FC2ブログ
管理画面
ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Sun
2009.06.07[11:12]
「あ~あ……全身、真っ赤っか! とても、一国の王女には見えませんね、アーナス様」
 戦闘終了を確認して、ルークが傍へ寄ってくる。
 既に二つのレイピアは鞘に納められ、両手はアーナスに対する呆れを示すように頭の後ろで組まれていた。
「軽口を叩くな、ルーク」
 アーナスは僅かに唇を尖らせながら、ローラを鞘に納める。
「まったくですな。そのお姿を、これから訪ねるイタールのあの方が目にしたら、さぞかし嘆かれるでしょうに」
 いつの間に接近していたのか、アガシャまでもが皮肉げな言葉を投げてくる。
「ほっとけ!」
 アーナスは肩を竦め、唇をへの字に結んだ。
 主に対して物怖じもせずに言いたいことを言う従者を二人も持つと、苦労するものだ。
 もっともアーナス自身、率直にものを言う、そんな二人を気に入っているのだからしょうがないが。
 この二人は、自分を『人間』として扱ってくれる。
 それが有り難かった。
「怖い、怖い。華麗にして大胆。優美にして苛烈――な~んて、誰が言ったんだろうね? まっ、大胆で苛烈なのは、事実だけ――」
「ルーク!」
 ジロリとアーナスに凄まれて、ルークは慌てて口を閉ざした。
 愛想笑いで、その場を誤魔化す。
「まあ、ルークの言葉は正しいけどな。優雅とか麗雅とかいうのは、人々が勝手に作り上げた偶像の私だ。本当の私は――こんなんだ」
 アーナスは厳しい顔を緩めて、自嘲の笑みを浮かべた。
 自分を崇拝する人々が血塗れのこの姿を見たら、さぞかし驚き落胆することだろう。
 想像する慈愛に満ちた女神ではなく、冷徹な殺戮の女神を認めることになるのだから……。
 ――私は、女神の仮面を被った悪魔だ。そう民が望んでいる。
 人の心というのは、不可解なものだ。
 アーナスに光の女神としての崇高さや慈愛を夢み、その反面では戦に勝利すること――血塗れの戦士としてのアーナスをも要求している。
 そして、どちらも同じだけ望んでいるのに、表立って認め、喝采を贈ってくれるのは、光の女神としての部分だけなのだ。
 血染めの戦士である部分は、民の心からは綺麗に拭い去られている。
 おそらくは無意識的に……。
 民を侮蔑する気も軽視する気もないが、それを考えると奇妙な苦笑いが込み上げてきた。
「そんなアーナス様だから、僕は好きですけどね」
 ふと、ルークが満面の笑みをアーナスへ向けてくる。
「爺もですぞ」
 アガシャも、珍しく語調を強めてルークに同意した。
 それに対しアーナスは、照れ隠しのように手で髪を掻き上げただけで、何も言葉を返さなかった。
「予定外の行動で時間を取ってしまいましたな。――さあ、姫様、先を急ぎますぞ。イタールには、姫様の大切なあの方が待っていますからな」
 アガシャの言葉に、アーナスの心臓は一瞬高鳴った。
「……そうだな」
 我知らず、表情が穏やかになる。
「逢うのは一年振りだ――」
 懐かしげに告げて、瞼を閉ざす。
 闇の中に、翡翠色の瞳の青年が浮かんだ――


 イタールは、まだ遠い……。



     「2.偶像崇拝」へ続く



← NEXT
→ BACK

 
Category * 鬼哭の大地
編集[管理者用] このページのトップへ

 

Mon
2009.06.08[22:14]
 ロレーヌ三国の一つ――イタールは、北にカシミア、東にキール、南・西を広大なフレッザ海に囲まれた国である。
 沿岸沿いでは港町を中心に漁業・貿易業が栄え、内陸地では南方の暖かい気候を利用して農業が発達していた。
 また、カシミア・キールとの国境付近は、他国との交易が盛んなため、幾つもの商業都市が発展を遂げている。
 国の要である王都エカレシュは、キールとの国境から百キロほど離れた地点に位置していた。
 イタール最大最古の都市エカレシュ。
 王都の中央――緩やかな丘陵地帯に聳える白亜の建造物が、国王の住まうレイ城だった。


