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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Sat
2009.09.26[10:29]
    *

 
 食堂前の通りは大勢の人で賑わっていた。
 大通りの方へ歩を進めている者が圧倒的に多い。
 皆、レオン名物である巨大市を目指しているのだろう。
 ユージンたちと別れた後、グラディスとアナンは人の流れに逆らうようにして大通りとは反対方面に向かっていた。繁華街から少し離れた場所に宿を取っているのだ。
「グラディス、あなたも市へ行きたかったのではないですか?」
 ふと、アナンが小さく呟く。彼女はグラディスの左腕に手を添え、幾分顔を俯けていた。
「まさか。市なんて見慣れてるし、それほど興味はないよ。人混みも嫌いだしね。君こそ本当に市を観に行かなくていいのかな?」
 グラディスが訊き返すと、アナンは面を上げ、困ったように微笑した。
「私も人混みは苦手ですわ。私がいるとレイジィも心から市を楽しむことができないでしょうし。何より、私が市を観に行っても仕方がありません。何も見えないのですから」
 自嘲気味なアナンの言葉にグラディスは足を止め、軽く眉根を寄せた。
 イル・アナンは盲目なのだ。
 勘の鋭い彼女は普段自分たちと何ら変わらぬように振る舞っている。それ故に彼女が盲目だという事実を忘れがちになってしまうが、彼女の双眸は現実に何も映し出してはいないのだ。
 人の多い場所へ行けば、彼女の不安は増す。
 当然のことなのに、迂闊にも下らぬことを口走った自分が恨めしく思えてきた。
「どうしました?」
 押し黙ったグラディスを怪訝に思ったのか、アナンが小首を傾げる。
「何でもないよ。――さあ、行こうか」
 グラディスは取り繕うように微笑み、再び歩き出した。
 次の瞬間、アナンの口から小さな悲鳴が飛び出す。
 彼女の身体が大きく傾くのを見て、グラディスは反射的に彼女を抱き留めていた。
「も、申し訳ありません。誰かにぶつかってしまったようですわ」
 短い沈黙の後、アナンは慌てたように告げた。その頬が、ほんのりと赤く色づいているのが微笑ましい。
 純粋すぎる反応だ。
 いや、神殿育ちの彼女は真に純粋培養の乙女なのだろう。
 異性と密着したことなど、今まで一度として有り得なかったに違いない。
 アナンは神に遣える巫女。
 星神セラの恋人だ。
 おそらく彼女は人生の大半を神殿の奥で費やし、生身の男性と恋愛することもなく生涯を終えるのだろう。
「……いえ、こちらこそ失礼」
 グラディスは微苦笑を口の端に刻み、アナンの身体をそっと引き剥がした。
 彼女の肩にかけていた手を離しかけて、寸でのところで思い留まる。
「この通りは市へ急ぐ人々で溢れ返っているから気をつけないとね。人の波に呑まれては大変だ。不本意だろうけど、宿へ着くまでは僕から離れない方がいいよ」
 言い訳めいた台詞を吐き、グラディスは思い切ってアナンの肩を片手で抱き寄せた。
 ――これくらいなら、セラの神罰が下ることもないさ。
 そう勝手に決めつけ、驚きに目を丸めているアナンを伴って半ば強引に歩き出す。
「あ、あの、グラディス、私は――」
 アナンが身を強張らせ、非難の声をあげる。
 敢えてそれを無視して前進し続けると、やがて彼女は諦観したのか身体の力を抜き、小さな溜息を零した。
「私、今だけはあなたが殿方だと思わないことに致しますわ」
「ユージンが口うるさく言うのだけれど、僕の顔は非常に女性的らしいね。こうしていても女同士にしか見えないから大丈夫だよ」
「それもどうかと思いますけれど――」
 そこまで告げて、不意にアナンは口ごもった。
