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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Wed
2009.12.02[22:59]
 室内に足を踏み入れる。
 一条龍一はコーヒーを飲んでいたらしく、マグカップに唇をつけたまま上目遣いに茜の姿を確認した。
 黄金色の髪から覗く鳶色の瞳は、彼が魔族であることを忘れてしまいそうになるほど澄んだ輝きを放っている。
「何の用ですか、一条先生?」
 茜は龍一の視線を真っ向から受け止め、わざと『先生』という言葉に強いアクセントを置いた。
 それを受けて龍一が苦笑を湛える。
「君に『先生』なんて言われると皮肉に聞こえるな」
 龍一はマグカップを机に置くと、脇に設えられている小さな応接セットへ移動した。
「プライベートな時は龍一でいいよ、茜」
 龍一が茜を振り返り、気さくな感じで手招きをする。
「プライベートって……今、プライベートなのかよ」
 馴れ馴れしい呼び捨てに軽く眉根を寄せながら毒づく。
 微笑で受け流す龍一を視野に納めながら、茜は用心深く彼の向かいのソファへ腰かけた。不覚にも前回は彼にしてやられてしまったので、当然今回は彼の手の届かない位置を選んだ。
「――で、赤点のテストは?」
 寝不足の不機嫌さ隠しもせずに、茜はぶっきらぼうに問いかけた。
 龍一がソファから身を乗り出し、執務机の上から答案を引き寄せる。
 応接テーブルの上に差し出された数学の答案を見て、茜は片眉をはね上げた。
 答案には『97点』という輝かしい数字が赤ペンで書き込まれている。
「……赤点じゃなかったのか?」
「とんでもない。アレは君を呼び出すための方便だからね。非常に優秀な成績で、私も安心したよ」
 龍一は悪びれもせずにニヤリと唇をつり上げた。
 ――何て奴だ……!
 茜は心の中で舌打ちを鳴らした。聖華学園にいる限り、龍一は教師という立場をフルに活用して茜たちにちょっかいを出して来る気らしい……。
「随分と……機嫌がいいみたいだな?」
「ああ、この学園は美少年が多いからね。さっきの子は格別に綺麗だったな」
 龍一が視線を遠くに馳せ、フッと思い出し笑いを零す。
 有馬美人の麗姿を脳裏に描いているらしい。
 反射的に茜はきつい眼差しで龍一を睨んでいた。
 変わり者の魔族に従弟を攫われてはたまらない。
「おや? 妬いているのかい?」
 茜の真摯な怒りをどう捕らえたのか、龍一は愉快そうにまた微笑んだ。
「絶対にない! 美人に――変なことしてないだろうな?」
「へえ、ヨシヒトっていうんだ、あの子」
「オイ、妙な真似をしたら承知しないからな! 美人は俺の従弟だ!」
 憤然と言い切る。
 一拍の間を措き、龍一は鋭利な光を双眸に閃かせた。
「――と、いうことは、榊聡子の孫に当たるのかな?」
 龍一が満足そうに言葉を唇に乗せる。
 ――しまった。うっかり墓穴を掘った……。
 龍一の指摘に茜はぐっと口籠もる。美人が神族――それも榊家の血を濃く受け継いでいることを自ら暴露してしまったのだ。失態以外の何ものでもない。
 茜は自己嫌悪に唇を強く引き結んだ。
「まあ、榊聡子の血族は他にもいるんだろうけどね……。流石は、神族の天主だったくせに《魔女》と畏れられた彼女が創った学園だね。色々と面白い発見がある」
「おまえのご同族がたくさん封印されてるだけだ」
 薄笑みを湛えたまま話題を換えた龍一に向かって、茜は無愛想に応じた。
 聖華学園――常人にはただの広大な私立学園にしか見えないのだろうが、感受性の強い人間の目には得体の知れない不気味な墓場として映るだろう。
 先々代の天主であった榊聡子は、魔物や鬼の封処としてこの学園を建てたのだ。
 そのため、校舎をはじめ敷地内には何のために創られたのか解らぬ特別教室やオブジェ、開かずの扉が幾つも存在しているのである。おかげで聖華では怪談話が絶えない……。
「オンラインゲーム《鏡月魔境》のモデルになった開かずの扉――この学園にあるんだってね? ネットのカキコミで聖華の《魔境伝説》が随分話題に上っていたよ。だから、茜もあのゲームに登録したんだろう?」
「……そっちも同じだろ。《魔境伝説》は学園の七不思議的に都内では広く知られている。けど、《鏡月魔境》という固有名詞を知っているのは神族でも一部の者だけだし、あとは仲間を奪われた魔族だけだ」
「仲間っていうか――あそこに封じられている魔境の王様、確か……古い時代の一条家当主だって伝え聞いてるんだけど?」

《魔境伝説》というのは、聖華学園に残される三大伝説の一つだ。
 一つ目の《水妖伝説》は、九月九日、その日が月のない夜ならば中庭の噴水から水の妖かしが出現し、人々を殺める――というもの。
 二つ目の《月光樹伝説》は、校庭の隅にある月光樹と呼ばれる巨木が十年に一度華を咲かせた時、異界への道が出現し、人喰い魔女の館へと誘われる。
 そして、最後の《魔境伝説》は、旧校舎第一音楽室の開かずの扉は魔境へと繋がっており、学園内で引き起こされる怪事は魔境から抜け出して来た魔物たちの仕業である――というものだった。

「元々《鏡月魔境》は、魔王に叛旗を翻した遙か昔の一条家当主が、彼に肩入れした五条の姫と一緒に幽閉された異空間だったはずだ。いつの時代の話かは知らないけれど……。それが何でか君のお祖母様の手によって空間ごと封じられ――《魔境伝説》として語り継がれている訳だ。アレ――ウチのご先祖様みたいだし、肉体だけでも返してくれないかな?」
 冗談とも本気ともつかない口調で龍一が告げる。
「無理。あの扉、お祖母様の強力な封印がかけられているし――そもそも、俺はお祖母様の時代の話なんて詳しく知らない。噂の魔境が実在するのかも解らないし、魔境におまえの先祖が封印されているのかも定かじゃない」
 茜は即答で龍一の申し出を拒絶した。
 祖母が苦労して封じ続けた古の魔物たちを解放するなんて、冗談ではない。祖母から譲り受けたこの学園を護り、魔物たちを眠らせ続けておくことが榊の血族の使命でもあるのだから……。
「そんな昔話より――まだ呼び出された本当の目的を聞いてないんだけど?」
「ああ、そうだったな。今は伝説やゲームについて語り合ったりしてる場合じゃなかったね。ゲーム論については、いずれ日を改めて――」
「いや、俺、おまえとゲーム談議する気なんて更々ないからな! ゲームの《鏡月魔境》も事情を知る何者かの嫌味な遊びらしい、って気づいたからもうプレイしてないし――とにかく、授業中以外は俺に話しかけるな。早く用件を言え」
 己が魔族だということを忘れたかのようにのんびりと告げる龍一を遮り、茜は矢継ぎ早に言を連ねた。何をどう考えても、神族と魔族が仲良くゲームについて語り合うなんて無理に決まっている。ましてや茜は彼らに血を啜られているのだ。迂闊に近寄りたくはない。
「用件というか……まあ――風巳様がいなくなった」
 先ほどまでの飄々とした雰囲気を潜め、龍一が至極真摯な声音で告白する。
 風巳というのは、三条家の当主だ。こともあろうに葵と同じクラスに在籍している。
 茜は、葵が帰宅しないのは風巳の仕業だとばかり思い込んでいた。だが、龍一の口振りから察するに、それは見当外れな推測であったらしい……。
 風巳までもがいなくなった、とは納得がいかない。
「葵も昨夜から姿が見えない。そっちの企みじゃないのかよ?」
「少なくとも風巳様の謀ではないよ。おそらく二人一緒に攫われたんだと思う。いや、犯人はもう判ってるんだけどね――」
 龍一が自嘲の笑みを浮かべ、スーツのポケットから一枚の写真を取り出す。
 茜の前に差し出された写真には、真っ白なセーラー服を着用した美少女が写し出されていた。
「青蘭女学院高等部、一年百合組――二条繭羅だ」
 言い終えた直後、龍一の顔に刻まれた自己に対する嘲笑が更に深まった。



ご来訪、ありがとうございます♪
ブログでは「鏡月魔境」の方を先に掲載していますが、生まれたのは「妖鬼伝」の方が先だったりします(汗)
コレはお蔵入りにしようと思っていたので、ここで生まれたキャラをアチコチに引っ張っています。特にビジン(笑)
なので、作品同士はパラレルな関係だと思っていただければ幸いです(;´▽`A``