     *


 朝の陽光が、柔らかに降り注いでいる。
 静かな朝。
 陽の光に透けて輝く長い白金髪を乱しながら、青年は寝台の中で寝返りを打った。
 穏やかな目覚めを迎えようとした、その時――
 バタバタバタッ! と、廊下を慌ただしく走る複数の足音が聴覚を刺激した。
 ピクリと青年の瞼が微かに震える。
 次いで、
「――ミロ様っ! ミロ様はいずこにっ!?」
「殿下っ! 殿下、一大事でございますっ!」
 衛兵たちの騒々しい叫び声が耳をつんざいた。
「……お待ちを、兵士方!」
「ミロ様はまだお目覚めには――」
 部屋の前で、侍従達が衛兵を咎める声が聞こえる。
 その声さえも耳障りだった。
「ええいっ! では、叩き起すまでっ!」
「ミロ様! ミロ様っ!」
 苛立たしげな衛兵の声。
 ドンドンッ! と、忙しなく扉が叩き付けられる。
 ――うるさい……!
 青年の秀麗な眉根がグッと寄った。
 次の瞬間、勢いよく瞼が跳ね上がる。
 不機嫌さを湛えた翡翠色の双眸が、朝日をうけて美しく輝いた。
「ミロ様っ!」
「殿下っ!」
 衛兵たちの叫びは止まない。
 青年は鬱陶しげに片手で髪を掻き上げ、寝台から滑り降りた。
 無駄な肉など欠片もない筋肉の引き締まった上半身を裸のまま、青年は扉へと進んで行く。
「殿下っ! 失礼ながら、扉を強行突破させていただきまずぞっ!」
 興奮状態のような衛兵の声に、青年は苦々しげに口許を引きつらせた。
 冷静に扉の鍵を外し、事もなげに扉を引き開ける。
 すぐに、視界に剣を構えた衛兵の姿が飛び込んできた。
 どうやら、剣の柄で扉の鍵を叩き壊そうとした瞬間だったらしい……。
「――何の騒ぎだ?」
 青年は、不快も露にジロリと一同を見回した。
「もっ、申し訳ありません、殿下!」
 剣を手にしていた衛兵が、狼狽しきった仕種で剣を鞘に納め、畏まったようにその場に跪く。
「おはようございます、殿下」
「よいお目覚めを、ミロ様――」
 他の衛兵や侍従らも慌てて彼に倣った。
「何が『よい目覚めだ』……まったく……」
 青年は呆れたような呟きを洩らし、溜め息をついた。
 即座に、一同が青年を畏れるようにビクッと身体を震わせる。
 怖々と美貌の青年を見上げ――主人の顔に浮かぶ微かな怒気を察して、再び頭を垂れる。
 国中の誰もが敬い、傅く、高貴な存在。
 イタール第三王子――ミロ・レイクールン。
 三人の王子の中で最も武芸に秀で、人目を惹き付ける魅力を兼ね備えていると謳われているのが、この第三王子ミロなのだった。



← NEXT
→ BACK
 


ブログパーツ
 
Category * 鬼哭の大地
編集[管理者用] このページのトップへ

 

Mon
2009.06.08[22:18]
「殿下の御身辺をお騒がせしたことは、平伏して謝罪致します」
 衛兵が、心から詫びるように深々と頭を下げる。
 穏やかな目覚めを妨げられたミロは、不機嫌に衛兵を見遣った。
「しかし、事が重大なだけに我らも急いでおりました。――陛下がお呼びです」
 衛兵は事の成り行きよりも先に結論を述べた。
「……父上が?」
 意外そうに眉を顰め、ミロは視線だけで衛兵に説明を求めた。
 こんな早朝から国王である父の呼び出しがかかるとは、余程の事件が起こったに違いない。
「先ほど、キールから瀕死の兵士が逃げ込んでまいりました。大変言い難いのですが……二日前の夜、王都マデンリアがカシミア軍によって奇襲をうけた、とのことです」
「――――!」
 ミロは大きく息を呑み込んだ。
 衛兵の報告は、不快指数の高かった目覚めを彼方へ吹き飛ばすほどに衝撃的なものだった。
「キールが、カシミアに……だと?」
 ミロの双眼に怜悧な輝きが浮かび上がる。
「はい。王都マデンリアは炎上――キール城では、国王を護るために籠城作戦が展開されている模様です」
「籠城、か……。苦し紛れの延命でしかないな。わざわざラパスが手を下さなくても、水と食料が絶えた瞬間、城内は自滅の道を辿る」
「そうなる前に、陛下はキールへ援軍を送りたいとお考えです。そのための協議をしたいので、至急謁見の間に――」
「解ってる」
 急くような衛兵の言葉を、ミロは軽く手で遮った。
「残虐非道……己れの野望の為なら、如何なる手段も問わない――そんなラパスのやり方に、業を煮やしていたところだ。キールに加勢するのなら大賛成だ。奴に、このロレーヌを好きにさせてたまるか! 『平和協定』を破ったことを後悔させてやる!」
 凄みを込めて、ミロは言葉を吐き出した。
 カシミアの玉座を簒奪しただけでは満足せず、ロレーヌ全土を乗っ取ろうとしている、ラパス。
 彼の身勝手な振る舞いを赦すわけにはいかなかった。
 平和だったロレーヌに火の粉を撒き散らし、人々を苦境に陥れるなど言語道断。
 どんな大義名分があろうとも、戦争は人の生命の浪費に過ぎない。
 罪もない人々が、一握りの野心家のせいで次々と生命を落としてゆくのだ。
 そんな惨劇を引き起こさないために、遥かな昔、ロレーヌ三国は『平和協定』を結んだというのに……。
 誓約を軽んじ、破棄したラパスを、ロレーヌの人々は赦さないだろう。
「では、殿下。お急ぎ――」
「ミロ様っ! ミロ様ぁ!」
 緊迫した声音でミロを促す衛兵の声は、別の衛兵の声によって遮断された。
 皆が『何事か?』と、走り寄ってくる衛兵に注目する。
「今度は何だ? 騒々しい朝だな……」
 ミロは、目の前で敬礼する若い衛兵に減なりとした表情を向けた。
「ミロ様、城下で怪しげな者どもを捕らえたのですが――」
「…………」
 てきぱきと述べる衛兵に、ミロは呆れたような一瞥を与えた。
 キールがカシミアに侵略されるかもしれないという火急の時に、そんな下らぬ報告をしてくる衛兵が妙に恨めしかった。
「そんなもの、近衛隊長にでも任せておけ!」
「し、しかし、捕らえた囚人どもが、直接ミロ様に会わせろ、と――」
「ふざけてるのか、そいつらは? 何故、王子である俺が、囚人に呼び出されなければならない?」
 ミロは厳しく衛兵を睨めつけた。
 衛兵が気圧されたように身体を硬直させる。
「そ、それが……殿下に会って直接お話したいことがある、と……。何でも、キールの王都マデンリアの状況について詳しいことを知っているとか――」
「――キール、だと?」
 ミロは衛兵の言葉を聞き留め、表情を改めた。
 真摯な眼差しが衛兵に向けられる。
「は、はい。しかしながら、その情報は殿下本人にしか伝えられない、と強情に言い張るのですよ」
 おどおどしながら若い衛兵は受け答えする。
「どんな奴らだ?」
「ええっと……小生意気な小僧と薄気味の悪い老人と血塗れの若造ですが……」
「そんな奴らに、知り合いはいないんだがな。ま、いいさ。――会いに行く」
 ミロは軽く承諾した。
 運よくキールの情報が得られるのならば、多少の時間を割いても不都合はない。
「殿下。陛下の方は……?」
 国王の遣いにやって来た衛兵が、不安そうに口を挟む。
「父上には、すくに行く、と伝えておいてくれ。じゃ、俺は行くぞ――」
 ミロは若い衛兵に案内するよう顎で合図しながら、白金髪を翻して身を転じる。
「で、殿下!」
 歩き出そうとしたミロを、不意に背後の衛兵が呼び止めた。
「何だ?」
 面倒臭そうに首だけを後ろに捻じ曲げて、ミロは問う。
「ご心配ではないのですか? 殿下の御婚約者――キールの王女……」
「ああ、アーナスのことか?」
 ミロは衛兵が何を言いたいのかようやく察し、何度か瞬きを繰り返した。
 僅か一瞬、何処か遠くを見つめ、すぐに衛兵に視線を戻す。
「そんなこと一々訊くな。あれが、そう簡単に死ぬもんか」
 端整な顔に、不敵で確信に満ちた微笑が刻まれる。
 唖然とする一同を尻目に、ミロは止めていた足を動かし始めた。
「――あっ、殿下!」
「まだ何かあるのか? 急げと言ったのは、おまえたちだろ?」
 再度呼び止められて、ミロはうんざりしたように振り向いた。
「恐れながら、殿下……」
 コホンと、わざとらしい咳払いを一つして、衛兵が神妙な顔付きで先を続ける。
「囚人に会いに行くだけとはいえ……どうかお召し替えを。そのような格好では、イタール王家の威厳が損なわれます故……」
「――――」
 衛兵に指摘され、ミロは自分が寝起きのままの、しかも上半身裸という事実に気が付いた。
 数秒全ての動きを停止させた後、彼は無言で踵を返した。
 自室へと向かって――



