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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Mon
2009.07.06[22:00]
「感動の対面はどうだ、アイラ? 祖国の人間に逢うのは一年振りだろう?」
 玉座の上から、ラパスが冷ややかな声を投げてくる。
 アイラは眉をひそめた。
 懐かしい人々との邂逅に、嬉しさよりも驚愕が勝っている。
 まさか、この国で祖国の人間――それも臣下に出逢うとは、想像だにしていなかった。
 次にアイラがキールの民の前に姿を現すのは、断頭台。もしくは、他の処刑台のはずだった。
 ラパスはキール国民に己れの強大さを見せつけるために、より効果的、劇的に、そして残酷に――王子であるアイラを民の前で引き裂くだろう。
 その日が訪れるよりも先にキールの民が眼前にいる事実が、しばし時を忘れさせた。
「――殿下、よくぞ御無事で」
 パゼッタ将軍が感極まった声音で告げる。
「お赦し下さい。わしは、あの戦場で殿下をお助けすることができませんでした」
「……いや。皆、無事で何よりだ」
 パゼッタの声に我に返る。喉から絞り出されたのは、低く震えた声だった。
 久々に耳にする王子の声に感嘆したのか、五人は更に頭を垂れる。

 パゼッタ将軍。
 レンボス副宰相。
 リーシェンタ公爵マロイ。
 宮廷魔術師フェノナイゼ。
 エルロラ大神殿シザハン神官。

 順に視線を馳せ、確認する。
 あのおぞましい戦火の中、よくこれだけの高官が生き残ったものだ。
 キール落城が、一二八五年晩春。
 アイラはこの時、カシミアの囚われ人となった。
 イタールのレイ城が陥落し、ロレーヌ戦争が終焉を迎えたのが、今年の晩夏。
 今、パゼッタたちがここにいるということは、キール滅亡後もカシミアと戦い抜いてきた証だ。
 アイラが幽閉されていた一年――彼らは戦っていた。
 惨々たる戦場を駆けていた。
 幽閉の身より、辛酸で過酷なものだったに違いない。
 アイラは震える唇を噛み締め、毅然と宙を見据えた。
 胸中に、キールの王族であるという、自覚と責務がまざまざと甦ってくる。
 ――この五人に跪かれるだけのことを、自分は成していない。

「皆、面を上げてくれ。今の私は、そんな身分ではない」
 アイラの言葉に躊躇いながらも一同は顔を上げる。
「――殿下?」
 パゼッタとレンボスが怪訝な顔でアイラを見上げる。
 マロイの涙に濡れた双眸が、不思議そうにアイラに眺めた。
 フェノナイゼとシザハンは、互いに顔を見合わせている。
「立つがいい、諸卿ら」
 ラパスが冷笑を浮かべたまま言い渡す。
 五人はラパスにも言い添えられ、釈然としない面持ちのまま立ち上がった。
「卿らの大切な王子は、余が鄭重に預かっている。――アイラ」
 ラパスに名を呼ばれ、アイラは彼に視線を転じた。
『傍に寄れ』というように、ラパスが軽く手で招く。
 アイラは、ラパスに負けず劣らずの冷ややかな眼差しで彼を睨めつけ、一歩彼の方へ踏み出した。
 ジャラ……と、重い鎖が音を立てる。
「ラパス王、何ということですかっ! 殿下は我がキールの貴き王子ですぞ! それを……それを枷をかけるなど――」
 その音に素早く反応したのはパゼッタだった。彼は、信じ難いものを見るように、アイラの両手首の枷を凝視している。
「殿下を囚人扱いするなど、言語道断っ!」
 次に彼は、憤然とした形相で駆け出した。
「控えろっ! ラパス王の御前だ!」
 転瞬、室内に控える衛兵たちがパゼッタを包囲し、アイラに近づくことを阻止した。
「殿下をそのようにお扱いすることは赦せませんぞ、ラパス王!」
 足を止められ、パゼッタは憤りをぶつけるように玉座のラパスを見上げた。
 座上のラパスが口を開くより早く、
「やめよ、将軍」
 アイラはパゼッタに制止の声を投げかけた。
「しかし、殿下――」
「ここでは、私は罪人。虜囚であり咎人だ」
 アイラは感情を表さずに淡々と述べた。
「殿下……なんと御労しい……」
 マロイが涙声で呟く。
 彼の声に触発されたように、他の四人も何とも言えぬ複雑な表情を湛え、アイラを痛ましげに見つめるのだ。
 ――今の私には、彼らの嘆きが鋭利な刃物のように胸に突き刺さる。
 アイラは唇の端を歪め、自嘲した。
 罵られた方がまだましだ。
 自分の不甲斐なさを指摘され、責め立てられる方が、気は楽だ。
 悲嘆され、身を案じられるほど、胸が締めつけられるように痛くなる。
 情けない己が身を呪いたくなる。
「アイラの身は、余が預かっている」
 ラパスが短く告げる。
 同時に漆黒の影は玉座を離れ、滑るような足取りでアイラに接近してきた。
「ゆえに、アイラは――余の物だ」
 ラパスの薄い唇が残忍な微笑みを象る。
 その手が流れるような動きで、アイラの隣に立つルシティナの腰から剣を抜き取った。
「陛下」
 主を咎めるルシティナの声。
 アイラは、自分に向けられた白刃の切っ先を瞬きもせずに見つめた。
「殿下っ!」
「アイラ殿下――!」
 悲鳴が室内に谺する。
 刹那、シュッと小気味よい音を立てて刃がアイラの頬を掠めた。
 アイラは、目前で愉しげに微笑むラパスをゆるりと見上げる。
 直後、頬に熱い痛みが走った。
 生温かい液体が頬を伝い落ちる。
 生臭い血の匂いに、アイラは微かに顔をしかめた。
「陛下、殿下は体調も気分も優れぬのですよ」
『悪戯にしては程が過ぎる』と、ルシティナが主人を嗜める。
「……平気だ。大した傷ではない」
 アイラは苦々しく呟いた。
 アイラも剣士だから解る。ラパスが繰り出した剣は、頬の皮一枚を切り裂いたに過ぎないのだ。強烈な痛みはない。
 ただ、血の匂いだけが不快だ。
 ――気持ち悪い。
 そう思った途端、眩暈を感じた。
「殿下!?」
 よろめいた身体をルシティナが素早く支えてくれる。
「ラ、ラパス王。我らの眼前で殿下を傷つけるとは、どういうことですかっ?」
 レンボスが狼狽しながらも、一同を代表するように問う。
「余は言ったはずだ。卿らには、是が非でも余の臣になってもらうと」
 ラパスは悠然と笑んだ。
 ゆっくりと剣が持ち上げられ、刃がアイラの首筋に当てられる。
「この首を斬り落とされたくはないであろう? 聡い卿らなら、余の言わんとすることが理解できるはずだ」
 ラバスの言葉に、アイラは眉をはね上げた。
 自分の身がパゼッタたちの足枷となっていることが腹立たしい。
 アイラが生きていたがために、彼らは意に添わぬのにラパスに従わなければならないのだ。
 アイラの身を第一に考え、彼らはラパスの足許に平伏すことを選ぶだろう。
 それが解るから歯痒い。
 もどかしい。
 ――この身など滅びてしまえばよかったのに……!