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Fri
2009.12.04[22:59]
 写真の中の少女は綺麗な顔立ちをしている。
 なのに、一目見た瞬間、何故だか背筋がゾワリと粟立った。
 生理的嫌悪――写真に刻印された少女からは紛れもない鬼気が放たれている。
「二条――ってことは、条家か?」
 茜は少女――二条繭羅に視線を落としたまま苦い声で訊ねた。
《条家》というのは魔族でも高位に位置する家柄の総称だ。
 主な家名に、一条・二条・四条・五条・六条・九条・上条・下条・久我条などがある。
「そう、条家の一人――二条家の若き当主だ。君の片割れも私の風巳様も彼女に連れ去られたみたいなんだ」
「――それで?」
「手を組まないか? 私は風巳様を繭羅の魔手から護らなければならないし、茜は葵を取り戻さなければならない」
「条家なら……おまえの仲間だろ? 俺と手を組んで何のメリットがあるのか――理解できない」
 茜は写真から目を離し、龍一へと猜疑の眼差しを向けた。
「メリットなら大有りだ。我々のルールではね、神族の天主を生きて魔王に献上した者が次期魔王として認められることになっているんだ。二条の繭羅が葵を掌中にした――要するに、それでは風巳様が魔王になれない、ということだ。繭羅に葵の生命を奪われても風巳様は魔王になれなくなる」
 龍一が淡々と述べる。その割りに茜を見返す双眸には強い意志と情熱が秘められていた。
 条家の間でどのような確執や諍いがあるのか――それは茜には無関係だし興味もないが、龍一が心の奥底から風巳を救出したがっているという心意気だけはひしひしと伝わってきた。
「つまり、おまえは何よりも誰よりも風巳様が大事だというわけだ。彼のためなら仲間割れをしても構わない――と?」
 茜が揶揄混じりに言葉を口にすると、龍一は気を害した様子もなくアッサリと首肯した。
「そういうことだね。だから、一時休戦して手を組まないか? 私は繭羅の情報を持っているけれど、残念ながら彼女を凌ぐほどの能力は持ち合わせてはいない。君は《力》はあるけれど、相手に関しての知識はゼロだ。取引するには悪くない条件だと思うけれど?」
 龍一が茜に向けてニッコリと笑う。茜が自分の申し出を断らないことを疾うに確信している余裕のある微笑みだった。
 龍一が風巳第一主義であるのと同様に、茜が葵至上主義であることを見抜いた上での提案なのだ。
「……断りたいところだが、仕方がないな。ただし、今回だけだ」
 茜は不承不承だが龍一の誘いに乗った。
 実のところ現代条家の当主情報については皆無に等しいのだ。魔王が表に姿を現さないので、主要条家たちもひっそりと息を潜めているせいだろう。鬼気を極限まで抑え込んで普通の人間の日常に紛れていては、見つけるのは非常に困難なのである。
 条家の情報を得るためにも、この際、出来る限り龍一を利用させてもらおう。
 葵を奪還するためには仕方がない。
 そう割り切ることに決めた。
「一々言わなくても解ってるさ。この一件に片がつけば、君と私は宿敵同士に戻るだけだ」
「じゃあ、そういうことで。ところで――本当に聖華の教師なのか?」
「正真正銘聖華学園の臨時教師だよ。この前、教員免許持ってる――って、ちゃんと説明したはずだけど?」
 龍一が心外そうな顔つきで片眉をはね上げる。
 この前――とは、茜がまんまと騙されて龍一のマンションに連れて行かれた時のことだろう。確かに、教員免許や塾の講師が云々の話をされたような気がする。だが、あの時は妹のことが気懸かりで龍一の話など半分も耳に残ってはいなかった……。
「まあ、免許持ってるなら、とりあえずはよしとするけど……。放課後、寄るところがあるから、教室を出たら声をかけてくれ」
 茜は事務的に告げて、ソファから立ち上がった。
 ――何処の学校に、ド金髪で真っ赤なピアスしてる教師がいるんだよ……!
 心の裡で龍一に対する不満を吐き出しながら、茜は彼の個室を後にした――



     「四.有馬家」へ続く



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Sat
2009.12.05[22:59]
四.有馬家



 終業後のHRがお開きになった途端、三年E組のドア口にフワフワとした栗色の髪が現れた。
「……茜ちゃん、いますか?」
 教室から出て行く生徒たちに遠慮しつつ、ヒョイと顔を覗かせたのは茜の妹――夏生だ。
「――む? 榊、客人だ」
 丁度教室を後にしようとしていたクラスメイトの徳川直杉が、黒髪のポニーテールを翻して茜を呼ぶ。
 茜が声に応じてそちらに顔を向けると、徳川は『役目は果たした』とばかりの清々しい足取りで廊下へと姿を消した。
「おっ、夏生ちゃんだ!」
 茜の隣で瞳を輝かせたのは、聖華学園バレー部のスーパーエース――祇園寺高丸(ぎおんじ たかまる)だ。彼は、一九六センチの長身を感じさせない軽やかな身のこなしで夏生へと接近してゆく。
「いや、待て! どうして、おまえが俺より先に行くんだ!?」
 茜は慌ててその後を追った。
 高丸は茜の友人であり、既に全日本入りが決定している聖華学園期待のバレーボール選手だ。だが、性格に少々問題アリ――というか、脳の構造が単純すぎるのか『大好きなもの』にバレーボールと茜を同列でカテゴライズしている変わり者なのだ……。
 茜フリークである高丸は、無条件に葵と夏生のことも気に入っていた。
「こんにちは、祇園寺先輩」
 夏生が高丸を見上げてニッコリと微笑む。
「おうっ、久し振りだね。夏生ちゃん、パーマかけたんだ? 可愛いね。たまには茜なんかじゃなくて、オレとデートしようぜ」
 高丸が気さくに夏生に声をかけている。
「何だ、その『茜なんか』って言い回しは?」
 茜は口元を引きつらせながら、彼の背中を小突いてやった。身長差があるので後頭部にクリーンヒット出来ないことが悔しい……。
「アレ? 聞いてたのかよ? 心配すんなって。オレ、何があっても茜がイチバンだからさ!」
「そんなイチバンは要らないけどな」
 茜は冷ややかに言い放ったが、級友の耳には都合の悪いことは全く聞こえていないらしい。
「今更、照れんなよ! じゃ、オレ、今日は実業団で練習だから――また明日な!」
 高丸は、やけに快活な笑みを茜に贈ると教室を出て行ってしまう。
 茜と夏生は、その目立つ後ろ姿を苦笑いで見送った。
「ねえ……前から気になってたんだけど、祇園寺先輩って――茜ちゃんの何なの?」
 夏生が心底不思議そうに訊ねてくる。茜を見上げる眼差しには好奇心と不安――そして、何故だか期待めいたものが宿っていた。どうやら妹は高丸の言葉を額面通りに受け取り、何か嫌な妄想をしたらしい……。
「何って――ストーカー。他は……思いつかないな。それより今日は、用事があるから一緒には帰れない。折角迎えに来てくれたのに、悪いな」
 高丸についてはぞんざいに応じた後、茜は真摯な口調で夏生に告げた。
 夏生が僅か一瞬顔を曇らせる。だが、妹はすぐに笑顔に戻り、元気に頷いた。
「解った。家でちゃんと待ってる。早く帰ってきてね、茜ちゃん」
「大丈夫だ。すぐに戻るよ。葵と一緒にね」
「うん。今夜のゴハンは、葵ちゃんの好きな茶碗蒸しにするわ。それじゃあ――また後でね、茜ちゃん!」
 物分かりの良い妹は深く詮索することなく、クルリと踵を返した。
 スカートの裾とフワフワの髪を靡かせて、軽やかに廊下を進んでく。
 その背中が人波に消えた頃、
「へえ、今の彼女が妹なんだ」
 耳元で低く囁く声がした。
「――――!? 無駄に近すぎなんだよ!」
 茜は慌てて身を退かせ、背後を振り返った。
 つい先ほどまで自分が立っていた位置には、一条龍一が悠然と佇んでいた。驚く茜を眺めて、楽しげに微笑を浮かべている。
「おや、つれないね。妹の十分の一でも素直だったら可愛いのに」
「俺はいつでも素直だ。おまえのことは嫌いだと言っているだろ」
 龍一のからかいを毅然とはね除け、茜は軽く彼を睨んだ。
 彼と協力態勢をとるのは一時的なものだ。目的を達成した後までズルズルと慣れ親しまれては困る。
 神族と魔族――その線引きはきっちりしておきたかった。
「声をかけろ――って言ったのは茜の方じゃないか?」
「教室を出てから、って、ちゃんと言ったはずだけどな」
「……解った。私が悪かったよ。――で、これからどうするつもりなのかな?」
「有馬家に行く」
 龍一の問いに対して、茜は双眸に鋭利な光を宿して即答した。
 何としてでも己が半身を取り戻さなければならない。
 その強い想いだけが茜を突き動かす源だった――



ご来訪、ありがとうございます♪
えーっと……茜と同じクラスの設定なので、通りすがりで「ブラックリストの」直杉と高丸を出してみました(汗)

