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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Fri
2009.06.05[08:50]
 ――天は久遠の時を歩み続ける
   
    出逢い――そして、別れ
    誰もが必ず経験するもの

    全てはそこから始まる

    別れのない出逢いなどあるはずがない
    たとえ、それが《神》だとしても――





 地天居城――善地城


 ――リーン、リーン……。
 城の中を一人の女が歩いていた。
 歩を進める度に、両の足首に填められている金色の足輪がぶつかり合い、美しい玲瓏を響かせる。
 ――リーン、リーン……。
 女は、夜の闇のような黒髪を靡かせ、広い通路を流れるような足取りで進んでいた。
 毅然と前を見据える黄金色の双眸は崇美で高雅。
 瞳と同じ金色で統一された宝飾品は、彼女の透けるような肌の白さを際立たせている。
「――蘭麗(らんれい)様!」
 不意に名前を呼ばれて、女は足を止めた。
 蘭麗――天王を守護する七天が一人、地天の名前だ。
 女はこの城の主――《地の一族》の女王なのである。
 蘭麗は身を反転させ、駆け寄ってくる側近を無言で迎えた。
「どちらへお行きになるのですか、蘭麗様? まだ傷は完全に癒えていませんのに」
 側近頭の薙(なぎ)が心配そうな視線を蘭麗に注いでくる。
 つい先日、蘭麗は狡猾な襲撃に遭い、酷い怪我を負ったばかりなのだ。裡に秘めた神力のおかげで目覚ましい回復を見せてはいるものの、まだ完治には至っていないはずだ。
「表の庭だよ。心配することはない。いつまでも寝台に縛りつけられていては、身も心も腐ってしまう。痛みも殆どないし、身体の自由は利くのだから、気晴らしに散歩するくらいは構わないだろう?」
 蘭麗は苦笑混じりに応じる。
 負傷してからというもの、連日寝室に軟禁状態だったのだ。側近や侍女たちが自分を案じる気持ちも解るが、正直退屈だった。傷が徐々に癒え、痛みが緩和されてくると尚更だ。
 いつもでも寝台に横たわっているのは性に合わない。
 そこで、軟禁生活に辟易したした蘭麗は、侍女たちの目を掻い潜って寝所を抜け出して来たのである。
「……仕方ありませんね。ただし、城の庭からは絶対にお出にならないで下さい。あまり長い時間は駄目ですよ」
「解ってるよ。ありがとう、薙」
「華蓮(かれん)様は一緒ではないのですか?」
 ふと、薙が思い出しように訊ねてくる。
「華蓮は眠っているよ。寝かせるのに苦労した。あのお転婆娘は、母親の私の言うことなど全く聞かないのだ」
 蘭麗は再び苦笑いを浮かべた。だが、言葉の内容とは裏腹に、彼女の声音には愛しさと優しさが確かに織り込まれていた。
 華蓮というのは、蘭麗の幼い娘のことだ。
 その存在は、父親には報せてはいない。
 子供を身籠もった時に、父親に告白するのを躊躇ってしまったのだ。以来、華蓮の父親を頑なに避け続けて来たので、彼は娘のことを全く知らない。
 蘭麗に娘がいることは、この城の中だけの秘密なのだ。
「蘭麗様が元気になられたことが嬉しくて、はしゃいでいるのでしょう。王が瀕死の状態の時、『お母様、お母様!』と大泣きして寝台の傍から離れようとしなかったのですから……」
 薙が穏やかに微笑む。
 華蓮は城中の皆から愛情を注がれて、健やかに育っているのだ。
「ですが、蘭麗様――」
 ふっと、薙が表情を曇らせ、口籠もる。
 蘭麗が目顔で先を促すと、彼女は気遣わしげな表情で先を続けた。
「本当に、あの方にお報せしなくてよろしいのですか? 華蓮様のあの姿を城外の者に見られたら――ただ一目で誰の御子か解ってしまいますよ」
「ああ……いいのだよ。あれに余計な心配をさせることはない」
「それでは不公平ですわ。あの方は狡いです。何も知らずに――」
「報せなかったのは、私だよ」
「でも、蘭麗様は心の臓が弱いのに無理に出産されて……身を削ったのですよ。そのことが大きな負担となり、更に病が悪化してしまったというのに、あの方は――」
「私の病のことも誰も知らないことだよ。華蓮を生んだことについては、微塵も後悔してはいない。私は、己の身がどうなろうと――あいつの子供をこの腕に抱きたかったのだよ」
 蘭麗は薙を真っ直ぐに見据え、きっぱりと断言した。
 言葉に嘘はない。
 自分は愛する男の子を産みたかったのだ。
 ……ただ、それだけのことだ。
 未だに釈然としない面持ちを自分に向けている薙を見て、蘭麗は静かに言葉を繋いだ。
「それに、華蓮はいずれこの城の主となる――と、以前水鏡が言っていた。あれの予言は、いつでも見事に命中するからな。あいつが華蓮の存在を知ったところで、華蓮と共に生きていくことは不可能だ」
 それだけを述べると、蘭麗は優雅に身を翻した。
 当初の目的を達成させるべく廊下を進み始める。
「蘭麗様……」
 薙の悄然とした囁きが、蘭麗の背中に届く。
 蘭麗は振り向かずに、口角を微かにつり上げて笑んだ。
 淋しげな微笑に呼応するかのように、幾重にも巻かれた足首の金環が揺れる。
 リン……と、物悲しい金属音が広い回廊に谺した。



