ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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十二.緋い月



 猛烈な勢いで吹いていた風が止んだ。
 僅かに遅れて、後ろへ流れていた髪が本来あるべき形へと落ち着く。
 吹きつける風が無くなったのを感じて、莉緒は瞼を押し上げた。
 直後、ヒョイと身体が持ち上げられる。
 玲の手が優しく自分を地面に降ろした。
 靴の裏を通して、玉砂利の感触が伝わってくる。神社の境内に到着したのだ。
 神栖家から神社に辿り着くまで、ほんの数秒しか経過していない。
 もう二度と経験することがないだろう空中飛行に莉緒が茫然としていると、背中を軽く押し出された。
 玲が無言で祠へと歩き出す。表情は再び消し去られていた。
 冷たく輝く蒼い双眸がじっと前方を見据えている。
 祠の周囲に群がる村人たちは、玲の出現にどよめいていた。
 群衆の中に坂源二の姿はない。莉緒の後を追って山を下りたのかもしれない。それならば今頃、亮介と瑞穂に遭遇しているはずだ……。
 玲が接近するにつれ、村人たちの動揺は大きくなる。
 みな、玲の存在に驚き、戸惑っている。
 そして何より、誰もが玲を畏怖していた。怯えた眼差しを玲に注ぎ、じりじりと祠から離れ始める。
 村人たちの戦きが空気を介して莉緒にも伝わってきた。
 それほど頑なに彼らは玲を忌避し、彼に恐怖を感じているのだ。
 ただ一人――神栖倫太郎を除いて。
 村人たちが後ずさる中、倫太郎だけが傲然と祠の前に佇んでいた。杖を両手で持ち、仁王立ちしながら玲を睨み据えている。
「祟り鎮めの儀式は邪魔させんぞ」
 倫太郎が朗々とした声を張り上げる。
 彼の全身から仄暗い怒気が立ち上っているような気がして、莉緒は思わず首を竦めてしまった。
 だが、玲はあくまで無表情だ。倫太郎など視野に入っていない様子で前進を続け、その脇を通り過ぎる。
「なぜ、ここへ来た?」
 倫太郎がドンッと杖を地面に叩きつける。
 玲は渋々といった感じで足を止め、祖父に向き直った。感情を抑え込んだ美貌が冷ややかに倫太郎を見下ろす。
「あの男が恋しくなったのか? そうだろうな。おまえはあの男と同じ化け物なのだから」
 倫太郎の侮蔑に満ちた言葉が玲に突きつけられる。彼の言動には、孫に対する愛情も優しさの欠片もなかった。
「祠の中には入らせんぞ。化け物同士、結託されてはたまらんからな。さっさと帰れ!」
 倫太郎が怒声を放ち、杖を振り上げる。
「自分の孫に何てこと言うのよっ!」
 咄嗟に莉は、玲と倫太郎の間に飛び込んでいた。
 斧と刀の柄を一緒くたに握り締め、水平にして眼前に翳す。
 倫太郎の振り下ろした杖が二つ合わせた柄を直撃し、跳ね返る。
 杖は勢いよく老人の手から弾け飛んだ。
「こんな化け物は、わしの孫ではない。余所者が出過ぎた真似をするな」
 倫太郎が忌々しげに莉緒を一喝する。
 莉緒は負けじと彼を睨み返した。素早く刀を右手に持ち替え、瑞穂を真似て青眼に構える。
「一歩でも神栖くんに近づいたら、斬るわよ。村長こそ邪魔しないで。村をアーサーの魔手から救えるのは、神栖くんだけなのよ」
「玲は、あの男と同じ恐ろしい怪物――わしの蘭を殺した化け物だ。許すわけにはいかんし、勝手をさせるわけにもいかん」
 血走った双眸で玲を見据え、倫太郎は激しく孫を責め立てる。
 莉緒はハッと息を呑み、玲に視線を流した。
 蘭の名前が飛び出したことで思い出したのだ。
 五年前、玲が母親を殺害した可能性があることを。玲の味方であったはずの要が、彼を信じられなくなったほどの惨劇……。
「玲、私を殺して――五年前、母さんはそう言った。だから、殺した」
 玲が莉緒の肩を掴み、押し退けるようにして倫太郎の前に出る。
 莉緒は眩暈を覚えるほどの衝撃を受けた。玲はやはり蘭を手にかけていたのだ。
「確かに、俺はあいつの血を引く化け物だ。なあ祖父さん、あんた、大事な娘が俺と同じ化け物に変貌してしまったら、どうする?」
「な、何を馬鹿なことを……」
 倫太郎が狼狽えたように視線を宙に泳がせる。玲に圧倒されたように彼は後ずさった。
「あの日、あいつが屋敷にやって来て、俺の目の前で母さんの血を奪い――殺した。なのに、あいつが姿を消した後、母さんは生き返った。甦ったんだよ」
 玲の声が微かに震えた。蒼い双眸が瞬きもせずに倫太郎を見つめている。