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Sun
2009.12.06[22:59]
「――デ、デカイッッ!!」
 それが、有馬家を初めて目にした一条龍一の第一声であった。
 彼の眼前には、五メートル近い高さを誇る青銅の門が聳えているのである。
 重々しい雰囲気を醸し出している扉は、寺院の山門を彷彿とさせる。
 茜には見慣れた光景だが、龍一の驚愕はおそらく正しい反応なのだろう。
 確かに、有馬家は巨大だった。
 広大な敷地には堅固そうな石塀がぐるりと巡らされている。その中にある家屋は、見事な松や桜などの植木によって遮られ、屋根すら目視することは不可能だった。
 有馬家は榊家に負けず劣らずの名旧家なのである。
 しかも、榊の本家は聖華学園建設の際に取り壊され、現在、茜たちが住んでいる小振りの洋館しか残されていない。
 なので、この有馬邸がM市の中で最大最古の日本家屋になる。
「条家だって似たような屋敷に住んでるだろ? 驚いてないで、裏に廻るからな」
 ポカンと口を開けて門を見上げている龍一を尻目に、茜は塀伝いに歩き始めた。
「裏――って?」
 ハッと我に返った龍一が、慌てて茜を追いかけてくる。
「表門は滅多に使われることはないし、裏口に廻った方が母屋に近い」
 茜は素っ気なく応えて、石塀沿いに道を右へと折れた。
 先ほどより少し細くなった道を三百メートルほど足早に進む。
 塀の中に填め込まれた両開きの木戸前で、茜は一旦足を止めた。
 有馬家の三つある裏門の一つだ。
 龍一が肩を並べるのを待ってから、茜は脇に設置されているインターホンを鳴らしもせずに、木戸を開けて中へと足を踏み入れた。
 塀の随所に隠されている監視カメラが、疾うに茜の姿を確認しているに違いない。モニタールームで門番をしている者たちは、榊本家の人間を無条件で通してくれるのだ。
「門の内側も――やっぱり広いな」
 茜の後に続いた龍一が、有馬家の敷地を眺め回して苦笑を湛える。
「ここから母屋まで二百メートルくらいあるからな」
 茜は木戸を元通りに閉めると、有馬家の威容に感嘆しているらしい龍一を促し、歩き始めた。
 眼前には幽玄の美を誇る日本庭園が広がっている。
 一目で入念に手入れされていると解る純和風の庭園は、清廉かつ荘厳な雰囲気を醸し出していた。
 庭を彩るのは、綺麗に駆られた芝生や色鮮やかな花壇、見事な松の大木たちだ。
 足下からは御影石の小道が長く延びている。両側を白い玉砂利で挟まれた石畳の先には巨大な池があり、その中央には緩やかな弧を描く朱塗りの橋が架けられていた。
 茜は迷わずに御影石の道を進んだ。母屋へ行くには、池を突っ切るのが手っ取り早い。
「へえ、凄いな。一条の屋敷もそれなりにデカイけど、ここは桁違いだね」
 茜の隣を歩く龍一は気楽な様子で庭を観賞している。敵地を訪れている――という意識は全くないらしい。彼の口調も態度も寛いだものだった。

「――あれ?」
 橋の袂まできて、茜は不意に足を止めた。
 橋の隣――石灯籠脇に白い人影を発見したのだ。
 石灯籠から少し離れたところに位置する黒御影のベンチに、純白のワンピースを纏った女性が腰かけている。
「アラ、茜ちゃん」
 相手も茜の存在に気づいたらしく、ゆるりと面を上げた。
 長い黒髪に縁取られた顔は、ハッとするほど美しかった。
 銀縁の眼鏡をかけているが、それでも整った顔貌であることは歴然としている。
 純和風の楚々とした佳人――彼女の膝の上にはスケッチブックが広げられ、右手には鉛筆が握られていた。茜に視線を向けている間も、彼女の手は忙しなく紙面に何かを描き続けている。
「久し振りで――」
「茜ちゃん、ソレ――条家じゃないの?」
 にこやかに挨拶をしようとした茜の言葉を遮り、ふと彼女は眼鏡の奥で双眸を細めた。
 ピタリ、と紙面を走っていた筆が止まる。
「え? あっ、コレは――」
 彼女の視線が龍一に流されたのを見て、茜は咄嗟に何て説明をすべきか迷った。
 その一瞬の躊躇いが、相手の美女に余計な誤解を与えたらしい。
「やっぱり魔族なのね。血の臭いがするわ」
 彼女はすっくと立ち上がると、眼鏡を頭の天辺へと移動させ、黒曜石のような瞳でじっと龍一のことを凝視した。
「茜ちゃんを人質にして、ウチに乗り込んでくるなんていい度胸ね。その漢気に免じて、特別に私が相手をしてあげるわ」
 決然と告げると、彼女は手早くスケッチブックのページを捲り、そこへ物凄い速度で鉛筆を滑らせ始めるのだ。
 常人ではその動きを肉眼で捕らえることは到底無理だろう。
 彼女の鉛筆を操る姿には、一種異様な迫力と凄絶なパワーが漲っていた。
「オイ、茜……」
 事の成り行きを理解できずに、龍一が困惑気味の視線を茜に送ってくる。
 どうやら、相手の脳内では『龍一に囚われた可哀想な茜』という妄想が花開いてしまったらしい。
「や、ちょっ……ちょっと待って! 誤解だ、咲姉――!!」
 茜は慌ててワンピース姿の美女へと足を踏み出した。
 だが、茜の制止よりも僅かに彼女の行動の方が早かった。
 スケッチブックに描き込んだモノが完成したのか、彼女は筆を止めると迅速な手捌きで紙面を龍一へ向けた。
「悶え、苦しむがいいわ――妖魔封殺」
 美しい唇が呪を紡ぐ。
 刹那、彼女の全身が金色混じりの緑の光輝に包まれ、地中から飛び出した無数の蔦植物が龍一の身体を絡め取った――




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Thu
2009.12.10[22:59]