 
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Fri
2009.06.05[08:52]
 蘭麗は庭園へ出ると、ある一角を目指して迷わずに足を進めた。
 目的は、鮮やかな紅色の群生――曼珠沙華の花園だ。
 蘭麗は園の中央で歩みを止めると、咲き乱れる曼珠沙華の中に身を埋めた。
 ここは蘭麗にとって数少ない心休まる場所なのだ。
 花を通して地に触れると心地好い。大地の庇護を受けている地天だからこそ、地に身を委ねている時が一番落ち着いた。
 蘭麗は花の薫りを堪能するように大きく息を吸い込んだ。
 サーッと風が吹く。
 紅色の花びらが一斉に宙に舞った。
 ――綺麗だ。
 乱舞する花びらに思わず見入ってしまう。
 不意に、蘭麗の視界を何かがよぎった。
 瞳に鮮烈に映し出されたのは、紅の中に浮き上がる白。
 それは真っ白な花びら――いや、純白に輝く羽根だった。
「――迦羅紗(がらしゃ)?」
 蘭麗はハッと目を瞠り、背後を顧みた。
 いつの間に出現したのか、花園の中に白い翼を広げている男の姿があった。
 艶やかな白き翼にめを奪われる。
 空天・迦羅紗だ。
 天界で唯一翼を与えられた《空の一族》――生まれながらにして大空を翔ることを許された貴き天人だ。
 迦羅紗はゆっくりと蘭麗に歩み寄ってきた。
「昨日、天王様から紫姫魅の件を聞いた。重傷だと聞いたから様子を見に来たのに……思ったよりも元気そうだな?」
 迦羅紗がまじまじと蘭麗を見つめてくる。
 蘭麗は静かに彼を見上げた。二人きりで顔を合わせるのは、随分久し振りのような気がする。
「……私の様子を見るために、わざわざ善地城まで来たのか? 戦が始まるというのに暢気だな」
 紫姫魅の叛乱が天王の口から告げられたのに、一族の長たる空天が共の者も従えずに一人で出歩くなんて信じられない。蘭麗が闇討ちされたことを知っているのならば尚更だ。一人のところを紫姫魅に付け狙われる危険性があるというのに……。
「ああ。おまえが――呼んでいるような気がしてな」
「私は呼んでなどいないぞ」
 素っ気なく応じて、蘭麗はフイッと迦羅紗から視線を逸らした。
 迦羅紗が盛大な溜息を吐き出し、肩を聳やかす。
「素直じゃないな。……ところで、ソレ――そのチャラチャラしたの、何て言ったっけ?」
 迦羅紗の視線が蘭麗の顔から足元へと流れる。
 釣られるように、蘭麗も己の足に視線を移した。迦羅紗が指しているのは、蘭麗の足元を彩る幾重にも巻かれた黄金の足環のことだろう。
「特別な名などない。ただの金環だ」
「名はないのか。おまえらしいけど……。ソレの音が耳から離れないんだ。綺麗な音色だが、どことなく淋しそうで……。昔からずっと身につけてるけど、邪魔にならないか?」
「金属は好きなんだ。金属も鉱物も――みな、この大地から生まれる。地天である私とは相性がいいのだよ。おそらく、金環は死ぬまでこのままだろうな」
「物凄く鬱陶しそうだけどな」
「……もしも私の方が先に死んだら、おまえが金環を取ればいい、迦羅紗」
 蘭麗はフッと真摯な眼差しで迦羅紗を見据え、幾分挑戦的な声音で言を紡いだ。
 迦羅紗の若葉色の瞳がじっと蘭麗に注がれる。
「オレが?」
「鬱陶しいのだろう? だったら、おまえが外せばいいのだ」
「死んでからでは意味がないだろ? ――変な女だな」
 迦羅紗が苦笑混じりに告げ、再び肩を竦める。
 彼は広げていた翼を閉じると、蘭麗の隣に腰を下ろした。
 微風が二人の頬を優しく伝う。
 深紅の曼珠沙華が幻想的に舞った。

「蘭麗――」
 短い静寂の後、迦羅紗が蘭麗の頬に手を伸ばす。彼は蘭麗の顎を指で捕らえ、掬うように持ち上げた。
「……何だ?」
 蘭麗は迦羅紗の行為に怪訝な眼差しで応じた。
「白いな。いつも白いけれど、今日は特別に白い。まるで透けているようだ。このまま消えてしまいそうだな。おまえ――死期が近いんじゃないのか?」
 迦羅紗の双眸が鋭い光を湛え、スッと細められる。
 迦羅紗の唐突な言葉に、蘭麗は微かに身を震わせた。
 確かに、自分にはあと僅かしか時間が残されていない。
 ただ、何故迦羅紗がそれを感じ取ることが出来たのか、不思議でならなかった。
 迦羅紗に自分の心情をさらけ出したことは一度もなかったはずだ。病のこととて微塵も口には出していない。
 なのに、どうして《死》の闇が迫っていることを彼に察せられてしまったのだろうか……?
 考えると――胸が痛む。
 今まで蘭麗は迦羅紗に対して冷たく接してきた。
 これからの未来もそうするだろう。
 醜い嫉妬だ。
 蘭麗自身がよく理解している。
 生まれながらにして翼を与えられた者への妬心――そして、羨望。
 複雑な感情が心の裡で交錯するから迦羅紗に優しくなど出来ない。
 ――それに、私はもうすぐ死ぬのだ。
 覆しようのない未来を解っていながら、迦羅紗の愛情を受け入れたり、彼に甘えたりすることは絶対にしたくはなかった。
「馬鹿なことを言うな!」
 蘭麗は険しい表情で迦羅紗を睨めつけると、彼の手を邪険に払い除けた。
 迦羅紗の羽根を己が我欲で引き千切ってしまわぬように――




