ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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 クリスが何らかの感情を他人に晒すのは稀有なことだ。
 驚いてミシェルがまじまじと見返すと、クリスは口元に苦笑を閃かせた。
 ますます珍しい。
「ラギ様は、とても険しい眼差しで私を見ることがあります。あれは、憎しみ以外の何ものでもありません」
「違うと思うけどなぁ。――っと、わたしが口を挟むことじゃないわよね」
 反論しかけて、ミシェルは慌ててかぶりを振った。無闇やたらと首を突っ込んでも迷惑がられるだけだろう。
「クリスは船長のことが好きなのね」
「はい。大切なマスターですから」
 クリスの顔に微笑が刻まれる。今度は自然に零れた笑みだった。
「そういう顔を船長にも見せてあげればいいんじゃない?」
「とんでもありません。私の感情など、どうでもよいことなのです。私がラギ様の心を煩わせることがあってはならないのです。私は彼の補佐官なのですから」
 きっぱりとクリスは断言する。
 すっかり無表情に戻ってしまった彼を見て、ミシェルは大きく落胆した。
 ――これは重傷だわ……。
 この生真面目かつ優秀な補佐官は、感情を露呈することがマスターの負担になると考えているのだ。
「補佐官って、面倒で複雑な立場よね。まっ、今更しみじみ思うことじゃないけど。それより、船長がクリスを捜してたのは事実よ。せめて発信機だけでも電源をオンにしてあげたら?」
 ミシェルはクリスの耳朶に視線を注いだ。
 彼の耳にはアメジストのピアスが光っている。超小型通信機だ。
 傍目には小さく頼りないが、発信機の役目も担っている優れものだ。ピアスの片割れはラギが持っており、二人だけの通信の場合には、それで会話を交わすのだ。
 ミシェルとカケルも金のブレスレットを主従専用の通信機にしているが、使用頻度は極端に少ない。戦艦を降り、安穏とした日々に微睡んでいるせいか、ものぐさマスターは通信機の存在などすっかり忘れてしまっているようなのだ。
「船長、まだクリスのこと捜してるかもよ」
 ミシェルが言うと、クリスは思案するように首を傾げた。無意識なのか、片手は緩慢にピアスをさすっている。
「電源は入れません」
 やがて、クリスは囁くように告げた。
 ミシェルは口の端を引きつらせた。
 何もそこまで意固地にならなくてもいいと思うのだが……。
 幾ばくかの苛立ちを込めてクリスを見据えた時、
「でも、スクルドには戻ります」
 彼は静かに立ち上がった。
 月光を受けた美しい横顔には、穏やかな笑みが浮かび上がっている。
「今夜、ここで逢ったことはラギ様と少佐には内緒ですね。補佐官二人が少佐の指示を無視したなんて、由々しきことですからね」
「もし隊長にバレたら、わたしがクリスを強引に誘ったって主張しとくわ。あの人、今、腑抜けだからバレる可能性ゼロだと思うけど」
 冗談混じりに言葉を連ね、ミシェルはにっこりと微笑んだ。
「少佐の職務怠慢は、直に治りますよ。あなたのおかげで随分と元気になりましたからね」
「そんなものかしら……」
 ミシェルは肩を竦めた。
 自分のおかげだと言われた恥ずかしさが半分、言葉の内容に懐疑的な気持ちが半分――そんな複雑な心境だ。
 だが、クリスが言うのだから、カケルは以前の自分を取り戻しつつあるのだろう。
 ラギの補佐官として、彼もカケルと同じ第三艦隊に所属していたのだ。ミシェルよりもカケルについて多くを知っているはずだ。
 敏腕少佐として戦争の真っ只中に身を投じていた時代、そして補佐官を失い自暴自棄に陥っていた時――ミシェルの知らないカケルをラギもクリスも知っているのだ。ほんの少しだけ、それを羨ましく感じた。
「以前、私たちのことを『人形』だと言い放った将校がいました」
 不意に、クリスが話題を切り換える。
「嫌な奴ね、そいつ」
 唐突な言葉を不思議に思いながらも、ミシェルは力強く相槌を打った。
「自我のない、主人に忠実なだけの人形――死んでも、すぐに換えのきく便利で都合のいい人形だと言っていました」
「嫌な奴どころか、最悪。その将校、自分の補佐官が死んでも微塵も心が痛まないのね、きっと。新しい補佐官が赴任してきても、酷使して過労死させちゃうに決まってるわ」
 ミシェルは憮然と吐き捨てた。
 補佐官が人間であるということを忘れている将校なんて、最低だ。
 しかし、悲しいことに前戦に赴く将校の中には、そんな人種が多いのも事実だった。
 補佐官は自分の盾であり、自分の代わりに死んでくれるロボットだと勘違いしているのだ。
 不愉快――というよりも、報われない現実だ。
「その将校、どうなったと思います?」
「そんな薄情な将校は、悲惨な末路を辿ったに違いないわ」
「補佐官なんて幾らでも代わりのいる人形だ、と豪語した直後、彼は自分の部下に張り倒されたんですよ。全治三ヶ月の重傷でしたから、今もまだ病院の中かもしれませんね」
「えっ、隊長って、そんな熱血漢だったの?」
 ミシェルは驚愕に目を丸めた。
 クリスの話は、どう聞いてもカケルに纏わる内容だとしか思えなかった。
「当時、少佐は長年連れ添った補佐官を亡くしたばかりでしたから……。怒りを抑えられなかったんだと思います」
「うわっ、信じられない! でも、納得だわ。それで軍法会議にかけられても、降格のお咎めはなかったのね。隊長の行為は過剰だったかもしれないけど、上官の方が倫理に反すること口走ってるものね」
 ミシェルは思いがけぬ真実に仰天し、矢継ぎ早に言葉を捲し立てた。
 カケルが熱い魂の持ち主だったなんて、俄には信じられない。
「少佐は補佐官想いのとても優しい方でしたよ。いえ、今もそうだと思います」
 クリスの『とても優しい』という言葉を聞いて思わず笑い飛ばしたくなかったが、ミシェルは寸でのところでそれをグッと堪えた。
「うそ……。ホントに信じられない」
「少佐は繊細な心の持ち主なんですよ」
「せ、繊細……。繊細ねぇ」
 ミシェルは釈然としない思いで口元を歪めた。
 カケルに対する聞き慣れない見解を、どうしても素直に受け入れることができない。自分の知るカケルとはかけ離れすぎている。『冗談よね』と茶化してしまいたいのが本音だが、真摯なクリスの表情を見るととても実行には移せなかった。
「事件直後の少佐は自棄になっていましたが、今は徐々に自分を取り戻しつつあるようです。ミシェルが来てから明るくなりましたよ」
「何て言ったらいいのかしらね……。わたしは補佐官の務めを果たしてるだけなんだけど」
「少佐の元にミシェルが配属になったのは、喜ぶべきことです。あなたは『補佐官は人形ではない』ということを証明してくれる素敵な女性です」
「ハハ……隊長が繊細で、わたしが素敵――」
 ミシェルは乾いた笑い声を立てた。
 伝説の補佐官に大真面目で告げられては、返す言葉もない。とてつもない勘違いだが、敢えて指摘するのも気が引けた。
「では、私はこれで失礼しますね」
 クリスが軽く頭を下げ、辞去する。
 彼の姿が数メートル離れたところで、ミシェルははたと我に返った。
「クリス! 明日は大した調査もないから無理しないで休んでね。それから、たまには船長に甘えてみるのも悪くないと思うわ!」
「ありがとうございます」
 クリスが端整な顔を振り向かせて微笑する。
「私があなたのような補佐官なら、ラギ様も苦労しないのでしょうね。少し――羨ましいです」
 静穏な声音で告げ、クリスはスクルドの方へと引き返してゆく。
「で、伝説の補佐官に羨ましがられちゃった」
 ミシェルは慌てて海の方へと視線を戻した。
 見てはいけないものを見てしまったような、奇妙な気分だ。
「隊長が繊細で、わたしが素敵……。隊長が繊細でわたしが素敵――おかしいわ。絶対、おかしいわよ! そもそもクリスがわたしに笑いかけること自体、おかしいのよ」
 驚きと不審のために瞬きを忘れてしまった双眸で、波打つ海面を凝視する。
「ああ、クリスったら体調が悪いのに無理してたのね。人間、具合が悪いと気が滅入るものだわ。そうよ、きっと高熱があったのよ。うん、あれはいつものクリスじゃなかったんだわ。どう考えても、おかしいもん」
 強引に己れに言い聞かせ、ミシェルはようやく瞬きをした。
「船長からも言い含めてもらって、明日は必ず休養をとってもらわなきゃね」
 ミシェルは深呼吸し、遠くの海原に視線を馳せた。
 転瞬、我が目を疑った。
 心臓が跳ね上がり、呼吸が一瞬止まる。
 月光を浴びて輝く海に、人の姿を発見した。
 腰から上を海面上に突き出した状態で、その人影はじっとミシェルを見つめていた。
 明澄な光を宿す碧眼が、ミシェルを射抜く。
 突然の出逢いに、ミシェルはただひたすらに驚愕するしかなかった。



