ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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「ありがとな」
 玲が苦痛に顔をしかめながら上体を引き起こす。
 ジャラジャラと鎖が重々しい音を立てた。
 彼は床を這うようにして、鎖が許す範囲内を鉄格子へと向かって移動する。
 鉄格子を挟んで玲までの距離はおよそ一メートル。
 莉緒は深呼吸をすると右手を口へ運び、中指の腹を糸切り歯の間に挟んだ。
 ――辛いのは、苦しいのは、血を吸われるわたしより血を吸う神栖くん。
 玲は堅く護ってきたものを放棄する道を選んだのだ。
 一線を越える決意をした。
 幼なじみを窮地から救い出すためとはいえ、それは途轍もなく大きな代償だ。
 莉緒は目を閉じると、一度きりで済むように思い切り中指に歯を突き立てた。
 指に尖痛が走る。
 ねっとりとした雫が指の腹を伝い、口腔に血の味が広がる。
 莉緒は慌てて口を開け、中指を引き抜いた。
 顔をしかめて自分の中指を眺める。
 指に刻印された歯形から真紅の玉が盛り上がっていた。血の膨らみはすぐに大きくなり、指に細い筋を造りながら流れ出す。
 莉緒は、しかめっ面のまま右手を鉄格子の隙間に突っ込んだ。
 左手で格子を掴み、筋肉が悲鳴をあげる寸前まで右手を伸ばす。
「神栖くん、届く?」
「何とか」
 玲がくぐもった声で応じ、痛みを堪えているような苦い表情で首を伸ばす。
 玲の舌先が、力を入れすぎて震える莉緒の中指に触れた。
 刹那――
「わっ!」
「つっ……!」
 莉緒と玲の声が重なった。
 莉緒は訳が解らずに目をしばたたいた。
 玲に触れられた瞬間、電流のようなものが体内を駆け巡ったのだ。
 全身の血管が騒めいている。
 身体中の血液が一気に沸騰したような錯覚を覚えた。
 それは玲も同様だったらしい。彼は床に額を押しつけ、激しく全身を戦慄かせていた。
 玲の荒い呼吸音が地下に響く。
「だ、大丈夫、神栖くん?」
「平気……だと思う。初めてだから慣れないだけだ。刺激が強すぎる」
 苦悶の声を発しながら玲はゆるりと顔を上げた。
 その端麗な顔を見て、莉緒は悚然とした。
 玲の双眸が真紅に輝いていたのだ。
 初めて知る人間の血の味に魅了され、興奮しているのだろう。
 玲の震えは、歓喜からくるものなのかもしれない。
 玲は真紅の瞳を閉ざすと、再び莉緒の指に舌を這わせた。
 莉緒から溢れ出す血液を丁寧に舐めとってゆく。その仕種は優しいが、同時に貪欲な力強さをも持ち合わせていた。
 玲は陶酔したように血を貪り続けている。
 彼の舌が動くたびに、体内から大量の血液が奪い取られていくような気がして、莉緒は思わず身震いした。
「か、神栖くん……もう止めて――」
 喘ぐように莉緒が懇願すると、玲の身体がまた大きく震えた。
 彼は、急に現実に引き戻されたようにピタリと動きを止めた。
 素早く唇を離し、莉緒から顔を背ける。
「悪い。加減が解らなくて」
 言い訳のように呟いて、玲は顔を歪めた。
 己の裡に潜む渇望を払拭するように、軽く頭を振る。
 再度莉緒に顔が向けられた時、彼の瞳は正常に戻っていた。蠱惑的な紅い輝きは消え失せ、澄んだブルーに変化している。
「ううん、わたしは平気。それより、身体は大丈夫なの?」
 いつもの玲に戻っていることに安堵し、莉緒は静かに右手を引いた。
 気遣わしげな視線を送ると、玲が苦笑を返してくる。
「何ともない。それどころか恐ろしく身体が軽い。唐突に痛みが消えたし、いつもより五感が冴えてるみたいだ」
 莉緒は、玲の背中から傷が薄れゆくのを目の当たりにした。
 凄まじい速さで肉が盛り上がり、傷口を塞ぎ、肌が再生されてゆくのだ。
 更に驚くべきことに、随所に付着していた血痕までもが肌に吸い込まれるようにして消失したのである。
 一分と経たないうちに、玲の白い肌は滑らかになっていた。かすり傷一つ見当たらない。
 怪我の完治を待ってから、玲は何気ない素振りで右手を動かした。
 途端、太い鎖が千切れ、床に落下して派手な音を立てる。
 軽く動かしただけなのに、それはいとも容易く破壊されたように見えた。
 玲は右手で左手の枷を易々と外し、次に自由になった左手で右手の枷を破砕した。両脚の枷も難無く引きちぎる。
 全ての拘束から逃れると彼は優雅に立ち上がり、ホッと息を吐いた。
 それから両手で格子を握った。
 玲が両手を左右に押し広げると、鉄格子がぐにゃりと折れ曲がる。
 超能力者によるスプーン曲げを見ているように、堅固なはずの鉄格子は呆気なく歪曲したのだ。
 玲の行く手を阻むものは何もなかった。
 彼は大きく開かれた格子の間から、悠然と牢を抜け出してきた。莉緒の傍に佇み、困惑したように首を傾げる。微苦笑が彼の顔を彩った。
「これで本物の化け物になったな。もう二度と引き返せない……。けど、自分で選んだ道だし、元々半分は化け物だったんだし――要を助けられるなら、それでいいか」
 玲は自分自身に言い聞かせるように告げると、徐に身を屈めた。
 玲の所業を茫然と眺めていた莉緒は、彼の整った顔が間近に迫ってきたところでようやく我に返った。