 突如として地から生まれてきた奇怪な植物群が螺旋を描き、龍一の身体を呪縛する。
 夥しい数の蔦植物は互いに絡み合うことで強度を増しているのか、捕縛された龍一は微動だにしない。
 植物たちによって地上五メートルほどの高さまで持ち上げられた彼は、ただ唖然と地上の美女を見下ろしていた。
「ああ……我が技ながら――美しい緊縛」
 ワンピース姿の美女が全身に金緑の冷光を纏ったまま、ゆるりと龍一を振り仰ぐ。蔦植物に搦め捕られた龍一を見つめる眼差しには、妖しげな煌めきが灯っていた。
「咲姉! 見惚れている場合じゃないだろ!」
 茜は慌てて美女に駆け寄った。
「――え、どうしてよ? 折角捕らえた魔族よ。滅殺する前に少しくらい愉しんでもいいじゃない?」
「駄目だって! 滅殺なんてしたら、葵を捜す手がかりが無くなるだろ!」
 茜は必死の形相で美女に抗議した。
 本来ならば頼もしい身内だが、今は無闇に龍一に手を出されては困る。これから二人で行方知れずになっている葵を救出に行かなければならないのだから……。
「葵ちゃん? 何? この男、茜ちゃんだけじゃなく葵ちゃんにまで手を――ハッ! もしかして、《両手に花》状態を満喫したのっ!? くっ……何て羨ましいシチュエーション……!」
 清楚な美女にしか見えない彼女の唇から不可解な呻きが洩れる。
 またしても脳内で何か勝手に有り得ない妄想を生み出したらしい……。
「いや、全っ然違うからっ! とにかく、今は葵を助けるためにあいつの情報が必要で――俺たち一時的に手を組んでるんだよ! だから、早く術を解いてくれないかな、咲姉!」
 茜は矢継ぎ早に説明を施し、彼女が掲げるスケッチブックをトントンと指で突いた。
 あの短時間で一体どうやって完成させたのか――紙面には蔦植物に身を封じられる龍一の姿が詳細に描かれているのだ。
「……アラ、そうなの。残念ね」
 美女が心底ガッカリしたように呟く。
「あの……私はいつまでこのままなのかな? 出来れば、状況を説明してほしいんだけれど――」
 頭上から龍一の減なりした声が降ってくる。
 茜が目線を上げると、彼は蔦に雁字搦めにされた状態で引きつった笑みを湛えていた。
「あー、えーっと、この人は俺の従姉で有馬家の次女――有馬咲耶さん」
 とりあえず茜はワンピース姿の美女の正体を告げた。
 美女は有馬家の令嬢である咲耶(さくや)。有馬美人の姉だ。
 だが、咲耶は聖華学園の大学部ではなく、M市内にある美大に通っていた。無論、絵の才能を更に磨くためである。
「咲姉、コッチは条家だけど――何故だか聖華の臨時教師になってる一条龍一。面倒だから詳細は省くけど、訳あって葵を救出するまでは一緒に行動することになった」
「ふ~ん、一条の、ね……。一条家特有の天然金髪――間違いないわね」
 咲耶が片手で眼鏡を元の位置に戻し、スケッチブックを裏返す。それから彼女は改めて龍一を仰ぎ見た。
「茜ちゃんの先生――か。ごめんなさい。私のスケッチブックは特別で、描いたモノがそのまま現実になっちゃうのよ――って、アラ? あなた、よく見るとイイ男ね」
 咲耶の瞳が眼鏡の奥でキラリと光る。
 その右手が無意識にスケッチブックへと延びるのを見て、茜は咄嗟に彼女の手首を掴み取っていた。
 咲耶自身が述べた通り、彼女の神力が分化したものが愛用のスケッチブックであり、念じて絵を描けばそれが実現するのである。
 咲耶の能力は確かに素晴らしいが、彼女本人には少々困った趣味があるのだ。
 美少年や美青年――とにかく美形男子に目がないのである。気に入った美形を発見するなり一心不乱にスケッチし始める厄介な人物なのだ。
 美大へ進学したのも、誰に憚ることなく、大好きな美形をモデルにして思う存分に色男の絵を描きたいがためではないか――と、茜は密かにそう睨んでいる。
「咲姉、俺、結構急いでるんだけど?」
 茜は咲耶に向かって苦笑いを向けた。時間がないことを強調すると、咲耶は龍一をスケッチすることを渋々諦めたようだった。
「条家の色男を描けるなんて滅多にない機会だけれど、葵ちゃんのためなら仕方ないわね。術を解くわ」
 咲耶が溜息混じりに告げ、茜の腕をそっと引き剥がす。咲耶の技は解除する時にもスケッチブックが必要なのだ。
 再び、咲耶の全身から金と緑が融け合ったような淡い光が滲み出る。
 彼女は神速の如き手捌きでスケッチブックに筆を走らせた。
 龍一に絡みついている無数の蔦植物たちがザワザワと蠢き出す。
「――――!?」
 蔦の中で、龍一がハッと息を呑んだ。
 不気味な蔦植物たちは龍一を解放するどころか戒めを強め、更にシャツの胸元を脈絡なくはだけさせたのである。
「……スミマセン、おねーさん。さっきより酷くなってるんですけど?」
「アラ? おかしいわね? ちゃんと直してるつもりなんだけど――」
 黒髪をサラサラと揺らしながら小首を傾げ、咲耶がまた恐ろしい速さでスケッチブックに何かを描き込む。
 すると今度は、龍一のシャツが蔦植物によって一気に剥ぎ取られ、白い首筋や鎖骨――そして肩が露出した。
「――わざとやってるだろ、咲姉?」
 茜は呆れ混じりの視線を咲耶へ向けた。
 どうやら龍一は咲耶好みの美形であるらしい。そうでなければ、こんな無駄なことに時間を費やす理由がない……。
「何言ってるのよ、茜ちゃん! 久々の美青年魔族だからちゃっかり辱めようとか、うっかりセミヌードくらい披露してくれてもいいんじゃない――とか全然思ってないわよ! 真面目に闘うのが久し振りすぎて、ちょっとスケッチブックの使い方に自信がないだけだからね!」
 咲耶が言い訳めいた言葉を繰り出す。
 ……解りやすい嘘だ。
 眼鏡をかけた横顔は嬉しそうに紅潮しているのだから、故意に龍一の肌を剥き出しにしたことは間違いない。
「――ったく、もういい。俺がやる」
 茜はもう一度咲耶に冷ややかな視線を浴びせ、巨大な蔦植物群へと向けて足を踏み出した。
 と、そこへ――
「頭を下げろ、茜!」
 凜とした声が響いた。
 茜が反射的に身を屈めるのと、何者かが疾風の如く宙を駆けるのが同時だった。
 真紅の閃光と共に白刃が煌めく。
 瞬く間に咲耶の生み出した蔦植物たちは鋭利な刃によって切り刻まれ、龍一を自由にする。
 呪縛を解かれた龍一が軽やかに着地する。
 僅かに遅れて、新たに出現した人物も華麗に地表へ降り立った。
 頭の上で一つに束ねられた黒髪が美しい流線を描く。その手には、冴え冴えとした刀身を持つ長刀が握られていた。
「ナイスタイミング、智姉!」
 純白の袴を身につけた相手の姿を確認して、茜はホッと胸を撫で下ろした。
「ちょっと、智美! 私の愉しみを奪うなんて、酷いじゃない!」
 すかさず咲耶が抗議の声をあげる。
 だが、非難された相手は長刀を己の肩に乗せると、大仰に溜息をついた。
 全身から放出されていた紅い神氣がスーッと引いてゆく。
「私も男前は嫌いじゃないけれど――今は葵のことが第一優先よ」
 そう凛然と言葉を紡ぐ顔は、咲耶と全く同じ造りをしていた。
「双子――なのか?」
 乱れたシャツを直しながら、龍一が確認するように茜に視線を流す。
 茜は無言で首肯した。
 袴姿の女性は――有馬智美。有馬家の長女であり、咲耶とは一卵性の双子だった。
 榊の血族は、昔から双子が生まれやすい家系なのだ。
「智姉がいてくれて、よかった。――俺たち、もう行ってもいいかな?」
 茜は即座に咲耶のことは智美に任せることに決めた。
 咲耶の相手をしていると延々母屋に辿り着けない畏れがある。折角智美が駆けつけてきたのだから、咲耶のことは彼女に引き継いで先を急ぎたかった。
「もちろん。母は留守だけど、美人なら離れにいるわ」
 智美が簡素に有馬家の現状を説明する。
 彼女の言葉を聞いて、茜は行き先を母屋から離れへと変更した。
 有馬美人に逢うために――




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Wed
2009.12.16[22:59]
 母屋を通過して更に奥へ進むと、ようやく有馬家の離れに辿り着いた。
 母屋よりも二回りほど小さい日本家屋だ。
 茜は庭に面した縁側から屋内に侵入すると、慣れた足取りで廊下を進んだ。龍一も無言で後を着いてくる。
 よく磨かれた廊下を一分ほど歩いた頃、
「――何度言ったら解るんだ!」
 何の前触れもなく、奥の部屋から凄まじい怒鳴り声が聞こえてきた。
 次いで、バシッ! と何かを叩くような不快な音が響く。
 茜は眉間に皺を寄せて、奥の部屋を睨めつけた。
「いいか、よく聞け! 美城(よしき)が不在の今、有馬家の当主はおまえだ!」
 荒々しさを伴った若い男の声が谺する。
 美城というのは、有馬姉弟の父親の名だ。
 本来ならば、有馬家の大黒柱として――そして、榊を支える分家筆頭として使命を全うしなければいけない立場にある男は、今現在有馬家にはいなかった。
 長男である美人が誕生した直後に出奔し、以来行方知れずのままなのである。
 美城の所在は杳として掴めず、もう十数年――血族の中で彼の姿を目撃した者もいない……。
 榊本家から嫁いできた妻の桐子が当主代理として、未成年の子供たちを庇護しつつ有馬家を切り盛りしているのが現状だった。
「榊など放っておけと言っているだろっ! ――葵がいないだと? 好都合じゃないか。おまえの何処があの双子に劣る!? この隙に本家を乗っ取ってしまえ!」
 また怒声と共に激しい物音が響き渡る。
「何だ、アレは?」
 龍一が怪訝そうに訊ねてくる。
「如月の叔父だ。桐子叔母さんが居ないのをいいことに、美人で遊んでやがる」
 茜は舌打ちを鳴らし、吐き捨てるように告げた。
 胸の奥底から怒りが沸々と込み上げてくる。
「如月――って、もしかして榊グループと事業提携している如月製薬のことかな?」
「そう……父の末の妹――鞠生(まりお)叔母さんが嫁いでいる。相手は如月祐介。如月製薬の取締役社長だ」
 茜は感情の籠もらぬ平淡な声音で説明すると、奥の部屋へと向かった。
「おまえが一つ頷きさえすれば、この有馬家だけではなく榊家の財産も名声も手に入るというのに! こんなにも私が目をかけてやっているのに、もどかしい奴だな、美人! 私はおまえを気に入っている。だからこそ余計に憎くもある。いっそのこと、その白い首――へし折ってやろうか」
 険のある如月の声。
 争うような物音が続いた後――突如として静寂が訪れた。
「――あっ……殺したいのなら殺せばいいでしょう。葵さんたちの両親を殺した時のように――」
 美人の苦しげな声がしたが、それすぐに凄まじい殴打の嵐によって掻き消された。
 龍一がハッとしたように茜に視線を流す。
「……証拠はない。けど、俺は事実だと思ってる」
 茜は冷ややかに応じた。
 二年前に交通事故で他界した父・保(たもつ)と母・志輝子(しきこ)。
 単なる交通事故でないことは一族の誰もが知っている。先代天主である保が交通事故などで死ぬはずがない。
 真相は定かではないが、保の友人であった如月が裏で暗殺を企て、父は友から与えられる死を享受したのだ――と大人たちはそう囁き合っている。 
 如月が両親の死に関与している確率は高かった……。
 脳裏に両親の顔が浮かんだが、茜はそれを打ち消すようにギュッと拳を握り締めた。
 わざと音を立てて廊下を進み、奥の間の障子を勢いよく開ける。
「こんにちは、叔父さん」
 茜は断りもなくズカズカと室内に足を踏み入れた。