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2009.06.21 / Top↑
 人影が動いた。
 涼やかな水音を立てて、海中の人物が岸へと近寄ってくる。
 濡れた碧い髪が美しい。その髪の筋が張りつく白い肌も綺麗だった。
 臆する様子もなく浜辺に上がってきた人物を見て、ミシェルは大きく唾を呑み込んだ。
「ア、アクア人……?」
 掠れた声が唇から洩れる。
 全身びしょ濡れの人物は、ミシェルの目前で立ち止まった。
 好奇心に満ちた眼差しがミシェルに注がれる。
 ミシェルはその場にへたり込んだまま、愕然とアクア人を見上げた。
 珍華な碧い髪を除けば、外見は人間と何ら変わらない。
 平らな胸から、そのアクア人が男性らしいことも察せられた。
 年の頃は、ミシェルと同じくらいだろう。まだ成長過程にある少年のように見える。もっともアクア人の寿命など判らないので、見た目より遙かに歳を経ているということも有り得るが……。
 服装は至って簡素だ。上半身は裸、下半身には古代人が纏っていたような腰布しか巻きつけていない。
 宝飾品は銀色の首飾りだけだ。首飾りの先端には、ティアドロップ型のサファイアに似た石が一つぶら下がっている。
 未だ驚倒状態から脱せずにいるミシェルだが、補佐官としての本能が瞬時に少年を観察していた。
「アクア人に逢っちゃった」
 ミシェルは少年を見上げたまま茫然と呟いた。
 こんなにも早くアクア人と遭遇するとは予測もしていなかった。海中都市に住んでいると資料に記してあったから、出逢う確率も低いものだと思い込んでいた。
 不測の事態だ。
 だが、どんなに瞬きを繰り返しても、眼前から少年の姿が消えることはない。
 ――夢でも幻でもなく、現実なのね。
 ミシェルは脱力してしまった指を懸命に折り曲げた。拳を握りたいのだが、指が震えるせいで上手くいかない。
 アクア人を目の当たりにした感嘆と未知の種族に対する恐怖が、胸中で相俟っている。
 複雑な昂揚感が全身を緊縛していた。
「こんな時は、穏便に撤退するのが無難よね」
 ミシェルが呟くと、少年は不思議そうに小首を傾げた。言葉が理解できないのだろう。
「こ、こんばんわ」
 とりあえず、ミシェルは笑ってやり過ごすことに決めた。顔の筋肉をフル活動させて、満面の笑みを浮かべる。
 すると、少年も笑顔を作った。こちらが敵意を持っていないということは、何とか相手にも伝わったらしい。
「リュミナ……シレ・リュミナ――」
 目尻に笑みを刻んだまま、少年は早口でそう告げた。
 だが、当然の如くミシェルにはアクア語など理解できない。
「ご、ごめんなさい。わたし、アクアの言葉、解らないのよ」
 ミシェルが慌てて首を横に振ると、少年の顔から笑みが消失した。
 困ったような眼差しがミシェルに注がれる。
 しばしの沈黙の後、少年は砂浜に屈み込んだ。
 宝石のような碧い瞳が、真っ向からミシェルを捕らえる。
 海の匂いを強烈に感じた瞬間、少年の手がミシェルの頬に触れた。