← NEXT
→ BACK

 
Category * 鬼哭の大地
編集[管理者用] このページのトップへ

 

Mon
2009.06.08[23:45]
 手早く身なりを整えると、ミロは、若い衛兵と共に地下にある査問室へと向かった。
 レイ城の地下には近衛兵の詰所と、捕らえた罪人を一時的に拘束するための留置室、そして、取り調べを行う査問室が設備されているのだ。
「――ったく、わざわざ俺を指名してくるとは、なんて囚人だ……!」
 地下を颯爽とした足取りで闊歩しながら、ミロは軽く舌打ちした。
 歩く度に、純白のマントが優雅にはためく。
 長い白金髪は後ろで一つに結わえられ、額には瞳と同じ色の玉が輝く銀細工のサークレットを嵌めていた。
 腰に剣を携えた勇ましい姿は、寝起きの時の姿とは程遠く、華麗で鮮やかだ。
「はぁ……申し訳ありません。――あっ、ここです、ミロ様」
 若い衛兵は主人の凛然とした横顔を盗み見ながら、立ち並ぶ扉の一つを指差した。
 立ち止まり、慣れた手付きで解錠し、扉を開ける。
 ミロは、開かれた扉から室内へと滑り込んだ。
 室内には、数人の衛兵と三人の囚われ人の姿があった。
 自分を呼び付けた囚人らの顔を見回して、
「――――!」
 ミロは軽く目を瞠った。
 僅かに遅れて、唇から重々しい溜め息が吐き出される。
 三人の囚人は、入室してきたミロを無言で見つめていた。
 一人は、褐色の肌の小生意気そうな少年。
 もう一人は、背骨が折れ曲がり、顎に見事な白髭をたくわえた皺だらけの老人。
 最後の一人は、殺戮でも行ってきたのか、乾いて赤錆びた血で全身を彩っている少年らしき人物だった。
「バカか、おまえら……」
 妙に乾いた声がミロの唇から滑り落ちる。
 その言葉が、衛兵に向けられたものなのか囚人らに向けられたものかは、判断するのは難しかった。
「オイ――」
 ミロは眉間に深い皺を刻み込む。
 ――頭痛がする。
 額に軽く手を当て、隣の若い衛兵を見遣る。
「はっ。何でしょうか、ミロ様?」
「奴らの枷を外してやれ。それから、没収した物も返してやれ」
「はっ? し、しかし、ミロ様、何も訊かないうちから、そんな――」
 困惑したような衛兵の声は、ミロの鋭い一睨みによって消沈した。
「いいから、言われた通りにしろ」
「で、殿下! 恐れながら、私もそれには同意しかねますが――」
 囚人の周囲を取り囲んでいた衛兵の一人が、勇気を振り絞ってミロの指示に反対を示す。
 刹那、ミロの秀麗な額に青筋が浮かんだ。
「俺は、枷を外せ、と言ったんだっ!」
 有無を問わせない口調で叫び、ミロは額に当てていた手を激しく振った。
「貴様ら、俺の未来の妻とその従者をいつまでもこんな牢にブチ込んでおく気かっ!」
 ミロの怒声に、衛兵たちは一斉に身を竦めた。