ご来訪、ありがとうございます♪
現在、不定期&短め更新実施中です(汗) スミマセン……。

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Sat
2009.12.19[22:59]
 
 広い和室の中には、袴姿の美人と彼の胸倉を掴んでいるスーツの男が存在していた。
 二人は揉み合っていたようだが、茜の出現にピタリとその動きを止めた。
「有馬に遊びに来ているなんて、ちっとも知りませんでしたよ」
 茜は形だけの笑顔を浮かべて、スーツ姿の男を見下ろした。
 銀縁眼鏡の似合う三十代半ばの男――彼が如月祐介である。如月は冷淡に見える端整な顔立ちをしていた。
「それは、こっちの台詞だ」
 如月は臆することなく茜を見返すと、急に興味を失ったようにパッと美人から手を離した。神経質そうに眼鏡を片手で直し、茜と美人に視線を流す。
「来たばかりで悪いが、私は帰らせてもらうよ」
 至極冷静に告げ、如月は茜の横を通り過ぎようとする。
「どうぞ。でも――桐子叔母さんがいない時を見計らって美人をいたぶるのは、いい趣味とは言えませんね」
「おや、アレは私なりの最大限の愛情表現のつもりだが? いつからそんな葵みたいに嫌味な物言いをするようになったんだ、茜? 兄弟そろって可愛げのない……。ああ、そうだ。いい加減に私を後見人にしたらどうだ、と葵に伝えておいてくれ。では、失礼――」
 如月が口の端に冷笑を刻み、眼鏡の奥から鋭い眼光を浴びせてくる。
 彼は軽く鼻を鳴らすと茜の隣に立つ龍一に剣呑な一瞥を与え、部屋を出て行った。
「二度と来るな、サディスト野郎! 金に目が眩んだ下衆が……!」
 心の底からの罵りを吐き出し、茜は畳の上で顔をしかめている美人へ近寄った。
「……何者なんだ、あの男は?」
 思わぬ内輪揉めに遭遇して驚いたのか、龍一が茫然と呟く。
「おまえの同類だ」
「――どういう意味だ?」
「最低のヘンタイ」
 冷徹に茜は断言した。
 途端、龍一の唇から溜息が零れ落ちる。彼は不服そうに目を眇めて茜を見遣った。
「酷いな……。せめて私のことは純粋なヘンタイと呼んでほしいね」
「そこにだけはピュアさを求めたくない。――美人、大丈夫か?」
 龍一のボヤきをすげなく斬り捨て、茜は美人の傍らに膝を着いた。
 かなり強打されたのか美人の頬は紅く腫れ、唇からは血が滴り落ちていた。
 従弟の痛々しい姿を見て茜は眉をひそめる。
 同時に背後で龍一が大きく喉を鳴らした。
「それ以上、近寄るなよ。美人に手を出したら、即刻息の根止めてやるからな」
 すかさず茜は龍一を牽制した。
 魔族の好物は人間。殊に神族の血は彼らにとって至高の悦びをもたらすらしいのだ。
 龍一は美人の血の匂いを嗅ぎ、魔性の本能が疼き始めたのだろう。
「……承知している。少し――離れさせてもらうよ」
 龍一が苦しげに言葉を紡ぎ、部屋の入口まで身を退ける。
 鎌首を擡げ始めた魔族の性を理性で抑え込めるとは、流石は一条家の一員だ。下位の魔族なら本能に逆らえず、牙を剥き出しにしている頃だろう……。
 龍一が離れたのを確認してから、茜は美人の唇から流れる血を指で拭った。もう一方の手を従弟の肩に伸ばしかけた時、
「待って下さい、茜さん!」
 美人がハッと目を瞠り、慌てて身を引いた。
「関節が外れています」
 ひどく淡々と述べて、美人は右手を己の左肘へと運んだ。慣れた手つきで肘の辺りを何度か動かす。
「――あ、はまった。如月の叔父さんは加減というものを知らないから――困りますね」
 美人が関節の具合を確かめように軽く左腕を振る。『困りますね』と口にする割りには、従弟の顔は妙に涼しげだ。
 美人は如月に暴力を振るわれたことなどまるでなかったかのように流麗な仕種で和服の乱れを正すと、茜の方を向いてきちんと正座した。
 そんな従弟を改めて見つめ、茜は苦笑を湛えた。
「どうして、あんな奴の言いなりになる? 少しは《力》を使って逆襲してもいいんだぞ? 鞠生叔母さんに遠慮することもない」
「遠慮しているつもりはありませんが――普通の人には《力》を使うな、と母に言われていますので」
「お人好しすぎるんだよ、おまえは。あんな男が鞠生叔母さんの夫だなんて、考えただけでゾッとする。桐子叔母さんだって、あいつに対してなら力を駆使しても怒らないよ、きっと」
 茜は従弟に諭すように告げ、溜息を落とした。
 根が真面目すぎるのか、美人には一度決めたことを中々覆さない頑固な面があるのだ。おそらく余ほどのことがない限り、従弟が如月に神力を行使して鉄槌を下すことはないだろう……。
「桐子叔母さんは留守みたいだし、時間もないから手短に話すけど――いいな?」
 茜は如月のことを脳裏から追い遣ると、改めて従弟の端麗な顔を見つめた。
「はい」
 美人は入口にいる龍一にチラと視線を流したが、深く詮索をすることはなかった。
 余計なことを口にしない従弟の配慮に感謝しながら、茜は葵と風巳が誘拐された経緯を説明した。

「ああ、それで一条先生と一緒にいるんですね」
 龍一が魔族であることに対しては僅か一瞬柳眉をひそめたが、美人は事情を素早く呑み、彼と行動を共にしなければならない茜の事情も察してくれた。
「もしかしたら……如月の叔父さんが絡んでいるのかもしれません。あの人――葵さんがいないことを知っていましたよ。いきなり押しかけてきて僕をけしかけるから変だと思ったんです。なので、ちょっと鎌をかけてみたら、あの通りムキになって怒ったし――絶対に何か訳ありですよ」
 美人が冷ややかに言葉を紡ぎ、唇に微笑を刻む。その静かな微笑みには、如月に対する嫌悪が潜んでいた。
「探りを入れるのはいいけど――頼むから、あいつと二人きりの時には絶対に無茶はするな。美人に何かあったら、俺が智姉と咲姉に八つ裂きにされる……」
 茜は正面から美人を見据え、真摯に告げた。
 有馬家の双子の姉妹は、唯一の弟である美人をとても可愛がり、大切に護り続けているのだ。あの二人を本気で怒らせたら、血祭りに上げられることは必至だ……。
「如月の叔父さんか……。どうせ、あいつのことだから葵を二条繭羅に売ったんだろうな。それくらい平然とやる男だ。まあ、誰が相手でも葵は必ず取り戻してみせるけど。――美人、おまえは夏生のことを頼む」
「僕は……連れて行ってはくれないのですね?」
 ふと、美人が表情を曇らせる。
 黒曜石の双眸には『葵を助けたい』という強い訴えが宿っていた。
「如月の叔父さんじゃないけど――万が一、葵と俺が戻らなかったら、一族の長はおまえだ」
「ですが、茜さんはまだ体調も――」
「おまえしかいない」
 不服げに反論しようとする美人の声を遮り、茜は彼の頭を軽く撫でた。
「夏生と一族を任せられるのは、美人しかいない。もしも朝までに俺も葵も帰ってこなかったら――後のことは頼む」
「茜さん、僕は……」
 美人が不安げに茜を見上げ、口籠もる。
 そんな従弟の頭をわざと乱暴に撫で回し、茜は唇に弧を描かせた。
「北の冷泉(れいぜい)も南の円融(えんゆう)も美人になら従う。――まっ、俺は絶対に戻ってくるけどな。ちゃんと葵と一緒に帰って来るから、それまで夏生の傍にいてやってくれ」
 努めて明るい声音で告げ、茜は美人の頭から手を離した。
 榊の本家に有事があった際には、有馬家が天主代行を務める。それは遙か昔からの慣わしであり、他の二大分家――冷泉家と円融家も了承済みだ。
「……解りました」
 素直な美人にしては珍しく、不承不承に首肯する。
「話はついたみたいだね。そろそろ風巳様を助けに行きたいんだけど、いいかな?」
 茜たちの遣り取りを静観していた龍一が、ようやく口を挟む。
「まあ、今回は風巳様と葵を救出したらお互い速やかに撤収――って決まりだからね。君の大切なお兄様方はちゃんと無傷で返すから、あまり心配しないように」
 龍一が柔和な笑みを美人へと向ける。
「それじゃあ、美人――行ってくるから」
 まだ納得のいかないような表情を湛えている美人から視線を引き剥がし、茜はゆっくりと立ち上がった。
 身を翻し、龍一の元へ移動する。
「茜さん、どうかお気をつけて。――榊の家で待っています」
 部屋を後にする直前、気遣わしげな従弟の声が耳に届けられる。
 茜は振り向かずに頷くと、龍一と共に有馬家を辞した。



