ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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 炎の壁がアーサーと石棺を隔てている。
「柩が……私の柩が……!」
 炎の弾けるパチパチという音に混じって、アーサーの喘ぐような声が聞こえた。
「このっ……小娘が!」
 憎々しげな叫び。
「蕪木さん!」
 玲の呼び声に、莉緒は炎に向けていた視線をゆるりと室内に彷徨わせた。
 気づかぬうちに漆黒の影が迫っていた――アーサーだ。
 莉緒は恟然と目を瞠った。
 アーサーが邪悪な牙を剥き出しにして襲いかかってくる。
 莉緒は咄嗟に手にしていた斧を持ち上げた。だが、それはアーサーの腕の一振りによって呆気なく弾き飛ばされた。
 次いで、恐ろしいほどの勢いで喉元を掴み取られる。
 アーサーの片手が容赦なく気管を圧迫した。
 ――殺される!
 莉緒は全身から冷たい汗が噴き出すのを感じた。
 しかし、死を覚悟したその瞬間、身体が宙に投げ出されていた。
「つっ……!」
 一瞬後には背が何かに激突し、鋭い痛みが全身を駆け抜けた。
 衝撃に息が詰まる。
 同時に、骨の軋むような不快な音が響いた。
 瞼の裏で火花が散る。
 腹部に新たな激痛が走った。
 痛みに呻きが洩れる。
 何かに衝突したことで、あばら骨が数本折れたようだ。
 冷や汗が一気に脂汗へと変化した。
 激しい痛みに意識が遠のきかけたが、莉緒は気力を振り絞ってそれに耐えた。
 ぼやけた視界の中に、黒き影を発見したからだ。
 アーサーが再び襲撃してくる。
 莉緒は攻撃から逃れようと反射的に身を捩った。脇腹に強い痛みが生じ、双眸から涙が溢れ出す。
 ――逃げられない……!
 莉緒は、汗と涙にまみれた顔を恐怖に引きつらせた。
 アーサーの長身が迫っている。ナイフのように研ぎ澄まされた爪が間近で閃く。
 だが、それは莉緒の髪を一束さらっていっただけに留まった。
 莉緒の顔を抉る直前、アーサーの身体は勢いよく後ろに仰け反ったのだ。
 玲がアーサーの背後に立ち、その肩を片手で掴んでいた。
「怒りに我を忘れるなんて、馬鹿だな。――あんたの負けだ」
 酷薄に宣言し、玲はアーサーを力任せに引き倒した。
 仰向けに床に叩きつけられたアーサーの上に、玲が素早く馬乗りになる。
 玲の両手が日本刀を翳した。
 アーサーが反撃するよりも早く、玲は刀を振り下ろしていた。
 刀がアーサーの左胸を――心臓を直撃する。
 派手に血が潮を噴いた。
「ぐおぉぉっっ!」
 アーサーの秀麗な顔が苦悶に歪み、口から絶叫が迸る。
 玲は、冷徹な眼差しでアーサーを見下ろしていた。
 突き刺した刀を更に深々とアーサーの肉体にめり込ませる。
 玲の白い頬に真紅の血飛沫が飛び散った。
 玲の超人的な能力が働いているのか刀はアーサーの身体を貫通し、折れることなく石の床にまで達した。
 刀で床に縫いつけられたアーサーの背が大きく反り返る。
 それを玲の片手が強引にねじ伏せた。
 また血の飛沫が上がる。
「要を助ける方法を教えろ」
 玲が気迫の籠もった声で訊ねる。
 その一言で、莉緒ははたと我に返った。
 ――そうだ。要くんを助けなければ。
 投げつけられた時に打った後頭部がズキズキと病み、脇腹が悲鳴をあげる。
 莉緒はそれらに負けじと身を起こした。支えるものを求めて動かした手が、硬い木材のようなものに触れる。そこで、自分が衝突したものの正体を知った――安楽椅子だ。
「動かない方がいい」
 玲がちらと莉緒を一瞥する。
 簡素な忠告を放つと、彼はまたアーサーに視線を戻した。
「要を助ける方法を言えよ」
「知らないね」
 刀で串刺しにされたままアーサーが応じる。
 乱れた金髪から覗く双眸は、蒼色に戻っていた。冷光を宿す瞳は挑戦的に玲を見上げている。彼の口元には、窮地に陥っているとは思えない涼やかな笑みが刻まれていた。
「知ってるはずだ。さっさと言えよ」
「知らないものは知らない。私を殺したいなら、早く殺すがいい。この世にさほど未練はないし、生に執着するような歳でもないからね。それに、私が死んでも玲が残る。この村は血の呪縛からは逃れられない。君が新たな殺戮者として君臨するだけだ」
「おまえと一緒にするな。つまらないこと言ってないで、要を救う方法を教えろよ」
「来るのが遅かった――と言っただろう。もう手遅れだ」
 胸から血を溢れさせながらアーサーが平然と告げる。彼は抹殺されることに危機感を抱いてもいなければ、怪我を負っている痛みも感じていないようだった。