← NEXT
→ BACK

 
Category * 鬼哭の大地
編集[管理者用] このページのトップへ

 

Mon
2009.06.08[23:50]
 一瞬の沈黙――
「――えっ?」
「はっ?」
「まっ、まさか――!」
 ミロの言葉をようやく理解した衛兵たちが、驚愕の声をあげ、怖々と囚人に注目する。
 皆の視線は、血まみれの金髪少年に集中していた。
「……相変わらず短気だな、ミロ」
 その唇が紡いだのは、美しい女性の声だった。
「ひ、ひえっ!」
「まさか……まさか、本物っ!?」
「なっ、なんてことを――!」
 衛兵たちが後悔混じりの悲鳴を発する。
 血まみれの凄惨な姿と貴婦人らしからぬ軽装のせいで、少年だと思い込んでいたが、よくよく目を凝らしてみると、端麗な顔立ちの少女に見える。
 金縛りに遭ったように凍りついている衛兵らをよそに、ミロはツカツカと囚人たちに歩み寄った。
 呆れたような眼差しが、金の髪の少女に注がれる。
「おまえも、もっとマシな登場の仕方はなかったのか、アーナス? 純白の婚礼衣装で駆け込んでくるとか。その姿じゃ、衛兵がキールの王女だと気付かなくて当然だぞ」
 ミロの言葉が衛兵たちの金縛りを解いた。
「この御方が……殿下のご婚約者……」
「キールの王女――」
「伝説の……ギルバード・アーナス・エルロラ様っ!?」
「烈光の女神――」
 戦慄が一気に衛兵たちの心を駆け抜けて行く。
「か、枷をっ! 早く、枷を外せっ!」
 あたふたと衛兵たちは、三人の囚人の枷を外し始める。
 没収した私物を慌てて運んでくる衛兵もいた。
「オイ、その黄金の剣は神剣ローラだぞ。丁重に扱え」
 ミロが一言釘を刺すと衛兵は『ひえっ!』と情けない声をあげ、更に緊張した様子で震えながら傍にやってきた。
「悪かったな、アーナス」
 ミロは衛兵からローラを取り上げ、自分の婚約者――アーナスに手渡す。
 ミロからローラを受け取りながら、
「来る途中でカシミア兵と一戦交えてな……。この格好じゃ怪しまれるのも無理はない」
 アーナスは軽く肩を竦めた。
「名乗ればよかったのに」
 言いながらミロはアーナスの顎に手を伸ばし、そっと顔を上向かせた。
 そのまま顔を寄せて口づけようとする。
「名乗ったけど、信じてもらえなかったのですよ!」
 唇が重なろうとした瞬間に横槍を入れられて、ミロは視線だけをそちらへ流した。
 黒髪の少年がムスッとした表情で宙を睨んでいる。
「それは済まなかったな、ルーク」
 ミロは苦笑し、視線をアーナスへと戻した。
 気を取り直してキスしようとしたところへ、『ウォッホンッ』としゃがれた咳払いが投げられた。
 アーナスの教育係――アガシャが不服そうにミロを眺めているのだ。
「爺は長年生きてまいりましたが、枷をかけられたのは生まれて初めてでございますよ、ミロ様」
「……申し訳ない、アガシャ殿」
 口では素直に謝罪しながら、ミロは内心『やれやれ……』と溜め息を落としていた。
 アーナスの忠実なる従者たちは、自分に対して焼き餅を妬いているらしい。
「子供と老人の前だ。やめておけ、ミロ」
 アーナスが上目遣いにミロを見つめ、嗜めるような言葉を洩らす。
 彼女の美しい顔にも苦い微笑が浮かんでいた。
「ハイハイ」
 気のない返事をし、ミロはアーナスの額に軽く口づけてから顔を離した。
「一年振りの再会にしては味気ないが、仕方ない。――無事で何よりだ」
 簡潔に述べて、ミロは背後に控える衛兵たちを振り返った。
 その端整な顔からは、恋人に逢えた歓喜の表情はすっかり消え去っていた。
 見て取れるのは、人を従える王族の毅然とした面立ちだけだ。
「急ぎ、風呂の用意をしろ!」
 短く命令を下し、ミロはアーナスに意味深な眼差しを投げかけた。
「血塗れの姫君を父上の御前に出すわけにはいかないからな。――マデンリアの状況は、その時に報告してくれ」
「……カシミア軍が我がキールに攻め入ってきたのを知ってるのか?」
 ミロの言葉に、アーナスが意外そうな表情を見せる。
「ああ。つい先程、キールの兵がやってきた。酷い怪我を負っているそうだ。おまえが会いにいってやれば、少しは元気になるだろう」
「解った。レギオン陛下に謁見した後、見舞いにゆこう」
 アーナスが深く頷く。
 ローラの柄を握りしめる手が微かに震えていた。
 カシミア軍に対する怒りと悔しさのせいだろうか……?
「父上は、キールに援軍を送ることを既に決意しているようだぞ」
 ミロはアーナスの手にそっと自分の手を重ねた。
 優しさと愛情を込めて、恋人の手を包む。
「俺もラパスの奴は気に食わん。――俺という婚約者があるのを熟知していながら、アーナスに求婚した不届き者だからな」
 ミロはくだけた調子で言い、ニッと笑った。
 だが、笑顔とは裏腹に目だけは真摯で、鋭利で厳粛な輝きを帯びている。
 美しくも烈火の如く燃え上がる翡翠の眼差しを、アーナスだけが静かに受け止めていた。


