決まってるじゃない! だって、幽霊の赤ちゃんよ!」
 絶叫した瞬間、刻が止まった。
 決して口にしてはならない言葉だった。
 あなたの願いは叶えられない。
 水柯はそう宣言してしまったのだ。
『……嘘つき』
 水妖の涙がピタリと止まる。
 赤ん坊の泣き声も、それに合わせるようにして途絶えた。
『わたしは嘘をつかないのに、人間たちはいつもそう。平気で嘘をつく』
 水妖の全身から放出される青白い光が勢いを増した。
 また室内の空気が凍りつく。
『わたしの願いを叶えてくれるって言ったのに。嘘つき……嘘つき、嘘つき、嘘つき!』
 水妖の全身が怒りに打ち震える。
 可憐な顔が、悪鬼の表情へと変貌を遂げた。
 怒りも激しい憤懣へと変わる。
 そして深い憤りは、殺意へ――
『殺してやる』
 唸るような呪詛が水妖の唇から迸る。
 水柯は、凄絶な鬼気と憎悪を感じて無意識に後ずさった。
 恐ろしい鬼女のような姿が、水妖の本性だったのだ。
『殺してやる。殺してる。殺してやる!』
 水妖の手がズイッと伸びてくる。
「逃げろっ!」
 樹里が水柯の腕を強引に引っ張り、駆け出す。
 充と直杉も弾かれたように疾走を開始した。
 こうなっては逃げるしかない。
 水柯は半ば樹里に引きずられるような形で、美術室から廊下へと脱出した。
 直杉が俊敏に後に続く。
 だが、充が廊下へ出ようとしたところで、ドアが独りでに閉じかけた。
「うわっ!」
 充が慌ててスライディングする。
 間一髪、ドアの餌食にならずに充は廊下に転がり込んできた。
 直杉が素早く彼の腕を引っ張り上げて立たせる。
「充、二手に分かれよう。いくらか時間稼ぎになるだろう」
 矢継ぎ早に告げ、樹里が水柯の腕を掴んだまま廊下を右へと走り出す。
 北階段の方角だ。
「了解。また後でな!」
 充が威勢よく応じる。
 水柯が走りながら背後を一瞥した時には、直杉と充の姿は既に闇に溶け込んでいた。
 南階段へ向かったのだろう。
 足音だけが闇に響いていたが、それもすぐに聞こえなくなった。
「水柯、そろそろ階段だ」
 樹里に注意を促され、水柯は逃走に専念しようと心懸けた。
 しかし、どうしても水妖が気になり、階段を降りる前にもう一度後ろを振り返ってしまった。
 美術室前の廊下に、青白く輝く少女が佇んでいた。
 彼女はどちらを追うか逡巡しているらしく、左右を交互に眺めていた。
 だが、すぐに水妖は次の行動を決した。
 分裂したのだ。
 同じ顔をした少女が二人に増える。
 二人の水妖は、それぞれ別方向へと動き始めた。
「水妖が二人に増えたわよ!」
 水柯が甲高い悲鳴をあげると、樹里は一瞬足を止めた。
「あいつ、水だったな。いくらでも分裂可能か。厄介だな。時間稼ぎにもならない」
 樹里の顔に不安の翳りが射す。
「けど、とにかく逃げるしかないよな」
 口惜しげに告げ、樹里は水柯の腕を引いた。
 階段を降りる二人の背後には、青い輝きが迫りつつあった。




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2009.06.01 / Top↑
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