「何か……術はあるはずだ」
 喉の奥から振り絞ったような玲の声。
 それにアーサーの哄笑が被さった。
「ないね。人として助けたいというのなら、術など一つもない。けれど、どんな形であれ生命を長らえさせたいというのならば、たった一つだけ方法がある――私たちの同胞として彼を迎え入れてあげることだ」
 玲を嘲笑うようにアーサーは甲高い声で告げる。
 瞬時、玲の双眸が大きく見開かれ、頬の辺りが引きつった。
「ふざけるなっ! 要を俺たちみたいな化け物にしろっていうのかよっ!?」
「それしか方法はない。簡単なことだ。私が蘭にしたことを、君が彼にしてあげればいい」
「要を吸血鬼にするなんて冗談じゃない!」
 やにわに玲は日本刀から手を離し、立ち上がった。怒りに頬を紅潮させ、憤然と背を返す。
 アーサーは最早逃げる気もないのか、愉快そうに玲の姿を見つめていた。
「神栖くん、何を……」
 莉緒は安楽椅子にぐったりと凭れかかったまま、目だけで玲を追った。
 彼は部屋の隅まで進むと、そこに転がっていた斧を手に取った。更に残る一つのポリタンクを拾い、アーサーの元へと引き返してくる。
「僅かでもあんたに期待した俺が馬鹿だった」
 ポリタンクを床に落とし、玲が忌まわしげに吐き捨てる。
 彼は斧を構えると、顔から一切の感情を消し去った。
 間髪入れずに、アーサー目がけて斧が振り下ろされる。
「ひっ……!」
 莉緒は恐怖に悲鳴をあげ、目を瞠った。
 斧の鋭い刃がアーサーの首に的確に打ち下ろされたのだ。
 ただの一撃で、アーサーの頭部は胴体から切り離された。
 アーサーの狂ったような笑いが耳をつんざく。
「あの少年を救う術はそれしかない。彼が欲しいなら永遠の生命を与えてあげるといい、玲」
 恐ろしいことにアーサーはまだ生きていた。
 切り離された胴と首――両方の切断面から噴水のように血が溢れているというのに、彼は生きて動いていた。唇は優雅に弧を描き、双眸はしっかりと瞬きを繰り返している。
 驚異的――というよりも、身の毛のよだつほど強靱な生命力だった。
「要をこんな化け物にしろっていうのかよっ!」
 アーサーの笑いを打ち消すように、玲が絶叫する。
 彼の瞳からは涙が流れ落ちていた。
「与えてあげるがいい」
「そんなことをすれば、たとえ助かったとしても――要は俺を恨む。生きている限り俺を憎み続ける。俺には、とても耐えられない!」
 玲は喚き散らしながらポリタンクを持ち上げた。
 荒々しく蓋をもぎ取り、分断されたアーサーの身体に灯油を振りまき始める。
「要を俺と同じものに変貌させるなんて……耐えられない」
 空になったポリタンクを投げ捨てると、玲は血の滲むような呟きを発しながら莉緒の傍へ歩み寄ってきた。
 何をするのかと莉緒が訝しく思った瞬間、椅子ごと身体を持ち上げられた。
 玲は軽々と椅子を両手に持ち、要が倒れている辺りへと運んだ。ひどく丁寧に、椅子が要の脇に置かれる。
「死なせたくない。けど、どうすればいいんだよ? あいつの言う通り、方法はそれしかないのかよ」
 玲の苦悩に満ちた眼差しが、死にかけている要に注がれる。
 苦々しい独白を落とした後、彼は強引に要から視線を引き剥がした。
 玲が近くの石柱へと足を運び、手を伸ばして頭上にある枝つき燭台を掴む。彼は力任せに燭台を石柱から剥離させた。
 蝋燭の明かりが不吉に揺れる。
 玲は葛藤に顔を歪ませたまま、アーサーの方へと引き返した。
 吸血鬼はまだ生きている。
 その頭部は微笑みを浮かべたまま玲を見つめていた。
「悩む必要はない。私が蘭にしてあげたように、生命を分け与えてあげればいい。心臓が停止する寸前まで血を啜り、それから私たちの血を彼に呑ませてあげればいいんだ」
「黙れよ。あんたの言葉なんて聞きたくない」
 アーサーの笑い混じりの声を鋭く遮ると、玲は勢いよく燭台を床に投げつけた。
 蝋燭の炎が床に零れている灯油に燃え移る。
 それは瞬く間にアーサーの身体にぶちまけられた灯油にも引火し、盛大な火柱を立てた。
 莉緒はアーサーが炎にくるまれるのを茫然と眺めていた。
 異様な光景に全身の肌が粟立つ。
 炎の中でアーサーは不敵に微笑み続けているのだ。
 彼自身が松明と化したかのように激しい炎をあげているのに、笑みを湛えている。
「あの少年を生かすも殺すも君次第だよ、玲――」
 炎の中でアーサーが囁く。
 直後、突如としてアーサーの胴体が爆発を引き起こした。
 炎の塊と化した肉片が四方八方に飛び散り、書架に激突する。