「アイラ」
 ふと、ラパスがアイラの耳に唇を寄せる。
「殺しはせぬ。おまえには、死ぬまで余のために尽くしてもらう」
 アイラにしか聞こえぬような小声で告げ、ラパスは嘲笑った。
 心中を見透かされたような気がして、アイラは険のある眼差しでラパスを睨みつけた。
 ラパスはそれを歯牙にもかけず、平然と旧キールの臣下を振り返った。
「殿下を……人質になさるか――」
 ぐうっ、と奇怪な呻き声を発し、レンボスが押し黙る。
「なんと下劣な……」
 パゼッタとマロイが、忘我したように掠れた声を吐き出す。
「卑怯だが有効な手だ」
 揶揄するように述べ、フェノナイゼは『お手上げだ』というように肩を聳やかした。
「惨いことを――」
 シザハンの唇からは嘆息が洩れる。
 どの顔にも諦めに似た翳りが漂っていた。
 それを確認して、ラパスはほくそ笑んだ。
「ルシティナ、アイラを連れて行け」
 ルシティナに指示を与え、ラパスは身を翻した。
 闇の色をしたマントが黒鳥の翼のように広がる。

 ――魔王の翼をもがなければ。

 ラパスの後ろ姿を見つめながら、アイラは漠然と思った。
 あの、闇の王が羽ばたくための翼をもがなければ、自分に、キールの民に――このロレーヌに、安息の日々が訪れることはない。
 ――ロレーヌの大地をラパスに蹂躙させてはならない。
 優雅な動作で玉座に腰を据える魔王を、アイラは苛烈な眼差しで射抜いた。
 ――君臨してしまったのなら、引き摺り下ろすまで。
 胸に暗澹たる憎悪と烈火の如き決意を秘め、アイラはラパスから視線を外した。
「アイラ殿下、行きましょう」
 ルシティナが、片手でアイラの身体を支えるようにして促す。
 アイラは無言で頷き、ルシティナに従った。
 退出する間際、五人の臣下を顧み、安堵させるように微笑む。
 ――忘れたわけではない。

 キールの王族としての誇りや重責。
 所以なく国土を荒らされ、侵略され、首を斬られた両親と兄。
 最期まで一貫してラパスに牙を剥き、憤死した妹。
 燃え盛る炎の中、苦悶の叫びをあげ、死にゆく人々……。
 焼ける家屋、町――大地、人間。
 決して忘れたわけではない。
 あの殺戮と血の日々を――

 ――私は、生きている。

 生きているからには――生きている限り、やらなければならないことがある。
 キール・ギルバード王朝唯一の生存者となった時点で、残されたキールの民の生命は、アイラ一人の肩に重く圧しかかっているのだ。

 ――この身は、全てキールの民のものだ。

 長い地下牢生活で萎えていた気力が、徐々に蘇生されてゆくのをアイラは実感した。
 まだ、天に、神に、民に――見放されたわけではない。


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Mon
2009.07.06[22:22]
    *


「太子、太子! お待ちなさい」
 微かな焦燥を孕んだ高い女の声が、白亜宮の長い廊下に響き渡った。
 廊下を行き交う人々は『何事か?』と足を止め、声の発生源を捜し求めた。
「こっちだよ、ファリファナ!」
 小さな影が、明るい笑い声を立て、足を止めた侍女のドレスの影に隠れる。
「まぁ、ザラヴァーン様!」
 侍女は驚いて、足許の子供を見下ろした。
 黒い髪を肩の上で切り揃えた男の子が、悪戯っぽい眼差しで侍女を見つめている。
 黒曜石のような双眸が愉しげに輝いていた。
「太子、太子!」
 子供を求める母のような声が、再び廊下に響く。
 次いで、赤い人影が長い廊下に出現した。炎のような真紅の髪がフワリと靡く。
 その姿に、人々はまたしても歩を止めた。珍奇な赤い髪と瞳に驚いたのだ。
「――太子」
 だが、その少女が、宮殿では見慣れた人物であることを確認して、皆ホッと安堵の笑みを零した。
 少女は髪と同じ真紅のドレスの裾を両手でたくし上げ、廊下を疾駆している。
「ザラヴァーン様、ファリファナが困っていますわよ」
 子供をドレスの影に隠した侍女が、苦笑を浮かべる。
「ファリファナ、殿下はここですわよ!」
 別の侍女が赤い少女に向かって愉しげに手を振った。
「――太子!」
 ファリファナと呼ばれた少女は、声を聞くなり一目散に駆けてきた。
「あらら、折角の美貌が台無しだわ、ファリファナ。さあ、ザラヴァーン様」
 肩で息をしながら立ち止まったファリファナに、侍女が子供を差し出す。
「ファリファナ!」
 嬉しそうに名を呼んで、子供はファリファナに抱き着いた。
 ファリファナの白い両手が、子供を優しく抱き上げる。
「太子、あまりわたくしを困らせないで下さいませ」
 ファリファナは咎めるような口調で子供に告げる。
 だが、言葉とは裏腹に顔には優しい微笑みを湛えていた。
「うん」
 子供が屈託なく笑い返す。
「王太子殿下はファリファナには甘いこと」
「ファリファナもザラヴァーン様には甘いのよね」
 侍女たちの間に笑いが起こる。
「太子は、わたくしの宝物ですわ」
 ファリファナは子供に向って再度微笑んだ。
「殿下、ファリファナに迷惑をかけてはいけませんよ」
「廊下を走れば、お父上に叱られますわよ」
 侍女たちは小さな子供の頭を撫で、仕事に戻るために次々と去って行く。
「本当に困った王子様ですわ」
 ファリファナも子供の頭を撫でる。
 子供をそっと廊下に下ろす眼差しは温かく、慈愛に満ちていた。
 子供は今年で六歳になる。
 ザラヴァーン・エンキルド――カシミア国王ラパスの長男。
 カシミアの王太子だ。
「お部屋に戻りましょうね、太子。まだ、お勉強が残っていますわ」
 ファリファナはザラヴァーンの小さな手を握り、廊下を歩き始める。
 ファリファナは、二十歳。
 本名をファリファナ・ルフィカスタといい、先のルフィカスタ伯爵の愛娘であった。
 しかし今は、王太子ザラヴァーン直属の侍女である。
「もっと遊びたいな」
「陛下に叱られますわよ」
 ファリファナはやんわりと注意する。
 ルフィカスタ伯爵家は、決して豊かな貴族ではなかった。名ばかりの貧乏貴族だったのだ。
 そんな体面だけの爵位など、さっさと返上してしまえばいい。
 ファリファナはずっとそう思い続けていたが、父は頑としてその意見を受け入れなかった。
 その父がこの世を去ったのは二年前――ラパスが兄王サマリを討ち、カシミアの玉座に就いた頃だった。
『おまえの器量と美貌なら、ラパス王の目に止まるかもしれない』
 父の最期の言葉がそれだった。
 真に受けたわけではないが、ファリファナは父の死を契機に伯爵家の相続を放棄し、王宮に上がった。
 ラパスがファリファナに特別な感情を抱くことはなかった。
 だが、その代わりにこの小さな宝物を授けてくれたのだ。
「父上は僕とは遊んでくれないから、いいの」
 大きく頬を膨らませるザラヴァーンを、ファリファナは愛おしく見つめた。
 自らが玉座に就くと、ラパスはザラヴァーンを宮内に招き入れた。
 臣下の反対を押し切り、ザラヴァーンの立太子宣言を行った時には宮殿に動揺と衝撃をもたらした。
 ラパスに正妃はいない。
 ザラヴァーンは正腹の嗣子ではないのだ。
 ラパスが玉座に就く以前、愛妾に産ませた子供がザラヴァーンだと言われている。
 だが、その愛妾の姿を見た者は誰一人としていなかった。
 ザラヴァーンの漆黒の髪と瞳はラパス譲りのものだろう。
 しかし、漆黒の容貌を持ち合わせていたのは、ラパスだけではない。
 先の兄王サマリもまた――
 そこまで考えて、ファリファナは軽く頭を振った。
 ――こんなことを勘繰ってはいけない。
 宮中で密やかに囁かれている王太子についての噂。
 あんな低俗な戯言に耳を傾けてはいけない。
 ファリファナにとって、ザラヴァーンがここに在る、ということだけが真実なのだ。
 ザラヴァーンの両親が本当は誰なのか――それはファリファナには関係のないことだ。
「その分、わたくしが遊んで差し上げますわ」
 ファリファナは小さな手を強く握った。
 宮殿に参上してすぐに、ラパスからザラヴァーンの世話役を頼まれた。
 以来、ザラヴァーンだけがファリファナの宝物――生き甲斐だった。