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Sat
2009.06.06[09:47]
 蘭麗が無慈悲に払った手を迦羅紗の若葉色の双眸が見つめる。
 冷淡な応対をされることに慣れているのか、迦羅紗の端整な顔からは何の感情も窺えなかった。
「……悪かった。だが、今日のおまえは――何処か変だ」
「おまえの杞憂だ。他人の心配より自分の心配をしろ!」
「オレが、おまえの身を案じてはいけないのか?」
「そうは言ってない。――まったく、闘いの前だというのに緊張感がないのだな。紫姫魅に狙われているかもしれぬのに……。そんな腑抜けた気構えだから、戦のたびに必ず怪我をするのだ、迦羅紗は」
「それは――オレの心配をしてくれているのか?」
 迦羅紗が唇に弧を描かせ、悪戯っぽい眼差しを注いでくる。
「ち、違うっ……! 私はただ、おまえの迂闊なところが嫌いなだけだ。――いや、そんなことはどうでもよい。今日は……帰ってくれないか? 身体の傷がまだ少し痛む。長く外にいると侍女たちに叱られるのだよ」
 蘭麗は迦羅紗から視線をずらし、はぐらかすように話題をすり替えた。
「……了解。これ以上は嫌われたくないからな。思ったより元気そうでよかった」
 迦羅紗が穏やかに微笑む。生命力に満ち溢れた若草色の瞳が、喜色を表すように細い三日月を作った。
 花園を通過する風が、彼の見事な白金髪を靡かせる。
 迦羅紗はしばし蘭麗を眺めた後、徐に立ち上がり、翼を広げた。
 蘭麗の眼前で穢れのない真っ白な羽根が優美に揺らめく。
「迦羅紗――」
 蘭麗は咄嗟に今にも飛び立ちそうな迦羅紗を引き止めていた。
「ん? 何だ?」
 迦羅紗がゆるりと蘭麗を振り返る。
「私に……おまえの羽根をくれないか?」
「――羽根? こんなもの何に使うんだ?」
「単純に私が持っていたいのだよ。――駄目か?」
 蘭麗は黄金色の双眸でしっかりと迦羅紗を捕らえた。
 迦羅紗の顔に驚きの色が浮かび上がる。蘭麗の唐突な申し出に呆気にとられているらしい。
「駄目じゃないけど……珍しいな。おまえがオレに頼み事をするなんて。どういう風の吹き回しだ?」
 迦羅紗が数度目をしばたたかせる。
 蘭麗が黙していると、迦羅紗は短く嘆息し、己の翼から羽根を一枚引き抜いた。蘭麗の手の中にそれをそっと握らせる。
「――死ぬなよ、蘭麗」
「迦羅紗こそ……」
 蘭麗の素っ気ない言葉に、迦羅紗は綺麗な微笑みを返してきた。
 サーッと風が吹く。
 同時に、迦羅紗の翼が華麗に羽ばたいた。
 曼珠沙華と共に白い羽根が乱舞する。
 紅い花びらが地に舞い戻ってくる頃には、迦羅紗の姿は何処にも見当たらなくなっていた。
 蘭麗は迦羅紗が去った空を仰ぎ見たまま、花園から立ち上がる。
 リーン、リーン……。
 足首の金環がぶつかり合い、澄んだ玲瓏が辺りに響く。
 ――私はおまえを裏切るのだろうか、迦羅紗?
 雲一つない蒼穹を眺め、蘭麗は眩しさに目を眇めた。
 蘭麗が決して手に入れることの出来ぬ純白の翼――大空に舞い上がる迦羅紗の姿が鮮やかに網膜に焼きついている。
 ――私はおまえが嫌いなわけではない。寧ろ……。
 胸中で呟きかけて、蘭麗はフッと自嘲の笑みを零した。
 今更告げても仕方がない。馬鹿馬鹿しくなるだけだ。
 苦しい想いや切ない気持ちを抱くのは、もうたくさんだった。
「どんなに足掻いても、迦羅紗と一緒になることは出来ぬ。私は《地》でおまえは《空》なのだから……。もう充分だ。おまえは私に華蓮を授けてくれた。あの子は、きっとおまえを愛するだろう。この身が滅んでも――私は華蓮の裡で生き続けるのだから……」
 蘭麗は愛娘の姿を想起した。
《地の一族》でありながら、その背に迦羅紗と同じ白き翼を持つ愛しい我が子。
 いつか、彼女は父親と同じように空へ飛び立つだろう。
 叶わなかった蘭麗の想いの分まで、蒼天を翔るに違いない。
 それだけが今の蘭麗にとっては救いだった。
「報われぬ想いに囚われすぎて、痺れを切らせた私……。氷天、おまえなら解ってくれるだろうか?」
 蘭麗はそっと瞳を閉ざした。
 脳裏に銀髪の艶やかな青年の姿が浮かび上がる。
「私のこの葛藤を……。禁じられた想いを胸に秘めている彩雅。双子の妹を誰よりも愛するおまえなら――」
 そっと独りごち、蘭麗はゆっくりと瞼を押し上げた。
 再び抜けるような青空が視界を埋め尽くす。
 ――愛している。
 蘭麗は迦羅紗から貰い受けた羽根を目の前に翳した。
 ――愛している、迦羅紗。
 生涯、口外することはないけれど……。
 報われぬ想いに呪縛され、身を切り刻まれる者とそれを断ち切ろうとする者。
 愛するが故に貪り合い――傷つけ合う。
 ――私は一足先に断ち切らせてもらうぞ、彩雅……。
 迦羅紗の羽根に軽く口づけると、蘭麗は激しい勢いで身を翻した。
 前を見据える黄金色の双眸は、彼女の鋼の意志を顕すように苛烈な輝きを放っていた――


     *


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Sat
2009.06.06[09:53]
 炎天居城――煌緋城


 天界の南西にその城は聳えていた。
 直径二キロ、高さ六百メートルの巨大な建造物である。
 外観は紅水晶と赤褐色の瑪瑙で装飾されており、煌びやかかつ荘厳だ。
 城自体が一つの小さな都市であり、中には《炎の一族》が五千人余り生活を営んでいる。
 一族を束ねるのは、七天が一人――炎天・綺璃(あやり)であった。


 天王から紫姫魅討伐の命が下ってから数日後――氷天・彩雅(さいが)は、煌緋城の南端に位置する廊下で所在なげに佇んでいた。
 端整な顔には、困ったような笑みが浮かんでいる。
 彩雅の隣には、一人の少年が控えていた。額の中央に水晶を填め込んでいる少年の名は――雪。彩雅の側近である。
 彩雅が困っているのは、決して雪のせいではない。廊下の先にいる紅髪の青年のせいだ。
 彩雅は、親友である炎天・綺璃に逢うために煌緋城を訪れていた。
 炎天に相応しい深紅の髪と瞳を持つ青年こそが、当の綺璃なのである。
 綺璃は、先ほどからある部屋の前で扉越しに誰かと言葉を交わしている――というよりも言い争っている……。
 綺璃が相手にしているのが誰なのか、彩雅には疾うに解っていた。
 綺璃の正妃である鞍馬(くらま)だ。
 彩雅と雪が困惑気味に見守る中、夫婦の口論は続く。
「いい加減にしろよ、鞍馬! 炎天の妻ともあろう者が、氷天が来ているのに挨拶もしないなんて……! 一体、どういう了見だっ!?」
 綺璃が怒鳴り声で扉の向こう側にいる鞍馬に呼びかける。
「わたくしは、自分の意志であなたの妻になった覚えはありませんわっ!」
 即座に、硬質的な女性の声が返ってくる。
 妻の声を聞くなり、綺璃の眉が怒りを表すように跳ね上がった。
「何を言ってるんだ、おまえはっ!?」
「……本当のことでしょう? あなたは――わたくしを愛してはいないのですから!」
「おい、ふざけるのも大概にしろよ! 俺は、彩雅が来てるから挨拶しろ、って言ってんだぞ!」
「くどいですわっ! 彩雅様には申し訳ありませんが――お逢い致しません! わたくしは今、あなたの顔を見るのが心底嫌なのです、綺璃!」
 鞍馬の声は相変わらず冷たい。頑なに綺璃を拒絶し続けている。
 綺璃がきつく眉根を寄せる。
「――ったく、勝手にしろっ!」
 怒りに任せて扉を蹴りつけようとする友人を見て、彩雅は慌てて綺璃に駆け寄った。
「綺璃――もういいから」
 綺璃の肩にそっと手を置き、宥めるように囁く。
 すると、綺璃は上げかけていた足をピタッと止め、ゆっくりと本来あるべき位置へ戻した。