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2009.06.21 / Top↑

 濡れた手が優しく頬を撫でる。
「あっ、あの、わたしを食べても美味しくないと思うけど?」
 ミシェルは怖ず怖ずと少年を見返した。
『人肉喰らう』というカケルの言葉を真に受けたわけではないが、僅かな畏れが胸に生じた。
 言葉が通じないので、相手が何を考えているのかさっぱり解らない。
 自然と警戒心が強まる。
 ミシェルは用心深く手を動かし、少年の手首を軽く掴んだ。ひんやりとした感触――人間より少しばかり体温が低いらしい。
 少年は掴まれた手首に視線を落とし、きょとんとした表情を浮かべた。
 ミシェルには聞き取れぬアクアの言葉を連ねてから、彼はミシェルの手を掴み返し、その甲に口づけた。
「な、何かしらね、コレは?」
 ミシェルは狼狽と羞恥に顔を赤らめた。
 柔らかな唇の感触が、手の甲にしっかりと刻みつけられている。
 まさか求愛されているわけではないだろうが、突然の行為に思わず胸が高鳴ってしまった。
「……オナジ」
 少年の口からポロリと言葉が零れる。ミシェルは驚きに目を丸めた。
「今、『同じ』って言ったの?」
 ミシェルが問いかけると、更に驚くべきことに少年は首肯した。
 意志の疎通が成ったらしい。彼はミシェルの目を指差し、もう一度『オナジ』と繰り返した。
「あっ、そうね。瞳の色は同じね」
 少年の言いたいことを素早く察し、ミシェルは何度も頷いた。
 ミシェルの瞳の色は、アクア人と同じブルーだ。
「でも、わたしはこの惑星の人じゃないのよ。ホラ、目は碧いけど、髪はあなたたちと違って金色でしょう」
 少年の手を静かに引き剥がし、ミシェルは自分の髪を一束掴んで見せた。
「わたしは、あそこにある船に乗って来たの。地球という惑星から来た異星人なのよ」
 ミシェルは懸命に言葉を紡いだ。
 どこまで理解できたのか解らないが、少年が軽く頷く。
「リュミナ、チガウ……。フネノヒト?」
「そう、船よ。宇宙船。――あなた、わたしの言葉が解るの?」
「ムカシ、フネノヒト、キタ。コトバ、スコシ、ワカル」
「ああ、なるほどね。前に来た調査隊に教えてもらったのね!」
 合点がゆき、ミシェルはポンと両手を打ち鳴らした。
 五年前、別の調査隊がこの惑星を訪れている。
 その時、少年は隊員たちと接触し、地球の言語を覚えたのだろう。
「よかった。言葉が通じるって、こんなに嬉しいものなのね」
 ミシェルは心底安堵した。
 人間に対する敵愾心など、少年には微塵もないようだ。前の調査隊と接触したことからも、そのことが推察できる。
「フネノヒト、スキ。デモ、ココ、ナガクイル――ヨクナイ」
「は? えーっと、長期滞在はやめた方がいいってことかしら?」
 少年の言葉を反芻し、ミシェルは眉をひそめた。
「ウミノヒト、イナイ。ココ、キケン」
「危険って、どういうこと?」
 少年に問いかけるが、彼は悲しそうに瞼を伏せるだけだ。
 もしかしたら『危険』の内容を表現する言葉を知らないのかもしれない。瞳を閉じた顔は、どう説明していいものか思案しているようにも見える。
「ねえ、どうして危険なの?」
 ミシェルはゆっくりと質問を重ねた。
 少年の瞼がパッと開かれる。澄んだ碧い双眸が真正面からミシェルを見据えた。
「ココ、キケン。ニゲテ」
 辿々しい口調で告げ、少年はミシェルの髪をそっと撫でた。
 優しい微笑をミシェルに向けてから、彼は静かに立ち上がる。
「待って! 海に帰るの?」
 少年が背を返すのを見て、ミシェルは慌てて彼を呼び止めた。
 少年がミシェルを振り返り、天空を指差す。
「ツキ、カクレル――クライ。ボク、カエル」
「あ、ああ、そうね。雲が出てきたわね。月明かりがあるうちに海中都市に戻りたいのね」
 語彙の乏しい少年の言葉から何とか想像を膨らまし、ミシェルは納得した。
 少年の言う通り、二つの月は雲の影に隠されようとしている。
 月明かりが残っているうちに海に潜り、海底にあるという水中都市に帰り着きたいのだろう。
 理由を聞いてしまえば、もう少年を引き止めることはできなかった。彼には彼の事情があるのだろうし、ミシェルには彼をこの場に留めておく特別な理由もない。
 少年は軽やかな足取りで砂浜を進み、海に足を踏み入れた。
 膝まで海水に浸ったところで、ふとこちらを顧みる。
「ミスミ」
 波音に混じって少年の声が聞こえた。
「えっ、何?」
 ミシェルは身を乗り出し、耳を澄ませた。
「ミスミ」
 少年が己れの顔を指差し、復唱する。
 彼は自分の名を告げているのだ。
「あなたの名前は、ミスミなのね。わたしは、ミシェル。ミシェルよ!」
 ミシェルは彼と同じように指で自分を示し、声を張り上げた。
 途端、少年の顔がパッと明るく輝く。
「ミシェル、スキ」
 少年が屈託なく微笑む。
 直後、彼の姿は忽然と消えた。
 海に潜ってしまったのだ。
 ミシェルは瞬きもせずに揺れる水面を眺めていた。
 岸から百メートルほど離れた地点で、少年がヒョイと海面から顔を覗かせる。
 名残惜しげにミシェルを見つめた後、彼は再び海中に消えた――
「やっぱり求愛されたのかしら?」
 海に視線を馳せたまま、ミシェルは茫然と独り言ちた。
「一目惚れされちゃったりして――っと、いけない、いけない! 自惚れと自画自賛は心の中だけにしとけって、隊長にも口うるさく言われてるのに」
 ミシェルは慌てて妄想を振り払った。
 異星人との邂逅に、すっかり心が舞い上がっていた。
 アクアの少年が最後に告げた『好き』という言葉が、更にミシェルの心を煽っている。
 好きと言われて、悪い気はしない。
 我知らず鼓動が速まり、頬が紅潮した。
 ミシェルは海の遙か遠くに目線を移した。
 少年の棲む海中都市がどの辺りに存在するのか解らないが、彼が今、この美しい蒼海の中を泳いでいることだけは間違いない。
 ――もう一度、逢いたいな。
 少年を呑み込んだ海原を眺望しながら、ミシェルは真摯にそう想った。