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Mon
2009.07.06[22:32]
 ファリファナはザラヴァーンと連れ立って、宮殿内を当てもなく歩いていた。
 ザラヴァーンが自室に戻るのを拒んだので、しばらく散策することに決めたのである。
 宮殿一階――中央にある中庭で小一時間ほど遊んだ後、二人は手と手を繋いで宮中に戻った。
「ねえ、ファリファナ。奥の宮殿には誰が住んでるの?」
 ザラヴァーンがそう訊ねてきたのは、二階へと続く階段を昇っていた時のことだった。
「さあ……? わたくしにも解りませんわ」
 ファリファナは困惑気味に首を傾げた。
 ザラヴァーンの言う『奥の宮殿』とは、二階最深部の一室のことを指しているのだろう。
 あの部屋に近づくことは禁じられている。
 時折、食事や衣類などが運び込まれているのを目撃するが、部屋の主人にお目にかかったことはない。
 ラパスの親衛隊長であるルシティナが足繁くあの部屋へ通っていることから、相当の貴人が住んでいることだけは想像できる。
 だが、それ以外は全て謎だった。
「興味がおありですか、太子?」
「うん! だって、僕と遊んでくる人かもしれないでしょ」
 ザラヴァーンは無邪気に微笑む。
 釣られるように、ファリファナも微笑み返した。
「そうですわね。今度、ルシティナ様に訊いてみましょうね」
 微笑み、最後の階段を昇り切る。
 直後、
「あら? 噂をすればルシティナ様ですわ」
 ファリファナは近くに黒ずくめの青年を発見した。
 ルシティナは、宮殿の奥へと続く廊下に入るところだった。
 その両腕には、意識を失っているらしい人間が一人――大事そうに抱えられている。
 床に届きそうなほどの長い銀髪が、妙にファリファナの目を引いた。
 アリトラの白亜宮に、あれほど見事な銀髪の持ち主はいなかったはずだ。
「あれ、奥の宮殿の人かな?」
 ファリファナの心中を汲み取ったかのように、ザラヴァーンが素朴な質問を繰り出す。
「行ってみましょうか、太子」
「うん!」
 ザラヴァーンはファリファナを見上げ、力強く頷く。
 転瞬、少年はファリファナの手を離し、敏捷に駆け出した。


「ルシティナ!」
「ルシティナ様」
 ザラヴァーンの後をファリファナが追う。
 二人の呼びかけにルシティナが足を止め、振り返った。接近する二人の姿を認識して、困ったように苦笑する。
「王太子殿下。ファリファナ姫」
 ルシティナは腕に銀髪の人物を抱いたまま、二人に向って恭しく頭を下げた。
「ルシティナ様、わたくしに《姫》は無用ですわ。わたくしは、疾うの昔に爵位を返上しているのですから」
 ファリファナは白い頬を膨らませて、ルシティナに柔らかく抗議した。
 ルシティナはラパスの親衛隊長だが、貴族の出自ではない。伯爵家の家督を放棄したといえども、身分はファリファナの方が上である。
 王太子付きの侍女ではあるが、ラパスの客人に等しい存在だ。
 それを考慮してか、ルシティナはファリファナのことを尊称で呼ぶ。何度ファリファナが注意しても、一向に改める気はないようだった。
 ルシティナはファリファナの言葉に苦笑し、次に何かに感銘したように目を見開いた。
「姫は――この方と同じことを言われる」
 ルシティナの視線が腕の中で眠る人物に注がれる。
「この人、女の人?」
 不思議そうにザラヴァーンが訊ねる。
 ザラヴァーンが、そんな質問を繰り出したのも無理はない。
 女のファリファナから見ても、その人物は頗る端麗な顔立ちをしていた。
 閉ざされた瞼も、鼻梁も、唇も、繊細な造りで美しい。
「残念ながら男性ですよ、王太子殿下」
「まあ……! わたくしより綺麗ですのに、殿方なんですの!?」
 ファリファナは目を丸めた。
 嫉妬心が首を擡げなかったと言えば嘘になる。
 ファリファナは敢えてそれを言葉に成した。
 これほどの美貌の持ち主だ。女性に生まれていれば、さぞかし男性から持て囃されたことだろう。
 ――わたくしにこの美貌があれば、陛下はわたくしを振り向いてくれたかもしれない。
 妙なことを考えている自分に気づき、ファリファナは慌てて己れを戒めた。
 考えても仕方のないことだ。
 自分は、ラパス王に選ばれなかったのだから……。
「姫は充分にお綺麗ですよ」
 純粋な讃辞だと解っていても、ルシティナのその言葉はファリファナの胸を針のようにチクリと刺した。
「ファリファナは綺麗だよ」
 ザラヴァーンがファリファナのドレスをギュッと握り、必死に伝えてくる。
 ファリファナは、そんなザラヴァーンに優しく微笑んだ。
「ありがとうございます、太子。――でも、この方は本当にお綺麗ですわ。先ほど『この方』と言われましたわね、ルシティナ様。貴きご身分の御方ですの?」
 ルシティナは、この青年に対して敬意を払っているようだった。それは、青年がそれ相応の身分の持ち主だということだろう。
「陛下の客人ですよ」
「でも、頬から血が出てるし、枷がかけられてるよ?」
 ザラヴァーンが子供の純朴さで問いかける。
 ルシティナの顔に苦い笑みが広がった。
「これは……少し手違いがありまして――」
「気を失ってるけど、大丈夫なの?」
「ええ。慣れぬ外出で疲れが出ただけだと思います」
 ルシティナが申し訳なさそうに目を伏せる。
「この方、奥の間の住人ですわね? ――それで、誰なのです?」
「いずれ知れてしまうことですし……御二方には先にお伝えしておきましょう。この方は、ギルバード・アイラ様です」
「――――!?」
 ファリファナはその名の持つ意味を知り、驚愕した。
 固唾身を呑み、恐る恐る銀髪の青年を注視する。
「キールの第二王子……。地下牢に幽閉されているという噂は本当でしたのね」
 乾いた声が咽喉の奥から洩れる。
 愕然としながらも青年から目が離せない。

 ギルバード・アイラ。

 烈光の女神と名高い王女ギルバード・アーナス・エルロラの実兄。
 ギルバード・アーナスと相似する容貌を持つと云われている王子。
「この人、僕と遊んでくれるかな?」
 幼いザラヴァーンには、『キール』とか『ギルバード』という語の真意が解せないのだろう。無邪気に問うてくる。
「え、ええ……」
 ファリファナは半ば上の空で応えた。
 胸中で黒い影が渦巻く。
 ポッカリと空いた穴に、寒々しい風が吹き荒ぶようだった。
 ――陛下が求婚したという姫と似た容姿。
 美貌の青年を、ファリファナは暗鬱とした眼差しで見つめた。
 何度見直しても、それは己れより美しいとしか言い様がない。
「……ファリファナ?」
 ザラヴァーンが不安げに見上げてくる。
 ファリファナは小さな王子に言葉を返すことができなかった。
「王太子殿下、アイラ殿下は御優しい方です。体調が優れれば、きっと殿下の相手をなさって下さいますよ」
 茫然自失としているファリファナに代わり、ルシティナがザラヴァーンに告げる。
 その声もひどく遠くに聞こえた。
 ファリファナの目は、吸い寄せられたように青年から離れない。
 ラパスは即位して数ヶ月後、キールの王女であるアーナスに求婚した。
 ラパスの心はアーナスにあり、ファリファナが入り込む余地などなかったのだ。
 ラパスに恋焦がれていたわけではないが、それはファリファナの女としての矜持――自尊心を深く傷つけた。
 あれから二年、傷を覆い隠すかのように小さな王子と戯れて過ごしてきた。
 ようやく『ファリファナ伯爵姫は、ラパス王に見向きもされなかった』という宮中の嫌な囁きも鎮まり、楽しく暮らしていたのに……。
 今になって、アーナスに似ている王子が目の前に姿を現した。
 何という皮肉な巡り合わせだろうか。
 ――死してなお、アーナス王女はわたくしに陛下を譲っては下さらない。
 悄然とした想いが、ファリファナの心に芽生える。
 ――この美貌が陛下を虜にしたのだわ。
 そう感じた瞬間、悔しいほどの羨望と挫折感が生じた。
 ――わたくしは負けたのだ。
 敗北を認めることは、同時に小さな王子と二人だけの幸福な時の終わりだった。
 ファリファナは青ざめた表情で唇をきつく引き結んだ。
 ――良くも悪くも、わたくしはアイラ王子を無視できない。
 自己の世界が変革を迎えようとしてるのを、ファリファナは痛烈に実感した。
 ――わたくしは、きっとアイラ王子に惹きつけられる。魅せられる。