「……悪いな、彩雅。最近、どうにも機嫌が悪くて――」
 綺璃は溜息混じりに言葉を吐き出す。
 妻の鞍馬は、ここのところずっと虫の居所が悪いのだ。
 祭りや宴――公式の場にすら出席しようとしない。綺璃と顔を合わせたくないらしく、食事の時間などもずらしてあからさまに夫を避け続けている。挙げ句の果てには、寝台に潜り込んだ途端、殴る蹴るはもちろん物を投げつけられて追い返される始末だ。
 鞍馬の癇癪は今に始まったことではないが、それでも新婚当初はここまで酷くはなかったはずだ。
 綺璃には鞍馬に邪険に扱われる原因が皆目解らなかった。何とか機嫌をとろうと試みるのだが、どれもこれもが全く功を奏さない。
「私は気にしてないから、鞍馬天をあまり叱らないでやってくれ」
 彩雅は、不機嫌に唇をへの字に結んでいる綺璃に向けて優しく微笑みかけた。
「彼女は私たちに比べたらまだ子供なのだし、何より先の乱の敗将――阿摩天の愛娘だ。彼女にとって、私たちは父親の仇なのだよ。中々心を開いてくれないのは当然のことだろう。そこのところを綺璃がもう少し理解してあげなければ、可哀想だ。鞍馬天には、おまえしか頼れる者がいないのだから」
「……解ってる」
 綺璃の唇からまた重苦しい溜息が洩れる。
 鞍馬は、二百年前に天王に背いた阿摩天の一人娘なのだ。
 本来ならば、父親と共に彼女も処罰されるはずだった。だが、綺璃には、まだ幼さの残る少女を見捨てることが出来なかったのだ。鞍馬を護りたい一心で天王に直訴し、一族の反対を押し切ってまで彼女を正妃に迎え入れたのである。
 後悔などしていない。
 ただ、鞍馬が自分の愛情を信じず――受け入れずにいることが、腹立たしくもあり、辛くもあるのだ。


「俺は……あいつに本気で惚れてるんだけどな」
 綺璃がボソッと呟くと、隣で彩雅が声を立てずに笑った。
「――何がおかしいんだ?」
 綺璃が怪訝な眼差しを注ぐと、彩雅はまた微笑を湛える。
「いや、おまえも結構可愛いところがあるんだな、と思って――」
「なっ、何っ!? 可愛い、だとっ!? 俺は七天が一人――炎天だぞ! それを『可愛い』だなんてっ! 俺に言わせれば、おまえの方が余ほど『可愛い』けどな、彩雅! そんな女みたいな顔をしやがって!」
 彩雅の言葉を聞いて、綺璃が盛大に喚く。彩雅の麗容をビシッと指差すが、その頬は微かに朱に染められていた。『可愛い』と言われたことに対して照れているのだ。
 彩雅は、そんな綺璃の態度にも『可愛いな』と感想を抱いたが、今度は口には出さなかった。
 ――《女みたい》とは……では、私と同じ顔をしている水鏡は女ではないのか?
 ふと、そんな疑問が芽生えたが、これも自分だけの胸に秘めておく。口外すれば、綺璃は更にムキになって突っかかってくるに違いない。
「それは、貶してるのかい? それとも、褒めるのかな?」
 彩雅は蒼い双眸に悪戯な光を閃かせ、友人の顔を覗き込んだ。
「……貶してるんだ! 本当におまえは俺を苛める時だけ愉しそうだな、彩雅。俺の思考回路なんて、とっくに知り尽くしてるくせに……!」
 彩雅と綺璃は古くからの仲だ。
 お互いの考えていることなど容易く解る。相手が次に何をし、何を喋るか――想像するのは難しくない。
 それなのに彩雅は、いつも綺璃のことをからかうのだ。綺璃の困った顔を見るのが、彩雅にはとっては非常に愉快な出来事であるらしい。
「綺璃はからかい甲斐がありす――――」
 不意に、彩雅の言葉が途切れる。
 直後、
 ガターンッッッ!!
 激しい物音が響き渡った――




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Sun
2009.06.07[08:38]