      「Ⅲ」へ続く



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2009.06.21 / Top↑
    Ⅲ



 潮の匂いを乗せたそよ風が、時折頬を撫でてゆく。
 風に弄ばれる髪を片手で押さえながら、ミシェルは天を仰いだ。
 雲一つない碧空では、太陽に相当する惑星グロアが燦々と輝いている。
「アクアは今、初夏ってところですね」
「初夏だと? 真夏の間違いだろ」
 ミシェルの呟きを拾って、カケルが吐き捨てる。辟易としている声音だ。
 無理もない。先ほど計測したところ、午前だというのに気温は既に三十度を超えていた。
 そんな中を小一時間ほど彷徨っているのだ。暑さにうんざりしてしまうのも当然だった。
「初夏でも真夏でも、地球の夏よりは遙かにマシだよ。地球の夏の平均気温は三十五度。へたすりゃ四十度を超えるからね。けど、やっぱり暑いものは暑い」
 カケルの隣で、ラギが肩を聳やかす。
 猛暑にへこたれている年長者二人を見て、ミシェルは溜息を洩らした。
「二人とも歳ですね……。こんな所で突っ立ってないで、早く先に進みましょうよ! 折角、アクアに降りたんですから」
 惑星アクア唯一の大陸――三人は今、そこに広がる密林を探索している最中なのだ。
「まだ先に進むのか? 物好きな奴だな。俺たちは調査してるわけじゃないから、スクルドで待機しててもいいんだぞ」
 カケルがげんなりした眼差しをミシェルに注いでくる。
 辺境調査第七隊は、朝食後、第一回目の環境調査に取りかかった。
 だが、総指揮官であるはずのカケルは、敢えて調査班から外されている。
 カケルは二ヶ月前に隊長に就任したばかりであり、環境調査においてはど素人なのである。プロフェッショナルな調査員たちは新隊長が足手まといになることを怖れ、彼の調査班参入を断固阻止した。
 カケルの方も己れの力量不足を知悉しているのか、積極的に調査に加わろうとはしなかった。
 ミシェルが推測するに、ただのサボリ癖――真剣に調査するのが面倒臭いから喜んで辞退したとしか思えないのだが……。
 端から惑星調査に無関係なお気楽船長は『スクルドにいても退屈だから』という至極単純な理由で、ミシェルとカケルの散策にくっついてきた。
「もう少しミシェルにつき合ってあげてもいいんじゃないか、カケル。まだアクア人に遭遇してもいないしね。さっ、先に進もう」
 ラギが軽い口調でカケルを促す。
「アクア人なら海洋調査班が発見するだろ」
 カケルは渋々と足を動かし始めた。
 アクア人――彼らが何気なく口にした一言に、ミシェルの心臓はドクンと跳ね上がった。
 脳裏にミスミの姿が甦る。
 彼と遭遇したことは誰にも打ち明けていなかった。報告するほどの大事ではないと思ったし、昨夜の出来事は何となく自分の胸だけにしまっておきたかったのだ。
 ミスミとの出逢いを、自分だけの特別な想い出にしたかったのかもしれない。
 ――もしかしたら、一目惚れしたのはわたしの方かも。
 ミスミと別れてからも、ミシェルはずっと彼のことを考えていた。
 ミスミの姿が頭から離れないのだ。
 彼の姿を頭に想い描き、彼の言葉を反芻するだけで、ミシェルの心は騒ついた。
 気がつくと、恋をした時のような昂揚感が胸を占拠していた。
「何してるんだ? 先に進もうって言ったのは、おまえだろ。突っ立てないで、さっさと追いつけ!」
 不意にカケルが振り返り、嫌味混じりの罵声を投げてくる。
 ミシェルはハッと我に返り、慌ててカケルの元へ駆け寄った。
 ――ミスミのことだけに意識が集中しちゃうなんて、補佐官失格ね。
 胸中で自省し、ミシェルはミスミのことを強引に頭から締め出した。
「緑がいっぱいですね」
 カケルの隣に並び、失態を取り繕うようににっこりと微笑んでみせる。
 それを見て、カケルはフンと鼻を鳴らした。
「見りゃ解る。大体、ここはジャングルなんだから緑が溢れていて当然だ」
「ロマンがないですね。こんなに茂ってる緑なんて、地球ではお目にかかれないんですよ!」
「そうだね。昔、士官学校の授業で観たな、遙か昔の地球の映像。大昔の南国っていうのは、こんな感じだったらしいね」
 ラギが物珍しそうに周囲を眺める。
 南国というのは、かつて存在していたハワイ諸島などのことを指しているのだろう。
 もう何世紀も前に、それらの島々は地図上から消滅していた。二十世紀末から急激に加速した地球温暖化。その影響で小さな島々は海に呑まれ、更に数世紀後には島々を呑み込んだ大海自体が砂の海と化したのだという。
 砂漠化に見舞われる以前の南国諸島は、青い海に囲まれた美しい島々だったと聞いている。
 このアクアのジャングルのように、大自然に満ち溢れた島だったのだろう。
「こんなに綺麗なら、クリスも連れて来てあげれば良かったな」
 濃い緑の葉を風にそよがせる木々を見上げ、ラギがポツリと呟く。
「ダメですよ。クリスは体調が悪いんですから。回復してから、二人で散策すればいいじゃないですか」
「何だ、おまえのクールビューティーな補佐官は、またぶっ倒れたのか?」
 カケルがからかうような視線をラギに送ると、彼は憮然と頷いた。
「今朝、三十九度の高熱があったから休ませた。外出の件を伝えたら『一緒に行きます』って言い張って、説得するのが大変だったんだからな。どうして、あいつはあんなに強情なのかな……」
 ラギの唇から重々しい溜息が洩れる。
「クリスが頑固なのは、常におまえのことを第一に考えてるからだろ。あれの性分は簡単には治らなそうだし――大変だな。まっ、美人で優秀な補佐官を貰ったんだから、その辺は我慢しろよ。お互い譲歩し合えば、何とかなるだろ」
 カケルが意気消沈しているラギの肩を慰めるようにポンと叩く。それから彼はミシェルに視線を転じ、意地悪な笑みを浮かべた。
「うちのじゃじゃ馬なんて、ある意味クリスより大変だ。俺の話に耳を傾けないし、命令は無視するし、何よりうるさい。不満があると、すぐ怒鳴るし、殴る。美人でも優秀でもない上に胸はまな板なのに、だ」
「うわっ、自分の補佐官けなすなんて最悪!」
 ミシェルは怒りに眦を吊り上げ、カケルを睨めつけた。
 カケルの顔にニヤけた笑いが張りついてるのを見て、更にムッとした。カケルの脇腹を肘で小突き、彼に向かって思い切り舌を出してやる。
「ホラ、いつもこんな感じだ」
 カケルが渋面をラギに向ける。
 ミシェルはそんなカケルを無視して、
「あっ、あそこに綺麗な花が咲いてますよ!」
 わざとらしく弾んだ声をあげると、軽快に駆け出した。
 間近に、青と黄色の花びらを持つ大輪の花を発見したのだ。鮮やかな色彩が、涼やかな雰囲気を醸し出している。
「オイ、迂闊に触るなよ。人喰い花かもしれないだろ」
 背後からカケルの注意が飛んでくる。
「何でも『人喰い』にしないで下さい!」
 カケルに苦笑を返してから、ミシェルは巨大な花びらに向かって手を伸ばした。
 転瞬、黄色の花びらが大きく揺れた。
 次いで青い花びらも激しく震える。
 ミシェルは反射的に手を引っ込めた。
 花びらの影から細長いものが鎌首を擡げてきたのだ。
 猛禽類の鋭い眼光が、ギョロリとミシェルを一瞥する。
 瞬時、ミシェルはそれが花ではないことを悟った。
 ――鳥だ!
 ミシェルが飛び退くのと、鳥らしき生物が大きく羽ばたくのが同時だった。
 豪快な羽音を立てて、鳥は大空へと飛翔してゆく。
 青と黄色の二対の翼を持つ巨鳥だ。尾には、雄の孔雀のような上備筒がついていた。
 美麗な飾り尾を靡かせて四枚羽根の鳥は天高く舞い上がり、あっという間に視界から消えた。
「大丈夫かい?」
 ラギが心配そうにミシェルの顔を覗き込んでくる。
 ミシェルは目を丸めたまま頷いた。
「平気です。ビックリしただけですから」
「今の鳥、翼が二対もあったぞ。太古の地球に似ていても、進化の過程と生態系は全く別物なんだな。生態系調査班が喜びそうな惑星だ」
 鳥が消えた空を見上げながら、カケルが驚嘆の声を洩らす。やる気皆無の隊長でも珍しいものは珍しいし、調査班のことも一応は念頭に入れているらしい。
「人喰い花じゃなくて残念でしたね」
 ミシェルが冗談めかして言うと、カケルは面白くなさそうに舌打ちした。
「どんな生物が棲息してるか解らないんだから、調査班からのレポートが上がるまで無闇やたらとその辺のものを触るな」
「りょーかい!」
 ミシェルが微笑みながら敬礼すると、カケルはますます不機嫌そうに口をへの字に引き結んだ。
 怖い顔のまま散歩を再開する。
 その時、ふとミシェルの耳に微かな物音が届いた。
 草木が風にそよぐ音に混じって、唸るような機械音が響いている。
「隊長、船長――動かないで下さい」
 素早く周囲に目を配る。
 聴覚を研ぎ澄ますと、やはり機械音が聞こえた。
 しかも、物凄い速度でこちらへ近づいている。
「どうした?」
 カケルが怪訝な表情でミシェルを見る。
「機械音というかエンジン音が聞こえます。エアバイクじゃないかと思うんですが――」
「ジャングル調査班かな?」
「違います」
 ラギの言葉を即座に否定する。
「調査班はアクアの生物を驚かさないよう、エアバイクは使用していません。これは、わたしたち以外の何者かです」
 推測を披露する間にもエンジン音は接近しつつあった。
 ミシェルは腰のホルダーからレーザー銃を取り出し、ロックを解除した。
 頭の中で警鐘が鳴り響く。
『ウミノヒト、イナイ。ココ、キケン』
 昨夜のミスミの言葉が脳裏を巡る。あれは、明らかに警告だった。
「オイ、どういうことだ?」
「オレたちの他にもアクアに来てる奴らがいるってことかな?」
 カケルとラギが、迫るエンジン音に強い不審を示す。
「さがって下さい、二人とも!」
 ミシェルは厳しい口調で言い放った。
 マスターを護れ。
 補佐官養成学院で叩き込まれた本能が働く。
 突如として、間近の茂みが激しく揺れた。
 急激に大きくなるエンジン音。強い風が吹き荒れる。
 ミシェルは瞬き一つせずに、茂みの中から出現したモノを見据えた。
 地上一メートルほどのところに浮かぶ、銀色のエアバイク。
 それを操るのは、額に縦型の第三の目を持つ異星人だった。
「隊長、三つ目です!」
 叫んだ途端、ミシェルのすぐ傍をレーザーの赤い光弾が走り抜けた。