     「2.火の女神の娘」へ続く



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Tue
2009.07.07[08:52]
2.火の女神の娘



 アリトラの白亜宮――その城下に広がるアリトラの都は、森閑とした朝を迎えていた。
 朝靄が垂れ込める秋の早朝。
 都でも高級な部類に入る宿屋の一室では、五人の男たちが神妙な面持ちで顔を突き合わせていた。
 カシミアの統治下に与従うしか術のなかった、旧キール・ギルバード王朝の家臣たちだ。
 彼らは、それぞれに眠れぬ夜を過ごし、この一室へと集まってきたのだった。
「監視の兵士たちには、魔術で眠っていただきました。念のために精霊に周囲の見張りをお願いしましたので、もう大丈夫です。何を喋っても構いませんよ」
 部屋の主――シザハン大神官は、静穏な口調で一同に告げた。
 皆が重々しく頷く。
「まさか……まさか殿下が生きておられたとは、な」
 最初に口を開いたのは、副宰相レンボスだった。
 彼は、難しい顔つきで床のある一点だけを見つめている。
「副宰相殿は、殿下が生きておられたことが気に食わないらしい」
 レンボスの声に焦燥が混ざっているのを察知し、フェノナイゼが露骨に嫌味を放った。
「フェノナイゼ! わたしを侮辱する気か?」
 レンボスが険のある眼差しでフェノナイゼを睨み据える。
「……殿下の出現により、予定されていた台本に何か不都合が生じたようですな」
 フェノナイゼに代わりレンボスに言葉を返したのは、リーシェンタ公爵マロイだった。
「やはり、副宰相殿には席を外していただかなければなるまい」
 重々しい口調で告げたのは、パゼッタ将軍だ。
「わたしには、元よりこのような話し合いに参加する意志はない!」
 ガタッと音を立てて、レンボスが椅子から立ち上がる。
「卿らが何を企てようと、何を実行しようと構わないが、わたしは一切関わりがないからな!」
 憤然とした口調で断言し、レンボスは不快さを隠しもせずに身を反転させるのだ。
「では、わしらが何をしようとも、それを邪魔しないでいただきたい」
「勝手にするがいい」
 パゼッタの言葉をはね除け、レンボスは荒い足取りで扉へと向っていく。
 レンボスが扉の把手に手を伸ばした時、
「ラパス王が恐ろしいですか?」
 シザハンが静穏に問いかけた。
 返答に詰まったのか、その質問の意図することに驚いたのか、レンボスがピクリと全身を強張らせる。
「……卿らは、わたしが城にカシミア兵を招いたと勘繰っているようだが、それだけは断じて違う。わたしとて、私利私欲だけでラパス王の許に下ったわけではないのだ」
 レンボスはシザハンの問いには答えなかった。
 代わりに、力強く把手を握り締める。
「アイラ様では駄目なのだ……。生きておられたのがアーナス様なら、わたしも卿らの考えに賛同しよう。だが、アイラ様ではラパス王には勝てぬ。ラパス王の首は獲れぬのだよ」
「何が言いたいのですかな、副宰相殿?」
 訝しげにパゼッタが訊ねる。
「アイラ様にローラは使えぬ。ラパス王を斃す唯一の武器は、アーナス様にしか使えぬのだ……。卿らがアイラ様を担ぎ出したい気持ちは解らぬでもない。しかし、卿らが行おうとしていることは、アイラ様のお生命を確実に縮める。――パゼッタ将軍、一年前、戦場でアイラ様を救出できなかったことを悔いているのは、卿だけではないのだよ」
 感情を押し殺したような声で告げ、レンボスは静かに部屋を出て行く……。
 残された四人は、困惑したように顔を見合わせた。
 いつになく、レンボスの言葉には真実味があった。
 それがひどく意外であり、戸惑わずにはいられなかったのだ。
「良心の呵責――ってヤツですかね? 国を売っといて、今更、って感じですけどね」
 フェノナイゼが相変わらずの毒舌を放ち、フンと鼻を鳴らす。
「しかし、副宰相殿の言われることにも理がある」
「そうですね。開城の際の真実は定かではありませんが、確かにローラはアイラ殿下には扱えません。あれは、エルロラ神がアーナス王女に授けた物ですから……。エルロラ神の恩恵がなければ、何の役にも立たないでしょう。もっとも、問題のローラは未だ行方不明ですけれど……」
 マロイの言葉を引き継ぎ、シザハンが静かに事実を述べる。
「それに、殿下がラパス王に勝てぬ――とは断定できないのですよ。殿下には、私と同種の能力が備わっております」
 シザハンは、双眸に理知的な輝きを閃かせながら一同を見回した。
 その一言に、皆がハッと顔を上げる。
 彼らは知っていた。アイラがシザハンと同種の特殊能力――神秘の力をその身に宿していることを。
 だが、その類い稀な力は、アイラ本人の意志により長き間封印されている。
 それは、禁呪なのだ。
 ゆえに、アイラがその秘められた力を解き放つ可能性が無に等しいことも、彼らは熟知していた……。
「殿下が自らの封印を解かれれば、ラパス王に勝てるかもしれません。殿下の最大時の能力は、私をも凌ぐでしょうから」
「だが、今はそれを考慮に入れぬ方が賢明だろう。あれは、殿下自らの生命を犠牲に――」
 最後まで言い通さずにマロイが言葉を絶やす。
 先の言葉まで聞かずとも、他の者にも彼の言いたいことは伝わったようだった。
 皆、一様に渋面を造り、押し黙ってしまう。
「何にせよ……我々は殿下を取り戻さねばならぬ。殿下をあの悪魔の手許に置いておくなど、狂気の沙汰だ」
 しばらくの空白の後、パゼッタが沈痛な顔で口を開いた。
「それに、キールを再興させるには、王家の存在――殿下が必要ですらね。まっ、俺たちが殿下を救い出さなければ始まらない話ですけどね」
 フェノナイゼが唇をへの字に結ぶ。
「問題は、殿下がそれを望んでいるか、ということです」
 シザハンが再び一同に視線を流した。
「殿下がそれをお望みでないなら、私たちの行おうとしていることは、副宰相殿が言ったように――殿下の身を危険に晒すだけになってしまいます」
「ですが、民が動けば、殿下も動かざるを得なくなるでしょう」
「そりゃそうですね。民が動いたら、王族として放っておくわけにはいかないでしょう」
 マロイの発言に、フェノナイゼが一人納得したようにうんうんと頷く。
「フェノナイゼ殿、戦とは人の生命が奪われるものです。幾千幾万の生命が散るものです。殿下は、それをお望みにならないかもしれません」
 シザハンが嗜めるような眼差しでフェノナイゼを見遣る。
「しかし……カシミアには終わった戦でも、我らキールの民にとっては、未だ終わりを告げていない戦なのだ」 
 苦渋に満ちた表情でパゼッタが呟く。
「殿下は、終わりにしたいと考えているかもしれません……」
 シザハンは憂いを帯びた菫色の瞳を軽く閉ざした。
「私たちが『キール再興』を名目にラパス王に牙を剥くことは――全ての責任をアイラ殿下に押しつける、ということです。私たちは、それを忘れてはなりません。副宰相の述べたように、私たちは殿下を犠牲に国を取り戻そうとしているのですから……。それが『王家に生まれた者の運命だ』と言ってしまえば、それで終わりですけれど――」
 重苦しい空気が室内に漂う。
 囚われの身であるアイラをラパスの手から救出する――それだけで、ラパスに対する大逆なのだ。
「わしは、純粋に殿下をお救いしたいのだ」
 低く暗く、パゼッタが呟く。
「まっ、今、思い詰めても、しょーがないでしょう!」
 張り詰めた空気をほぐすように、唐突にフェノナイゼが立ち上がる。
 彼は一同を見回し、安堵させるように大仰な笑顔を取り繕った。
「とりあえず、ラパス王に隠れて殿下に逢いに行かないとね」


     *


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Tue
2009.07.07[08:59]
      *