「甦ったんだ、吸血鬼としてな。あいつは母さんを化け物に生まれ変わらせた。殺してくれた方が、まだマシだった。どうして、よりによって俺の目の前だったんだろうな」
 己を嘲笑うように玲は唇を吊り上げた。
 口の端から象牙のような牙がちらと覗く。
「あんたは祟り鎮めの準備に忙しくて、あいつの侵入にも気づかなかったんだろ。娘の危地を気づきもしなかったくせに、偉そうに俺ばかり責めるなよ。俺がどんな気持ちで、鬼と化した母さんを手にかけたと思ってるんだよ? 母さんがどんな想いで、俺に殺してくれと訴えたと思ってるんだよ? 好きで殺したわけじゃない。望んで死体を焼いたわけでもない。小学生だった俺に、他にどうしろって言うんだよ! 他に何か解決策があったのかよ? 母さんは吸血鬼として生きたくないから殺してくれ――って言った。だから俺は、泣く泣くそれを実行した。なあ祖父さん、俺は間違ってたのかよ?」
 堰を切ったように玲の唇から言葉が迸る。
 裡から湧き出る様々な激情が、彼の身体を小刻みに震えさせていた。
「他に正しい道があったなら、教えてくれよ? どうして俺が、実の母親を殺さなければならなかったんだよ? 祟りだ、儀式だ、生贄だ――村の男たちは自分の保身しか考えずに、さっさと須玖里から生贄を出す。そりゃ楽だろうさ。楽なのが解ってるから、みんな儀式を成功させようと躍起になる。誰もが儀式に意識を奪われ、その影で起こった惨事に気づきもしない。……誰も助けてくれなかった。あの夜、誰も母さんを助けてくれなかった。祟り鎮めの儀式なんて、クソ喰らえだ!」
 つと、玲の蒼い双眸から透明な雫が零れ落ちる。
 五年の歳月を経て、彼は心に渦巻く感情を全て吐露していた。
 五年前の夜に声を大にして叫びたかったことを、ようやく今吐き出している。
 涙を流す玲はとても痛々しく、まるで子供のようだった。
「俺は、母さんに再び死を与えてやることしかできなかった。けど、それが過ちだったとは思いたくない――認めたくない。だから口を噤んだ。なのに、あんたは執拗に俺を責め続ける。もう、たくさんだ。俺やあいつと同じ化け物としてでも、母さんを生かしておいた方がよかったのかよ?」
 玲の涙に濡れた瞳が倫太郎を射る。
 倫太郎は何も応えずに、青ざめた顔で弱々しく首を振った。
「たとえ大事な娘でも、化け物に変じてしまえば、あんたは母さんに対しても俺と同じ扱いをするんだろうさ。厳しく激しく罰するんだろう。それが解ってたから、母さんは死を望んだのかもしれない。もし本当にそうだとしたら、母さんを殺したのは――あんただ」
 玲が冷酷に吐き捨てる。
 倫太郎は氷の刃に胸を貫かれでもしたかのように片手で心臓の辺りを押さえ、顔を強張らせた。
 最早彼には孫に言い返す気力すらないようだった。
「あんたに話すことは、もう何もない」
 突き放すように告げ、玲は倫太郎から視線を引き剥がした。
 その瞳に涙はない。
 彼は凛然とした面持ちで祠に近づくと、把手に巻かれた鎖を掴んだ。無造作にそれを千切り、境内に投げ捨てる。
 莉緒は斧と日本刀を抱え直し、玲に駆け寄った。
 孫に撃沈させられた倫太郎を少々気の毒に思ったが、玲に与えられた暴力や精神的苦痛に比べれば、彼が受けたショックなど些細なものだろう。
「俺は母さんを救うことができなかった。だから、今度は必ず助けてみせる。要を死なせはしない」
 把手に手をかけ、玲が唐突に呟く。
「神栖くんなら、きっとできるわ。――さあ、行きましょう」
 莉緒は玲を励ますように微笑んでみせた。
 父親との対峙に、玲の心は少なからず掻き乱されているのだろう。複雑な感情が胸中を駆け巡っているに違いない。
 そんな玲に、莉緒は笑顔を向けてあげることしかできなかった。何もできないよりマシだと開き直り、もう一度微笑む。
 すると、ようやく玲がぎこちない笑みを返してくれた。
 ひどくゆっくりと玲が祠の扉を引き開ける。
 地下から這い上がってくる湿った、それでいて冷たい風が莉緒の頬を通り過ぎていった。
 地下へと続く階段は、数多もの蝋燭に彩られて煌々と輝いている。
 炎が不思議な陰影を創り出す狭い階段へと、莉緒は慎重に足を踏み入れた。


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2009.08.25 / Top↑
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