「きゃあぁぁぁぁっっっ!!」
 扉の向こう側で甲高い悲鳴があがる。
 鞍馬だ。
 彩雅と綺璃はスッと表情を引き締め、鋭い視線を扉へ浴びせた。
「鞍馬、どうしたっ!?」
 綺璃が懸念たっぷりの声音で叫ぶ。
「いやっ! 離してっっ!!」
 だが、それに対する鞍馬からの応えはない。恐怖に塗れた悲鳴が続くだけだ。
「鞍馬っっ!?」
 ガタッ、ガタンッ、と激しい物音が鳴り響く。
「――綺璃っ!」
 ようやく鞍馬が綺璃の名を呼んだ。
「助けて、綺璃っっ!!」
 先ほどの口論のことなど念頭からすっかり抜け落ちたらしく、鞍馬が縋るように綺璃の名を呼び続ける。
 それほどの大事が鞍馬の身に起こっているのだ。
「鞍馬っっ!」
 ドンッ! と、綺璃が拳で扉を叩く。
 扉の向こう側では争うような激しい物音が続き――そして、それは急に途絶えた。
 しんとした奇妙な静寂が訪れる。
「鞍馬っっ!?」
 綺璃がたまりかねたように勢いよく扉を蹴った。
 しかし、施錠された扉は意想外に堅固でビクともしない。
 綺璃が忌々しげに舌打ちを鳴らす。同時に、軽く波打つ紅い髪がゆらゆらと揺れた。
 彩雅の目には、それがまるで本物の炎のように映し出される。
 ――綺麗だ。
 こんな時に非常識だが、いつ見ても綺璃の髪は紅蓮の炎の如く鮮やかで美しかった。
 綺璃が扉の取っ手を握り締める。
 刹那、ボンッと小さな爆発が起こり、扉が吹き飛んだ。
 容易く破壊された扉の後を追うように綺璃が室内へ駆け込む。
「鞍馬っっ!?」
 綺璃の視線が愛する妻の姿を求めて室内を泳ぐ。
 残念ながら、鞍馬の姿は何処にも見当たらなかった。
 小競り合いの跡を示すように、卓や椅子が床に散乱している。
「……ちくしょう!」
 綺璃が苛立たしげに床に転がっていた花瓶を蹴飛ばす。そのまま彼は荒々しい足取りで窓辺に移動した。
 窓は大きく開け放たれ、垂れ絹がひらひらと風に揺られている。
 何者かが外部から侵入し、鞍馬を攫っていったのだ。
 綺璃は窓から外を見下ろし、何かを発見したのか険しく眦をつり上げた。
 直後、彩雅には何も告げずに、綺璃は開けっ放しの窓から飛び降りたのである。
「あっ! オイ、綺璃――!?」
 訳が解らずに、彩雅は綺璃の後に続こうとした。
 予期せずして、背後からその腕を掴まれる。
 彩雅は驚き、足を止めて振り返った。
 側近の雪が真摯な眼差しで彩雅のことを見上げていた。
「雪、何故止める? 綺璃を追わなければ――」
 彩雅が怪訝そうに雪を見返すと、彼は冷徹な表情で首を横に振るのだ。
「いけません、王」
「綺璃が心配だ!」
「王、少し冷静になって下さい。あなたらしくもありませんよ。窓の外を――」
 雪が自分の主に窓外を見るように促す。
 彩雅は、飛び降りる直前の綺璃の厳しい顔つきを思い出し、素直に雪の言葉に従った。
 綺璃のあの反応は、外の世界に何かを見出したからだろう。
 彩雅は窓から身を乗り出すようにして、外の世界に臨んだ。
 直ぐさま、視界に異物が飛び込んでくる。
 おそらく綺璃が目にしたものと同じ光景だろう。 
 煌緋城のすぐ傍に黒い霧のようなものが浮遊しているのだ。
 それを確認した途端、彩雅は秀美な顔を曇らせた。
 結界だ。
 しかも、見覚えがある。誰のものなのか――
「まさか、あれは……」
 横目で雪に視線を流し、彩雅は唸るように呟いた。
 強力な念を織り込まれて造られた結界内は、創造主に有利な空間を生み出す。
 漆黒の結界は不吉だが、何処か気高く艶めいてさえ見えた。
 彩雅の脳裏を常闇のように美しい双眸を持つ男の姿がよぎる。
 眼前に広がる黒き霧は、《彼》の瞳にあまりにも酷似しすぎていた。
「おそらく――紫姫魅天でしょう」
 彩雅の推測を代弁するように雪が渋面で告げる。
「やはり、紫姫魅か――」
 彩雅は苦々しく呟いた。心の片隅では、それを認めたくはないという作用が働いていた。
 だが、あれは紛れもなく紫姫魅が張った結界であり――鞍馬を攫ったのは彼その人なのだろう。綺璃も一目で犯人が紫姫魅だと察したから、すぐに後を追ってのだ。
 そこまで思考を巡らせて、彩雅はハッと我に返った。
「――綺璃っ!!」
 無意識に身体が窓を乗り越えようとする。
「王っ!」
 物凄い勢いで飛び出そうとした彩雅を、雪が力任せに引き戻す。
「邪魔をするな、雪!」
 彩雅は微かな怒気を孕んだ眼差しで雪を見遣った。
 綺璃を助けに行くことを阻まれる理由などないはずだ。親友の危機を放っておけるほど彩雅は薄情ではない。
「いいえ、どうあっても引きません。あなたは炎天様の友人である前に、我らが王なのですよっ!」
 雪が懇願するように彩雅を見つめる。
「そんなことは解ってる!」
「解っているのならば、一族のために思い留まって下さい! 我らは――あなたを失うわけにはいかないのです!」
「私に――綺璃を見捨てろ、と言うのか?」
「そうです」
 雪が力強く断言する。彩雅に向けられた双眸には鋭利な輝きが灯っていた。本気で述べているのだ。
「雪、何ということを……! ――嫌だ。私は綺璃を助けに行く」
 彩雅は意を翻さず、強情にも言い張った。
 雪の言わんとすることは重々承知している。
 天王の側近である紫姫魅は、強大な神力を保有する神だ。七天である綺璃や彩雅が相手でも結果は引き分け――運が悪ければこちらが敗れてしまう畏れもある。
 もしかしたら、綺璃は紫姫魅に殺められるかもしれない。
 雪は、彼を助けようとした彩雅までもが紫姫魅の毒牙にかかることを危惧しているのだ。
 貴き王の身を案じているからこそ、雪は彩雅に酷な選択を迫っている。
 一族にとって、王は不可欠な存在なのだ。
 そんなことは王である彩雅自身が誰よりも知悉している。
 だが、一族も大事だが――綺璃も大切だ。
 彩雅には綺璃を切り捨てることなど出来はしない。王としての立場から考えれば、一族が最優先だろう。だが、幼い頃よりずっと共に歩んできた綺璃に対する友愛の念は、そんなに簡単に割り切れるものではないことも確かなのだ。
「私にとって綺璃は……とても大切に存在なのだよ」
「だからといって、二人で死ぬつもりですか? 王、この場はお鎮まりを――僕なら後でどんな罰でも喜んでお受けしますから!」
 雪の切羽詰まった瞳が彩雅を射る。
 彩雅はそれを断ち切るようにかぶりを振った。
「それは聞けぬ。雪、行かせてくれ」
「王っ!? ――彩雅様、ご無礼お許しを……」
 最後の決断に雪が目を見開く。どうしても綺璃を助けると言い張る彩雅の鳩尾に、彼はただ一度だけ拳を叩き込んだ。
 彩雅は不意打ちを喰らって、小さく呻いた。激痛が身を苛む。雪の攻撃をまともに受けた彩雅は呆気なく体勢を崩し、そのまま雪にもたれかかった。
「……ゆ……き……」
 小さな囁きを残して、彩雅の首ががっくりと折れる。
 雪の目論見通り意識を手放してくれたようだ。
 雪は、重みの増した彩雅の身体をしっかりと支えた。
「お許しを、王。これがあなたと我が一族のためなのです」
 雪は哀しげな眼差しを紫姫魅の結界へと向けた。
 ――炎天様、どうかご無事で……。
 鄭重に彩雅を抱き上げると、雪は鞍馬のものと思しき寝台まで移動し、その上に主をそっと横たわらせた。
「王――彩雅様、ご安心を。あなたを悲しませたりはしません」
 雪は敬愛の眼差しを彩雅に注いだ後、額に填められている水晶に手を添え、瞼を閉ざした――


     *


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Sun
2009.06.07[08:43]
     *