 明るい陽光が降り注いでいる。
 瞼に光を感じて、アイラは目醒めた。
「……あっ、起きたよ、ファリファナ!」
 朧な意識の中、幼い声が聞こえるのを不思議に思う。
「太子、無理にお起こししてはいけませんわ」
「だって、今、動いたよ」
 意識が覚醒するにつれ、頬や額を小さな手が撫でているのが解った。
 ――ファリファナ……火の女神が、何故こんなところに?
 怪訝に感じた瞬間、虚ろな意識がしっかりと現実に繋がった。
 自分の傍に人間の気配を察知し、慌てて瞼を撥ね退ける。
 最初に視界に飛び込んできたのは、黒い髪と瞳の幼い少年だった。
「うわぁ、綺麗! 宝石みたいだよ、ファリファナ!」
 少年の頬が、興奮と驚喜を表すように紅潮する。
 解せぬ状況に、アイラは不審な眼差しを少年に注いだまま、ゆっくりと上体を引き起こした。
「太子、失礼ですわよ」
 柔らかく嗜めるような女性の声がし、白い腕が少年の身体を抱き上げた。
「まあ、本当にお美しい。綺麗な蒼い瞳ですわね」
 アイラの目の前で、赤い物体が揺れる。
 それが真紅の髪である事実に気づき、アイラは僅かに目を見瞠った。
 炎のような髪と瞳を持つ女性が、食い入るようにアイラを見つめているのだ。
「ファリファナ……。火の女神か、そこにおられるのは?」
「い、いえ、わたくしは……。お起こしして申し訳ありません、アイラ殿下」
 女は腕に少年を抱いたまま、深々と頭を垂れた。
 アイラ殿下――そう呼ぶからには、この女性は自分の素性を知っているのだろう。
「殿下は不要です。私の国は、既にないのですから」
 アイラは軽く吐息を洩らす。
 女は一瞬戸惑ったように小首を傾げ、次に優雅に微笑んだ。
「それでは、アイラ様――わたくしは、確かにファリファナという名ですが、火の女神ではありませんわ。この容姿ゆえに火の女神の御名を戴きましたけれど」
 簡潔に説明し、女――ファリファナは再び笑んだ。
「なるほど……。それで、そちらはあなたの子供ですか?」
 アイラは、自分を見つめ続けている少年にチラリと視線を走らせた。
「そんな、滅相もございませんわ」
 ファリファナが驚いたように目を丸める。
「この方は――王太子殿下ザラヴァーン様でいらっしゃいます」
 ファリファナが、少年――ザラヴァーンの頭を愛しげに撫でる。
「……ラパス王の世継か」
 無邪気な好奇心を自分に向けてくるザラヴァーンを、アイラは改めて見直した。
 黒い髪と瞳は、ラパス譲りのものだろう。
 愛らしい少年が、あの残酷なラパスの血を引いているとは考え難かったが、ファリファナが言うからには間違いないのだろう。
「はい。わたくしは太子付きの侍女です」
「よろしくね、アイラ」
 ザラヴァーンがニッコリと微笑む。幼いせいか、魔王と呼ばれるラパスの冷酷さは、片鱗も覗えない。
 ――この子を憎んではいけない。
 アイラはそっと瞳を閉ざした。
 この二年間、自分の父親が何を成したのか、幼い王太子は解っていないであろう。
 ――この子に罪はない。全ての根源は、ラパスだ。
 アイラは自身に強く言い聞かせ、ゆっくりと瞼を押し上げた。
 しっかりとザラヴァーンに向き直る。
「王太子殿下、私はアイラと申します。――こちらこそ、よろしくお願い致しますね」
「うん!」
 ザラヴァーンの顔が喜色を表現するようにパッと輝く。
「太子、返事は『うん』ではなく『はい』ですわよ。それから、アイラ様は太子よりずっと目上の方なのですから、ちゃんと『様』と尊称でお呼びするように」
 ファリファナが言い聞かせるような口調でザラヴァーンに告げる。
「でも、ファリファナ、この宮殿で僕より偉い人って、父上しかいないんでしょう?」
 純朴にザラヴァーンが質問を繰り出す。
「アイラ様は、そのお父上のお客様ですわよ。陛下のお客様は、陛下と同じだとお考えになった方がよろしいのです。お解りになりますわね、太子」
「うん。解ったよ、ファリファナ」
 ザラヴァーンが従順に頷く。
 小さな王太子はファリファナに懐き、絶対的な信頼を寄せているようだ。
「アイラ様、ごめんなさい」
 ザラヴァーンがアイラに視線を戻し、頭を下げる。
「気にすることはありませんよ、ザラヴァーン様。私のことは、貴方のお好きなように呼んで構わないのですから」
 アイラはザラヴァーンの小さな手を取り、微笑む。
「はい、アイラ様」
 嬉しそうに笑い返し、ザラヴァーンはファリファナの手を擦り抜け、再びアイラの傍へやってくるのだった。
 小さな王子を腕に抱き上げた瞬間、不意に昨日の出来事が脳裏を掠めた。
 改めて思い返してみると、キールの家臣らと対面した後の記憶がポッカリ欠如している。
「……私は、どれくらい眠っていたのだ?」
 ラパスに裂かれた頬の傷に手を添えながら、アイラは自問するように呟く。
 転瞬、思いがけない声がアイラの問いに答えた。
「あれからずっとですよ。今は、翌日の朝です、アイラ殿下」
 アイラは緩慢な動作で首を巡らせた。
 いつから室内にいたのか、ルシティナの姿を寝台の脇に発見した。
「お身体の調子は如何ですか?」
「悪くはない」
「良かった……。中々目覚めないので、心配したんですよ」
 ルシティナが心から安堵したようにホッと息を吐き出し、笑う。
「太子もわたくしも心配致しましたわ」
 ファリファナがルシティナに同調する。
「二人は何故ここへ?」
 アイラは怪訝な眼差しをファリファナへ注いだ。
 ルシティナがいるということは、彼が二人をここへ招き入れたのだろう。だが、訪問される理由が皆目解らなかった。
「王太子殿下が、アイラ殿下にお逢いしたいと言いますので」
「わたくしは太子のお供ですわ」
 ルシティナの返答に、ファリファナが言葉を添える。凛然とした声音には、何故か恥ずかしさを隠すような響きが含まれていた。
「姫も、王太子殿下に負けず劣らずアイラ殿下にお逢いしたい様子でしたが?」
 ルシティナが笑いを堪えているような調子で告げる。
「わたくしは、アイラ様に御用があって来たのです」
 ファリファナは微かに頬を膨らませて、ルシティナを睨めつけた。
 次の瞬間、彼女の美しい顔がアイラに向けられる。輝くような笑みが、彼女の顔に彩りを添えていた。
「今日はとっても良いお天気ですわ。一緒に外で昼食をとりませんこと、アイラ様?」
 突然の誘いに、アイラはしばし唖然とした。
 半ば諦めかけていた『外』への突破口が、こんな形で訪れるとは想像だにしていなかったのだ。
 反射的にルシティナを見上げる。
「姫……それは――」
 ルシティナは、アイラとファリファナを困ったように見比べた。
「あら、嫌とは言わせませんわよ。アイラ様のご健康のことを考えるなら、外にお出になるのが一番ですわ。今のアイラ様に足りないのは、陽の光ですもの」
 ファリファナは、有無を問わせない口調で矢継ぎ早に言葉を連ねるのだ。
「太子も、きっとお喜びになりますわ」
 ファリファナがザラヴァーンの頭を優しく撫で、ニッコリと微笑む。
「……解りました」
 ファリファナの勢いに呑まれたように、ルシティナが溜息を吐き出す。
「いいのか?」
 アイラは信じられない思いでルシティナを見上げた。
 ルシティナが苦笑を浮かべる。
「姫の仰る通り、アイラ殿下は少し外気に当たられた方が良さそうです。いつまでも部屋に閉じ籠もっていては、健康状態が回復しないでしょうし」
「じゃあ、決まりですわね! 早速、昼食の用意を致しますわ。では、アイラ様、食事の用意ができましたら、お迎えに参りますわね」
 ファリファナは非常に楽しそうな笑顔をアイラに向け、颯爽と踵を返すのだ。
「アイラ様、またね」
 ザラヴァーンが嬉しげに手を振り、ファリファナの後に続く。
 二人の姿は、あっという間に扉の向こう側へと吸い込まれていった。



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Tue
2009.07.07[22:21]