     「五.一条」へ続く



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Sat
2009.12.26[22:59]
五.一条



 龍一の運転するブルーシルバーのアウディに乗り、茜は同じM市にある如月家へと向かっていた。
 有馬家と如月家はさほど遠くはない。
 地図上での距離は直線にしてたかだか二キロ程度だろう。
 なのに、いつまで経っても龍一のアウディは如月家へ辿り着くことはなかった。
 塀に囲まれた如月家が視界に入った途端、空間がグニャリと歪曲し、アウディは否応なしにそこに呑み込まれたのである。
 一瞬、ジェットコースターで落下している時のような気持ちの悪さが車中の茜を襲った。
 思わず瞼を閉じ、再びそれを押し上げた時には、フロントガラスに向こう側に広がる世界は闇に包まれていた。
 何者かの紡ぎ出す異空間に引きずり込まれたことは明白だった。
「まいったね。繭羅(まゆら)の結界に引き込まれたらしい。行けども行けども――辺りは漆黒の闇だ」
 ハンドルを握る龍一が肩を聳やかす。しかし、言葉とは裏腹に大して困窮しているようには見えなかった。サングラスをかけた横顔には微かな笑みすら浮かんでいる。
「……みたいだな。ちょうどいい。疲れてるから仮眠する。――襲うなよ」
 龍一に釘を刺し、茜は大きな欠伸をしながらシートを倒した。
 昨夜から一睡もしていない。その上に葵の身を心配するあまりに精神的な疲労も溜まっている。
 どうせ結界内で身動きが取れないのなら、今のうちに少しでも身体を休めておきたかった。ただ、魔族である龍一が隣にいることだけが不安要素だ。無防備に眠りに就いている最中に血を啜られたりしてはたまらない。
「それは……色んな意味で難しいけれど――善処はするよ。まあ、確かに、お迎えの敵が来るまでは暇だし、こちらから出て行くのも癪だしね。休めるうちに休んだ方がいい。さっき君の従弟が懸念していたけれど――本調子じゃないのか?」
 龍一がアウディを停車させ、茜に倣ってシートを倒す。
「おまえのご主人様が俺の血をガッツリ吸ったからだろっ……! おかげで、俺は未だに貧血気味だ」
 茜は仏頂面で嫌味を投げつけると、龍一から顔が視界に入らないように背を向けた。
「あの人には、まだまだ血が必要なんでね」
 悪びれた様子もなく龍一は告げる。魔族にとって血は必須エネルギーなので、吸血行為に罪悪感を抱くことはないたのだろう……。
 古き時代から生き延び、強力な力を得た高位の魔物は血を呑まなくても生命活動に支障を来さないと云われている。だが、若い三条風巳は魔族として未だ成長過程にあり、多くの血液を必要としてるのかもしれない。
「どうして、一条家のおまえが三条家の風巳に遣えている?」
 思わず、茜は胸につかえていた疑問を唇に乗せていた。
 静かな異空間で魔族と二人きり――という面妖なシチュエーションが常よりも口を軽くしているのかもしれない。
 それに、魔族の内部事情など知ったことではないが、同じ魔族でも他家に従事することは殆どないはずなので珍しく感じていたのは事実だ。
「おや? それは私に興味を抱いてくれたと受け取っていいのかな、茜?」
 龍一が楽しげに笑う。
「茶化すなよ。まあ、興味はある――というか、訊きたいことは山ほどある」
 茜は再び寝返りを打ち、改めて龍一の方へと向き直った。
 視界の中、龍一の豪奢な金髪が輝いている。
「一条家の始祖は――神族だって聞いたことがある。一条家特有の金髪は神力の名残だとも……。そもそも神族だった一族が、どうして魔族に寝返ったのか知りたいね」
「……私も知りたいよ。祖先は祖先でも、何せ古の時代の出来事だからね。真相は闇の中――というか妖魅王が綴る《妖鬼伝》には記されているんだろうけど……。あの孤高の女王は書の在処をひた隠しにしているから知りようがない」
 龍一が微笑を湛えたまま淡々と言葉を紡ぐ。
「妖魅王の《妖鬼伝》か……。ああ、あのゲームを作ったのは糸紡ぎの女王なのか! なるほどね、だから制作者が《AYA》でNPCが《織姫》なんだな」
 突如閃いた答えに茜がハッと目を見開くと、龍一は無言で首肯した。
 茜と龍一が出逢うことになったオンラインゲーム《鏡月魔境》――あのゲームを構築したのは、魔族にも神族にも与せずに中立を保っている妖鬼族の王であるらしい。
 女だけの妖鬼族を束ねるているのが妖魅王だ。
 妖魅王の役目は神族と魔族の闘いを記録することにあると伝えられている。
 遙かな昔より妖魅王が記し続けているのが、神族と魔族のことを詳細に書き記した《榊妖鬼伝》と《条家妖鬼伝》という二冊の書なのである。
 運命の糸を紡ぐかのようにひたすら書を綴り続けることから、彼女はしばしば《綾織の女王》や《糸紡ぎの王》などと呼ばれる。
「妖魅王が現代に生まれ落ちているとすれば、目的は一つ――闘いの記録……か」
 茜は自分で導き出した結論に我知らず顔をしかめていた。
 現在、妖魅王がこの世に存在しているということは、即ち――大きな戦が勃発するということに他ならない。
「二十一世紀にもなって《戦》なんてどうかと思うけれど――運命の糸に操られて、そういう方向へ流れていくんだろうね、私たち魔族も君たちも」
「まだ大戦になると決まったわけじゃない。俺はそんなの御免だね。葵が天主の時に生まれてくるなよな、妖魅王も」
「葵が天主になることが解っていたから、生まれてきたんじゃないのか?」
 ふと、龍一の声に探るような色が織り交ぜられる。
「……おまえの名前、《一》で始まり《一》で結んであるよな。同じ文字で循環させて、輪廻転生がスムーズに行くように呪が施してある。――転生組なのか?」
 茜は龍一の問いには応えずに、質問で切り返した。
「そう、私は転生者だよ。前世の記憶は疎らに刻まれている状態だけど……。生まれ変わる度に、あまりいい死に方をしないみたいだね。だから、心配性の兄が私の身を案じて、現世では名前にまで術をかけたみたいなんだ。君は――転生組じゃないのか?」
 今度は龍一が訊ねてくる。
 神族にも魔族にも共通しているのは、時折前世の記憶を持った者が生まれてくるという点だ。
 血を繋ぐための人間とは異なり、彼らは前世から引き継いだ記憶や使命や信念に則り行動する傾向にある。
 また、時として前世に縛られ、翻弄され――悲しい結末を辿ることも珍しくはなかった……。
「俺は違う。多分、祖母も父も夏生も美人も転生組じゃない。俺たちは榊の血を絶やさないための《繋ぎ》のパーツだ。けど――葵は前世の記憶を持っている。生まれ変わる前のことは、俺にも滅多に話さないけど」
 最後の部分だけ不満げに呟き、茜は挑戦的な眼差しで龍一を見据えた。
「ああ、やっぱりね……。私は、君の双子の兄は、この世で最初に《天主》と呼ばれた存在の転生した姿なんじゃないかと踏んでいるんだけど? つまり榊家の当主を表す意味での天主ではなく――純粋な《天主》そのものだ」
「だったら、どうだって――」
 龍一の真意が掴めずに眉根を寄せた茜だが、突如として不吉な影が脳裏をよぎった。
「まさか、そっちの御大も原初の魔王の転生――とか云うんじゃないだろうな?」
「さあ? まだ私もお逢いしていないので即答はしかねるけど――転生者であることは間違いないね。もしも、魔王様も天主も妖魅王もみんな《繋ぎ》ではなくオリジナルの生まれ変わりだとすれば、今生はさぞかし熾烈で不毛な闘いに発展するだろうな――と、少し嫌気が差しているだけだ」
「俺たちの間に不毛じゃない闘いなんてあるのかよ?」
 茜が揶揄たっぷりに吐き捨てると、龍一は苦笑を閃かせた。
「――ないね。まあ、風巳様が無事であれば、戦の勝敗など私にはどうでもいいことだけれど……。有馬家で面白いものを見せてもらったから、茜には特別にさっきの質問の答えを教えてあげよう。私が風巳様に遣えているのは、風巳様の魔性を引き出したのが私だからだよ」
 龍一が茜から顔を逸らし、打ち明ける。サングラスに隠されて表情は窺えないが、彼の言葉には幾ばくかの寂寥と後悔が滲んでいた。
「私は……死にかけていた風巳様の生命を繋ぐために自らの喉を裂き、風巳様に血を与えたんだ。その時、あの人は生まれて初めて血の味を知った。だから、私には責任がある。あの人の傍にいて、あの人を護り――生涯を共にする役目がね」
 龍一が静かに語る。
 詳しいことはかなり省かれているようだが――とにかく龍一と風巳の間には複雑な事情が絡んでいるらしい。
 特別な結びつきのようなものがあるのだろう。
 そうでなければ、三条風巳と一条龍一という異例の主従が生まれるはずはない。
 思いがけず風巳のことを茜に吐露して感傷や自責の念が芽生えたのか、それきり龍一はピタリと口を閉ざしてしまった。
 奇妙な静寂が車内に充満する。
 無言の時がしばし流れる。
 仮眠をとるどころか気まずさを感じ始めた茜が口を開きかけた瞬間、ガタンッ! と派手な音を立てて車体が大きく傾いた。