     *


← NEXT
→ BACK

 
Category * 鬼哭の大地
編集[管理者用] このページのトップへ

 

Tue
2009.06.09[21:43]
     *


 よく磨かれた白雲母の回廊を、ルークとアガシャは並んで歩いていた。
 二人の前には案内の侍従が歩いている。
 イタール国王レギオンとの会見のため、アーナスとは引き離されている。
 国王との謁見はアーナスしか赦されなかった。
 他のイタール王族たちも集まっているということで、今回ルークとアガシャの同行は見送られたのである。
「ここは、平和ですね」
 ガラス張りの回廊から外を眺め、ルークは呟いた。
 中庭には春の花が咲き乱れ、小鳥たちが光り溢れる朝を祝い、囀っている。
 二日前に直面した、炎上するマデンリアとは大違いだった。
「だが……姫様がイタールに援軍を要請に来たからには、その平和も長くは続くまい。ここも、いずれ戦場になる」
 対するアガシャの返答は、憂いに満ちたものだった。
「でも、アガシャ様。キールでカシミア軍を打ち倒せば、イタールにまで戦火は及びませんよ」
 楽観的にルークが切り返す。
「果たして、そう上手くゆくかな……」
 アガシャは杞憂たっぷりの声音で告げ、未来を案じるように瞼を閉ざすのだった。
「ラパス王を軽んじてはいかん……。多少強引なところはあったが、『勇猛果敢の獅子王』『公正名大な賢王』と民に称賛されていた、兄王サマリ陛下の首を斬り落とした男じゃ。……油断はできん」
「解ってますよ。それでもって、そんな悪どい奴からアーナス様を護るのが、僕たちの使命だってこともね!」
 ルークは、少年らしいスラリと伸びた長い足を闊達に動かしながら、横目でアガシャを見遣った。
「そうじゃ。……わしらは、姫様を御護りすることを陛下や王妃様からお願いされたのじゃ。生命に替えても、姫様を護り通さねばならぬ」
 アガシャの双眸が静かに開かれる。
 迷いのない眼差しが、ルークに注がれた。
「肝に銘じておきますよ、アガシャ様」
 珍しく真顔で答えて、ルークは口を噤んだ。
 いつもは陽気な少年も、アーナスのこととなると真剣にならざるをえない。
 それは、アガシャとて同じことだ。
 二人にとってアーナスは、愛すべき――かけがえのない存在なのだ。
 どんな美しい宝石も、その足元にも及ばない、至高の輝きを放つアーナス。
 彼女を失った世界など、二人には想像もできなかった。
 二人は、しばらく無言のまま廊下を進み続けた。
「――あっ……」
 ふと、ルークが小さな驚嘆の声をあげて、立ち止まる。
 視線は、ガラスの向こう側――花々が咲き乱れる中庭に釘付けにされていた。
「……《月光の美姫》」
 ルークの表情がパッと明るくなる。
「アガシャ様、先に行ってて下さい!」
 早口に告げ、ルークは軽やかな足取りで、今通ったばかりの廊下を引き返してしまう。
 アガシャはルークを引き止めることはせずに、ゆっくりと中庭へ視線を馳せんじた。
「《月姫》か……」
 アガシャの視線の先――中庭では、銀の髪の美しい少女が花と戯れていた。


    *


← NEXT
→ BACK


ブログパーツ
 
Category * 鬼哭の大地
編集[管理者用] このページのトップへ

 