「……嵐のように去って行ったな」
 閉ざされた扉を見つめながら、アイラは独白のように呟いた。
「申し訳ありません」
 ルシティナが軽く頭を下げる。
「いや、快活で羨ましいくらいだ」
「姫の勢いには、陛下も時折、根負けしますからね……」
 苦々しくルシティナは言う。だが、言葉とは裏腹に表情は穏やかだった。ファリファナに対して、好感を抱いているのだろう。
「へえ……ラパスがね」
 アイラは皮肉げに唇を歪めた。
 あの冷酷無比なラパスがファリファナに言い含められている姿など、微塵も想像できない。
『魔王』と呼ばれるラパスに人間らしい部分が存在していることが、不思議でならなかった。
 キールやイタールにとっては悪魔の化身のような男でも、自国では愛し敬われる覇王なのだ。
「ところで、『姫』と呼ぶからには、ファリファナはただの侍女ではないのだろう?」
 ふと、ルシティナがファリファナのことを『姫』と呼んでいることに疑問を抱き、アイラは素直にそれを口に出した。
「姫は、ルフィカスタ伯爵家の令嬢なのですよ。あっ、姫というのも本当なら適切ではないのですが……」
 ルシティナが己れの言葉に小首を傾げる。
「何故?」
「先代の伯爵は既に亡くなっていまして、本来なら姫が爵位を継ぐはずだったのです。ですが、姫は相続を放棄し、王宮に上がることを望まれました」
「変わった女性だな」
 爵位を継げば、女伯爵として何不自由のない生活を望めたはずだ。それを捨てて王宮で侍女暮らしとは、酔狂としか言い様がない。
「ええ。陛下はルフィカスタの爵位を姫以外には与えようとはなさらないので、いずれ姫は女伯爵として自家へ戻ることになるとなるでしょう。姫は、既に伯爵位を得ているも同然なのです。本来なら『伯爵』とお呼びしてもおかしくないのですが、本人が『姫』と呼ばれることさえ毛嫌いしているんです……」
 ルシティナが苦笑交じりに告げる。
「なるほどな……。それで納得した」
「何がですか?」
「私が『殿下は不要だ』と言った時、彼女は即座に私のことを『様』付けで呼んだ。彼女も、おまえに『姫は不要だ』と言ってるのだろう、ルシティナ?」
「その通りです」
 ルシティナが憮然と頷く。
「変わった――というか、面白い姫だな」
 アイラは、胸の奥から笑いが込み上げてくるのを感じた。
 風変わりなファリファナに、自分と似た意固地な共通点を発見したことが妙に嬉しく、楽しかったのだ。
「おかしな女性だ」
 アイラは自然と微笑んでいた。
 それを見たルシティナが、驚愕したように目を丸める。
「初めて笑いましたね、殿下」
「……そうだったかな?」
 ルシティナを見返すアイラの顔には、まだ微笑が刻まれている。
 確かに、あの地下牢に入れられてから、心から笑ったことがなかったように思える。
 それを引き出したのは、紛れもなくファリファナだ。
 強い意志を秘めた紅い眼差し。
 気丈な面持ち。
 そのどれもが、アイラには好ましく感じられた。
 ファリファナは敵国であるカシミア側の人間なのに、不思議な気持ちだった。


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Tue
2009.07.07[22:28]
 
     *


 アリトラの白亜宮には、大小様々な謁見室が設けられている。
 これらは、国王ラパスに謁見・直訴を求めてやってきた人々の数、会見の内容により、分別されているのだった。
 今日も、ラパスとの面会を求めて、多数の人間が白亜宮を訪れている。
 客人たちは、案内された謁見室でラパスの訪問を持つのである。
 当のラパスは、一番小さな謁見室で一人の男と対面していた。
「――リーシェンタ公爵は、明日にでもキールへ発たせます」
 玉座の真向いに立つ男――旧キール副宰相・レンボスが告げた。
「それがいいだろう。向こうにいる余の臣には、公爵の力添えが必要だからな」
 淡々とラパスは応じた。
『向こうにいる臣』とは、カシミア国キール領となった土地を仮に統括する領主のことだ。無論、有能な人材であり、ラパスに信望を寄せている男である。
 だが、優秀であるとは言っても、キールに関する知識が豊富なわけではない。
 土地と人民を治めるには、リーシェンタ公爵マロイのように、キールの内情を詳細に知る者の助けが必要なのだ。
「……もっともですな」
「では、余の用は済んだ。――下がってよいぞ」
 レンボスが重々しく頷くのを見届け、ラパスは冷淡に言葉を放った。
 今日、レンボスを呼んだのは、キール王家の家臣であった他の四人がラパスに忠誠を誓ったことを確認するためだ。その確認は既に終了している。
 四人ともアイラの身を案じてラパスの許へ下った。
 表面だけの服従だろうが、今はそれで構わない。
「はい」
 小さく呟き、レンボスは身を反転した。
「――ラパス王」
 が、歩き出そうとして、急にラパスを振り返ったのである。
 思い詰めたような表情が、人々から『悪人顔』と称される中年の顔に刻み込まれていた。
 吊り上がった両眼が、真摯な光を宿している。
「せめて……せめて、アイラ殿下をキール領主になさっては下さいませんか?」
 切羽詰ったような声が、レンボスの喉の奥から絞り出される。
 ラパスはしばし無言でレンボスを眺めやった。
 レンボスの切実な視線を闇のような眼差しで受け止める。
「……聞けぬ願いだな」
 抑揚を伴わない声でラパスは明言する。
「アイラを領主にするということは、余の大事な領土にギルバード王朝を復活させることとなる。キールの民は喜ぶだろうが、余には何の利益もないことだ」
 冷ややかな口調で、レンボスの願いを却下する。
「……そうですな」
 レンボスは、明らかに落胆した様子で大きく息を吐き出した。
「卿らの王子は、余が鄭重にお預かりしている。卿らが案ずることは何もない」
「解りました……。では、わたしは失礼します」
 執拗に食い下がったりせずに、レンボスは一礼すると出口へと向って歩き出す。
 痩せ細った肩が、いつにも増して落とされていた。


     

「陛下、後が詰まってますよ。謁見が終わったのなら、すぐ次の間に移って下さい」
 レンボスと入れ替えるようにして、誰かが入室してくる。
 親衛隊長・ルシティナだった。
 機敏な動作で部屋に足を踏み入れるなり、彼はラパスを急き立てた。
 まだ悠然と玉座に腰を据えているラパスを、少しばかり非難しているらしい。
「――アイラはどうした?」
 ラパスは軽やかに玉座から降り立ちながら問い掛けた。
「王太子殿下とファリファナ姫とご一緒に中庭を散策してます。――ので、俺は公務に戻って参りました」
「ザラヴァーンとファリファナか……」
 ラパスの口許に苦笑らしきものが浮かび上がる。
「まあ、いいだろう。好きなように遊ばせてやるがいい」
「アイラ殿下には、いい気晴らしになるでしょう。――それより陛下、待たせてある客人方が苛立ってきていますので、お急ぎ下さい」
「解っている。何度もくどいぞ」
 ラパスは腰に帯びた魔剣ザハークを鞘ごと外した。それをごく自然にルシティナに手渡す。
 宮殿にいる時でも、王であるラパスは帯剣が自由だ。謁見の際にも当然帯剣しているが、傍にルシティナがいる時には彼に任せていた。
 他の親衛隊には、ザハークを預けたことなどない。ルシティナのみに、である。
 ラパスがルシティナを信頼している、ということの証しだった。
「そうだ、ルシティナ――」
 ふと立ち止まり、ラパスは隣に立つルシティナを見やった。
「何ですか?」
「おまえ、レンボスをどう思う?」
「キールの副宰相殿ですか……?」
 唐突なラパスの問いに、ルシティナは首を傾げる。
「……俺には、キールの民が噂するほど、浅慮でも小狡いとも思えませんが? 時折、目に理知的な輝きが見えますし」
「そう思うか」
 ラパスは腹心の答えに満足したように笑みを閃かせた。
「余も同感だ。あれは、卑小でも狡猾でもない。そう装っているだけの厄介な輩だ。――奴の見張りを強化しておけ」
 冷ややかに告げ、ラパスは再び歩き始める。
 端整な顔に浮かんだ笑みは、残忍さを醸し出す不吉なものへと変貌を遂げていた――