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2009.06.21 / Top↑
「どうして、ディス人がいるんだ!?」
 焦燥も露わなラギの声が響く。
「発砲されたので、応戦します!」
 一応の断りを入れてから、ミシェルは銃のトリガーを引いた。
 銃口から放出された青い光線が、エアバイク上の三つ目――ディス人の眉間を貫く。
 呆気なく、ディス人はバイクから転げ落ちた。
「ミシェル、奴ら複数だ。逃げるぞ!」
 カケルの鋭い声が響く。
 ミシェルが振り向くと、彼は銃を手に取り、別のディス人と銃撃戦を繰り広げていた。
「どういう訳か知らないけど、敵なら戦うしかないね」
 軽やかな調子でラギが告げる。先ほどの焦りなど微塵も感じさせない不敵な笑みを口元に刻み、彼はレーザー銃を連射した。
 茂みの奥で悲鳴が迸る。
 僅かに遅れて爆発音が響いた。
 ラギの放った光弾がエアバイクを粉砕したのだろう。
 カケルもラギも、戦艦を降りたとはいえ歴とした軍人――三ヶ月前まで最前線で戦っていた将校だ。その銃の腕に鈍りはないらしい。
「ミシェル、走れるか?」
 いつになく真剣な表情でカケルが走り寄ってくる。
「問題ありません。学院で散々訓練させられましたから!」
 言いながら、ミシェルは俊敏に地を蹴っていた。
 厳しい訓練の日々が想い出される。
 心構えは、既に冷徹な補佐官のものへと切り替わっていた。
「ラギ、行くぞ!」
 カケルの促しに、ラギが応戦しながら疾駆を開始する。
 ミシェルは先頭に立ち、エアバイクの通れないような狭い木々の隙間を選んで駆け続けた。
 ディス人たちは執拗に追ってくる。草木に隠されて姿は見えないが、エンジン音はしっかりと耳に届いていた。
「あいつら、いきなり発砲してきやがるなんて尋常じゃないな。何をいきり立ってんだ」
 ミシェルのすぐ後ろで、カケルが忌々しげに吐き捨てる。
「Ⅱ系のディス人がⅢ系にいること自体、おかしいのさ」
 しんがりを務めるラギが苦々しげに応じる。
 ディス人というのは、銀河Ⅱ系イダヴェル星系に属するディス星先住民の呼称だ。人類より小柄で、額に縦長の第三の目があることが外見的な特徴である。
 銀河Ⅲ系から見て、Ⅱ系は銀河系を挟んだ向こう側に存在している。つまり、Ⅱ系からⅢ系に来るには、銀河系のワープゲートを使用しなければならないのだ。
 銀河系のワープゲートを利用しなくても航海は可能だが、それでは時間がかかりすぎる。
 それに現在、銀河Ⅱ系は銀河系と対立関係にある。至る所で戦争が展開されているはずなのだ。そんな状況の中、銀河系軍部の目をかいくぐって銀河系所有のワープゲートを利用するのは至難の業のはずだ。
「Ⅱ系の連中、直接Ⅲ系に跳べるワープ航法でも発見したのかもな」
「もしかしたら、Ⅲ系を発見したのはⅡ系の方が早かったのかもしれない。オレたちが知らないだけで、どこかにⅡ系直通のワープゲートが存在する可能もあるね」
「だとしたら、厄介だな。Ⅱ系の連中、Ⅲ系側からも銀河系を攻撃できるじゃないか」
 カケルとラギの会話が耳に飛び込んでくる。
 だが、ミシェルの意識は自分たちと併走しているエアバイクのエンジン音に向いていた。二人の会話に口を挟む余裕はない。
 ディス人は自分たちを追跡しているようだが、攻撃は仕掛けてこない。こちらが相手の姿を確認できないように、向こうもミシェルたちの姿を捉えられないのだろう。生い茂る草木がミシェルたちの姿を隠してくれているのだ。
 だが、その密林ももうじき終わる。
 その先にあるのは、白い砂浜と広大な海だけだ。
「隊長、もうすぐ海辺に出ます。全調査員にスクルドへの帰還命令を出した方が賢明だと思いますけど」
 ミシェルは渋い声音で背後のカケルに進言した。振り向いたりはしなかった。
 木々の隙間からは、早くも碧く輝く海面が見え隠れしている。密林を飛び出した途端、戦闘が再開されるのは明白だ。とても気を抜ける状況ではない。
「オッケー。非常事態一発ボタンだな」
 カケルが素直に返答する。
 彼の所持する超小型コンピュータには、隊長だけの特権――全船員緊急召集の送信キーが備えつけられているのだ。それを押しさえすれば、非常事態警報がスクルドの船内に鳴り響き、個人の所有するコンピュータには帰還命令を表す電子音が鳴るシステムだ。
 ミシェルが砂浜に出る直前まで緊急帰還を提言しなかったのは、カケルがそれを押すことによりミシェルとラギのコンピュータも鳴ってしまうからだ。
 鳴れば、否応なしにディス人たちに居場所が知れてしまう。
「隊長、いいですか?」
「いつでもいいぞ」
「では、飛び出します!」
 威勢良く宣言し、ミシェルは思い切り地面を蹴りつけた。