 そこからまた火の手が上がった。
 次いで、笑顔のままの頭部が破裂した。
 激しい火花が散り、火炎の玉が書物を襲う。
 飛び火した炎は、喜々として書物を焼き始めた。
 アーサーは消滅した。
 おそらく二度と復活することはないだろう。
「終わった……」
 莉緒は悄然と呟いた。
 終止符が打たれたのに、心は晴れない。
 アーサーは滅んだが、その代償として玲に呪いを残していったのだ。
 残酷な呪だ。
 要を助けるためには、玲は吸血鬼としての能力を発揮しなければならない。
 要を吸血鬼として甦らせるしか術はないのだ。
「ごめんな、要……」
 玲の哀しげな声が間近で響く。
 莉緒が緩慢な動作で首を捻ると、倒れた要の傍らに玲が跪いていた。
 要は虚ろな眼差しで宙を眺めている。全くと言っていいほど生気が感じられない。
 玲の手が要の唇に触れ、次に首筋に触れた。
「まだ生きてるのに、助けてあげられない」
 絶望に打ちひしがれた声が、玲の唇から零れ落ちる。
 尋常さを取り戻した蒼い瞳は、痛ましげに要の顔を見つめていた。
 ――死ぬ気なんだわ。
 唐突に、莉緒は悟った。
 玲は要の死を見届けた後、自らも生命を断つ覚悟を決めたのだ。
 気づけば、地下室はうねる火炎に支配されている。
 莉緒が石棺に放った火とアーサーの肉体から発生した炎は壁を埋め尽くす書物に広がり、今や部屋の殆どを真紅に染め上げていた。
 この部屋が焼け落ちるのは、時間の問題だ。
「ごめんな。蕪木さんを外に連れ出したら、すぐに戻ってくるから」
「……死なせないで」
 炎の熱気と脇腹の痛みに耐えながら、莉緒は掠れた声で告げた。
 玲が弾かれたように顔を上げ、莉緒を凝視する。
「死なせないでよ。もう……人が死ぬのを見るのは嫌なの」
 二ヶ月前、父を交通事故で失った。
 緋月村に来てから一ヶ月――瑞穂という友人の死に直面した。
 瑞穂だけではなく、この村ではたった数日間で多くの人が生命を強奪された。
 もう嫌だった。
 これ以上は勘弁してほしかった。
 要が死ぬ姿も、それに殉じて玲が滅ぶ姿も見たくはない。
「要くんを助けて。こんな村のために、二人が犠牲になることなんてないわ。……ここは狂った村よ。パパの言う通りだった。こんな村、出て行ってやるわ。神栖くんも要くんを連れて、こんな馬鹿げた村から逃げ出してよ」
「あんたまで、俺に要を化け物にしろって言うのかよ?」
 苦渋に満ちた玲の問いに対して、莉緒はゆるりと頷いてみせた。
「それでも生きてほしいの。誰かが死ぬなんて――もう嫌。親しい人なら尚更よ」
 莉緒は脇腹を片手で押さえ、苦痛に眉をひそめながら椅子から身を乗り出した。
 その瞬間、信じられないものを見た。
 要が瞬きをするの目撃したのだ。
「れ……い……」
 要の双眸に微かな生気が甦る。
 彼の震えを帯びた手がゆっくりと持ち上がり、首筋に添えられたままの玲の手をひしと掴んだ。
「死にたく……ない」
 弱々しい声で要はそう訴えた。
「昔、蘭さんと……約束した。僕は……ずっと玲の味方だ。だから、後悔しない」
 切々と告げ、要は玲の手を強く握り締める。
 玲の全身が動揺を表すように激しく震えた。
「馬鹿なこと言うなよ」
「玲……玲――」
 要はもう一方の手を玲の頭にかけると、幼なじみの顔を自分の首筋へと引き寄せた。
「玲、死にたくない」
 その一言が、玲の決意を固めたようだった。
 玲が縋るような眼差しで莉緒を見上げる。
 莉緒が痛みを堪えて頷くと、彼は泣き笑いの表情で頷き返してきた。
 玲の瞼が閉じられ、唇が要の首筋に押し当てられる。
 再び彼が目を開いた時、その双眸は真紅の輝きを放っていた。
 それを見て、莉緒は身体を椅子の背もたれへと預けた。
 胸に微かな安堵が芽生えるのと同時に脇腹が深刻な痛みを発し、意識が朦朧とし始める。
 全身が鉛を埋め込められたようにずしりと重たくなった。
 不鮮明な視界の中、玲が要の首筋から唇を離し、己の手首を噛み切る。
 そこから鮮血が迸った。
 血を流す手首が静かに要の口元へ運ばれる。
 要が玲の手首に吸いついた。
 二人の背後では、炎の波が華々しく踊り狂っている。
 ごうごうと吹き荒ぶ火焔の音を聞いているうちに、莉緒の世界は急激に暗転した――


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2009.08.28 / Top↑
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