 莉緒が立ち上がろうとするより早く、玲の手が莉緒の右手を捕らえる。
「悪かったな。もう二度としない」
 玲が莉緒の手を口元へ運ぶ。
 中指の傷に玲の唇が触れた時、またしても莉緒の全身に震えが走った。
 痛みがあるわけではないのだが、玲に触れられると血液が騒つく。
 玲の唇が離れると、全身の戦きは止まった。
 莉緒は自分の中指をしげしげと眺め、大きく首を捻った。
 噛み切ったはずの傷口が綺麗になくなっているのだ。玲の不可思議な能力の賜物なのだろう。
「さてと、あんたの役目はこれで終わりだ。後は俺に任せて、ここで大人しくしてろよ」
 玲が床に転がっていた斧を手に取り、立ち上がる。
 素早く背を返した玲を見て、莉緒は慌てて後を追った。
 ここまで来て、置いてけぼりを喰らうなんて冗談ではない。
「待ってよ! わたしも行くわ」
「わざわざ危険な場所に戻ることはないだろ」
「あなた一人に責任を負わせたくないの。神栖くんだけに辛い想いをさせたりしたくない。だって……だって、アーサーって神栖くんのお父さんなんでしょう!」
 莉緒が思い切って言葉を口にすると、玲は立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
 彼の美しい顔には何の感情も浮かんではいなかった。ただ、アーサーと同じ蒼い瞳だけが僅かな動揺を示すように一瞬揺らめいた。
「……父親だなんて思ったことは、ただの一度もないけどな」
 抑揚のない声で玲が呟く。
 莉緒の推測は真実を突いていたらしい。
 アーサーの蒼い瞳を見た時から、薄々気がついていたことだ。
 あまりにも玲に酷似している眼差しに、もしやと疑念を抱いた。血を啜る玲の姿を見て、想像は確信へと変わった。
 玲は、アーサーと神栖蘭の間にできた子供。
 吸血鬼と人間――双方の血を引く存在なのだ。
 そうであるから、倫太郎は実の孫である玲に酷い仕打ちをするのだろう。アーサーの血を受け継ぐ玲を憎み、畏れているのだ。
「あいつか要かどっちか選べと言われたら、俺は迷わずに要をとる」
 冷徹に言葉を紡ぎ、玲は踵を返した。
 地下を出入口の方へと歩き始める。
「わたしも行くわ。最後まで見届ける」
 莉緒は玲に追いすがり、硬い口調で繰り返した。
 村人たちは、祟り鎮めの儀式を邪魔する玲を許さないかもしれない。誰もが玲の行為を非難するかもしれない。
 だから、せめて自分だけでも彼の味方でいたかった。
「もう引き返せないって言ったのは、神栖くんよ。わたしも同じ。だから、連れて行って」
「あんた、ホントにお節介だよな」
 物置スペースで玲はまた足を止めた。莉緒に向けられた顔には、苦々しい笑みが閃いている。
 それ以上は何も言わずに、彼は灯油の入ったポリタンクを二つ、斧を持っていない方の手で軽々と持ち上げた。
「それで、アーサーを斃すことができるの?」
「俺ならできる。殺す方法がないわけじゃないんだ。ただ、普通の人間はあいつの凄まじいスピードについていけないから、それを実行できないだけだ。同じ能力を宿した俺なら、あいつを捕まえることだってできるさ。その後のことは、多分あんたが思っている以上に簡単だ」
 玲の顔に不敵な笑みが刻まれる。
「問題があるとすれば一つ――あの忌々しい石の柩だ。あればかりは俺でも開けられない。力が及ばないんだ。だから、あいつが眠りから醒め、獲物を求めて柩から這い出てきたところを狙ってたのに、祖父さんに邪魔された」
「月が紅いうちならアーサーは村を徘徊してるから、その時を狙っていたのね」
「そう。前にあいつが目醒めたのは五年前。あの時、俺は無知で無力な子供だったけど、今はそうじゃない。少しは成長した。あいつとだって何とか対等に渡り合うことができるはずだ。今日だってあいつを探しに行こうとしたのに、祖父さんの奴、俺が儀式を邪魔すると危惧したんだろうな。いきなり後ろから頭を殴りつけられた」
「で、昏睡するほどの重傷を負わせ、地下牢にぶち込んだってわけね。酷い話だわ」
「祖父さんの気持ちも解らなくはないけどな……。あの人にとって俺は、村を脅かす恐ろしい化け物の息子であり、愛娘を奪った憎い男の分身なんだ。そう簡単に愛情を抱けるものじゃないんだろうさ。いつまで経っても、あの人にとって俺は孫には成り得ないんだ」
 玲の口調はさっぱりとしているが、言葉の端々に苦渋が散りばめられていた。
「さてと、無駄話してる暇はない。――そろそろ行くか、蕪木さん」
「えっ、いいの?」
 莉緒は思わず訊き返していた。玲が同行を認めてくれるとは思ってもいなかったのだ。
 玲が首だけをねじ曲げて、莉緒を顧みる。
 これから危険極まりない闘いを挑みにいくというのに、彼の蒼い双眸には悪戯っぽい輝きが灯っていた。
「最後まで見届けてくれるんだろ?」
「もちろんよ。女に二言はないわ」
 向けられた微笑に大きく頷き返し、莉緒は勢いよく床を蹴った。


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2009.08.23 / Top↑
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