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2009.06.21 / Top↑

 ジャングルを飛び出す。
 僅かに遅れて、胸の辺りで甲高い電子音が鳴り響いた。
 そのけたたましい音を無視し、ミシェルは着地と同時に銃を構え直した。
 素早く四方に視線を巡らせる。
 カケルとラギが砂浜に出てくるのを確認してから、ミシェルは銃口を大揺れする茂みへ向けた。
 間髪空けず、密林からエアバイクが躍り出てくる。
 ディス人の第三の目がミシェルを発見し、ギョロリと動いた。
 その第三の目に狙いを定め、トリガーを引く。
 発射されるレーザー。
 しかし、敵は寸でのところでそれを躱わした。
 苛立ちに舌打ちを鳴らし、態勢を立て直す。
 エアバイクが、エンジン音を轟かせながらミシェルに肉迫した。
「ミシェル!」
 カケルの緊迫した叫び。
 一瞬後、ミシェルを襲おうとしたディス人はエアバイク上から姿を消した。カケルの放った光弾が命中したのだ。
 持ち主を失ったバイクが、バランスを崩しながら吹っ飛んでくる。
 ミシェルは脚に力を込め、砂を蹴った。
 辛うじてバイクとの正面衝突を免れる。
 ミシェルの脇を失速しながらエアバイクが通過した。
 ミシェルは、そのバイクに向かって駆け出した。
 柔らかい砂の感触に、再び舌打ちする。足場が悪い。それでも懸命に助走し、跳躍した。
 バイクに飛び乗り、片手でハンドルを握る。
「わたしが敵を引きつけます。二人はスクルドへ戻って下さい!」
「このっ、バカ補佐官が! おまえを置いて帰れるか!」
 ディス人と攻防を繰り返しているカケルが、銃を連射しながら怒声を放つ。
「オレたち、これでも百戦錬磨の軍人なんだけどね。艦隊戦・銃撃戦・白兵戦――何でもお手の物さ!」
 軽口を叩きながら、ラギが鮮やかなガン捌きでディス人たちを迎え撃つ。
 真摯な二人の姿を見て、ミシェルは驚き、次に感動した。
 ものぐさ隊長とお気楽船長が本気を出している姿など初めて見た。
 もう二度と見られない貴重な場面かもしれない。
 それに、カケルの言葉だ。
 ミシェルを置き去りにできない――確かに、彼はそう言ってくれたのだ。
 ――クリスの言葉は真実なのかもね。
 自然と口元に笑みが浮かんだ。
「解りました。じゃあ、三人ほど引き受けます!」
 意気揚々と叫び、エアバイクを旋回させる。
 補佐官想いのマスターを何としてでも護らなければならなかった。
 ディス人の数は十人ほどに減っている。エアバイクで縦横無尽に飛び回るディス人たち目がけ、ミシェルは突っ込んだ。
 接触しないように細心の注意を払いながら、ディス人たちの間を挑発するように飛ぶ。
 何人かのディス人が忌々しげにミシェルを睨んだ。かなり怒っているようだ。
 それを確認すると、ミシェルはエアバイクを海の方へと転じ、アクセルを全開にした。
 海上へ移ってから後方を確認すると、四人のディス人がミシェルの後を追走していた。
 とりあえず、カケルたちから引き離すことには成功したらしい。
 ミシェルは内心でほくそ笑むと、バイクを自動操縦に切り換え、身体ごと後ろを振り向いた。
 両手に銃を構え、追跡者たちを狙撃する。
 二人のディス人が銃弾に倒れた。
 激しい水飛沫を上げて、バイクごと海面に衝突する。
 残りの二人がスピードを上げて迫ってきた。
 相手の銃から射出されたレーザーが、ミシェルのすぐ傍を凄まじい速度で抜けてゆく。
 ミシェルは怯まずに迎撃した。
 一人が腕を負傷し、エアバイクから転落する。
 豪快な飛沫が散った瞬間、最後の一人に狙いを定めてトリガーを引き絞った。
 だが、光弾は発射されない。
「うそっ……!?」
 ミシェルは焦り、何度も何度もトリガーを引いた。
 しかし、銃に変化はない。
 ――エネルギー切れだわ!
 予備のカートリッジは持ち合わせていない。辺境調査に来て、激戦を経験するとは想像すらしていなかったのだ。
 ミシェルは、迫り来るディス人を鋭い眼差しで見遣った。
 何故か敵も発砲してこない。
 ミシェル同様、相手もエネルギー切れなのだ。
 突如として、敵は銃を海へ投げ捨てると両手でハンドルを握った。
「ちょっと何のつもりよ? 素手で殴り合いでもしようっていうの?」
 恐ろしいほどのスピードで敵は追い上げてくる。
 ミシェルは慌てて銃を手放した。
 正面に向き直り、自動操縦を手動に切り換える。
 ハンドルを握った直後、凄まじい衝撃がミシェルを襲った。
 敵がエアバイクごと突っ込んできたのだ。
 そうと悟った時には、ミシェルの身体は宙に放り出されていた。



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2009.06.21 / Top↑

「ミシェルッ!」
 遠くからカケルの叫びが聞こえてくる。
 だが、どうしようもない。
 突然の出来事だったので、対処のしようがなかった。
 仰向けの状態で、背中から海面に叩きつけられる。
 背に激痛が走り、肺が圧迫される。
 海中に没した瞬間、ミシェルは大量の酸素を吐き出していた。
 煌めく碧海の中を、数多もの気泡が立ち上ってゆく。
 背中の痛みを堪え、ミシェルは必死に息を止めた。
 しかし、肺に残された酸素の量は極端に少ないらしい。
 すぐに呼吸が苦しくなった。
 両手で懸命に水を掻くが、意に反して身体は水没してゆく。
 濡れた衣服が重みを増し、鬱陶しいほどに身体に纏わりついてくる。
 ――どうすればいい?
 空気を吸うために上昇すれば、ディス人の餌食になる。敵は、ミシェルが海面から首を出すのをじっと待ち構えているだろう。
 かといって、このまま海に身を委ねていれば窒息死するだけだ。
 岸まで息継ぎなしに泳ぎ切る自信はない。酸素の残存量が少なすぎる。
 ――八方塞がりだわ……!
 心の中で悲鳴をあげた時、白い影が眼前をよぎった。
 何かが海中を華麗に泳いでいる。
 ――人魚?
 一瞬、そんな考えが脳裏をよぎった。
 だが、それは伝説上の生物だ。実在するわけがない。
 白い影がスッと近寄ってくる。
 その胸元に青く光る石を発見し、ミシェルは驚きに目を丸めた。
 ――ミスミだ!
 この美しい惑星の住人。
 海の中を自由自在に回遊する水棲人。
 昨夜出逢ったアクアの少年が、目の前に確かに存在していた。
 ミスミのしなやかな腕が、ミシェルの身体を抱き寄せる。
 彼の唇がミシェルの唇に重ねられた。
 そこから大量の空気が流れ込んでくる。
 ミスミが吐き出す息は、二酸化炭素ではなく酸素だった。
 そのことを不思議に思う余裕もなく、ミシェルは与えられた酸素を必死に貪った。
 酸素が肺に行き渡り、息苦しさが消失する。
 ミスミが顔を離すと、ミシェルは分け与えてもらった空気を逃がさぬよう、しっかりと口を引き結んだ。
 ミシェルを安心させるように、ミスミが微笑む。
 彼はミシェルの腰を片手で抱くと、残る一方の手で前方を指差した。その方角に岸があるのだろう。
 ミシェルが頷くと、彼はミシェルを抱えたまま泳ぎだした。
 普通の人間よりも遙かに速いスピードで海中を進む。
 ミシェルというお荷物があるにもかかわらず、ミスミの泳ぎは少しも華麗さを損ねてはいなかった。
 程なくして、碧い世界が終わりを告げる。
 僅か数十秒間の海の旅だった。




