ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
 暗闇の中に、蒔柯だけが残される。
 水柯は、映画から切り取られたワンシーンのような光景を茫然と見つめていた。
 放課後、持田が『あの事件』と呟いていたことが思い出される。
『あの事件』『あの子』とは、一体何を示唆しているのだろうか。
 持田も蒔柯も、そしておそらくは父の聡も、共通の隠し事をしている。
 水柯には、それが自分に纏わる隠蔽事項のように思えてならなかった。
 蒔柯と聡の娘――あの子とは、他ならぬ自分のことではないだろうか。
 両親は何を秘匿しているのだろう?
 一度芽生えた疑問は中々引っ込みがつかない。
 疑問は不安を呼び、不安は不信を呼ぶ。
 母に対する不信感だ。
 そこまで思考を巡らせて、水柯は身体を震わせた。
 いつの間にか、蒔柯の視線が水柯を捉えていたのだ。
 冷たい輝きを帯びた双眸が、水柯にひたと向けられている。
「どうしたの、ママ?」
 水柯は訳もなく焦燥を感じて、制服姿の母に声をかけた。
『……ママ?』
 蒔柯の顔にゆっくりと冷笑が広がる。
 水柯は無意識に後ずさっていた。
 母の全身から悪意が発せられているのを感じたのだ。
『ママ――ですって?』
 蒔柯が憤然と水柯に歩み寄ってくる。
『私は、あなたのママなんかじゃないわ。あなたは私の娘じゃないのよ』
「何を……言ってるの?」
 水柯は愕然と蒔柯を見上げた。
 恐怖と驚愕が同時に胸にを貫く。
『あなたは、私と聡さんの子供なんかじゃないの。だから、ママなんて呼ばないで』
 蒔柯の顔に激しい憎悪の色が浮かび上がる。
「――――」
 敵意を剥き出しにされて、水柯の頭は真っ白になった。
 何か誤解があるようだ。
 訂正しなければならない。
 そう強く思うのに巧く言葉が出ない。
 代わりに唇から洩れたのは、いつもハミングする唄だった。
 母なら、この唄を解ってくれると咄嗟に思ったのだ。
「これは……ママが歌ってくれた子守唄じゃないの?」
 ワンフレーズを口ずさんだ後、水柯は恐る恐る蒔柯を見上げた。
『そんな唄、知らないわ』
 蒔柯が水柯を嘲笑うようにフンと鼻を鳴らす。
 彼女は悪鬼の形相で水柯を睨めつけると、物凄い勢いで腕を伸ばしてきた。
 蒔柯の手が水柯の髪を容赦なく鷲掴む。
「痛いっ! やめて、ママッ!」
 水柯は母の豹変振りに驚き、悲鳴をあげた。
 こんな蒔柯は今まで一度も見たことがない。
 ありったけの憎しみをぶつけてくる蒔柯なんて――母の姿なんて知らない。
『あなたなんて大嫌い! 生まれてこなければよかったのよ。あの時、死んでしまえばよかったのよ。そうよ、死ねばいいのよ。あなたなんて大嫌い。嫌い嫌い、大嫌いよっ!』
 蒔柯が錯乱したように喚き、強い力で水柯の髪を前後左右に激しく引っ張り回す。
『私の前から消えてよ。だって、あなたは私の娘じゃないものっ! 愛する聡さんの娘ではあるけど、私の娘なんかじゃないのよ。私の子供じゃ……私の娘なんかじゃ――ない』
 突如として、蒔柯の双眸から紅い液体が零れ落ちる。
 水柯は悚然とそれに見入った。
 血の涙だった。
 大好きな母親が、血涙を流しながら嗚咽している。
 哀しみと痛みが胸の奥から迫り上がってきた。
 心が悲鳴をあげる。
 蒔柯が母親ではない。
 そんなことは信じられなかった。
 十七年間、自分に注がれてきた母の愛情が全て偽りだったとは思いたくない。
「じゃあ、ママは……誰なの?」
 水柯は涙に濡れた眼差しで、鬼女のような蒔柯を見つめた。
「わたしの本当の母親は誰なの?」
 震える声で問いかけると、蒔柯はたじろいだように身を引いた。
『それは、聡さんに訊いて――』
 そう言い残し、蒔柯の姿はシャボン玉が弾けるようにしてパンッと霧散した。
 白い霧が闇に掻き消される。
「ママッ!?」
 水柯は突然の出来事に驚き、慌てて辺りを見回した。
 だが、蒔柯の姿はもうどこにも見当たらない。
 水柯は涙を流したまま、しばしその場に座り込んでいた。
 心の中に昏い闇を植えつけられたような、暗鬱とした気分が水柯を支配している。
 ――わたしはママの娘じゃない。
 それでは、本当の母親は……?
 グルグルと頭の中を疑問ばかりが巡る。
 蒔柯の鬼気迫る姿が網膜に焼きついて離れない。
 あんなのは蒔柯ではない。
 自分の知る母ではない。
 これは、きっと悪い夢なんだ。
「……夢。これは、わたしの夢の世界?」
 ふと、水柯は顔を強張らせた。
 意識を失う寸前、右目から水妖の一部が体内に入り込んだ記憶が甦ってくる。
「水妖がわたしに見せた悪夢なの?」
 心理的に水柯を追い詰めようと、水妖が妖術を施したのかもしれない。
 少女姿の蒔柯も、その心理攻撃の一部だったのだろう。
「樹里……!」
 これが水妖の攻撃であると推測した途端、水柯は激しい動揺を覚えた。
 他の三人にも水妖の魔手が伸びている可能性はある。
 母親になりたがっている水妖――彼女の織りなす悪夢が全て母親に纏わるものだとすれば……。
 充や直杉はともかく、樹里だけは駄目だ。
 樹里の精神には、母に対する憎悪と恐怖が深く根づいている。
 そんな彼が、母親の幻惑に耐えられるとは思えなかった。
 樹里が壊れてしまう。
「樹里を……助けに行かなきゃ」
 水柯はショックを振り切るように、勢いよく立ち上がった。
 幻の蒔柯が口走ったことは非常に気になるが、あれは本物ではないのだから信じてはいけない、と強く己れに言い聞かせる。
 今は、樹里を助けることが先決だ。
 この悪夢の出口を見つけ、樹里の元へ急がなければならない。
「大丈夫。わたしはママの娘よ」
 心に突き刺さった棘の痛みを堪え、水柯は両の拳を堅く握り締めた。
「わたしは貴籐水柯。パパは貴籐聡、ママは貴籐蒔柯――」
 念仏のように何度も同じ言葉を唱えながら、ゆっくりと歩き始める。
 目の前には、果てしない闇が広がっていた。

     *




← NEXT
→ BACK
スポンサーサイト
2009.06.02 / Top↑
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。