Tue
2009.06.09[21:48]
     *


「――今日は、朝から騒がしいのね」
 朝の庭園を散策しながら、銀の髪の少女は不思議そうな呟きを洩らした。
 フワフワとした天然の巻毛が微風に誘われるのを片手で押さえ、不安げに城を見上げる。
 菫色の双眸は何処か翳っていた。
 朝から城内を兵士たちが慌ただしく行き交っていたからだ。
『何かあったの?』と訊ねても、誰もが『姫様には関係のないことです』と口を揃えて告げるのも気に入らなかった。
 誰もかれもが相手にしてくれないので、仕方なく少女は中庭へ出てきたのだ。
「姫様! そちらに怪しい者が!」
 唐突に、甲高い慌てた声が中庭の出入り口の方から届いた。
 侍女のメイファだ。
「姫様! お逃げ下さいっ!」
 緊迫したメイファの声。
 少女は臆する様子もなく、瞳と同じ色のドレスを翻して悠然と振り返った。
 メイファがドレスの裾をたくし上げて、必死の形相でこちらへ走ってくる。
 彼女の前を、褐色の肌に黒い髪の少年が軽快に駆けていた。
 少女は一瞬唖然とし、それから小首を傾いだ。
「姫様っ!」
 メイファの悲鳴が続く。
「大丈夫よ、メイファ! 心配いらないわ!」
 大声で叫び、少女は嬉しそうに破顔した。
「ルーク! ルーク・ベイッ!」
 駆け寄ってくる少年に向かって、気さくに手を振る。
「お久しぶりです、ローズ・マリィ様!」
 少年――ルークは、少女の前まで来ると恭しく跪き、丁寧に頭を下げた。
 その頬が紅潮しているのを、少女は知らない。
「いらっしゃい、ルーク!」
 少女は屈託なく微笑み、その場に座り込んでルークの頬を両手で挟んだ。
 ルークの額にキスし、再び微笑む。
 天使のような笑顔に、ルークの顔はますます赤くなった。
「まっ、まぁ、姫様! そんな下々の者になんということをっ!」
 メイファが険しく眦を吊り上げ、駆け寄ってくる。
 少女は花園に座ったまま、心配性で気難しい侍女を見上げた。
「失礼よ、メイファ。彼は、ルーク・ベイ。キールのアーナス様の従者――数年後にはキール一の騎士となる、双刀の剣士よ!」
「まあ……アーナス様の? ですが、姫様、そんな気安く接吻など……。姫様は、仮にも、このイタールの姫君――」
 メイファは困惑顔で少女とルークを見比べている。
「関係ないわ」
 少女は口をへの字に結んで、華奢な肩を竦めた。
 少女の名は、ローズ・マリィ・レイクールン。
 イタール王の四人の子供の中で、唯一の王女だった。
 美しい銀の髪を持つことから、《月光の美姫》《月姫》の異名で親しまれている。
 まだ十五歳ということであどけなさが残るが、二、三年後にはアーナスと比肩するくらいの美姫に育つだろう、と皆が期待しているイタール深窓の姫宮なのだ。
「ねっ、ルークが来てるってことは、当然アーナス様も来てるのよね?」
 ローズ・マリィは、無邪気にルークに問いかけてくる。
「あっ……はい」
「どうして、突然来たの? アーナス様が来るなんて、一言も聞いてなかったわよ? ――ねえ、アーナス様は何処? ミロ兄様のところ?」
 ローズ・マリィは喜々とした表情でルークに詰め寄る。
 ルークがたじろぐのもお構いなしだった。
「い、いえ。レギオン陛下のところに――」
「お父様のところねっ! じゃあ、早速アーナス様に逢ってこようっと!」
 アーナスの所在を確認するなり、ローズ・マリィは勢いよく立ち上がった。
 大多数の人間がそうであるように、彼女もまた、アーナスの熱烈な信望者だった。



「あっ、ローズ・マリィ様……!」
 駆け出したローズ・マリィの姿を見て、ルークは慌てて立ち上がった。
 ローズ・マリィの毒気のない笑顔を見ていると、キールがカシミアに攻められて、自分たちはイタールへ逃げてきたのだ、という、暗い事実を告げられなかった。
 いずれ解ることだが、アーナスに会う前にきちんと説明しておいた方がいいだろう。
「アーナス様、今、マリィが参りますわ!」
 そんなルークの心中を知りもせずに、ローズ・マリィは浮かれた様子で花園を駆けて行く。
 その内にドレスが邪魔になったらしく、裾を両手で抱えて走り出した。
「んまぁっ! 姫様っ! なんという、はしたない格好を――」
 侍女の鑑――謹厳なメイファが、今にも卒倒しそうな青白い顔で妖精のような少女を追いかけて行く。
 更にその後をルークが追った。
「チェッ! いつまでたっても『アーナス様、アーナス様』なんだもんなぁ……。嬉しいような、悲しいような。な~んか、複雑な心境……」
 不貞腐れたような呟きは、ローズ・マリィには届かない。
 先を行く、揺れる銀の髪が眩しかった――



     *


← NEXT
→ BACK

 
Category * 鬼哭の大地
編集[管理者用] このページのトップへ

 

Thu
2009.06.11[00:08]
      *
 

 レイ城『謁見の間』では、密やかにレギオン国王と王子たち――そして、キールの王女アーナスとの会見が行われていた。
「よく参られた、アーナス殿」
 一段高みにある玉座に腰を据えた壮年の男が、親しげにアーナスに向かって声をかけた。
 イタール国王レギオンである。
 彼の隣の玉座は、空のままだ。
 正妃リゾネット・マリィが五年前に流行病で他界してから、王妃の玉座に座る者はいない……。
「お久しぶりでございます、レギオン陛下」
 アーナスは王の前で優雅に跪き、礼を施す。
 湯あみをし、身なりをきちんと整えたものの、アーナスは相変わらずの男装だった。
 流石に国王陛下の手前、神剣ローラは入室前に護衛に預けているが……。
「此度は、ロレーヌ始まって以来の火急の事態。堅苦しい挨拶は抜きにしよう、アーナス殿。我がイタールは、盟友キールを救う為の援助を惜しみはしない。すぐに軍議に入ろうではないか」
 レギオンが、手振りでアーナスに立つように促す。
「有り難きお言葉にございます。陛下のご好意、このギルバード・アーナス・エルロラ――キール国王ギル・ハーンに代わり、心より感謝致します」
「ふむ……相変わらず生真面目だな、アーナス殿は。そなたは、余の息子ミロの妻も同然――いわば、既に家族のようなものなのだよ。もっと楽にな」
 レギオンが苦笑混じりにアーナスに視線を注ぐ。
「……はい」
 アーナスは深々と一礼し、立ち上がった。
 レギオンの言いたいことも解らないでもないが、こちらは国の代表として、頭を下げて援軍を請いにきたのだ。
 とても『楽に』とはできない心境だった。
「アーナス」
 背後でミロがアーナスを呼んだ。
 アーナスは振り返り、軽く頷く。
 室内には円卓が設えられ、そこに数人のイタール王族が身を落ち着けていた。
 手招きするミロの横に、アーナスは素直に腰かける。
「あまり父上に気を遣っているとハゲるぞ、アーナス」
 耳元で、ミロが軽口を叩く。
「無用の心配だ」
 アーナスは横目で軽くミロを睨めつけ、レギオンに視線を戻した。