 時を同じくして、炎天・綺璃は黒い霧の中で一人の男と対峙していた。
 眼前の人物を『男』と呼ぶのは、些か奇妙な感じがする。彼の見目はあまりにも美しすぎるのだ。他に類を見ないほどの美貌の持ち主だ。
 光の加減によっては深い緑にも見える、流れるような黒髪。癖のない黒髪に縁取られた頭部には、黄金細工の冠が載せられていた。冠を戴けるということは、高位の天神であることを示している。
 女性のように妖冶な麗容には、皮肉めいた微笑が浮かんでいた。闇の分身のような漆黒の双眸は、彼の冷徹さを表すように冷たい光を宿している。
 彼こそが天王に叛旗を翻した張本人――紫姫魅天である。
「久し振りだな、綺璃」
 紫姫魅が冷ややかな微笑をそのままに、静かに言葉を紡ぐ。
 容姿に見合った美しい声が、綺璃の耳をくすぐった。
「……鞍馬に何をした?」
 綺璃は炎の如き深紅の目で紫姫魅を睨めつけた。紫姫魅に対する怒りが胸中に渦巻いている。
「何もしてはいない。私の城で鄭重に預かっている。――おまえ次第だ」
 紫姫魅が緩やかな足取りで歩み寄ってくる。
「それは――どういうことだ?」
「おまえ次第だと言っているのだ」
 訝しさに眉根を寄せた綺璃に対して、紫姫魅が唇に弧を描かせる。綺璃の反応を愉しんでいるのだろう。
「何を企んでいる?」
 綺璃は間近に迫った紫姫魅の顔を正面から見据えた。
「取引だ。鞍馬天と――七天の生命のな」
 紫姫魅の酷薄な眼差しが、臆することなく綺璃の視線を受け止める。
 その氷の刃のような冷ややかさと鋭さに、綺璃は一瞬ゾッとした。背筋に嫌な緊張が走る。
 紫姫魅は『鞍馬を助けたければ、七天の誰かの首を持ってこい』と仄めかしている――いや、脅迫しているのだ。
「馬鹿な……! 俺に仲間を殺せと言うのかっ!?」
「心底、鞍馬天が大切ならばな。彩雅などは、おまえのためならその生命くらい容易く差し出してくれるのではないか?」
 紫姫魅が揶揄するように告げる。
 その言葉に、綺璃は眉を跳ね上げた。自然と怒りの炎が強さを増す。
「彩雅はそんな男ではない!」
「それは、おまえがそう思いたいだけであろう。あの美しき氷の王は、おまえと水鏡のためなら喜んで私の足許に跪くだろう。その白い首を晒し、自ら刃を当てることも厭わないだろうな」
 紫姫魅の唇からは、何かの呪の如く嘲りの言霊が紡がれる。
「そうさせたのは紛れもなく――おまえだ、綺璃」
「……黙れ」
「《友》とは、随分と便利な言葉だな。心を掻き乱す訳の解らぬものは、全てそこへ押し込んでしまえばよい。結果、彩雅を深淵の闇へと突き落とし――」
「黙れっ! 貴様の戯れ言など聞きたくはないっ!」
 綺璃は瞳に怒気を漲らせ、紫姫魅の声を荒々しく遮った。己の裡から放出される激怒に呼応し、紅い髪がゆらゆらと揺らめく。
 綺璃は紫姫魅を見据えたまま、腰に携えている剣へと手を伸ばしかけた。
「私を殺しても、鞍馬はおまえの元へは帰ってこないぞ」
 紫姫魅の一言に、ピタリと手が止まった。
「貴様っ……!」
「さあ、綺璃、どちらを選ぶ? 鞍馬の死か――それとも七天の誰かの死か?」
 紫姫魅が玲瓏たる声で、妖魔のように甘く囁く。
 綺璃は歯噛みし、しばし思考を巡らせた。
 どちらか一方を選ぶことなど到底不可能だ。
 不甲斐なさと口惜しさに、両の拳をきつく握り締める。
 まんまと紫姫魅の術中に嵌ってしまったのだ。
 悔しいことに、紫姫魅は綺璃という人物をよく把握しているらしい。
 綺璃は、妻である鞍馬を愛している。
 そして、仲間である七天のことももちろん大切に想っている。
 綺璃の彼らに対する愛情を紫姫魅は利用したのだ。
「……俺には出来ない。そのどちらとも――」
 綺璃は唇の戒めを解くと、低く唸るような声音で回答を述べた。
 瞬時、紫姫魅の双眼が鋭く輝く。
「そうか――では、おまえが死ね」
 残忍な笑みが美貌に花開く。
 紫姫魅が流麗な動作で鞘から剣を引き抜く。
 煌めく白刃を綺璃は他人事のように見つめていた。剣を取り、防御する気は元よりなかった。
 紫姫魅が綺璃の胸目がけて冷酷に剣を繰り出す。
 己の髪よりも紅き飛沫が視界を彩った――