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2009.06.21 / Top↑

 視界に白い砂浜が現れる。
 ディス人と攻防を繰り広げているカケルたちの姿も、しっかりと視野に飛び込んできた。
 一瞬にして、危地に陥っていることを思い出す。
 ミシェルは慌てて我に返った。
 隣にはミスミの姿がある。彼はミシェルを抱いたまま、浜辺まで上がってくれたのだ。
「あ、ありがとう、ミスミ」
 急いで礼を述べ、ミシェルは彼の腕から擦り抜けた。
 こんな時じゃなければ、もっと丁寧にお礼を言うのだが、今はそんな余裕もない。カケルとラギはまだ戦っているのだ。
「わたし、戦わなきゃいけないの」
 ミシェルの言葉に、ミスミは無言で頷いた。だが、彼は海へ帰ろうとはしなかった。ミシェルの前に立ち、先に歩き始めてしまったのだ。
「ダメよ。あなたは海へ戻らなきゃ!」
「ミツメ、エモノ――ボク」
「ちょっと待って! ディス人の狙いって、あなたなの?」
 ミシェルは驚き、悲鳴じみた質問を発しながらミスミに駆け寄った。
 しかし、彼は何も答えてはくれない。彼の澄んだ碧眼は真摯な光を宿し、ディス人たちを見据えていた。
「大丈夫なのか、ミシェ――!?」
 ミシェルを一瞥したカケルの双眸が、ギョッと見開かれる。
「オイ、何で、アクア人がいるんだよっ!?」
「助けてもらったんです」
 簡潔に応じると、カケルはそれ以上追及せずに敵に向き直った。
「ミスミ、ここを動かないで」
 ミスミの腕を強く掴み、彼の歩みを止める。彼の前に進み出てから、ミシェルは改めてカケルに視線を流した。
「隊長、予備の銃はありますか?」
「あるわけないだろ! ついでに、俺の銃はエネルギー切れ寸前だ!」
 カケルからは怒鳴り声が返ってきた。
 銃がなければ、カケルとラギを援護することもできない。
 ――ディス人から奪うしかないわけね。
 速やかに決断し、鋭利な眼差しでディス人たちを見回す。
 すると、不思議なことに気がついた。敵はミスミの存在がひどく気になっている様子で、忙しない視線を彼に注いでいるのだ。
「あっ、最悪。オレ、エネルギー切れ」
 ラギが緊迫感のない声で告げる。
 カケルの舌打ちがそれに続いた。
「くそっ、俺もだ……!」
「おや? 奴ら撃ってこないよ」
 拍子抜けしたようなラギの声に、ミシェルは気を引き締め、観察眼を強めた。
 ラギの指摘通り、ディス人たちは何かを思案するように目線を交わし合っている。
 不意に、その視線が一斉にミスミに集中した。
「隊長、ディス人の狙いはアクア人です!」
 ミシェルの叫びを合図としたように、ディス人たちはエアバイクを唸らせ、一気にカケルとラギを飛び越えた。
 ――ミスミを護らなきゃ!
 咄嗟に身構える。
 だが、武器がなければエアバイクを駆使するディス人には敵いそうにない。
 どうしたものかと歯噛みした時、眼前で金色の閃光が炸裂した。



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2009.06.21 / Top↑
 驚愕に、ディス人たちが動きを止める。
 ミシェルもカケルもラギも息を呑み、その光景を見つめていた。
 ミシェルに迫りつつあったディス人の胸から、銀色に輝く物体が飛び出している。
 それが引っ込んだ途端、再び黄金色の光が走った。
 ディス人の身体が縦に切り裂かれる。
 二つに割れたディス人は力無く砂に頽れ、主を失ったエアバイクは天へ向かって上昇した。
「怪我はありませんか?」
 ミシェルのすぐ間近で、眩いプラチナブロンドが揺れる。
 真っ二つに裂けたディス人の傍らに、クリス・ユグドラシルが立っていた。
 彼の左手には《スコーピオン》と呼ばれる特殊な剣が装着されている。長い刃を直接手の甲にはめて使用するものだ。刀身全体からレーザーが放射される優れ物でもあった。
「クリス!」
 ラギの声に、クリスは優雅に身を翻した。
「遅くなって申し訳ありません」
 簡素に告げた直後、クリスの姿はその場から消えていた。
 跳躍したのだ、とミシェルが察した時には、クリスは敵のエアバイクに飛び乗り、その首筋を斬りつけていた。
 秀麗な顔は、あくまでも無表情。
 噂通り、彼は眉一つ動かさず、淡々とスコーピオンを操っていた。
「す、凄い……」
 ミシェルは茫然とクリスの姿を眺めていた。
 あの華奢な身体のどこに類い稀な戦闘能力と冷酷さが宿っているのか――不思議でならない。
 返り血を浴びる前に、クリスは身軽にエアバイクから飛び降りた。
 仲間を殺され、憤怒している残り三人のディス人が、クリスに向けてエアバイクを発進させる。
 クリスの怜悧な眼差しが、三台のエアバイクを射る。
 迅速にスコーピオンが薙ぎられた。
 刃の尖端から放出されたレーザーが長く伸び、鞭のようにしなる。
 一片の逡巡もなく、クリスはレーザーの鞭をバイクに叩きつけた。
 瞬く間に三台のバイクが粉砕される。
 慌ててバイクを捨てたディス人たち目がけ、クリスは疾走した。
 スコーピオンの刀身が陽の光を受けて銀色に煌めく。
 刀身が鋭利な軌跡を描いた。
 一人目の胴を水平に薙ぎ、二人目は胴から肩へと刃先を跳ね上げるようにして斬り、最後の一人は恐ろしいほどの正確さで眉間にある第三の目を貫いた。
 あっという間の出来事だった。
 クリスの戦い方は、見事なまでに鮮やかで冷徹だった。
 彼は刀身を濡らすディス人の体液を振り払うと、左手首を右の人差し指で軽く押した。直後、スコーピオンが収縮される。変形した武器は、クリスの手首にブレスレットのような形で納まった。
「終わりました」
 こちらを振り返り、クリスが淡然と報告する。
 目覚ましいスピードで動いていたというのに、彼の呼吸は全く乱れず、顔も無表情のままだった。
 ――伝説の補佐官は、やっぱり半端じゃないわね。
 半ば驚嘆し、半ば畏怖しながら、ミシェルはクリスの麗姿を見つめた。
「クリス!」
 ラギがクリスに駆け寄る。その表情は気難しげにしかめられていた。
「お怪我はありませんか、ラギ様」
「オレのことより自分の身を心配しろ! 熱はどうしたんだ?」
「平気です。ドクター・イブリスに点滴を射ってもらいました」
 咎めるようなラギの言葉に、クリスが平然と応じる。
 ――十中八九、嘘ね。
 二人のやり取りを聞いて、ミシェルは思わず苦笑を零してしまった。
 クリスは、スクルド内に鳴り響いた非常警報を耳にして、慌てて外界に飛び出してきたのだろう。ピアスの発信機を頼りにラギの姿を捜し、窮地に駆けつけてくれたのだ。
「ミツメ……キエタ」
 ふと、ミスミが呟く。
「もう大丈夫よ、ミスミ」
 ミシェルは彼に向けて微笑んだ。
 後ろから肩を掴まれたのは、その直後のことだった。
「ミスミっていうのか、このアクア人は?」
 訝しさを孕んだカケルの声。彼は、しげしげとミスミを見つめていた。
「言葉も通じるみたいだな。――ミシェル、俺に解るように説明してくれるよな? いつ知り合いになったんだ?」
 カケルの唇が不敵に弧を描く。ミシェルを睥睨する双眸は、静かな怒りを湛えていた。
 言い逃れできる状況ではないらしい。
 ミシェルは観念した。
「出逢ったのは昨夜です。もちろん、偶然です。ミスミが言葉を理解できるのは、五年前の調査隊に教えてもらったからだそうです。彼がディス人に狙われている理由は、残念ながらわたしにも解りません」
「昨夜は外出禁止だったはずだけどな」
「それについてのお叱りは、後で受けます。今は、スクルドに帰還することが第一です」
 ミシェルが真摯にカケルを見返すと、彼は溜息を洩らした。その口が叱咤の言葉を吐き出すより早く、
「少佐、スクルドへお戻り下さい」
 クリスが助け船を出してくれた。
「隊員たちは非常警報に戸惑い、船内は騒然としています。皆、少佐とラギ様の指示を待っています」
「――だ、そうで。何にせよ、オレたちはスクルドに戻って、事態を収拾しなきゃならないよ。ディス人の出現で、今後の予定を立て直さなきゃならなくなったしね」
 ラギが大仰に肩を竦めてみせる。
 カケルはもう一度溜息をつき、静かに頷いた。
「解った。で、このアクア人はどうする?」
 カケルの視線がミスミに注がれる。
 その視線を受けて、ミスミは首を傾げた。
「フネノヒト、スキ。ミツメ、キライ」
 カケルの言葉が通じなかったのか、ミスミは曇った表情でそう告げた。
「ミツメ、キライ。ナカマ、コロス」
 ミスミは更に言葉を連ねる。表情がいっそう昏く翳った。
「ウミノヒト、イナイ――」
 唐突に、ミスミの顔が強張る。
 ミシェルが異変に気づいた瞬間、彼の身体はグラッと大きく傾いた。
「オイ、大丈夫か?」
 カケルが慌ててミスミの身体を抱き留める。
 ミスミからの返事はない。
「ミスミ、しっかりして!」
 ミスミの顔を覗き込み、ミシェルは狼狽した。彼の顔は蒼白だった。身体のどこかに不具合を来しているのは明白だ。
「陸に上がったのがマズかったのか?」
 腕の中のミスミを見つめ、カケルが渋面を作る。
 ミシェルは即座に首を振った。
「それは関係ないと思います。アクア人は陸でも生活できますから……。もしかしたら、わたしを助けるために無理をしたのかも――」
「呼吸が不規則だね。病人を放置してはおけないよ。一緒にスクルドへ連れて行こう」
 ラギが提案する。
「緊急事態だから仕方ない。どれだけ治療に効果があるか解らないが、ドクター・イブリスに診てもらおう」
 カケルが決断を下し、ミスミを両手に抱え直す。
「では、お二人とも早急にスクルドにお帰り下さい」
 抑揚のない声音でクリスが告げる。彼の視線がちらとミシェルに流された。
 その視線の意味を察して、ミシェルは素早く頷いた。
 ミシェルとクリスにはまだ仕事が残っている。
「クリスたちは戻らないのか?」
 ラギの不審の眼差しがクリスとミシェルに注がれる。
 二人は同時に首肯した。
「私たちは残ります。ディス人の仲間が、まだいるかもしれません。我々の存在を知られるのは不都合です」
「ディス人の死体を処分したら、すぐに帰還しますから心配しないで下さい、隊長」
「解った。――じゃあ行くか、ラギ」
「そうだね」
 ラギが敏捷に背を返し、砂上に放置されているエアバイクへ駆け寄る。
 しばし物色した後、彼は一台のバイクに飛び乗った。
 すぐにエンジン音が響き、バイクが接近してくる。
 カケルはミスミを肩に担ぐと、ラギの後ろに飛び乗った。
「二人とも気をつけろよ」
 カケルの言葉を最後に、エアバイクは砂塵を噴き上げて疾走を開始した。