中々戦闘まで進まない……(汗)
もしかしたら年内最後の更新になるかもしれません(滝汗)
亀更新続行中にも拘わらず、ご来訪下る皆様、本当にありがとうございます♪

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Wed
2010.01.06[22:59]
 バランスを崩した茜の腕を龍一が咄嗟に掴む。
 シートベルトを締めていないので、急激な車体の傾斜に身体がシートから浮いたのだ。龍一が機転を利かせて腕を掴んでくれなければ、側頭部か後頭部を窓ガラスに激突させていたことだろう。
 龍一は茜を支えていない方の手でハンドルを握り、辛うじて体勢を保っている。
 数度激しい揺れが続き――車体は急にピタリと動きを止めた。
 奇妙で不吉な静寂が車内を満たす。
 茜は困惑の眼差しで龍一を見上げた。すぐには何が起こったのか理解できなかったのだ。
「どうやらお迎えが来たみたいだね」
 茜の視線を受けて、龍一が唇に苦笑を刻む。彼が顎で背後を示すので、茜はつられるように首をねじ曲げた。
 助手席の窓にヌメヌメと光る奇怪な物体がへばりついていた。
「――うわっ、気色悪い……!」
 茜は恟然と目を瞠った。
 吸盤の付いた若紫色をした蛸の足のようなものが、車体を持ち上げているのだ。
 触手の直系は一メートル以上あるように見える……。
「潰される前に――跳ぶよ、茜」
 龍一が淡然と告げ、ハンドルを握っていた手を運転席のドアへと移動させた。
「オイ、ちょっ――!?」
 再び身体が傾斜する。
 茜の懸念を察したのか、繋がれた龍一の手に力がこもった。
 次いで、大きな爆音を轟かせて運転席のドアが吹き飛ぶ。
 外の空間への脱出口を確保したのだ。
 龍一は茜の腕を力強く引き寄せると、躊躇いもせずに運転席から外へと身を投じた。彼に手を掴まれている茜も当然後に続く。
 アウディの車体はいつの間にか地上から五十メートルほど離れた高みへと持ち上げられていたようだ。
 身体が急降下する。
 闇の底に着地した直後、龍一が素早く茜の腕を解放した。
 間髪入れずに、薄墨を溶かしたような闇の中から奇怪な触手が襲ってくる。
 茜は反射的にそれを手刀で払い除けながら、後方へ飛び退いていた。
 至極不愉快な《お迎え》が現れたせいなのか、気づけば先刻まで真っ暗闇だった世界はぼんやりとした灰色の景色に塗り替えられていた。
 暗闇の中で闘うことは相手も不得手であるらしい。
 闇が薄れたおかげで、敵の正体も容易く肉眼で捉えることができた。
 体長二十メートルはありそうな巨大な化け物だ。
 潰れた蛙のような胴体から蛸の足の如き触手が伸び、うねっている。
「……蛙と蛸の混合かよ」
 巨大魔魅をしかめっ面で見上げ、茜はボヤいた。
「下級魔だね。しかも、繰魔だ」
 巨体を引き摺るようにしてこちらへ向かってくる魔魅を一瞥し、龍一がフンと鼻を鳴らす。
「――繰魔?」
 茜は柳眉をひそめ、説明を求めて龍一に視線を流した。
「魔物の匂いがしない。それに、繭羅はこんなちゃちな玩具も部下も持ってはいないよ。さっき君と前世や転生について話した時に、チラッと思い出したんだけれど――如月祐介、私とは前世の何処かで逢ってるみたいだね」
 龍一が面白くなさそうに言葉を紡ぐ。
 ――そういえば、龍一と擦れ違う時、やけに険しい顔してたな、あの人……。
 ふと、脳裏に有馬家での何気ないワンシーンが甦る。
 茜の隣に佇んでいた龍一に対して、如月は明らかに敵意を向けていた。
「私の記憶が正しければ――過去の何処かで……私は彼に殺されているね。つまり彼は普通の人間どころか、私たちと同じ能力者であり転生者だということだ。彼が普通の人間だなんて――嘘を吐いたね、茜」
 龍一が不満げに声のトーンを落とす。
「普通の人――って言ったのは、俺じゃなくて美人だし……」
 龍一から非難の眼差しを向けられ、茜は言い訳がましい言葉を口にした。
 龍一を謀るつもりはなかったが、積極的に真実を告げる気にもなれなかっただけだ。
 だが、過去世で龍一と如月に接点があるのなら、如月の血筋のことを隠蔽するのは不可能だし――無意味だ。
 茜は溜息を吐きながら片手で髪を掻き上げ、改めて龍一に視線を据えた。
「いや、別に嘘を吐いたつもりも騙すつもりも隠すつもりもない。アレは俺たち神族にとっても厄介な存在だからな。妖鬼族が第三勢力なら、アレは第四の勢力ってことになるのかな。魔魅遣い――混沌(カオス)の一族だ」
「ああ……元は我らの同胞か。魔魅を増殖させ、調教する役目を担っていた下級魔たちが、戦国の混乱に乗じて魔王様を裏切り、離反したんだったね、確か……」
 龍一が胸の奥深くに仕舞われた記憶を手繰り寄せるように眉根を寄せる。
「そう、魔族とは異なる道を歩むことに決めた魔魅遣いの一族たちだ。血を繋ぐために神族、魔族、妖鬼族――全ての一族と子を成してきた奴らは、今ではかなりの力を有している。その力を榊家にも取り込もうと目論んだのか、お祖母様は鞠生叔母さんを如月祐介に嫁がせた。幸か不幸か、二人の間にはまだ子供はいないけどな」
「私たちのいいところ取りをした結果かが――アレとはね」
 龍一がひどく不愉快そうに、蛙と蛸の合わさったような魔魅を見遣る。
 綺麗なものに惹かれる彼には、醜悪な魔魅の存在が心底耐えられないのだろう。
「如月氏の美的感覚は最悪だね」
「残念だけど、そうでもないみたいだ。鞠生叔母さんて三十を過ぎたばかりなんだけど、それはそれは綺麗で少女みたいな人なんだ。あいつは昔から叔母さんに惚れてたみたいだけど、叔母さんの方は全く相手にしない。結婚した今も拒絶し続けている。だから、美人に暴力を振るう――」
「如月氏がそれなりの美意識の持ち主だということは解ったけれど、どうしてそれが君の従弟に繋がるのか――教えてほしいね」
 龍一が興味津々の体で言葉を紡ぐ。
 茜は口の端に微笑を刻むと、不気味な魔魅を冷ややかな眼差しで見つめた。
「美人が鞠生叔母さんにそっくりだからだよ。あいつは自分の妻に拒まれ続け、けれど面と向かって文句を言うこともできないから、瓜二つな美人に八つ当たりするんだ。――ねえ、叔父さん、どこか間違ってるかな、俺?」
 刺々しい言葉を放ち、茜は鋭い眼差しで魔魅の上空を睨めつけた。
 転瞬、
「黙れ、茜っっ!!」
 ヒステリックな声が頭上から降り注ぎ、灰色の世界に如月祐介が姿を現した。



40000HIT ありがとうございます♪

茜、葵と夏生が一緒じゃないと若干毒舌気味に……(汗)
次こそ戦闘シーンに突入できると思います←

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Mon
2010.01.11[09:38]