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Tue
2009.07.07[22:34]
     *


 レンボスは、白亜宮から退出するために長い廊下を歩いていた。
 左右を彼の忠実な従者が守っている。
 少し距離をおいた前後にはカシミアの兵が数人、案内と警護のために付いていた。
 案内と警護――要は、監視役である。
 廊下の片側が硝子張りなっている広い回廊に出た時、レンボスは我知らず歩調を緩めていた。
「――殿下……」
 掠れるような呟きが喉から出ずる。
 硝子の向こう側は広い庭園だった。
 白亜宮の中庭なのだろう。
 秋の花が清々と咲く園内に、銀色に輝くものを発見した。
「……殿下」
 胸に鋭利な痛みが生じる。
 輝く銀色の物体は、大切な王子だった。
 長い銀の髪を風に靡かせ、王子――アイラは庭園を眺めている。
 その傍らに紅い髪の女性と小さな子供がいたが、レンボスの注意を引くことはなかった。
 彼の目は、ただ一人――アイラしか映し出してはいない。
 ずっと昔……十五年ほど前、その小さな手を自分に差し伸べてくれた愛すべき王子。
『私と一緒に来ないか?』
 今も昔も変わらぬ聡明な蒼い瞳で、王子は真摯にそう告げた。
 あの瞬間、レンボスは王子に忠誠を誓ったのだ。
 一生を懸けて、この方を護る――と。
 アイラが救いの手を差し伸べてくれたからこそ、自分は王宮に上がることが出来、副宰相の地位にまで上り詰めることが出来たのだ。
 一年前、『アイラ殿下、生死不明』の報が戦場からもたらされた時、レンボスは心臓が停止してしまうのではないか、と思うほどの衝撃を受けた。
 以来、『殿下はきっと生きている』『いや、既に亡くなっている』という二つの心の声に悩まされながら、今日まで生きてきた。
 そして、半ば諦めかけていた……。
 だが、天はアイラを見捨てはしなかったのだ。
 現実に、アイラは生きている。
 あの硝子の向こう側に見える姿は幻ではない。
 レンボスは哀切を孕んだ眼差しでアイラを見つめた。
 不意に、アイラがこちらを振り返る。
 目が合った――
 蒼い双眸が、訝しむように、驚くように、微かに細められる。
「どうなされました、レンボス様?」
 立ち竦んだまま動かないレンボスを心配したのか、従者が顔を覗き込んでくる。
 彼らは、アイラの存在には気付いていないようだった。
「……いや、何でもない」
 短く告げ、レンボスはアイラから視線を引き剥がした。
 立ち去る前に、中庭に向って深々と頭を下げる。
 ――誓いは必ず果たしてみせます、殿下。
 胸中で噛み締めるように言葉を紡ぎ、レンボスは素早く頭を上げた。
「行きましょう、レンボス様」
 従者に促されるままに、何事もなかったかのように歩き始める。
 二度とは、振り向かなかった。


     *


 ――目が合った。
 中庭から白亜宮へと視線を転じた刹那、ギルバード・アイラは直感的にそれを悟った。
 透明な硝子の奥からこちらを見つめているのは、痩せ細った中年の男。
 元キールの副宰相レンボス。
 遠目だが、すぐに彼だと解った。
 何かに吸いつけられるように動かなくなり、レンボスはひた向きにアイラだけを見つめている。
 アイラもまた、その視線に射竦められたように動けなかった。
 一瞬の驚愕に目を見開いた後は、ただ立ち尽くすことしか出来ない……。
 レンボスは、短い一時、何か言いだけな視線をアイラに注いでいた。
 だが、それは本当に僅かな時間の出来事で、彼はアイラに向けて一礼すると悠然と身を翻したのだ。
 それきり、レンボスがアイラを顧みることはなかった……。
 ――何を伝えたかったのだろうか?
 遠のくレンボスの後ろ姿を眺めながら、アイラは不思議に思った。
 この白亜宮は、敵国カシミアの懐。
 いつ何処に、他人の目と耳があるか知れたものではない。
 言葉を交わせないもどかしさが、アイラの胸中に苦く広がってゆく。
 ここは、キールではない。
 故にアイラとレンボスも、王子でも副宰相でもないのだ。
 処遇に差異はあっても、二人とも同じ虜囚に他ならない。
 アイラが白亜宮から脱出しない限り、直接対面は難しいだろう。
「――アイラ様!」
 小さな少年の声がアイラを呼ぶ。
 アイラは白亜宮から視線を外し、声の主を見遣った。
 黒髪の少年――ザラヴァーンが、ファリファナに手を引かれたまま、こちらを心配そうに見つめている。
 アイラは、二人に誘われて中庭を訪れていたことを思い出した。
「アイラ様、早く! きれいな花を見せてあげる!」
 ザラヴァーンがアイラを急かす。
 レンボスに気を取られているうちに、二人に遅れをとってしまったらしい。
「今、行きます」
 ザラヴァーンを安堵させるように微笑み、アイラは二人の元へと足を進めた。