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2009.06.21 / Top↑
 カケルたちを乗せたエアバイクが視界から消えると、クリスがゆっくりとミシェルを振り返った。
「さて、死体を隠しましょうか」
「そうね。エア・バイクごとジャングルに隠蔽するのが手っ取り早いかしら?」
「ええ。海辺よりは発見されにくいはずです」
 ミシェルとクリスは頷き合うと、それぞれ近場にあるディス人の遺体へ駆け寄った。
 遺体の衣服を調べ、ミスミを狙う原因が記されているものがないかチェックする。
 何もないことが判明すると、遺体を両手で引っ張り、ジャングルへと移動させる。
 草木で姿を覆い隠し、また浜辺へと戻る。
 不愉快な作業だが、ミシェルもクリスも黙々と己れの役割を果たした。
 こんな拓けた場所に遺体を転がしておくわけにはいかない。彼らの仲間がこの惨状を見れば、すぐにスクルドの存在は知れてしまうだろう。
 四体目の服を検めていたところで、ミシェルは上着の内ポケットに小型コンピュータを発見した。
 これまでの三体には無かったものだ。もしかしたら、このディス人がリーダーだったのかもしれない。
「クリス!」
 ミシェルはコンピュータを手に取り、それをクリスに向かって振ってみせた。
 すぐにクリスが駆けてくる。
「コンピュータを見つけたわ」
「作動しますか?」
 クリスが屈み込み、ミシェルの手からコンピュータを受け取る。彼は、しばらく色々なキーを叩いたりしていたが、やがて諦めたように小さく息を吐いた。
「壊れています。――でも、挿入されているディスクは取り出せますね」
 スロットから薄っぺらいディスクを取り出し、クリスはミシェルに渡した。二センチ四方の超小型ディスクだ。
「何かしら、コレ。光磁気ディスクかな?」
 ディスクを眺めながら、ミシェルは首を捻った。
 ディスクのラベルには何の表示もない。
 ディスク本体の端にメーカーの商標らしきロゴが記されているが、それはミシェルの読める文字ではなかった。
「スクルドに持ち帰りましょう。読み込み可能なマシンがあるかもしれません。文字は翻訳機にかければ何とかなるでしょう」
「そうね。コレに、ディス人がアクア人を狙う理由が記されてたら万々歳ね」
 楽観的に述べ、ミシェルはディスクを制服のポケットにしまった。
「作業に戻ります」
 クリスが立ち上がり、身を翻す。
 その背にミシェルは視線を投げた。
「ねえ、身体は大丈夫なの?」
「大したことはありません」
 ミシェルを顧みずに淡々と応え、クリスは持ち場へ戻ってゆく。
 ――ホントに平気なのかしら?
 毅然としたクリスの態度を見ている限り、高熱があるようには見えない。
 だが、体調が悪くても頑なに平然を貫き通すのが、クリスという人物なのだ。彼の言葉を額面通りに受け取ってはいけない。
 ――胸糞の悪い作業をさっさと終わらせて、スクルドに連れ帰るべきね。
 結論を出し、気を引き締め直す。
 転瞬、視界の端を何かがよぎった。
 破損したエアバイクの影で、何かが蠢いたような気がしたのだ。
 直感が警告する――危険だ。
 脳裏で警戒信号が点滅した瞬間、聞き慣れない爆音が響いた。
 ほぼ同時に、クリスの顔が凍りつく。
 彼の左肩から血の華が飛び散った。



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2009.06.22 / Top↑
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