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Sun
2009.06.07[08:48]
 紫姫魅の剣が綺璃の胸を貫いた。
 いや――そうなるはずであった。
「――――!?」
 襲い来る苦痛を覚悟していた綺璃は、予期せぬ出来事に目を瞠り、息を呑んだ。
 綺璃の目と鼻の先で、剣の切っ先が煌めいている。冴え冴えとした刀身を伝い、深紅の液体が流れ落ちていた。
 綺璃は傷一つ負っていない。
 紫姫魅も怪訝な面持ちで何かを見つめていた。
 闖入者だ。
 綺璃と紫姫魅の間に何者かが割って入ったのである。
 綺璃の眼前で銀色の髪が揺れている。
 ――彩雅!?
 咄嗟に綺璃はそう思った。だが、紫姫魅に向けられている顔は彩雅のものではない。
 まだ少年と大人の狭間を彷徨っているような、不思議な魅力を秘めた顔立ち。
《氷の一族》特有の銀髪に碧い瞳。彼の額には明澄な輝きを放つ水晶が一つ填め込まれていた――特別な貴石だ。
「……これは、これは――実に妙なところで、珍しい人物に逢えるものだな」
 少年の水晶に視点を据え、紫姫魅が意味深な冷笑を湛える。
「直に顔を合わせるのは、これが初めてかな? 《氷の一族》参謀長閣下――いや、氷天継承者・雪殿」
「お目通りできて光栄ですよ、紫姫魅様」
 少年――雪が目を逸らさずに紫姫魅の視線を受け止め、微笑を浮かべる。
 彼は肩に深々と突き刺さっている剣を掴むと、一気に引き抜いた。
 パッと傷口から鮮血が噴き出す。紫姫魅の剣の方は、驚くべきことに瞬時に凍り付き、粉々に砕け散っていた。
「次期氷天ともあろう者が、何故にこのようなところへ?」
 怯む様子もなく自分を見返す雪の姿に、紫姫魅の秀麗な眉が微かにひそめられる。
「身の危険というものを知らないようだな」
「いいえ。私は身の安全を考えたから、ここへ来たのですよ。そう、私の王の安全を――」
「なるほど。誰も彼もが彩雅の崇拝者というわけか。――まあ、よい。私はそろそろ退散させてもらうよ、綺璃。鞍馬天の生命は、おまえ次第だからな。覚えておくがいい。そして、雪――」
 紫姫魅は嘲笑と共に揶揄を唇に乗せる。彼は、雪の背後で茫然としている綺璃に冷めた一瞥を与えると、再び視線を雪へと戻した。
「おまえとはもう一度逢いたいものだな。もっとも生きてこの《結界》から出られたら、の話だが――」
 紫姫魅の美顔を冷笑が彩る。
 言い終えると同時に、彼の姿は黒い霧に溶け込むようにしてスーッと消えた。
 闇の中に、綺璃と雪だけが残される。
「お怪我はありませんか、炎天様?」
 肩の傷を片手で押さえながら、雪が綺璃を振り返る。
「あ、ああ……しかし、何故――?」
 綺璃は困惑の表情で雪を見つめた。雪には綺璃を助ける義理も所以もないはずなのだ。
「あなたに何かあると、彩雅様が哀しまれるので……」
 雪が簡素に応える。綺璃に向けられた瞳には、一瞬自嘲の光が瞬いた。
「聞いていただろ? 俺は……アレを殺すかもしれないんだぞ」
「あなたは絶対にしませんよ。我が王を手にかけることなど、炎天様には出来ないでしょう」
 雪が儚く微笑む。
「《道》を造ります」
「おまえは怪我をしてるだろ。《道》は俺が造る」
 綺璃は雪の肩に険しい視線を注いだ。
 紫姫魅の造った《結界》を抜け出すためには、神力を集結させて外界へと通じる《道》を新たに創造しなくてはならない。そのためには膨大な神力を必要とするのだ。
 雪は負傷している。肩の傷からは留まることを知らないようにドクドクと血が溢れているのだ。
 生憎、綺璃には治癒能力は備わっていない。雪を助けるためには、彼の体力を温存させ、自分が《道》を切り開くのが最善の方法だ。
「いいえ。《道》は私が――」
 しかし、綺璃の提案を雪はかぶりを振って頑なに拒絶するのである。
「――雪?」
「私は……どのみち死にますよ。紫姫魅様は用心深い方ですね。ご丁寧に、刀身に毒が塗ってあったようです。直に私の全身は毒に侵され、朽ちるでしょう」
 至極冷静な声音で告げ、雪が瞼を閉ざす。
 少年の両手に神力が集中し始めた。
「雪っ!? 駄目だ、雪っっ!!」
 綺璃は慌てて制止の声を発した。
 苦い感情が綺璃の胸を占拠する。
 彩雅が哀しむ。
 先刻、雪は綺璃にそう告げた。だがそれは、雪に対しても同じことが言えるのだ。
 彩雅がどれほど己の後継者を大切に育ててきたのか、よく知っている。
 だからこそ、雪を死なせたくない。
 死なせてはいけないのだ。
「雪っっっ!!」
 綺璃は悲鳴にも似た叫びをあげながら、雪に向かって手を伸ばした。
 ――が、その叫びは何処かへ掻き消され、指先は雪に届かなかった。
 雪の掌から眩い光が放たれる。
 白い閃光が綺璃を包み込んだ――




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Sun
2009.06.07[08:52]
 溢れるほどの光量に耐えきれず、瞼を閉ざす。
 再び瞳を開いた時、綺璃の視界に飛び込んできたのは、煌緋城の脇にある森だった。
 いつもの見慣れた景色。
 ただ、すぐ間近に傷ついた雪が倒れているだけ……。
「――雪!?」
 綺璃は少年の傍に膝を着いた。
「雪……?」
 呼びかけるが、雪からの応えはない。
 雪の身体に手を触れようとして、
「――――!?」
 綺璃は唐突に動きを止めた。
 自然と双眼に緊張の色が走る。
 ――彩雅が来る。
 馴染んだ気配がこちらへ接近している。
 友の出現を感じ取るなり、綺璃は己の剣を手に取った。
 未だ雪の肩から激しく流出している血液をべったりと刃に擦り付ける。
 ――茶番だ。
 綺璃は心の裡で自嘲すると、徐に立ち上がった。
 残された道は、たった一つしかない――
 選択肢の少なさに、また己に対する嘲笑が込み上げてくる。
 綺璃はそれらを唇を硬く引き結ぶことで強引に封じ込めると、毅然と前を見据えた。
 視線の先――空間が奇妙に捻れている。
 ほんの少しの静寂の後、歪んだ空気を裂くようにして彩雅の姿が現れた。
 長い銀の髪が典雅に靡く。
 彩雅は着地するなり雪の凄惨な姿に気がつき、碧い双眸を見開いた。
「雪っっ!?」
 彩雅が脇目も振らずに雪へと駆け寄る。
「……雪? ――雪!」
 彩雅の手が大切な後継者の頬を撫でたり、肩を揺すったりする。
 ……だが、雪からの返事はない。
 懸命に雪の名を連呼する彩雅の姿は、痛々しく綺璃の目に映った。
「雪……雪――何故、一人で?」
 彩雅の指先が愛しげに雪の青ざめた頬を滑る。
 雪に向けられた双眸から、つと透明な液体が零れ落ちた。
 それをまともに目撃してしまい、綺璃は思わず顔を背けてしまった。彩雅の苦痛に満ちた顔を見ていられなかった。元を辿れば、自分が原因なのだ。
 雪を死なせ、彩雅を哀しませ――
 ――俺は……何をやっているんだ?
 雪一人救えずに。
 それでも七天の一人か――と己がとてつもなく情けなくなる。守護天が聞いて呆れる。
 ――しっかりしろ。俺には、まだやるべきことがある。
 綺璃は挫けそうになる心を奮い立たせ、きつく剣の柄を握り締めた。
「綺璃――」
 彩雅が自分を呼ぶ。
 綺璃は面を上げ、彩雅に視線を戻した。その顔に迷いはない。
「誰が……雪を?」
 悔やみと怒りを含んだ彩雅の声。
「俺が殺した」
 綺璃は逡巡することなく断言した。
「――――!?」
 瞬時、彩雅の顔に動揺と驚愕が浮かび上がる。
「嘘……だ……。何故、綺璃が……?」
 彩雅がゆるりと雪から離れ、濡れた瞳で綺璃を見つめる。
「どうして、綺璃が雪を殺さなければならないっ!?」
 何も応えない綺璃に苛立ちを覚えたのか、彩雅は友人の腕を乱暴に掴んだ。
 彩雅の指が、綺璃の腕に食い込む。細く繊細な指は、何かに怯えるように震えていた。
「綺璃っ! お願いだ。嘘だと言ってくれっ……!!」
「……嘘ではない」
 綺璃は片手を持ち上げ、彩雅の眼前に血に塗れた剣を差し出した。
 彩雅の両の瞳が張り裂けんばかりに瞠られる。
「……あや……り……」
 彩雅の指が、綺璃の腕から滑り落ちる。
 その瞬間を綺璃は忘れないだろう。
 胸が発狂寸前の悲鳴をあげた。
 彩雅のその手は、二度と自分の肩を抱くことはないだろう。
 その口は、二度と自分のことを《友》とは呼ばないだろう。
 心が――哭いた。
 覚悟を決めても尚、彩雅を愛しいと想う。傷つく姿も哀しむ姿も見たくはない。
 何より――離れたくない。
「俺がやった。この剣で……」
 己に言い聞かせるように、綺璃はゆっくりと言を紡いだ。
 ――俺には出来ない。鞍馬を見捨てることも、彩雅の生命を奪うことも。
 ならば、許される術は一つしかない。
 紫姫魅の用意した滑稽な舞台の上に立つしかないのだ。
 ――高みから余興を愉しむがいい、紫姫魅。この生命、おまえにくれてやろう。それで、愛する者たちを護ることが出来るのなら……。
 綺璃は、衝撃のあまりに立ち竦んでいる彩雅の左手にチラと視線を走らせた。
 手首に填められた太い銀細工の腕輪――その下でのたうつ傷痕を想起すると、胸が病んだ。
 遙か昔の過ちは、記憶の底に埋もれているだけで、決して綺麗に払拭されているわけではないのだ。
 綺璃は彩雅の腕輪から目を引き剥がした。
 厳しい眼差しで彩雅を見据える。
「まだ解らないのか、彩雅? おまえは頭の良い男だろう」
 茫然自失状態で自分を眺めている彩雅の胸を突く。
「俺が殺したんだよ」
 綺璃は残酷な言葉を繰り返した。
 彩雅の絶望に打ちひしがれたような眼差しが、じっと綺璃だけを捉えている。
「……何故?」
「俺の邪魔をしようしたから殺したまでだ」
「邪魔などではない! 雪はおまえを助けようと――」
「俺の知ったことじゃない」
 彩雅の必死の抗弁を冷徹に一蹴する。
 刹那、空気が凍り付いた。
「俺が雪を殺したんだよ、彩雅」
「綺璃――」
 彩雅の喉から押し殺したような声が洩れる。
 彼は綺璃を見つめたまま、腰に帯びた剣にそっと手を伸ばした。