 口に合わせて歩みの方もピタリと止まる。
「どうしたの?」
「今、私を呼ぶ声がしたのですけれど……」
 グラディスが問いかけると、アナンは恥ずかしそうに通りの一角を指差した。
 見ると、幾つかの露店が軒を連ねている。
 大通りの巨大市には及ばないが、この通りにも観光客目当ての露店が出ているのだ。
 アナンの指先は立ち並ぶ露店の一つを示している。
「宝飾品店だね。何か君に選ばれたがっている物があるのかな? 近くで見てみよう」
 グラディスは逡巡せずにアナンが指し示した露店へと歩み寄った。
「嫌ですわ、宝飾品だなんて……。申し訳ありません。戻りましょう、グラディス。見ても無意味ですわ」
「君の心に響くような物なら、掘り出し物かもしれないよ。君の直感を信じよう」
 露店の前で立ち止まり、卓に並べられた商品を一眺めする。
 ありふれた物から珍しい色彩の宝石まである玉石混淆の品揃えだった。
「宝石など私には無用の物ですのに……」
 アナンが小声で呟き、顔を俯ける。その頬は羞恥と自嘲に紅く染まっていた。
 グラディスは改めてアナンを見遣り、彼女が宝飾品を何一つ身につけていない事実にようやく気がついた。
 身を飾っても自分で見ることも叶わないのだからと諦め、努めて宝石類には興味を抱かぬようにしてきたのだろう。
「君の心眼が捉えたのは、どれなのかな?」
「えっ? この辺りから光を感じますけれど」
 アナンが顔を上げ、戸惑いながらも卓へ片手を伸ばす。
 彼女の指は、所狭しと並ぶ宝石の中から迷うことなく一つの商品を選出した。
 金細工の首飾りだ。
 精緻な細工が施された黄金の台座に、深い緑色の宝石が填め込まれている。
 緑の煌めきが素晴らしく鮮やかだった。
「君の瞳と同じ緑色の宝石だよ。確かに、これは君によく似合う。君のための首飾りだね」
 グラディスは率直な感想を述べた。
 褐色の肌には黄金がよく映えるし、瞳と同じ輝きを放つ碧玉は黒髪との相性も良いだろう。
「お客さん、お目が高いね。それは南のマラカイト内海でしか採れない稀少石なんだよ。お客さんの言う通りお嬢さんによく似合ってることだし、この際贈り物にしたらどうです?」
 髭面の店主が、愛想笑いを浮かべながらグラディスの顔色を窺ってくる。
 グラディスは躊躇わずに頷いた。
「いいよ。幾ら?」
「お支払いは金貨で、それとも銀貨ですか?」
「どちらでも構わないよ」
「じゃあ、金貨四十枚ということで」
 店主が上機嫌に頬を緩ませ、片手を差し出してくる。
 グラディスは懐から金貨の入った袋を取り出すと、無造作に店主の掌に乗せた。
 袋の中には金貨が五十枚ほど入っている。ギレム領主から盗んだ宝石を換金したものだ。
「金貨四十枚だなんて――いけませんわ。ただの無駄遣いになってしまいます」
「無駄遣いじゃないよ。僕が、君にこの首飾りをつけてほしいんだ」
 硬い表情で衝動買いを窘めるアナンを、グラディスはやんわりと制した。
「僕はお金には執着しない質なんだ。そういうことだから、お釣りは要らないよ」
「そりゃあ、どうも。――って、いくらなんでも、釣りにしちゃあ多すぎないか兄さん」
 袋の中身をあらためた店主が、ギョッとしたように目を剥く。
「あんた、えらく豪勢だな。よく見たら上品な顔立ちしてるし――まさか、どこぞの国の王族ってわけじゃないよな? そういや、隣の国の王様があんたみたいな顔してなかったか? そうだ、確か肖像画で見た若き日のアルディス聖王が――」
「さあ。他人の空似だろうね。じゃあ、商談成立ってことで、首飾りは貰っていくよ」
 グラディスは店主に向かって肩を竦めてみせてから首飾りを手に取り、店を後にした。



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