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Tue
2009.07.07[22:43]
    *


 秋の草花が風に揺られている。
 無秩序に並べられている花々は、淋しげな秋の抒情をより一層際立てていた。
 気紛れに吹く冷たい風が、肌に心地好い。
 閉塞生活から一瞬でも解き放たれている、という純粋な喜びが、アイラの胸中には芽生えていた。
 外の世界は、こんなにも鮮やかで美しかったのか、と改めて実感させられる。
 自分を外界へと連れ出してくれたファリファナとザラヴァーンに、感謝したい気分だった。
「この白いのが星花(ユイカ)だよ、アイラ様」
 ザラヴァーンが小さな白い花の一群を得意げに指差す。
 アイラはその場に屈み、花を覗き込んだ。
 花は、純潔を護るようにピタリと花弁を閉ざしている。
「星花は夜に咲く花ですわ、アイラ様」
 ファリファナが素早く説明を添える。
「この辺でも珍しい花で、星の綺麗な夜だけに花開くのです。それで、星の神ユーリリカの名を冠して《ユイカ》と呼ぶのですわ」
「星神の花、か」
「星花が咲くと、辺り一面が輝いて幻想的な光景を創り出しますのよ。星空の美しい夜に、咲いたところをお見せしますわ」
 ファリファナが柔らかく微笑む。
 彼女はザラヴァーンの手を引くと、再び歩き始めた。
 噴水の脇を擦り抜け、庭園の奥へ行くと、眼前が鮮烈な緋色に染められた。
 背の高い植物が群生している。個々の天辺には、大輪の紅い花が勝ち誇ったように咲いていた。
「これは?」
 アイラは八重咲きの花を物珍しそうに眺めた。星花同様、見たことのない植物だ。
 細い八枚の花弁は、一枚おきに外に向かって巻かれている。他の四枚は、翼を広げるようにして大きく開いていた。
 ――蝶のようだ。
 アイラの目に、紅い花は変種の蝶のように映った。
「紅蝶(フレイア)だよ。僕は『ファリファナ』って呼んでるけど」
 ザラヴァーンがファリファナを見上げる。釣られるように、アイラも彼女に視線を移した。
 真紅の容貌を持つファリファナは、確かに紅蝶の化身と言えないこともない。
「嫌ですわ、太子。紅蝶は『弔い花』の一種ですわよ」
 ファリファナが苦笑を浮かべる。
「トムライバナって、何?」
「亡くなった方に捧げる花ですよ」
「じゃあ、大切な花なんだね」
 アイラが答えると、ザラヴァーンは納得したように大きく頷いた。
「やっぱり、ファリファナに似合うね。赤はファリファナの象徴だもん」
「わたくしの容姿は奇異ですものね」
 ファリファナは拗ねたように唇を尖らせる。
 大陸広しといえども、真紅の髪と瞳――両方を兼ね備える人物は少ない。その稀少な容姿を、ファリファナは喜ぶよりも持て余しているようだった。
「私は……美しいと思うよ」
 アイラは率直な感想を口に出した。
 途端、ファリファナの双眸が、驚愕を示すように大きく見開かれる。
「まあ! お世辞は結構ですわよ、アイラ様」
「本当のことだよ、ファリファナ。君の髪も瞳も綺麗な緋色をしている。まるで、揺らめく炎を見ているような気分だ」
 更にアイラが言を連ねると、ファリファナは白い頬をパッと薔薇色に染めた。
「僕もアイラ様に賛成だよ。だって、ファリファナは火の女神の化身だもん。――ねえ、あれ見せてよ?」
 ザラヴァーンがせがむようにファリファナを見上げる。
 黒い瞳は子供特有の好奇心に満ち溢れていた。
「お願い! やってよ、ファリファナ!」
「……少しだけですわよ、太子」
 ファリファナは、ねだるザラヴァーンに根負けしたように苦い笑みを浮かべた。
 彼女の白い両手が持ち上がり、掌が優美に開く。
「わたくしの許へおいでなさい――ファラ」
 ファリファナが告げた直後、唐突に彼女の掌にボウッと紅い光が灯った――炎だ。
 小さな二つの炎がファリファナの掌を離れ、彼女の周囲を旋回し始める。
 それは、喚び出されたことを喜んでいるように煌々とした輝きを放っていた。
「魔法……?」
 アイラは浮遊する炎を凝視した。
 アイラの目の前で二つの炎は分裂を繰り返し、瞬く間に数え切れないほどの炎と化す。
 炎のヴェールがファリファナの全身を包み込んでいた。
「どうぞ、太子。――ファラ、悪戯してはいけませんわよ」
 ファリファナは何事もなかったかのように炎の一つを手で掬い、ザラヴァーンに手渡す。
 ザラヴァーンも平然とそれを受け取っていた。
「きれいでしょう、アイラ様!」
 ザラヴァーンの手の中で、炎は彼を焼くことなく赤々と燃えている。
「……魔術師なのか?」
 アイラは驚愕を孕んだ声音でファリファナに問いかけた。
 魔法を見るのは慣れている。
 アイラの母――王妃リネミリアが魔術師だったので、馴染みは深い。
 母の血を受け継ぎ、アイラ自身、精霊が視える体質でもある。
 魔術自体に驚いたのではなく、ファリファナが魔術師だという事実が意外だったのだ。
 王宮の侍女が魔術師だとは想像し難い。
 魔術師ならば、戦力としてラパスが放っておくわけがないのだ。
「そんな大層なものではありませんわよ。わたくしにも、少しはファリファナ神の加護があるようで……物好きな精霊が一人、生まれた時から傍にいるだけですわ」
 ファリファナは、炎の衣を身に纏わせたまま自嘲気味に微笑む。
「わたくしが視て、言葉を交わすことができるのは、この火の精霊ファラ一人だけですわ。他の精霊は視えもしませんのよ」
「貴女は――烈火の女神か」
 低く呟き、唇を噛み締める。
 言い知れぬ不安が、アイラの胸には去来していた。
 かつて、彼女と同じように神の恩恵を受けた人物が、この世には存在していた。
 烈光の女神――ギルバード・アーナス・エルロラ。
 実の妹は、エルロラ神の名を戴いたばかりに、ロレーヌの大地のために生命を賭し、大地に還った。
 数多の生命を道連れにし……。
 妹を責めることはできない。
 妹を担ぎ出した民を責めることもできない。
 ただ、この世に神の加護など存在しない――そう痛感した。
 アイラは、無意識に片手で胸元の首飾りを握り締めていた。
 この首飾りの中には、ラパスが持ち帰った妹の髪が埋め込まれている。
「その神の炎は……いつか貴女自身を焼く尽くす」
 アーナスがそうであったように。
「アイラ様……?」
 凍りついたように動かなくなったアイラを、不安げにファリファナが見つめ返す。
 転瞬、揺れる無数の炎がアイラを虜にした。

 目の前が、朱に染まる。

 炎の中に幻影を見た。

 華々しく炎上する王都と城。
 燃え盛る炎の中、漆黒の甲冑を纏ったカシミア兵に殺されてゆく、キールの民。
 炎を避ける手立てもなく、生きたまま焼かれてゆく人々……。

 どれも真実。
 実際に起こり、アイラ自身が網膜に焼きつけてきた地獄だ。
 ファリファナの炎の中に、アイラは過去を視た。
 ――何故?
 呟いた言葉は、震える唇のせいで音を成さない。
 ――何故、私にそれを視せる……?
 キールが炎に包まれたのはアイラのせいだ、と言わんばかりに幻影の炎は勢いを増した。
 戦慄が全身を駆け抜ける。
 血肉が焦げる嫌な匂いを幻に感じた途端、視界が闇に囚われた。
 急激な嘔吐感が咽喉の奥からせり上がってくる。
 口腔に血の味が広がった――

「アイラ様っ!」
 ファリファナの悲鳴が耳をつんざく。
 咄嗟に手で口許を覆うと、ねっとりとした生温かい液体が指の隙間から溢れ出した。
 自分が吐血したという事実を悟るのに、長い時間は要しなかった。
 血に塗れた己が手を、アイラは愕然と見つめた。

 ――胎内に魔物が棲んでいる。

 ラパスとは別の魔物が巣食っている。


 肉体の腐蝕の始まりだった……。


     *


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Tue
2009.07.07[22:49]
     *


 目を開けた瞬間、心配そうに顔を覗き込む紅い双眸と出合った。
「アイラ様……」
 今にも泣き出しそうな顔で、ファリファナが自分を見つめている。
 アイラは、その頬にそっと手を伸ばした。
 中庭で倒れた後の記憶がない。
 誰かが自分を寝台に運び、ファリファナはずっと傍についていたくれたのだろう。
「――私は……?」
「血を……少しお吐きになっただけですわ。医師が、心身の疲労が吐血を招いたのだと言っておりました」
 語るファリファナの表情はどこか狼狽え、青ざめてさえ見えた。
「本当に……?」
「ええ。一時的なもので、すぐによくなりますわ」
 ファリファナの白い手が、アイラの手を優しく包み込む。
 微かな震えが伝わってきた。
「すぐに……よくなりますわ。ただの疲労ですもの」
 震えを隠すかのように、ファリファナの手に力が加わる。
 アイラは、彼女の些細な言動の中に、己れを蝕む病魔が『ただの疲労』ではないことを見出した。
 肺の辺りが呼吸する度に苦しく、重い。
 ただの吐血ではなく――喀血なのだろう。
 魔物は既に根づいている。
 払拭できぬほど強く、深く……。
 長い地下牢生活が元凶であることは、間違いない。
 自分はあまりにも長く、あの閉塞された空間で微睡み過ぎたのだ。
「わたくしのせいですわ。わたくしがファラを使って、驚かせてしまったから……」
「貴女のせいではないよ」
 アイラは、悔やみを紡ぐファリファナの手を静かに握り返した。
「貴女のせいではない――」
 否定の言葉を繰り返し、アイラは瞼が重くなるに任せて瞳を閉ざした。
 すぐに、闇が舞い降りてくる。

 漆黒の闇に浮かび上がるのは、真紅の花群。
 死者に捧げる紅蝶だった……。
 死の国が忍び寄っている。

 だが、その前に成し遂げなければならない。

 ――何を、兄上……?
 不意に、真紅の花群の中に、黄金に輝く妹の姿が出現した。
 片手に血に塗られた神剣ローラ、もう一方の手には鮮血を迸らせる夫の生首を抱えている。
 ――兄上にはラパスを討つことはできぬ。愚かな考えは捨てて、私と共に行こう。
 妹の真紅の手が差し出される。
 アイラは悲しげに首を横に振った。苦い笑みが顔に広がる。
 本物のアーナスは、決してそんなことなど言わない。
『どうせ死ぬのなら、何がなんでもラパスを道連れにしろ。行き着く先が、たとえ地獄であろうとも――』
 これくらいのことを平気で言う、激しい気性の持ち主だった。
 闇の中のアーナスは淋しそうな顔をしたが、それでも手を引こうとはしなかった。
「まだ……迎えに来るな、アーナス」
「アイラ様……?」
 自分の手を握るファリファナの手に力が加えられた。
 闇の中で紅蝶が激しく乱舞し始める。
 真紅の花弁に、アーナスの姿は隠された。

 闇が全てを支配する。

 繋がれたファリファナの手を離さずに、アイラは再び眠りに落ちた――


                                        
     「3.邂逅――胎動」へ続く



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