← NEXT
→ BACK
 にほんブログ村 小説ブログへ 
 
Category * 鬼哭の大地
編集[管理者用] このページのトップへ

 

Thu
2009.06.11[00:15]
 レギオンが一つ頷き、改めて口を開く。
「マデンリアには、ローレン、そなたを遣わす」
「――はい」
 レギオンに応えたのは、玉座に最も近い位置に座る金髪の青年だった。
 ミロに似た眼差しの持ち主は、イタール王太子ローレン・レイクールン。
 レギオンの第一子である。
「グレスティ将軍、ローレンの補佐を頼むぞ」
 レギオンに命じられて、ローレンの隣に座る白髪混じりの男が寡黙に頷いた。
 レギオンとローレンの信頼が篤いイタールの老将グレスティだ。
「そなたたち二人は、早急に兵を整え、明日にでもキールへ向けて出発せよ」
「はっ……」
 レギオンの命令に、グレスティが再度頭を垂れる。
「畏まりました。必ず、キールをカシミアの魔手から救ってみせます」
 ローレンは穏やかに、だが確固たる意志をもって断言した。
「よし。頼んだぞ」
「――お待ち下さい、陛下」
 頼もしげに二人に言葉を掛けるレギオンの声に、若い女性の声が重なった。
 アーナスは、その声に導かれるようにして、立ち上がった女性に視線を流した。
 珍しい銀灰色の髪が、一際目立つ女性。
 アーナスと大差ない年頃の少女だった。
「どうしたのだ、アリシュア?」
 レギオンが意外そうに少女を見遣る。
「わたくしも、カシミア討伐軍の一員としてキールへ参ります」
 真摯な光を宿した黒緑の双眸が、レギオンに向けられた。
「――アリシュア」
 彼女を嗜めるように、隣の青年が静かに口を挟む。
 白金髪に紫色の瞳を持つ悠然とした青年の名は、リオン・レイクールン。
 イタールの第二王子である。
 そして、少女は彼の妻――アリシュア・レイクールンだった。
「……マデンリアでは、王妃リネミリア様が、魔法でカシミアの攻撃を防いでいると聞きます。わたくしがマデンリアへ赴けば、王妃様の手助けになりましょう」
 アリシュアは夫の制止を振り切って話を進める。
「確かに……そなたは数少ない《銀灰の守り》だ。魔法に関しては、他の魔術師を遙かに凌駕する力を備えておる。リネミリア殿に力添えもできるだろう」
 レギオンが、思案するような面持ちでアリシュアを見つめた。
《銀灰の守り》――太古の昔、大陸で唯一、神から直接魔術を授けられた貴き一族。
 その血と神から伝えられた秘術を守るために、血族結婚を繰り返してきた。
 皮肉にも、それらの秘密主義が悲劇を生んだ。
 度重なる同じ血と血の交配が、子供を授かりにくくしてしまったのである。
 外からの血を混ぜなくては種の存続ができなくなり、生粋の《銀灰の守り》は激減した。
 滅多にお目にかかることの出来ない稀有な存在。
 アリシュアは、その末裔だった。
 彼女の珍華な銀灰色の髪が、《銀灰の守り》である確かな証しなのだ。
「父上、あまりアリシュアをその気にさせないで下さい」
 リオンが溜め息混じりに発言する。
「カシミアはアリシュアの故国ですよ。敵とはいえ、故国と相対させるなんて」
「リオン様……それは、わたくしがイタールとキールを裏切り、カシミア側に寝返る恐れがある、ということですか?」
 リオンの言葉に、アリシュアは哀しそうな眼差しを彼へと向けた。
「そうは言ってないだろ。私はただ、カシミアと戦うのは精神的に辛いのではないかと思って……」
 リオンの手がそっとアリシュアの手に添えられた。
 アリシュアの顔がフッと和む。
「わたくしは大丈夫です。わたくしは……誰よりも、何よりも、リオン様を愛しています。わたくしがリオン様を裏切ることは、生涯ありませんわ」
「愛の語らいなら、後でゆっくりとやってくれ、アリシュア」
 レギオンが、見つめ合う息子夫婦に苦笑を浮かべる。
 それは、ほんの一瞬のことで、レギオンの顔はすぐに王者の厳格な表情に取って変わった。
「余は、リオンの言い分にも一理あると思うぞ。生まれ育ったカシミアを相手に、そなたが充分な魔力を発揮できるとは言い切れないだろう。心が痛まないはずがない」
「それは有り得ませんわ」
 アリシュアがすかさずレギオンの言葉を否定した。
 眼差しに憎しみの光が宿る。
「わたくしの兄は、ラパスに殺されているのですよ! わたくしがカシミアで生まれ育ったのは、変えようのない事実です。……半年前、わたくしは望んでカシミアからリオン様の元へ嫁いで参りました。その直後――兄、ロシェル公爵ラギは、ラパスの謀叛によって殺害されたのです。兄は……先王サマリ陛下の腹心でしたから……」
 アリシュアの黒緑の双眸が何度か揺らいだ。
 瞳に溜まった涙が、痛切な哀しみを訴えている。
「兄は、ラパスに殺されました。わたくしは……わたくしは、心底ラパスが憎いのです。どうか陛下、わたくしをキールへ遣わして下さい」
 哀願するように告げて、アリシュアは涙を堪えるように唇をきつく引き結んだ。
 レギオンが、神妙な顔でアリシュアとリオンを見比べる。
 リオンがきっぱりと首を横に振ったところで、レギオンの決断は下された。
「アリシュア。やはり、そなたはレイ城へ残った方がよい。今回は、ローレンとグレスティに任せておけ」
「……畏まりました」
 アリシュアは、それ以上食い下がることはせずに、残念そうな表情を浮かべただけだった。
 消沈した様子で席に着く。
 いつ如何なる時でも、国王の命令は絶対なのだ。
 無闇な反撥は赦されない。