     「二の章」へ続く




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Mon
2009.06.08[08:56]
 ――今は昔、
    氷天の神と炎天の神、親朋の仲なり

    否、運命というのは常に皮肉なもの

    操りの糸に絡め取られ、
    二人の天神は仇敵として相対す

    『ああ、王よ、何故なのですか?
     あの方を殺めてしまったのですね……』
 
    風に誘われるのは、一人の少年の嘆きのみ――



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Mon
2009.06.08[08:59]
 一陣の風が吹く。
 涼風は緊迫の波を運んできた。
 銀糸の髪と火焔の髪が宙に舞う。
 氷天・彩雅(さいが)は、真っ直ぐに相手を見据えながら鞘から剣を抜き払った。無色透明なの先端を正面へ向ける。
 愛刀――雪華(せっか)を突きつけている相手は、友人であるはずの炎天・綺璃(あやり)だ。
 綺璃の手にも見慣れた剣――燈火(とうか)が握られている。
 雪華と燈火、そして水天・水鏡(みかがみ)の青漣(せいれん)――遙かな昔、それぞれが七天を継承する際に、鍛冶師に三振りの剣を揃いで鍛えてもらったのだ。
 幼い頃からの絆の証。
 まさか、それを片手にこんな風に対峙することになろうとは夢にも思わなかった。
「もう一度だけ訊く。本当におまえが殺したのか?」
 彩雅は震える唇を懸命に動かした。
 友人の口からはっきりと聞いたにも拘わらず、『綺璃が雪を殺した』とは到底信じられない。現実として受け止められない。
 何かの間違いであればいい――切に願う。
 今まで――そう、何百年と同じ刻を過ごしてきた大切な友が綺璃なのだ。
 その綺璃と剣を交えるなんて実感が湧かなかった。


「……くどい」
 綺璃は、彩雅の視線を避けるように瞼を伏せた。
 瞳を閉ざしていても解る。彩雅の視線が痛いほど肌に突き刺さる。
「何度言わせるつもりだ」
 縋るような彩雅の視線に気づかない振りをして、綺璃は瞼をはね上げた。
 紅の双眼に冷たい炎を灯し、彩雅を鋭く射る。
 彩雅の秀麗な顔が悲痛に歪んだ。
 ――彩雅、誇り高き氷の王よ。俺を憎むがいい。そして、殺せ。
 胸の痛みを強引に抑え込み、綺璃はただじっと彩雅を見つめていた。
 これまで彩雅と二人で分かち合い、築き上げてきたものが、全て崩れ、灰燼に帰してしまうような錯覚を覚えた。いや、これは錯覚などではない。紛れもなく現在進行形の瓦解だ……。
 二人で共有した《何か》を傷つけてでも、綺璃は彩雅を紫姫魅の魔手から逃がしてあげたかった。綺璃にとって自慢でも誇りでもある愛すべき宝物を護りたいのだ。
 綺璃には紫姫魅の茶番につき合う気は元よりない。
 自分が死ねば、彩雅も鞍馬も助かる。もっとも、紫姫魅が約束を反故にしなければ、の話だが……。
 ――鞍馬、愛しい妻よ、おまえは愚かだと嗤うかもしれないな。
 胸中で自嘲し、脳裏に妻の姿を思い描く。
 もっと幸せにしてあげたかった。
 愛し、愛されたという温もりを彼女にはちゃんと抱かせてあげたかった。
 同じくらい真摯に、彩雅の幸せをも願う。
 これは、どちらかを切り捨てられなかった己の咎だ。
 ならば、その罪科を全て己に背に刻み込み、堕ちるしかないだろう。
「おまえと闘うことになるとはな……。覚悟はいいな、彩雅」
 綺璃は低い声音で告げると、彩雅を挑発するように燈火を構え尚した。
 青眼に構えた燈火の刀身からユラユラと影のような炎が立ち上る。
 今の錯乱した彩雅なら、難なく自分の誘いに乗ってくるに違いない。
 彩雅は決して赦さないだろう。
 雪を殺した自分を――
 陽炎のように揺らめく燈火越し、彩雅が意を決したように地を蹴った。



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