 蛙と蛸のキメラのような魔魅の真上に、如月が浮いていた。
 主人の出現を喜ぶように、吸盤のついた太い触手がさわさわと揺れる。
「小僧の分際で生意気なっ! 生粋の神族に、我ら異端のものの心情など解るものか!」
 如月が銀縁眼鏡の奥で双眸に憎悪の灯火を点け、茜を睥睨する。
「そんな歪み捻れた気持ちなんて――解りたくもないね」
 臆せずに茜が棘のある言葉を返すと、如月は心底口惜しそうに歯噛みした。
 強い仇視の視線が茜を射る。
「鞠生のことは――どうでもいい。神族など一人残らず滅んでしまえばいいのだ! 夏生も智美も咲耶――皆、餌として魔魅にくれてやる。最後に、葵とおまえを慕っている美人を我々が魔魅を従える要領で調教し、私の操り人形にしてやる!」
 如月の口から呪詛の如き下劣な言葉が飛び出す。
 彼の怒りに呼応するように魔魅の触手が激しく揺れ動いた。
「随分と彼に嫌われてるようだね」
 如月の怒り具合に辟易したように、龍一が揶揄混じりの視線を茜に流す。
「欲しいものが手に入らないから癇癪を起こしてるだけだろ。あいつは神族になりたいくせいに、俺たちのことが大嫌いなんだよ……」
「憧憬と嫉妬――か。混沌の一族らしい二律背反だね。ところで、彼の嗜虐リストに私は入っていないみたいだけど?」
「魔族――っていうか、年増は趣味じゃないんだろ」
「年増? 失礼な。私はまだ二十四だぞ」
 龍一が不本意そうに眉根を寄せる。
 茜は無言で肩を竦めた。如月の思惑も趣向も茜の興味の対象ではない。
 そもそも鞠生の夫でなければ、一生言葉を交わすこともなかっただろう相手だ。
「何をごちゃごちゃ言っている! ――フンッ。行け、魔魅。あいつらを八つ裂きにしろ!」
 怒りに燃える眼差しを茜と龍一に注ぎ、如月は鋭い声で魔魅に命じた。
 魔魅が奇声をあげ、主に応えるようにひしゃげた蛙のような巨体を震わせる。
 魔魅が歩を進める度に灰色の世界が震動し、ヌメヌメと輝く触手が獲物を求めて蠢く。
「やっぱり美人か夏生を連れて来ればよかったかな……。俺、この手の魔魅はどうも苦手で――」
 茜が嘆息すると、龍一は口の端に笑みを刻んだ。
「苦手なんじゃなくて――体力を温存させておきたいだけじゃないのか?」
「だから、おまえのご主人様が容赦なく吸血したから悪いんだろ……!」
「仕方ないね。茜は下がっていていいよ」
 龍一が苦笑を湛え、サングラスを取り外す。
 その双眸は黄金色に輝いていた。
 臨戦体勢に入ったのだろう。
 龍一が一歩前に進み出た瞬間、魔魅の紫色の触手が一斉に彼に躍りかかった。
 数多の触手が龍一の身体に巻き付き、動きを封じる。
 だが、龍一特別抵抗するとこもなく、触手に身を預けている。
 ――自ら囚われて、どうする気なんだよ……!?
 茜は猜疑の眼差しを龍一へ向けた。
 龍一には魔魅を攻撃する意志がないようにさえ見える。
 しかし、そう思ったのは茜の早合点で、龍一が緩慢な動きで触手を片手に握ると、彼の黄金の髪はますます眩さを増した。
 魔魅に身を戒められているにも拘わらず、龍一の顔には笑みが広がり、瞳が喜びを表すように濡れた輝きを放つ。
 そこでようやく茜は、龍一が魔魅から生体エネルギーを吸い上げているのだ、ということを理解した。直接獲物に牙を突き立てなくても、触れた肌から魔力や生体エネルギーを吸収することが龍一には可能であるらしい。
 触手を掴んだ龍一の指に力が込められる。
 長く鋭く変化した爪が魔魅の触手を突き破った刹那、金色の髪がパッと一気に伸びた。
 二十メートルほどに成長した目にも鮮やかな金糸が、蠱惑的に宙を舞う。
 ――綺麗だな。
 乱舞する金の髪を眺め、茜は僅かに目を細めた。
 いまだかつて、これほどまでに完全な人間体で――しかも美しい魔族にお目にかかったことはない。
 龍一が魔族の中でも高位に位置する一条家の者であることの証だ。
 彼は『風巳を助けるために茜の力がほしい』と言っていたが、本当はそんな必要など端からなかったのかもしれない……。彼はただ、確実に風巳を救出するための保険として茜に協力を求めただけなのだろう。
 龍一が黄金色に煌めく瞳で魔魅の本体を見据えた。
 瞬時、怯んだように魔魅の巨体が大きく震え、触手がピタリと動きを止める。
 その隙を狙ったように、龍一の髪が魔魅の触手を搦め捕った。
 直後、醜悪な蛙のような胴体から全ての触手が勢いよく引き抜かれる。
 ぐえぇぇぇぇっっっっっっ!!
 身体中の触手を強奪された魔魅が奇怪な叫びをあげ、地をのたうち回る。
 緑色の体液が四方八方に飛び散った。
 龍一は切り離した触手群を無造作に投げ捨てると、断末魔の叫びをあげ続けている魔魅に冷たい一瞥を与え、次に頭上の如月を振り仰いだ。
「魔族に堕ちた分際で、未だにその形(ナリ)とは笑わせるな……」
 龍一と目が合った瞬間、如月が忌々しげに眉を跳ね上げ、舌打ちを鳴らす。
 如月の皮肉を冷笑で跳ね返し、龍一は彼が逃げ出す前にその身に髪を巻き付け、捕縛した。そのままゆっくりと――如月の恐怖を煽るかのように丁寧に彼を引き寄せる。
「繭羅の本拠地は何処だ? 風巳様を何処へ隠した?」
「――知らないな」
 フイッと如月が顔を逸らす。
 龍一は髪を操って更に如月を間近まで寄せると、唇に綺麗な弧を描かせて微笑んだ。
 鋭く変形した二本の犬歯がチラと覗く。
「血を吸われたいのか?」
「私は……二条の姫の行方など知らない。ただ……西の方に館があるとしか――」
 苦しげに言葉を紡ぐ如月。
 それだけ聞くと、龍一は呆気なく如月を解放した。
 緊縛されていた苦痛にむせぶ如月を尻目に、龍一は踵を返した。
「この世界の西に繭羅の拠点があるようだよ」
 長い髪を艶やかに舞わせたままの姿で、龍一が茜の傍へ戻ってくる。
「魔族のくせに如月の叔父さんは殺さないんだな?」
「今は昔とは違うからね。殺せば――即逮捕だし、如月氏は表の世界でも名の通った企業家だから、隠蔽するにも色々と面倒がかかる」
 龍一が困ったような微笑を湛える。
 今の世は、生物の血液を好む魔族にとっては非常に生きにくいのだろう。普通の人間に紛れて生活を営むために、彼らは細心の注意を払って獲物を物色し、殺さぬ程度に血を啜ることで現代を生き延びているのかもしれない……。
「……まあ、いいさ。殺したって利は少ないし、コレに懲りてしばらくは叔父さんも大人しくしてるだろ。それにしても――その髪、凄いな」
 自由自在に乱舞する長い金髪を見上げ、茜は素直に感嘆の声を洩らした。
 二十メートルもある髪が地に着かずに、風もないのに靡いているいるのだから不思議だ。
 金糸をはためかせ、金色の双眸を輝かせる姿は、魔族だというのに妙に神々しい。
「これは――風巳様にだってあまり見せたことはないんだよ。この姿は嫌いだからね」
「何で?」
「この姿になると嫌でも思い出す。我ら一条家が神族を裏切った堕天であることを――」
 ひどく静穏に告げ、龍一はあっという間に元の姿に戻ってしまった。いや、先ほどまでの姿こそが生来のものなのだろうが……。
「昔話をしている暇はないね。早く風巳様を助けに行かなければ――」
 金から鳶色へと変色した双眸に切実な想いを閃かせ、龍一は西の方角へと身体を向け、歩き始めてしまう。
「忠犬ハチ公みたいな奴だな」
 三条風巳に対する龍一の忠義に半ば感心しながら、茜は何気なく魔魅を見遣った。
 触手をもぎ取られた本体は、仰向けに引っ繰り返った状態で痙攣している。
 だが、その傍らにも灰色の世界の何処にも如月の姿はなかった。
 悶絶する下僕を見捨てて、さっさと身を潜めたらしい。
 ――あいつは心底榊一族を嫌っているようだけど、流石に葵を手にかけてはいないだろう。
 妻である鞠生の逆鱗に触れるような真似は、如月には出来ないはずだ。口では何と言おうと、如月は惚れ込んでいる鞠生には弱い。
 ――葵、頼むから無事でいてくれ。
 茜は脳裏に己の半身を思い浮かべると、身を翻して龍一の後を追った。



     「六.最果ての契り」へ続く



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