← NEXT
→ BACK
 にほんブログ村 小説ブログへ 
 
Category * 鬼哭の大地
編集[管理者用] このページのトップへ

 

Thu
2009.06.11[00:36]
「――では、私はカシミアとの国境付近に一軍を構えて、待機します。手薄になったイタールをカシミア軍の別動隊に狙われてはたまりませんからね」
 アリシュアが大人しくなったのを見届けてから、リオンが言葉を発する。
「うむ。頼んだぞ、リオン」
 深く頷くレギオン。
「――レギオン陛下」
 不意に、アーナスは立ち上がった。
 論議を客観的に見守っていたアーナスだが、今まで自分の名が出てこないのに、内心苛立っていたところなのだ。
 祖国キールを救うためなのだから、自分もカシミア討伐軍に加わって当然だ。
 それなのに、レギオンはアーナスに何の指示も与えない。
 存在を忘れられていたのならば腹立たしいし、何か裏があるのならば知っておきたい。
「私はローレン殿下とグレスティ将軍の一軍に加わってよろしてのですね?」
 確認の問いを発する。
「いや、アーナス殿にはミロとともにレイ城に逗留していただく」
 レギオンの返答は極めて簡潔で、意外なものだった。
「何故です? キールを救うのに、王女たる私が戦に出陣しなくて何になります?」
 アーナスは険しい表情でレギオンを見据えた。
 レギオンが真っ向からアーナスの視線を受け止める。
「万が一のためなのだよ、アーナス殿」
「……『万が一』とは、どういう意味です?」
 きつく眉根を寄せるアーナス。
 レギオンの言いたいことはすぐに悟った。
 だが、感情がそれを否定したがった。
 レギオンの次の言葉を受け入れたくなかった……。
「戦では、常に最悪の事態に陥った時のことも考えねばならない。もしも……ローレンらがカシミアに敗北し、キールがカシミアの支配下に置かれた場合、このロレーヌ全土が戦場となる。その時――」
 レギオンの視線は、アーナスに注がれたまま動かない。
「アーナス殿には、対カシミア戦の象徴となっていただく」
「――――!」
 告げられた刹那、アーナスは強張った表情でレギオンを見返していた。
「そなたの意にそぐわぬのは、重々承知だ。だが――大きな戦になる。兵を募るにも、軍の士気を鼓舞するのにも、一つの熱狂的な対象が必要となるのだよ」
「それが……私、だと?」
 アーナスは叫びだしたいのを懸命に堪えて、低い声音で言葉を紡いだ。
 我知らず、両の拳に力が籠る。
「そうだ。アーナス殿の名は、このロレーヌをはじめ大陸全土に広まっておる。『エルロラの寵愛を賜った神童』を知らぬ者はいない。加えて、その美貌だ。神剣ローラを持つ烈光の女神――アーナス殿が戦場でローラを掲げるだけで、そなたを崇拝する一千一万の兵が狂喜するだろう。エルロラとローラの名は、それだけ偉大なのだよ。そなたが否定しようとも、それは紛うことなき事実なのだ」
 レギオンの言葉が妙に遠くに聞こえた。
 ――どうして……?
 何故、いつもいつも『エルロラ』なのだろう?
 名前ばかりが先行する。
 本物の自分とは――『ギルバード・アーナス』とは、一体何者なのだろう?
 間違いなく、確かに、神ではなく、ただの人間なのに……。
「私を『飾り』として祭り上げるのですね?」
 アーナスは限り無く感情のない口調で告げ、グッと奥歯を噛み締めた。
「万が一の場合だ、アーナス殿。だが、もし、そうなった場合『エルロラ』の名を最大限に利用させてもらうことだけは、覚悟していただきたい。そなたには『ギルバード・アーナス・エルロラ』という名の女神になっていただく」
 レギオンの酷な宣告が、また遠くに聞こえた。
「……私は……私は――」
 アーナスは震える声で呟いた。
 心が破裂しそうだ。
 自分が――『ギルバード・アーナス』という個人が、抹消されゆく。
 自分の意志とは無関係の、その他大勢の人々の手によって……。
「……私は……」
「アーナス」
 立ち竦むアーナスの腕をミロがそっと掴み、引き寄せる。
 アーナスは力なく椅子に崩れ落ちた――



← NEXT
→ BACK
 にほんブログ村 小説ブログへ 
 
Category * 鬼哭の大地
編集[管理者用] このページのトップへ

 

 
Copyright © 2019 言葉のさざなみ, all rights reserved.